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社長のプレゼン【エンジニア出世論】vol.5 最安値水準の手数料を自社開発で実現させたクリック証券高島社長が語るエンジニア出世論/クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島 秀行 氏
ネット証券としては後発ながら、最安値水準の手数料で業界を震撼させ、多くの顧客を獲得し急成長を遂げたクリック証券。社員約110名のうち、実に半数がエンジニア。システム開発を社内で行い、他社には真似のできないこのモデルを作り上げたのが、自身もエンジニア出身の高島秀行氏だ。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:10.09.24
クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島 秀行 氏
優秀なエンジニアには超高待遇。もっともっと良くしていきたい。
Q:大学は工学部を卒業後、最初は証券会社に入社されたんですね。
 株式取引をしていた親のアドバイスで、子どもの頃から株をやっていたんです。小学生のときから、ちょっとだけですが、自分で株を持っていました。それから面白さがわかってきて。株って、会社の業績が良くなると上がって、悪くなると下がる。それを予測して、儲けることができる。面白いと思いました。それで、証券の仕事をやってみたいと思ったんです。

 本当はトレーダーやディーラーに憧れていたんですが、配属は営業。成績はいいほうでしたが、あまり向いていないな、ということに気がつきました。ちょうど入社時は、バブルが終わった頃。相場がどんどん悪くなっていく時期だったんです。在籍した3年間は落ちる一方で、証券会社自体も大きな損失を出していたりしましたから、これは将来も営業は厳しいかもしれないぞ、と思いました。

 転職しようにも、思うようなところがない。それで、アメリカに語学留学することにしました。当時、外資系金融がたくさん登場し出していて、英語ができれば、トレーダーやディーラーの仕事に就けるかもしれないと考えたんです。
Q:でも、帰国後、システムの会社に入社されることになりました。

 日本に戻ったのが、1999年。折しも金融恐慌の時期。帰国してしばらくして三洋証券が倒産し、しばらくして山一証券が破綻しました。選考が進んでいた会社もあったんですが、私はトレーダーもディーラーも未経験です。そんなところに、どっと経験者が転職市場にあふれてきた。そうなると、未経験の私はとても太刀打ちできません。証券会社のへの転職はムリだと思いました。それで、あきらめたんです。

 ちょうどその頃、コンピュータ業界が伸びていた時期でした。私は大学時代、プログラミングも多少は勉強していたので、こっちで頑張ろうかな、と考えたわけです。それで、金融業界に強いシステム会社に入って、システムエンジニアになりました。最初は面白かったんです。新しい業界で新しいことができる。でも、入った部署は汎用機を扱う部署でした。もっとも当時は、圧倒的に汎用機のエンジニアが多かったんですが。でも、やっているうちに、インターネット関係のシステムの開発をしてみたいと思い始めて。そこで思い切って1年で辞めました。転職先は、やはり金融分野を得意とする小さな会社でした。

Q:この会社での経験が、後に大きな経験をもたらすことになるわけですね。
 最初の仕事が、後に業界に先駆けてオンライントレードを始めて大きな話題になった、とある証券会社のトレーディングシステムをゼロから作るプロジェクトでした。入った会社が全部を請け負っていたんです。これがうまくいって、証券会社は急成長していきます。そのときに思ったのが、自分でビジネスをするほうが、はるかに面白いしリターンが大きいと思ったんです。もともと証券会社出身ですから、自分たちで作ったシステムで、自分たちでビジネスをしてみたいという思いが出てきました。システム会社というのは請負ですから、要求は証券会社から出されます。システムの素人で、インターネットに通じてない人たちからの要求に対してこちらから提案するというのは、極めて面倒なことなわけです。ある程度、わかっている人たちだけで仕様を決めて作ったほうが、もっといいものができるに違いない、という確信を深めていきました。
クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島 秀行 氏
クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島 秀行 氏 Q:でも、この会社には3年間、在籍されていますね。
 最初の証券会社のプロジェクトの後も、ネット証券やネット銀行のシステムを作ったり、金融ファイナンスポータルを作ったりしていました。インターネットの金融システム開発では、有名な会社になり、急激に成長していた面白い会社でした。でも、色々な事情があって会社の環境が大きく変わりました。これまでは開発に積極的な会社でしたが、そうではなくなったのです。要するに、開発指向の強かった会社から、運用中心の普通の会社になってしまったわけで、これではつまらない、と優秀なエンジニアはどんどん辞めてしまった。それで私も、辞めることにしたんです。

