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我ら“クレイジー☆エンジニア”主義! vol.32 ソーラーカーでオーストラリア大陸4000qを9日で横断させた小原宏之
常識破りの発想をもった“クレイジーエンジニア”を紹介する第32回は、国内ソーラーカーレースで知らない人はまずいない玉川大学チームを率いる小原宏之氏だ。2003年には、独自開発のハイブリッド・ソーラーカーでオーストラリア大陸4000qを走破。現在は、化石燃料を使わないバイオ水素開発にも挑んでいる。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:08.10.09
クレイジー☆エンジニア
玉川大学工学部 機械情報システム学科
教授 工学博士
学術研究所 玉川ソーラーチャレンジプロジェクト 総監督
小原宏之氏
 ソーラーカーレースで圧倒的な強さを誇り、国内はもちろん世界からも常に注目されている大学があるのをご存じだろうか。それが、玉川大学だ。レースへの参加は1997年と10年ほど前だが、2001年に初優勝を果たして以降、その戦歴には“チャンピオン”の文字が数多く並んでいる。2003年には、独自制作の「アポロンディーヌ」でオーストラリア大陸横断4000qに挑戦。大陸西海岸パースから、東海岸のシドニーまで、見事9日間で走破に成功している。驚くべきはこのソーラーカー、太陽が出ていない曇りの日や夜間でも走行していたのだ。ソーラーセルと燃料電池を組み合わせた、世界初のハイブリッドソーラーカーだったのである。こうした輝かしい成果をもつ玉川大学の「ソーラーチャレンジプロジェクト」を当初から牽引してきたのが、小原氏。学生による最先端のソーラーカー製作を実現させた人物である。
学生ともっと楽しいことをやらないといけない
 助教授だった40歳のとき、カナダのトロント大学のイメージングラボラトリーに1年間行きましてね。これが、私の大きな転機になりました。研究室で驚いたのは、教授が驚くほどエネルギッシュだったこと。勉強だけではなく、遊びにも、なんです。そして、若い人が好きで一緒にどんどん出掛けていく。カヌーで何日も旅行したり、湖沿いのコテージに学生を招待して過ごしたり。そして学生と仲良くなって、そのうえで研究も進める。これが成果を生むんです。

 実際にこのとき、非常に優秀な学生がいて、その学生のアイデアも重要なヒントになって後に教授は一躍有名になるんですね。そして、学生も研究者として後に大きな実績を上げていきました。若者の発想と教授の能力を照合させることで、大きな可能性が生まれるという事実を、まさに垣間見ることになったんです。

 そのためには、教授は面白いことをやらないといけない。その結果として優秀な学生が集まる。しかも、単にテーマが面白いだけではなく、教授の学生への理解があって初めて、面白いものになるんです。私はこのときに思ったんです。学生ともっと楽しいことをやらないといけないと。そんなとき、自動車関連の設計の仕事をしている弟から、ソーラーカーをつくっている大学があると聞いて、見学に行ってみることにしました。

 実は私はどうしても教員になりたくてなったわけではありませんでした。一度は就職も考えたことがあった。もちろん、やってみて教育の面白さには気づいていましたが、正直に申し上げれば、一生大学で教えようと腹を据えたのは、カナダに行ってからだったんです。それほどカナダでの体験は鮮烈でした。その後、大学の機関誌『全人』に、ソーラーカーの制作現場を訪ねたレポートとともに、カナダで感じたことを加え、玉川大学でもソーラーカーをつくってみたい、と提案してみたんです。

 ちょうど、時代の波は環境に向き始めていました。太陽エネルギーの有効活用技術を学び、開発する目的としていいのではないか、ということで、これが2年後に実現することになるんです。
何より失敗したままで終わるのが嫌だった
 私は子供のころからモノづくりが大好きでした。だからソーラーカーを見たときも、つくれるか作れないかよりも、つくってみたいと思ったんですね。ですが実際には、それほど簡単なものではありませんでした。そもそも私の研究テーマは超音波でした。当初は工学部から20人の学生が集まり、電子工学科が電装、機械工学科がボディと足回り、情報通信・経営工学科がテレメントリーシステム、エネルギー管理を担当。ボディ製作はまったくノウハウがありませんでしたから、大学OBの会社の工房で型製作から仕上げ成型までの実習を受けて造りました。学生も各科の先生も総出の挑戦でした。

 試行錯誤の連続で何とか作り上げた。ところが、初めて出たレースで惨敗するんです。47位という結果でした。翌年は入賞させようといろんな失敗を乗り越えて再挑戦するんですが、今度は36位。2年間はまったくダメでした。こうなると、あきらめムードがまん延し始めます。私が何よりつらかったのは、誰かの責任にせざるを得ないような空気が広がることでした。しかも、ヘマをした担当に限って人のせいにしたがる、という人間の習性を見ることにもなった。そうなると、最後は学生が悪い、なんて結論にもなりかねなかったんですね。教育者として、それはあってはならない結論です。

