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“ヒーローエンジニア”を探せ!vol.19
ハイブリッド大衆化の先兵〜ホンダインサイト開発秘話
2009年2月に発表以来、大きな話題を呼んでいる、ホンダの新型ハイブリッド専用車「インサイト」。発売後わずか2カ月で受注2万5000台を突破するという驚異的な販売台数を記録した。環境にやさしく、使い勝手がよく、乗る楽しさがあって、手ごろな価格。ハイブリッド車のイメージを払拭した開発舞台裏とは。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:09.06.23
“ヒーローエンジニア” 株式会社本田技術研究所 四輪R&Dセンター 主任研究員 関 康成さん
「インサイト」のLPL(開発責任者)
 LPLは、ホンダ社内で使われている開発責任者を指す言葉。自動車開発の各要素の開発に責任をもつPL(プロジェクトリーダー)を束ね、開発全体を指揮していくラージ・プロジェクト・リーダーの意。LPLは、まさに1台の車の開発を任せられたリーダーである。インサイトの開発は05年にスタートしているが、そのコンセプト策定に始まるインサイト開発のすべてを牽引してきたのが関LPL。入社以来、エンジン研究開発部門一筋、VTEC、ULEV、SULEV、クリーンディーゼルなど、低公害・低燃費エンジンに代表される、数多くの世界初の技術に携わってきた。
F1より量産車のほうが難しいと思った
 もともと車やバイクが好きでした。ホンダに入るんだ、と決めたのは高校のとき。本田宗一郎に憧れて。(本田宗一郎のエピソードで)今も覚えているのは、昭和27年にヨーロッパ視察旅行に出て、欧米製の工作機械を買ってきてしまうということ。当時の資本金は1500万円だったのに、機械は4億5千万円。とんでもない買い物なんですが、いいモノを作るには、いい製造機械がいると考えたわけです。でもリスクが大きすぎるのでは、と聞かれて、こう答えたんですよ。仮にホンダがつぶれても、製造機械は日本に残る。この機械が戦後日本の製造業の復興にきっと役立つ、と。こういう話にワクワクしちゃったんです。

 大学に入ると1年生のときからホンダに入ると言い続けていました。そうなると教授も印象に残ったようで、募集があるとすぐに教えてくれて。当時はホンダがF1を始めたころ。みんなF1をやりたがっていましたが、僕はむしろ量産車をやりたいと思っていました。

 学生時代にラリーのレースをやっていて、あることに気づいたんです。実は一人の運転手に合わせるセッティングは、それほど難しくないんですね。でも、量産車となればいろんな人が乗る。ここで合格点を取るのは、実はものすごく難しいんじゃないかと思ったんです。だから、そっちのほうが、むしろ面白いんじゃないかと。

 エンジン開発の現場に入った当初は、まわりで何をしゃべっているのか全くわかりませんでした。部品一つひとつに名前があり、専門用語が飛び交う。メモを取って覚えるのが大変でした。設計をやるか、テスト関係をやるかを聞かれ、後者を選んだのは、机に3時間以上座っているとイヤになるからです(笑)。研究所というとアカデミックなイメージも想像していたんですが、全く違う職人の世界(笑)。ただ、僕は父が職人でしたから、この雰囲気が大好きで。この会社ならやっていける、と思いました。
開発者には、ものすごい感性が必要になる
 自分の中でひとつの転機になったのは、入社1年半ほどで、アメリカに長期出張したことです。シビックのCVCCエンジンにプラグがくすぶるトラブルが出て、その対策を考えるためでした。このときに肌で知ったのが、メーカーにとっては1ppmの不具合も、お客さまにとってはとんでもない不具合だ、ということ。開発ではわずか数台のテスト車から何万台、何十万台という車が生まれます。もし、開発に携わる人間が不具合を見つけられなかったら、それはそのまま製品になってしまう。開発とは問題を素早く見つけ、対策を打つことの繰り返しです。しかも、ある人にとっては問題でないことが、ある人には問題になることもある。開発者には、ものすごい感性が必要になるということです。