 では、次にどこに転職しようかと思って、ふと考えたんですね。選択肢は2つある、と。金融系の会社に行く道と、純粋にシステム開発だけをやる道と。調べてみたら、後者は給料が安いんですよ(笑)。やっぱりエンジニアでも金融系に特化したほうが給料は高かった。それで、やっぱり経験を生かすべきだと、証券会社系の大手システムコンサルティング会社から内定を取りました。ところが、決意する直前に、人材紹介会社から外資系のシステムコンサルティング会社を受けてみないかと言われたのです。
Q:それで、そのメジャーな外資系のコンサルティング会社に行くことを決めたんですね。
 入社してみると、みんな若いし、外資系ってやっぱりかっこいいわけです(笑)。一度、こういうところで働いてみるのもいいかな、と思って。インターネットの金融システムのコンサルタントの仕事が始まりました。オンライン証券や証券会社のシステムの担当をずっとしてやっていました。でも、やってみて思ったのは、全世界で大規模に展開している会社ではありましたが、もう少しクリエイティブな仕事をしたいということです。

 基本的にクライアントは、大企業。そうなると、提案内容はわかりやすく説明できるものでなければいけない、と言われました。要するに、無難なシステム、ということです。過去の事例があるかどうかが問われる。事例がないとなると、うまくいくとははっきり言えませんから、相手にも受け入れられないだろう、というスタンスです。要は、思い切った冒険も提案もできない。クリエイティブになっちゃいけない、と言われているみたいでした。そうなると、毎回毎回、同じような仕事の繰り返しになるんですよ。
Q:この頃まで、システムエンジニアとして、どんな仕事観をお持ちだったんですか。
 基本的には、いいシステムを作ることが仕事だと認識していました。いい仕事とは何かというと、インターネットのビジネスなら儲かるシステムです。社内のシステムなら、効率化などの目的に沿ったシステムを作ることです。それを達成するためには、技術の進化に対応していなければならない。新しい技術を使ったシステムを作り出さないといけない。それがユーザーにとって一番いいものになる、と考えていました。

 もっといえば、それを実現するためには、ビジネスリクワイヤメントとテクノロジーについて深い知識がないとできないことに気づいていましたね。それがないと、自分でデザインできません。また、システムを作るには、ハードウェアやらネットワークやらデータベースやら、いろんな知識が必要になる。

当時からシステム業界は分業化されていましたが、重要なのは連携なんです。全部の連携を含めて、デザインをする。そのための勉強が重要だし、それができるスペシャリストになりたいと思っていました。全体をデザインするアーキテクチャーです。「とにかく納期を守る」「求められた仕様に応える」というだけのエンジニアでなく、もっと高い視点で物事を見ようとしていました。
Q:結果的にこの後、ベンチャー企業に転職されます。ここでも貴重な経験をされますね。
 あるインターネットベンチャーが当時、プロ野球の球団を買おうとしていた時です。それを見て、面白そうだなと思ったんです。大企業をクライアントに、チャレンジのできない仕事を繰り返していましたから、こういう世界は自分にはもう合わないと思っていて。

 エンジニアとして、インターネットのポータルサイトのビジネスなどに携わりたいと思っていたんですが、結果的には金融事業のシステム部門の責任者を委ねられることになりました。それで、ネット証券の夜間取引の担当になったり、ネット銀行を立ち上げる担当の一人になったりもしたんです。

日々ビジネスプランを作ったり、システム開発の準備をしたり、役所への申請業務などをしていたんですが、ふと気づいたんですよ。もしかしたら、これなら自分が中心になって、自分でビジネスを作れるんじゃないか、と。当時はベンチャーブームで証券市場が好調でした。やるなら証券会社がいいな、と。それまでの経験も証券系を中心に積み上げてきたものでしたし。それで半年で辞めるんです。
クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島 秀行 氏
クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島 秀行 氏 Q:自分でネット証券のビジネスを始めようと思ったわけですね。ただ、ネット証券を立ち上げるには、多額の費用がかかりますよね。
 ネット企業が好調な時期でしたから、どこかはネット証券に関心を持つんじゃないかと思ったんですよ。それで自分でリストを作りましてね。順番にネット証券の企画書を持って、回っていこうと。その一番目に考えていたのが、GMOインターネットでした。リストの中でも一番規模の大きな会社でしたし、社長の熊谷さんとはちょっとだけ知り合いだったからです。