 私は腹をくくりました。超音波の研究との二足のわらじから、ソーラーカー1本に絞ったんです。もうやめたほうがいい、という声もありましたが、私は何より失敗したままで終わるのが嫌だったんです。優勝するまではやってみようじゃないかと。もしかすると、最初からいい成績を取っていたら、短期間のプロジェクトだったとすんなり辞めていたかもしれません。でも、負けたからこそ意地になったんですね。それが結果的にはよかったのかもしれません。

 何が問題なのか、もしかすると設計がおかしいんじゃないか。そんな気持ちもあって、私は現役の機械設計技術者である弟に、足回り設計を見てくれないかと言いました。それから弟は、休みの日に週1回、学生に教えてくれるようになったんです。私は当初、弟が実際に設計図面を書いて、それを学生に教えてくれるのだと思っていました。ところが弟は1本の線も書きませんでした。教科書の基礎を教え、あとは学生に実践させる。3つ案を出させ、ディスカッションする。最後まで、弟が設計図面を書くということはありませんでした。
自らが未知のテーマに挑む。だから面白い
 モノづくりというのは、答えはないんです。弟はそれを学生に教えたんですね。先生が書いた設計図だって、答えではない。そう思わないと、もっといいものは出てこないわけです。私にとっては衝撃でした。自分が知っている答えを教えるのが教育だと、私も思っていましたから。以来、私は私自身がわからないテーマに取り組むことを自分の方針にしました。自分が未知のテーマに挑む。だから面白いんです。これを学生と一緒にやろうと。私が言うことが答えではないしすべてではない。そこから、学生と議論を始めようと。面白いことに、こうなると、学生の目の色が変わり始めるんです。

 翌年のレースでは、いきなり総合3位に入りました。やればできるんですね。そして絶対に優勝するんだと臨んだ2000年では、3日間のレースで、最終日のお昼まで1位を走っていました。ところが、最後の最後でパンクして優勝を逃してしまった。これは本当に悔しかった。私自身、悔しくて涙が出ました。でも翌年、今度は優勝することができた。このときはうれしかった。でも涙も出ませんでした。以後、私たちは連覇を続けていきます。

 ただ、勝ち始めると、今度はどうしても優勝することが目的になる。勝つことだけにこだわり、勝つためだけの車づくりをしてしまう。私は違和感をもつようになっていきました。そもそも環境に対する意識向上を図るために始めたプロジェクトではなかったか。そのための新しい技術開発に挑み、そのうえで結果を出すことこそが本来のプロジェクトの目的ではないのか。もっと自然エネルギーを活用したソーラーカーを進化させるべきだと考えました。そこで出てきたのが、ハイブリッド・ソーラーカーという発想だったんです。
ソーラーカー工房 内部
 
■ソーラーカー工房 内部

2000年にはキャンパス内にソーラーカー工房が竣工し、2007年に現在の場所に移転。主作業室、機械加工室、ミーティングスペース、電装作業スペース、クリーンルーム、CAD室が備わる。エネルギー効率や空力特性の研究のほか、カーボンフレームまで焼成する。その研究開発能力から生まれたのが、ハイブリッド・ソーラーカーだった。
一号機「スーパーゲンボウ」
 
■一号機「スーパーゲンボウ」

1997年に完成したソーラーカー第一号「スーパーゲンボウ」は、渡り鳥の「チョウゲンボウ」からその名を取った。全長6m、全幅2m。2人乗り。安定性と効率性を追求、究極まで薄さを絞った車体は大きな注目を浴びた。この年から、ソーラーカーレースへの参戦を開始。だが、2年間は成果が出せなかった。
双子のドルフィン
 
■双子のドルフィン

2000年、新設計のドルフィン、ホワイトドルフィンの双子車がレース参戦。1つの型から大学生チーム用と高等部のチーム用、2つの車を作れば時間と費用が節約できると双子のソーラーカーが生まれた。大学生チームは、この車で念願の初優勝。以後、連覇を続ける。高等部チームも優勝している。
 ソーラーカーの弱点は、太陽光がなければ走れないこと。これを補い、しかも環境にやさしい車がつくれないか……。折しも燃料電池車の実用化が一部で始まっていた。太陽電池と燃料電池によるハイブリッド・ソーラーカーの開発は2年に及んだ。水素の配管以外の部分は型設計からほとんどすべて学生の手による。こうして生まれた「アポロンディーヌ」に思わぬ声がかかる。世界初の試みに国際ソーラーカー連盟のハンス・ソルストラップ会長から、ある提案がもたらされたのだ。彼はその20年前に、自作のソーラーカーで20日間かけてオーストラリア大陸横断を成し遂げた冒険家だった。その同じコースを何日間で走れるか、記録をつくってみないか、と。この模様は日本でも一部のテレビで放映され、全世界にニュースとなって配信された。だが、総監督を務めた小原氏は、このとき既に次のステップを考えていた。バイオ技術を使った水素製造である。
楽しくてたまらない、という人間が伸びる
 ソーラーカー開発を始めて、学生に対する考え方が変わりました。教育者の役割、もっといえば人の上に立つ人間の役割は、相手のもつ能力をいかに引き出せるか、ということ。それができたときは、本当に楽しい。第一印象で「この子は大丈夫か」と思えた学生が、実はものすごい能力をもっていることがわかったとき、発揮してくれたときこそうれしいんです。本当にそういうことがありますから。