 テスト関連の仕事にもいろいろありましたが、僕は実車に近いところを希望しました。キャブレーターと排ガス燃費の2つの部門があって、僕は前者を選ぶんですが、後に当時の上司から「これからは排ガス・燃費の世界になる、修行に行ってこい」と言われまして。おかげでキャブレーターがわかって、排ガス燃費テストができると、どのプロジェクトでも重宝されることになりました。

 1972年、世界で初めて厳しい排ガス規制をクリアしたCVCCエンジンを作ったホンダには、環境関連には強い思い入れがあります。排ガスが10分の1になったのが、そのときですが、実は今走っている車の排ガスはそのときの約100分の1になっています。つまり、厳しい規制前の約1000分の1になっているんです。
新車の発表会に出たことはなかった
 排ガスをきれいにするには、エンジンを完全燃焼させればいいんです。そのこと自体は難しくない。問題は、エンジンを始動させるとき、触媒が温まっていないときです。これで排ガス性能は決まる。では、どうやって、排ガスを減らすか。それこそPLだったころは、四六時中、アイデアを考えていました。寝ている間にアイデアが浮かぶこともあったので、書き留めるためのメモ帳とペンを枕元にいつも置いていたほど。もちろん昼間はテストの連続。気筒の一つひとつに分析計をつけて、何度も何度も実験を繰り返したこともありました。

 20代からさまざまな車種にかかわっていましたが、実は40代になるまで発表会に出たことはありませんでした。ひとつの開発が終わり、データ発送が終わると、発表会の前にすでに次の開発に向かっていたからです。これは自分で選んでいたことでもありました。

 量産車開発にはスケジュールがあります。こうしたい、と思ってもどうしても時間的にできないことが出てくる。だから、次はなんとかするぞ、という思いをいつもたくさん抱えていました。僕は常に不満でした。その不満を次にぶつけていたんです。そして、こうしたかった、ああしたかった、という思いを積み上げて頭の中にしまっていた。実はこれが、後の仕事のブレークスルーを呼び込むことが少なくなかったんです。

 結果的に、インテグラのVTECエンジンしかり、アコードのULEV、SULEVしかり、たくさんの世界初に挑むチャンスに出合うことができました。インサイトのLPLを命じられたのは、世界初を追いかける過程で、相当な無理にも耐えられるヤツだと思われたからでしょう(笑)。実際、妻には仕事の話はしませんでした。以前に話をしたら、妻が胃潰瘍になってしまったことがあって。精神的にタフだったのは、とんでもないと思える大きな目標も、いつも小さな目標に作り替えていたからです。あとは、優先順位を常に考えていたから。そのときできなかったものを、次に向けて積み上げていったんです。
なぜ人はハイブリットに乗らなかったのか
 LPLはやはりやってみたいと思っていました。LPLになれば、自分の判断で車の方向を決められる。車の開発をしているエンジニアにとって、LPLはまさしくひとつの勲章だと思いました。車1台を任せてもらえるわけですから。そして、クリーンディーゼルの先行開発のプロジェクトを準備するために北米出張に行っているとき、アメリカに電話がかかってきたんです。ハイブリッド専用車のLPLをやれ、と。帰国翌日には、会議が設定され、企画立案を命じられました。これが、作ってくれる工場探しまで含まれていましてね(笑)。それはもう、どうなることかとシビれましたよ。

 まずはグランドコンセプトを作りました。ひと言で、その車を表すフレーズ。これを、Next ERA Transportationとしました。ERAとは、時代や時期を表しますが、波のように過ぎ去るものではなく、しばらくの間続く、という意味です。地球は今、2つの問題を抱えています。地球温暖化の問題。CO2削減。そしてもうひとつがエネルギー問題。いずれ化石燃料は枯渇するということです。