 企画書では、自分が一人いれば、1年くらいでシステムを開発して証券会社を作って、サービスを始めて、あっという間に黒字になります、と記していました。実際、できるとは思っていましたが、考えてみればびっくりするような提案ですよね。ところがそれを、すんなり受け入れてもらえた。もちろん自分の中には勝算がありました。自分たちでシステム開発をすることで、手数料を当時の最安値企業の半分にできると考えていたからです。

 ネット証券は当時、巨額の設備投資をしていました。ネット証券のシステムは極めて高額でした。それを自社開発にすることで、5分の1から10分の1にしてしまう。そうすれば、コストも下がる。手数料を下げても十分、採算は取れるんです。

例えば、当時の金融系のシステムは高額のUNIXマシンを使っていた。それをLinuxを中心としたオープンソースのOSやフリーソフトを使い、少人数で作り上げることでコスト的にはとんでもなく安く抑えられることも知っていました。何しろ、外注としてそれを受ける側の経験もあったわけですから。外注をすると、ソフト開発もハードウェア購入もものすごく高くなるんですよ。高いコストをかけて、多くの人が儲かる仕組みにしていたわけですから。
Q:実際には1年かからずにネット証券をスタート。業界を驚愕させることになりました。
 システム自体は半年で作っていました。一人で始めて、4カ月ほどで6人体制。全員がエンジニアです。金融系システムの経験者は半分。半分いれば大丈夫だと思っていました。それで私は証券会社の申請や、会社づくり、営業企画やマーケティングに知恵を絞っていました。一年かからずに開業して、まずは証券、それから日経225の先物、FX事業を始めました。当時は赤字でしたが、事業のスタートから一年くらいで月次黒字化しました。

業界最安値の手数料で始めましたから、ユーザーにもインパクトがありましたし、何しろコストが低かった。さらにFX事業もうまくいきました。FXは小さなマーケットだったので、価格競争は激しくなかったんです。そこに、思い切った手数料で乗り込んでいきましたから、一気に顧客を獲得することができました。薄利多売で集めて儲ける戦略です。しかも、価格競争に巻き込まれても勝てるだけの仕組みができていましたから。

 一番苦しかったのは、GMOインターネットとの資本関係を解消した時です。グループから切り離されたことで資金調達が難しくなった。すぐにベンチャーキャピタルから出資がありましたが、会社自体が急成長していたので、資金が常に必要だったんです。これがしんどかった。そしてグループから切り離されるときに、GMOインターネット証券からクリック証券に社名を変えたんです。
Q:事業の拡大とともに、エンジニアの採用も拡大していますね。
 最初はまずネット証券のサービスから始まりましたが、ネットの画面だけだったものが、携帯でも、携帯アプリでも、ということになり、さらに日経225先物も始めると、これもまたネットで携帯で、ということになり、さらに外国為替では、リッチクライアントのトレーディングツールを作ったり……。

要するに、作るのと運用するのと、作ったものを改良するのと同時に進めなければいけなくなるわけです。商品を増やし、機能を改良して、それを運用し、また新たな開発もする。要は人を増やさないと、何も新しいものが生み出せなくなる。だから、最初の一年の私の仕事の半分はエンジニアの採用でした。

 採用基準は、自分で考えた仕事ができるかどうか。クライアントのシステムを受託して作るわけではありません。自社のビジネスのシステムです。作り手が、どれくらいそれを認識し、よりいいシステムづくりができるか。期限通りに作るんじゃなくて、仕様やデザイン面で、「こっちのほうがいい」という意識を少しでも持って動けるかどうか。それが問われたんです。

 我々の最大の強みは、エンジニアが自らシステムを作っていることです。自分たちで作ると早くて安くていいものができる。何かの要望がお客さまからあっても、素早く対応できる。これが、システムを外注している他のネット証券会社などとは違うところですから。