 特に私が興味をもつのは、一見、いい子の素振りを見せない子です。先生の私が言うことに対して、ムキになって反論してくる。そういう子が面白い。そういう子から能力を引き出すのが楽しいんです。そういう学生に限って、熱中し始めると猛烈なリーダーシップを発揮したり、強い責任感をもってくれたりする。そんなふうに成長させられるかどうかが、自分に問われていると思っています。

 そもそも以前はできなかったことができるようになったとき、学生はものすごく大きな自信を得るんですね。その自信を持たせていくのも、教育者としては非常に大切。だから、できない、なんてことを私は絶対に言いたくない。ハイブリッド・ソーラーカーで燃料電池を使ったときもそうでした。

 燃料電池というのは、とんでもない値段でしてね。いくらするか知っているのか、そんなものは手に入らない、買えるわけがない、それまで燃料電池の経験はしていないんだからつくれるはずもない……いろんな声が私のまわりには入ってきていました。でも、最終的にはなんとかなるんですよ(笑)。誰だって最初は初心者。ゼロから始まるんです。未知でいいし、無知でいいんです。

 私は学生によく言うんですが、いつでも思い立ったら勉強すればいいんです。ましてや今は、知識を覚えればいいだけの時代ではない。昔は情報を調べるのが大変だった。だから、覚えることが重視された。でも、今はインターネットをはじめとして、情報はいくらでも手に入る。そういう時代なんです。昔のイメージで物事をとらえるべきではないし、実際に必要な能力も変わってきている。大事なことは、もしかすると、何より仕事を楽しむことかもしれません。実際、楽しくてたまらない、という人間がいちばん伸びるんです。
大きな変化は間違いなくやってくる
 オーストラリア大陸横断は、技術的な部分に不安はありませんでした。ただ、最初の3日間は太陽が出なくて、これには困りました。燃料電池で走るための水素ボンベには限りがありましたから。4日目に晴れてくれて、太陽電池走行に切り替えることができたんです。アスファルトが溶けてしまうほどの暑さで、モーターやガス漏れ検知機に不具合が出てしまったのも予想外でした。水素ボンベを交換したり、ドライバーを交代させるときに停車するわけですが、そのときに地面の熱さでやられてしまったんですね。

 横断の模様は日本のテレビ局がニュースの特集で報じてくれましたが、正直、日本ではあまり注目されませんでした。でも、海外ではものすごい反響。「すごいことをやっているから、取材に来い」と現地であちこちのメディアに指示している外国人もいました。

 ソーラーカーの実用性はあまりないともいわれます。でも、大きな変化はいずれ間違いなくやってきます。私が学生に、あるいは若い人に理解しておいてほしいのは、新しいチャレンジが間違いなく必要になるということ。それこそ新車がエコカー、水素カーになればいいだけじゃない。中古の自動車だって、水素カーに直さなければいけない。やるべきことは本当にたくさんあるんです。

 あの挑戦の後、オーストラリアの大学の先生からお褒めの言葉をいただきました。素晴らしい挑戦だったと。でも、ふと言われた言葉を私は聞き漏らしませんでした。水素は自然界にはない。どうするつもりなんだろう、と。たしかに今、水素を作るには化石燃料を使ったエネルギーが必要です。これでは本当の意味でのエコにはならない。ただ、すでにこのときに、私にはひとつのアイデアがありました。バクテリアで水素を出すことです。

 幸いなことに、玉川大学には農学部がありました。プロジェクトには、農学部にも加わってもらっていた。バイオの力が、間違いなくクリーンカーには生きてくると考えていたからです。究極の目標は、1台1台の車に水素製造機を付けること。セルロース分解をして水素を作ること。そこまで挑戦してみようと。

