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“ヒーローエンジニア”を探せ! vol.16
大ヒットまで苦節3年。松下電工「ジョーバ」開発秘話
松下電工から生まれ、ダイエットや筋力アップ、運動不足解消にも効果があると話題となった大ヒット商品、乗馬フィットネス機器「ジョーバ」。だが、最初はなかなか販売が伸びなかったという。今回登場するのは、初代のマシンから設計に従事してきた開発者だ。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:08.07.22

松下電工株式会社 電器事業本部 ヘルシー・ライフ事業部 調達・生産管理G 合理化推進T 技師 北条弘幸さん

1970年、大阪府生まれ、同志社大学大学院工学研究科機械工学専攻修了。95年、松下電工入社。マッサージ機「アーバン」シリーズの開発者として機構設計に携わる。99年、乗馬フィットネス機器「ジョーバ」開発チームへ異動。2000年に発売された初代「ジョーバ」から最新の5代目モデルまで機構設計の担当者として商品開発に携わった。

乗馬フィットネス機器
「ジョーバ」
ヨーロッパでは、腰痛やヒザの痛みに悩まされている人たちや高齢者、身体障害や知的障害のある人たちのリハビリテーションメニューとして乗馬が広く活用されている。そんな乗馬療法を視察した日本人医師から、電動の馬づくりを依頼されたことから「乗馬療法システム」の開発は始まる。98年には馬型ロボットが完成。これを家庭用として普及させるべく、2000年に「ジョーバ」が商品化された。ダイエットや筋力アップ、運動不足解消にも効果があると話題となり、03年には大ヒットに。生産が追いつかない売れ行きとなった。

初代「ジョーバ」から、機構設計として商品開発に携わる

マッサージ機の設計経験を買われて、新しい商品の開発チームに加わったのが1999年12月。これが「ジョーバ」のプロジェクトだった。後に話題の大ヒット商品となるが、2000年に発売された初代モデルはなかなか販売が伸びなかった。そんな厳しい時代を経て、大ヒットとなった斬新なデザインとなめらかな動きを実現した3代目、「8の字動作」によって筋力アップやシェイプアップ効果がアップした4代目、さらには現行の5代目まで、すべての製品の機構設計を担当してきた。

妥協して、就職先を選びたくなかった

 実は、子どもの頃は機械をいじったりするのが苦手だったんです。今も覚えているのは中学時代の技術家庭。木工細工で、ボール盤で穴あけをする作業がうまくいかず嫌いで嫌いで(笑)。ところが、材料の研究室で免震ゴムの研究をしていた大学4年のとき、試験片をつかむ治具の作成で旋盤や研削盤などの加工機を使って自分で作ったんですが、これが意外に楽しくて。「なんや、面白いやないか」と(笑)。モノづくり的なものに興味を持つのは、実はこの頃からなんですよね。

 大学院では、学部の先生のアドバイスもあって、ちょっと毛色の違う研究に従事しました。人工股関節の基礎開発に向けた骨の力学特性の研究。京都大学病院の施設との共同研究で病院の研究室にずっと通っていたんですが、これはまた面白かった。人の体のメカニズムに触れられることもそうでしたが、医学部という違う世界にほんの少しでも身を置けたことも新鮮でした。

 就職では、生体工学分野でモノづくりをするという選択肢もあったんですが、実は学部時代から松下電工に興味を持っていたんです。たまたま研究室に見えたOBの方が、すごく魅力的な方だった。話が面白くて、にこやかで。社会人では明るいかどうかが、ものすごく重要だと思っていました。苦しんで仕事をするのはゴメン。楽しんで仕事ができることが大切だと思っていましたから。

 しかも、就職したらこれから一生勤めていくわけです。妥協して選びたくなかった。先輩の人柄に加えて、システムキッチンやお風呂など、日々の生活になくてはならない生活商品を扱っているのも魅力でした。商品群があまりに多すぎないし、組織も大きすぎないから、やりたいと思うことができる可能性も高いと感じた。やっぱり自分で納得できる仕事が、したかったですから。

北条弘幸さん
北条弘幸さん

あっという間に時間が経ってしまう

北条弘幸さん

 生体工学が専攻だったことも背景にはあるかもしれませんが、入社後は、マッサージ機の商品開発に携わることになりました。当時は、マッサージ機のイメージを変えたと言われるヒット商品「アーバン」シリーズが出て1年ほど経った頃。心拍センサーフィードバック付新商品の開発メンバーに配属になったんですが、初めて見たマッサージ機には度肝を抜かれましてね。中身はモーターやギアやリンクなど、いろんな機械要素や先端材料、強度理論などが複雑に組み合わさった構造になっていた。むき出しの機械を見た最初の印象は、「なんじゃ、これは」ですよ(笑)。どう計算してどう設計しているのか、最初はさっぱりわからなかったんです。

 そんな状態から始まっていますから、新人時代は設計にとにかく時間がかかりました。わかんないことだらけなので、あっという間に時間が経ってしまう。修士論文を書いているとき、必死で実験してたら真夜中になっていた、なんてことがよくありましたが、就職してからもその続きみたいなもので(笑)。気がついたら、とんでもない時間になっていることがよくあった。ただ、とにかく面白かったんですよね。