Q:今も、社員約110名のうち、エンジニアは約半数。ずっと同じくらいの比率であり、しかもエンジニアは社内でも地位は高いと聞いています。
 給料も高いですよ。そこにはこだわりがあります。いい仕事をする人には、たくさん給与を出したい。優秀な人は、2人分、3人分、働くわけですから。そういう人には、いくらかけてもいいと思っています。実際、ボーナスを1000万円でも2000万円でも払っていいと思っています。社内の360度評価で高い評点を得たエンジニアは、それこそできる限り遇したいです。ただし、逆に評価の悪かったエンジニアのボーナスは少ないです。それをはっきりさせるということです。

 では、できるエンジニアは何が違うのか。まずは勉強をよくするエンジニアでないとダメでしょうね。技術自体が難しく、幅広いものになっています。かなり勉強しないと、いろんなことができなくなっている。そもそも勉強量が必要になるということです。あとは、モノをつくる仕事ですから、柔軟性、適応力、応用力、さらには大勢で作業を進められるチームワークなどが求められますね。
クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島 秀行 氏
クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島 秀行 氏 Q:エンジニア経験をベースに、自分が思い描いていたようなキャリアを描かれましたが、なぜそれが可能だったのでしょうか。
 できる能力を付けられたから、でしょう。経験したすべての会社で学ぶものがあったし、それが活きた。証券会社を作ること自体、証券システムを作れても、証券会社にいたとしても、できないですから。ベンチャーでネット銀行を作るプロジェクトに加わり、なるほど金融機関はこうやって作るのか、を知った。ゼロからビジネスを立ち上げる方法とビジネスマインドも学べた。

証券会社のオペレーションは、3つ目の会社で最初に加わったオンライントレードのシステムづくりにゼロから加わったのが大きかったと思います。クライアントである証券会社が何をしているのか、全業務を調べ、理解するプロセスがあった。業務のスペシャリストとしての知識を得られたんです。そこにインターネットのトレーディングシステムを作る経験が加わるわけです。そして外資系コンサルティング会社では、プレゼンテーションが学べた。エンジニアでプレゼンができない人は多いんですよ。ドキュメントを作り、説明する。かなり練習しましたからね。

 偶然もありましたが、自分がやりたい方向、それから業界のトレンド、さらにエンジニアとしてもっと上に行きたい、という意識を常に持っていたことが大きかったのではないでしょうか。一度、大きな会社を経験してからベンチャーに行けば、いいポジションが得られる、といった計算もしていましたね。
Q:最後に、エンジニアとして成長できるためのアドバイスをお願いします。
 技術を高めようとするのは当然のことですが、専門分野だけを突き詰めるだけではいけない、という意識を持っておいてほしいと思います。IT業界は分野が分かれています。プログラム、ハードウェア、ネットワーク、データベース……。でも、システムエンジニアというのは本来、全体がわかっていないといけないわけです。プログラムだけする人は、プログラマなんです。でも、ネットワークもデータベースもハードウェアもアプリケション開発もわかるエンジニアというのは、ほとんどいない。

逆にいえば、それを目指せば、稀少な人材になれるということです。専門分野を深掘りしながらも、全体もわかるような能力を持とうと意識する。関心を持って他の分野も勉強しておく。それが後に、大きな意味を持ってくると思いますね。
クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島 秀行 氏(たかしま・ひでゆき) クリック証券株式会社 代表取締役社長 高島 秀行 氏(たかしま・ひでゆき)
1968年、大阪府生まれ。証券会社勤務ののち、金融系のシステム会社、インターネット金融システムに特化したシステム会社、外資系コンサルティング会社で、証券系のビジネスとシステムのコンサルティングに従事。オンライン証券については、創成期より複数の証券会社で立ち上げに関わる。インターネットベンチャーを経て、05年6月、GMOインターネット入社。GMOインターネット証券の会社設立とともに、代表取締役に就任。07年12月、社名変更によりクリック証券代表取締役社長に就任。日本証券アナリスト協会検定会員、日本ファイナンシャル学会会員。
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宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ 宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ
請負でのシステム開発、金融のコンサル、自身が中心となって作ったネット証券のシステムやネット銀行の立ち上げ。普通ではなかなか体験できない経験やキャリアです。自分で作ってきたからこそ、高島社長はエンジニアの価値と評価に強くこだわるのでしょう。それを実に淡々と語ってくれたのが印象的でした。

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