 となれば、移動手段はどうなるか。ひとつのゴールは燃料電池車です。しかし、開発においてもまだまだたくさんのブレークスルーが必要。何より水素ステーションというインフラも必要です。しかも世界規模。やるべきことは山のようにあるということです。

 では、今のインフラが使え、CO2が削減でき、少しでも化石燃料の消費を抑えられ、未来までつなげられるものが必要になる。将来の懸け橋としてつなぐ。そんな車を作りたいと思ったんです。

 では、それを達成するために何をやるべきか。4つの柱を掲げました。環境にやさしいこと。使い勝手がいいこと。乗る楽しさがあること。そして手ごろな価格。コンセプトづくりをしていた2005年、ハイブリット車の全登録者に占める割合は1.5%でした。08年でも3%。環境にいいことはわかっているのになぜ乗らないのか。調査をすると3分の2の人が、価格が高いから、と答えました。たくさんの人に乗ってもらうには、価格が重要なポイントだったんです。

 さらに、ハイブリッド車の大衆化の先兵となるには何が必要か。ハイブリッド車に乗っているという誇りをもてる一方で、乗るうえで特別な車ではないと思ってもらうことが必要だと僕は思いました。特別な操作はいらない、これまでの車と違和感なく乗れる。これらが達成されないと、やっぱり広まっていかないと思ったんです。
1000の部品から10gずつ減らせば10kg減る
 だから、開発メンバーにお願いしたのは、とにかく普通の車にしてくれ、ということ。ハイブリッド車だからと、お客さまに何かを我慢させてはいけない。だから、僕たちは“山ごもり”と呼んでいますが、さまざまなハイブリッド車を徹底的に運転してみることから始めました。違うな、と思うことがあれば、それはインサイトで全部よくしていこう、と。

 もちろん開発は甘いものではありませんでした。ハイブリッドのシステムという、ガソリン車にはない余分なものを載せないといけないわけです。これが、すべてにおいて影響してくる。デザインも、サスペンションも、メーターも、タンクも……。設計でもプロトタイプ製作後も、さまざまな調整が必要でした。何より大変だったのは、やはりコストを廉価にすること。そして重量でした。重くなれば走りを楽しめなくなってしまう。今は図面を3Dで引きますから、材料比重を入れると重さもわかります。

 開発によっては、目標に微妙に到達していなくても設計に進むことがありますが、僕はそれはしませんでした。結果的に、目標を守れないことが少なくないからです。引いた図面で部品を作るとテストが始まります。ギリギリの設計をしていますから、テストで不具合が出ることも多い。そうなれば、その対策のために重さはあきらめるしかない。だから、最初の重量目標をなんとしてでも達成しなければと思っていました。

 プロトタイプに移る直前に、実は図面を全部引き直してもらっているんです。軽量化のためです。苦渋の決断でした。重さを減らしたいからと、300kgのボディを290kgにしてくれ、とは言えません。どのカテゴリーもギリギリでやっていたから。ならばどうするか。1000の部品を10gずつ減らそうと思った。それなら合計で10kg減らせる。そして500g以上の部品、1300もの図面をすべて再チェックしました。気の遠くなるような仕事でした。そうやって少しずつ図面を変え、重さを減らしていったんです。

 さすがに厳しい開発でした。だから、今回ばかりは発表会に格別の思いがありました。たくさんの方にご支持をいただくことができたことは、何よりうれしいことでした。
ヒーローの野望 次をどうするか、で、すでにもう頭はいっぱい
 3年の開発の間に、世の中の状況は大きく変わりました。原油高、さらには景気後退……。ただ、実はそうした中でも、当初のコンセプトは全くゆるぎませんでした。こんな車にたくさんのお客さまに乗っていただきたい、という自分たちの思いの丈が、まさに詰まった車なんです。その意味では、これ以上ないプロダクトアウトの開発でした。ところが、世の中に出すときになって気がついたら、これ以上ないマーケットインの商品になっていたのです。