 設計して、評価して、機能を達成したら、社内の審査部門に見てもらう。だからスケジュールに間に合わせなければと毎日、頑張っていたわけですが、この審査が僕にはまた醍醐味で。言ってみれば、自分の仕事の発表の場、自分という人間のプレゼンテーションの場だとも思っていました。「しょうもない発表はしたらアカン」と。完璧主義ではないですが、中途半端だけは絶対にダメだと思っていました。自分にできる最善のものを作ろう、と。

 そうやって毎日、必死でやっていましたから、翌年商品が世に出たときは、それはそれはうれしかった。携わったといっても、裏のほうの隠れた小さな部分。でも、自分が何かしたんだ、というのがうれしくて。電器屋さんにはすぐに見に行きました。自分の手がけたところを確認しようと、店頭でいきなりかがんで裏を覗き込んだときには、店員さんに怪訝な顔をされましたが(笑)。

 マッサージ機の開発で今も印象深いのは、今はもうないですが、背もたれ部と脚部が同時に動作する連動リクライニングの製品を作ったことです。一般的には背もたれ部と脚部に2個の駆動ユニットでリクライニングをするんですが、1個の駆動ユニットとリンクでやってみようということになって。かなり難しい大変な設計でしたが、これまた新しい挑戦で面白くて。このときも、新人時代くらいにガムシャラに、しかも楽しんでやっていましたね。


「オレたちは、ええもんを作ってるんや」

 マッサージ機では、上司があれこれ細かく指示しない人だったんです。自分でいろんな人に聞きに行って、自分なりに理解しながら進めることができた。また、自分の仕事だけじゃなく、まわりの人たちの仕事と関わりながら進めることができたんです。この経験が、次に生きました。

「ジョーバ」の開発に移った当初、設計のメンバーは実質、課長と2人でした。試作品づくりでは、「これもあれも、えっ?これもオレ?」みたいな仕事になったんですが、商品全体を見渡して仕事をすることに、それほど違和感はなかったんですよね。こういうところは板金で、こういうところはL字に曲げて強度UPをしておいて、といった設計のポイントも経験としてしっかり培うことができていました。

「ジョーバ」は2000年に初代モデルが出ましたが、僕が事業部を移ったのは1999年の12月。新しい部の部長はかつての上司。新しい分野へチャレンジするチャンスの場を与えていただいたのではと思います。それまで研究所で乗馬ロボットの開発が行われていたのは、実はテレビで見たことがありました。当時は業務用目的で価格も2000万円。これを家庭用にする計画があるという話を少し前に聞いていたんですが、正直「そんなの買う人、おんのかなぁ」と思ってた(笑)。まさか、それを自分がやることになるとは、夢にも思いませんでした。

 家庭用の技術開発は研究所ですでに進み、プロトタイプができ上がっていました。これを量産化のための設計に落とし込む。理想の動きを実現させるために、どういう構成にするか。モーターという駆動源をどのようにギアやリンクと連動させ、力の伝達をおこなう のか。課長と2人で知恵を出し合って設計を進めました。特に慎重を期したのは、人が乗るものですから、耐久性と安全性。やっぱり時間がかなりかかりました。

 ただ、初代モデルと2代目モデルは価格が高かったこともあって、販売は伸びませんでした。当初3年間は正直、厳しい期間だったんです。展示会でマッサージ機の隣に置かせてもらっても、マッサージ機を試すおじいちゃんが、「あそこの馬のとこで、遊んどき」とお孫さんを遊ばせる場所になったり……。社内でも「何か、やってるらしいね」というくらいの認識。誰もあまり関心を持ってくれなかった。

 つらかったですよ。ただ、そのときの商品企画のメンバーは、みんな熱い思いを持っていたんです。もともと高齢者向けの筋力強化機器として生まれたんですが、これは絶対の人の役に立つんだと確信を持っていたから。「オレたちは、間違いなく、ええもんを作ってるんや」と。売れない中でも、ちょっと数字が伸びたり、テレビで取り上げられたりする。そんな、ささやかな変化が心の支えでした。

北条弘幸さん
北条弘幸さん

商品が売れるとみんなが元気になれる

北条弘幸さん

 大きな転機になったのは、2003年、3代目モデルの発売です。ここから「ジョーバ」は急伸するんです。月間平均販売量が10倍、20倍にもなりました。これにはいろんな要因があったと思っています。筋力強化だけでなく、ダイエットや運動不足解消を意識して商品のイメージを変えたこと。デザインを一新してスマートにしたこと。営業の努力がじわじわと浸透して認知度が上がったこと……。複合的ないろんな要素があったから、ぱっと花開いたと思うんです。