 この挑戦を数ヶ月にわたって追いかけてくださったテレビ番組が、2008年秋に放映されました。バクテリアによる水素大量発酵槽システムの開発です。実はギリギリのタイミングで成功できたので、ヒヤヒヤだったんですが(笑)。バイオ水素で実際に車を走らせることにも成功しました。これも世界初の試みだったそうです。
できないと思うからできなくなる
 大変なことはありましたかと聞かれれば、大変なことばかりだったといえるかもしれません(笑)。いつもクレイジーだったし、クレイジーじゃないとやってこれなかった(笑)。つい最近も工房に10日ほど連泊していました。学生のモチベーションを上げなければいけないと、いろんな話をしますが、自分で話をしながら、自分でモチベーションを上げていたり。でも、話しているうちに、「こんなことできないよな」と思えたことが、できるような気になっているんですよ。なっているというより、もっていくんですが(笑)。

 あきらめるのは簡単です。お金がないから。前例がないから。技術がないから……。でも、実はできない理由は違う。できないとあきらめちゃうからできないんです。そこでやろうと思うからこそ、いろんな工夫が生まれる。大胆な発想も生まれる。そして追い込まれるから、本当のパワーも出てくるんです。やっぱりピンチはチャンスだと思う。苦しいときほどいろんな人たちが助けてくれます。協力もしてくれる。やろうとしていることが、正しいことであれば、必ず誰かが応援してくれるんです。それは本当でした。

 実のところ最初に優勝するまでは、私自身も不安でたまりませんでした。愚痴も言い訳も出た。でも、あるとき素晴らしい言葉に出合いましてね。飲み屋で、なんですが(笑)。目の前に張られてたんです。「真剣に考えれば知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳ばかり」と。ズシリときました。以来、この言葉を心に刻みました。これまで本当にいろんなことがありましたが、まさにこのとおりだと今も思っているんです。
ハイブリッド・ソーラーカー
 
■ハイブリッド・ソーラーカー

太陽光と水素(燃料電池)を使って走る新システムのハイブリッド・ソーラーカーは、太陽神Apolloと水の精Undineからの造語で「アポロンディーヌApollondine」と名付けられた。太陽光を利用しながらより遠くへ走れるだけでなく、多少の環境の変化(曇りや雨、夜間)にも対応できる。最高速度は時速110km。
オーストラリア横断
 
■オーストラリア横断

2003年にはオーストラリア大陸4000kmを走破。玉川大学工学部と農学部の学生12人(うち女子学生4人)、教授3人、現地でのスタッフを含め計28人のプロジェクトで、小原氏が総監督を務めた。ドライバーを学生4人が交代で担当、先導車が付き、小原氏は後方の車からパソコンを見ながら指示を出した。
バイオ水素
 
■バイオ水素

農学部の学生も所属しているプロジェクト。小原氏は、「将来的には、農学部生が製造したバイオマス水素を燃料電池に使用したハイブリッドカーで世界を一周することが夢」と公言している。その手始めが、自然界に存在するバクテリアを使った大量水素発生システムの開発。今後も、水素製造の研究を続けていく。
profile
小原宏之
玉川大学
工学部 機械情報システム学科 環境エンジニアリング研究室 教授
大学院 工学研究科 環境・ソフトエネルギーコース 教授
学術研究所 ソーラーカー工房 ソーラー・チャレンジ・プロジェクト 総監督

1974年玉川大学工学部電子工学科卒、1979年同大学院博士課程了後、工学博士。同年情報通信工学科助手、超音波デバイス、超音波イメージングの研究に従事。1989年に助教授。1993〜1994年はトロント大学医学部バイオ・フィジックス学科サニーブルックヘルスサイエンスセンターイメージングラボ客員研究員。1997年に玉川大学ソーラーチャレンジプロジェクトを立ち上げる。1999年のオーストラリア大陸縦断レースでは、WSC総合6位、クラス3位。2001年WSC総合6位、クラス1位・2位を獲得。2002年より教授。2003年からは、燃料電池と太陽電池を組合せたハイブリッド・ソーラーカーを開発し、同年同車両にてオーストラリア大陸横断4,000km走破成功する。2008年工学部改組に伴い、機械情報システム学科教授となり、バクテリアによる水素生成、エタノール改質による水素生成、バイオ・ハイブリッド・ソーラーカーの開発研究に従事。現在、国内レースで燃料電池部門5連覇中!
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宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ 宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ
小原総監督の率いるハイブリッド・ソーラーカーをテレビ番組で見た方もいらっしゃるかと思いますが、実は私もそのテレビを見て感動し、翌日すぐに取材を申し込んでしまいました。それまで専門分野ではなかった化学実験への取り組みや、学生への教育姿勢など、常識にとらわれない、まさにクレイジーなかたでした。6連覇も応援しています!

このレポートの連載バックナンバー

我ら“クレイジー☆エンジニア”主義!

常識に縛られない異才・奇才が未来技術を切り拓く。彼らクレイジーエンジニアの人生・キャリア観からエンジニアの本質を探ります。

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