 モータリゼーションは必ず小さな車からきます。たくさんの人がかかわるからです。その意味で、次の100年に向けた新しいモータリゼーションをこれから作っていきたいと思っています。そのためには、インサイトだけでは、できないんですね。小型車だけでなく、ハイブリッド車をどんどん広げていかないといけない。スポーツタイプの車や、ベストセラーカーにも載せていく必要がある。実際、すでに開発は動き出しています。

 その意味では、インサイトはまさに先兵でした。そしてインサイトはこれからも、先兵として走り続ける必要があります。インサイト自身が、進化していかなければいけないということです。今、世の中からいただいているご支持は素直に受け止め、大きな喜びを感じながらも、それはそろそろ置いておかなければいけないと思っています。実は、次をどうするか、でもう頭はいっぱいだったりするんです。

 技術は日進月歩します。今までできなかったことが、いきなりできるようになったりするのが技術です。だからこそ、自分の過去の実績に流されたり、今に安住してしまうと、いい技術者にはなれないと僕は思っています。常に前を向いて、ある意味、不満分子であり続けないといけないんです。それが、有能な技術者になるための、ひとつの道だと思っています。
ヒーローを支えるフィールド 商品を使って、自己実現ができる
 信念を持もっている人間であれば、年齢に関係なく、ある意味で商品を使って自己実現ができる。関さんはホンダをそう表現した。基本的に、すべての仕事には時間的な制約というものがある。だから関さんは、できなかった仕事を次につなげるべく積み上げていったと語った。まさにそれこそが、彼を成長させ、また彼に大きな実績を作ることを可能にさせたのかもしれない。だが、こんな思いをもてたのも、それが後に生きることが予想できていたからだろう。

 実はインサイトでも、そんな「積み上げ」が開花している。インサイト独自の機能として注目されている、「エコアシスト」だ。車の燃費はドライバーの運転次第で大きく変わる。実際に運転したときに「実用燃費」を向上させるため、ドライバーの運転をサポートするシステムである。スイッチを押すだけで燃費優先の制御を自動的に行う「ECONモード」に加え、その日の運転のエコ度やその日までの成長度が表示されるティーチング機能、メーター色の変化でエコドライブ度を伝えるコーチング機能もある。

 これからは、車というハードを提供するだけでなく、燃費のいい走り方までサポートするのがエンジニアの使命ではないか、と関さんはいう。実はこのドライバーと一緒に燃費を向上させるというシステム、プロトタイプ完成後に、なんとかしてもっと燃費を向上させられないか、と知恵を絞っていたときに出てきたアイデアだった。かつてほかの車種の燃費向上に携わっていたとき、多くのドライバーのテストドライブで気づき、頭の中に「積み上げていた」ものだったのだという。

 そしてこの機能がなんとも、ゲーム感覚で面白いのだが、その理由を教えてくれた。「僕はアイデアを出しただけ。それを面白いと言ってくれた若手に、全部委ねちゃったんです。僕の仕事は、若手が作ったものに対して上役を説得することでした」。エコアシストだけではない。それぞれのカテゴリーで、エンジニアは自分の思い入れを存分に組み入れたという。だからこそ、「自己実現」などという言葉が出てきたのだと思うのだ。自分が思うように作れるチャンスがある。そして、時代を切り開いていく意志がある。新しい技術を次々と作ったスピリッツは、今も間違いなくホンダに息づいていると強く感じた。
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関さんが、インサイトの開発指示で受けた5つの条件。@全世界向け共通ボディーで、各国の律規制への適合、A世界共通の販売戦略、B新型フィットの部品共有、C開発コストの削減、そして5番目の開発日程・工場までをも自分たちで決めなくてはいけないという厳しさを、初めてPLを任されたという若手技術者たちと乗り越えたという話にはシビレました。常識や前例にとらわれず、成功を収める話は職種に関係なくすべての人を元気にさせる、そう感じました。

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