 開発の僕らは、「とにかく、ええ子を産もう」と思っていました。そして、これはちょっと違うぞ、という手応えのあるものができたんですね。営業からは「ええ子を産んでくれたら、育てたる」と言われていましたが、まさにその通りになった。うれしかったですね。本当にこのときは。でも、このヒットには我々も含めて誰もが驚きだったんです。購買への部品見積もりで、いつもの10倍の数量を書いたら、「何かの間違いちゃうか」なんて問い合わせが来たりもしました(笑)。さらには、生産も追いつかなくなって。

 こうなると設計には、違う課題が生まれてきます。これまで以上に生産効率を考えた設計、コストを強く意識した設計に切り替えないといけない。売れるものを作ろうと大忙しだったのが、今度はもっと売れるものを作るために大忙しになって(笑)。

 当初のことを考えると、夢のような状況でした。でも、もっと大きな夢を見よう、とみんなで思っていました。そういう思いを持ち続けたからこそ、今までも妥協せずにずっと来られたんだと思うんです。「もう、これでええわ」と思った瞬間、どこかに妥協やあきらめが生まれる。そうなっていたら、きっと今はないと思う。

 面白いな、と思ったのは、商品が売れるとみんなが元気になれることです。俄然、やる気が出てくる。これがまた、プラス効果を生んでくれる。ヒットってすごいな、って思いましたね。

北条弘幸さん

初代「ジョーバ」から、機構設計として商品開発に携わる

 販売が急伸した2003年の3代目モデルが一つ目の転機だったとすれば、2つ目の転機は、2005年5月の4代目の発売だったと思っています。この4代目で「ジョーバ」は、それまでのさらに3倍、4倍の販売量を実現するようになるんです。その要因のひとつになったのが、シートの「8の字動作」でした。

 それまでの「ジョーバ」は、シートがVの字の動きをしていました。もっと筋力を使う方法はないか、ウエストの引き締めや、運動不足解消につながる技術はないか、ということで作ったのが、「8の字動作」です。横8の字にシートが回転する。さらに、シートが前傾してウエストや腹筋をもっと使う、後傾して背筋をもっと使う、といったことも可能になりました。商品機能として大きな転換になりましたし、これをアピールポイントとして打ち出すことができた。

 8の字動作は、構造的な難しさはありましたが、それは設計の腕の見せ所。これからも、いろんな機能を実現させていきたいと考えています。研究所から、さらに僕たちもアイディアを出しながら、新しいものを取り入れていきたい。商品仕様的にはすでにいろいろなアイディアがあるんですが、言えない部分もたくさんありまして。ただ、僕らが今、考えているのは、一家に一台「ジョーバ」を置いていただくこと。もちろんはるかに遠い世界かもしれませんが、そこまで行く魅力的な商品に作り上げていきたいですね。

 携帯電話だって、20年前には一人一台なんて誰も想像しなかった。「ジョーバ」がなくてはならないものになり、一家に一台ある。そんな未来も大いにありえると思っているんです。


コトが成就するまで、あきらめずにやり抜く会社

「まずは、やってみろや」という風土がある。それは入社から13年で痛感していることだという。チャレンジすることに対して、誰も止めないし文句も言わない。黙ってじっとしているよりも、何か言って行動しているほうが認められる。そういう空気がある。どんどん提案して、どんどん動いていい会社だ、と。

 後に大ヒット商品となる「ジョーバ」だが、当初は3年もの長期にわたって苦戦していた時期があった。だが、それで簡単に引き下がる会社ではなかった。ここでおそらく、さまざまなチャレンジが、さまざまな部門で行われていたに違いない。そして、それがやがて一気に、大きく花開き、革新的なヒット商品は定番商品へと育っていくのである。

 そもそも経営レベルで、相当なチャレンジだったのではないだろうか。もともと原点となった馬ロボットは2000万円の業務用商品だったのだ。これを家庭用の商品にする。100分の1以下の価格の商品に仕立て上げようというのだ。ありえない、と反発の声が社内にはあったはずだ。だが、トップはチャレンジを決断したのである。

 松下幸之助翁が「言い出しべえ株式会社」という言葉を残していると北条氏が教えてくれた。言い出した人間が、コトが成就するまで、あきらめずにやり抜く会社、の意味だという。松下電工は、このスピリッツが本当に残っている会社だと思う、と。

 そしてもうひとつ、北条氏の話で印象的だったのは、一緒に仕事をする人を尊重するという姿勢だ。社内で、あるいは社外で。商品は一人で、一社でできるわけではない。そんな姿勢で、社内の各部門や社外との交渉に臨む。お互いがプラスになる地点を探る。こうした姿勢が、妥協しない商品づくりを可能にしたのではないか。それにしても、関西弁で冗談も次々に飛び出してくる楽しい取材だった。撮影時には、同僚から冷やかしの声が次々に飛んでいた。そんなところからも、社内のいい雰囲気が伝わってきた。


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宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ 宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ
取材では、初代モデルである馬型乗馬ロボットから最新モデルまで見学させていただきました。第三世代モデルでヒットしたのがうなづけるほどデザインが洗練されていたのを見て、見た目も大事なヒット要因なんだなと改めて感じました。最新モデルの手綱付きのマシンもぜひ試してみたいです。

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