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我ら“クレイジー☆エンジニア”主義! vol.31 「遠距離恋愛支援システム」を
作ったユビキタス研究の椎尾一郎
ゲーム感覚の掃除機、衣装が撮影できるタンス、毎日のメイクアップを支援する電子的鏡台、遠距離恋愛支援システムなど。今回紹介するクレイジーエンジニアは、身近な世界を楽しく変えるユニークな日用品コンピューティングを研究する、お茶の水女子大学教授の椎尾一郎氏だ。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:08.07.09
クレイジー☆エンジニア
お茶の水女子大学理学部情報科学科
教授 工学博士
椎尾一郎氏
 空中にペンで自由に書いてメモを共有、さらに人の位置を検出する『空気ペンとナビ下駄』がテレビや雑誌などで頻繁に登場したのは、今から10年ほど前のこと。ドラえもんの四次元ポケットのような面白い開発をしていると話題になった研究者は、その後も率いる研究室で着々とユニークなテーマを生み出してきた。それが、椎尾氏だ。料理に合った色の柄を皿に投影、一枚の皿をさまざまに彩る『いろどりん』、フックにかけるだけで洋服を撮影、管理できる『タグダンス』、家庭の様子をオルゴール調の音楽が奏でる『居るゴール』、そして遠隔地の恋人の状態をさりげなく知らせるために置かれた家具、日用品、調度品が同期する『遠距離恋愛システム』……。実世界指向インタフェースで日常生活に密着したユビキタスコンピューティングに挑む椎尾氏は、日本IBMの東京基礎研究所勤務を経て、大学に転じている。
コンピュータがありふれたものになる
 ユビキタスというと、「どこでも使えるコンピュータ」というイメージでしょう。例えば、携帯電話がそうじゃないかと。でも、ユビキタスという言葉を世に送り出したマーク・ワイザーが言っていたのは、ちょっと違うんです。彼はコンピュータの時代はこう進化すると言っていました。大人数に1台のメインフレーム、1人1台のPC、そして1人でいくつも使う時代。ユーザー数で言えば、50万人、500万人、50億人。50億人には、赤ん坊も入ります。つまり、携帯電話のようなマシンではなく、食器や洋服といった日用品にコンピュータが入っていく。これが、本来のユビキタスの考え方です。どこにでもある、ではなくて、ありふれたものになるんです。

 似たものにモーターがあります。20世紀の初め、電気モーターは非常に高価でした。メーカーは、これが1台あれば、アタッチメントを変えていろいろ使えますよ、と言って販売した。フードプロセッサーになったり、掃除機になったり。これは、今のPCと同じです。20万円するけれど、ワープロにもなるし、年賀状にも使える。

 モーターはやがて、いろいろなモノの中に入ります。今もいろんなモノに入っていますが、誰もモーターの存在など意識していない。PCも、小さく安くなっていろいろなモノに組み込まれるようになるんです。ユビキタス時代のコンピュータは、モーターによる電動ハブラシのように、単機能の専用機になるでしょう。コンピュータといってもひとつのことしかできない。ひとつのことしかしない。

 マーク・ワイザーは晩年、ユビキタスなんて言葉を使わなければよかったと言っていたそうです。違うニュアンスで受け止められてしまったから。コンピュータがどこにでもあるのではなく、誰もその存在に気づかなくなることが、彼のイメージしたユビキタスなんです。

 だからこそヒューマンインタフェースの研究が大事になる。コンピュータをどこにでも置くことは今も可能です。問題は使い方なんです。コンピュータを取り入れることで、人々に何がうれしいのか。これを探さないといけない。今、最も足りないものが、何が便利で、面白くて、心地いいか、なんです。アプローチとしては、僕は3つがあると思っています。ネットワーク上の情報を表示してくれるもの。モノ探しや収納。そしてカジュアルなコミュニケーションです。
物理専攻だったが、コンピュータに夢中に
 研究者の間で「やっぱり、そうだった?」と会話になることが多いもののひとつに、子どものころのヒューズを飛ばした経験があります。100Vのコンセントには穴が2つある。線で結んだら電流が流れると思う。そして針金をビュっと入れてみたら、ブレーカーがドン(笑)。もちろんやりました、僕も。

 父は名古屋市立工業研究所の研究員でした。理学部に行ったのも、博士まで進んだのも、父がそうだったから、というのが大きいと思います。名古屋大学でも、大学院に進んだ東京工業大学でも、専攻は物理でした。だから、コンピュータが専門だったわけではなかったんですね。ただ物性の研究では、実験の自動化と解析にコンピュータが欠かせなかった。これがコンピュータと出合うきっかけです。

僕が大学院に進学した1970年代末は、NECのTK-80や8080のチップが出始めたころ。実験の結果は、磁気テープをミニコンで処理して一晩かかるのが普通でした。すぐに結果が出るものは作れないかということで、マイコンづくりに挑んだんですね。チップを買ってきて、基板を作って、ソフトウェアも自分で書いて、感熱プリンタの部品を買ってきて。コンピュータづくりは、本当に面白かった。僕はへそ曲がりなので、NECではなく、日立の6800を使ったんですが(笑)。

 当時、大学院は神奈川県の長津田にありました。パーツを買いに秋葉原まで行くには遠い。でも、青葉台という駅の近くに「緑電子」というラジオシャック(欧米の家電販売チェーン店)と提携したパーツ屋さんがありまして。ここに出入りしているうち、社長さんと仲良くなって、アルバイトも始めて。緑電子がホテルの客室のビデオ配信システムを請け負ったことがあったんですが、それが僕の初仕事でした。手作業でやっていたビデオテープの入れ替えを、自動でできるようにするシステムでした。
製品を作ることの難しさを痛感
 大学を出た1979年は、就職が非常に厳しい時期でした。卒業予定者の半分くらいはわざと卒業しなかったほど。ところが、大学院にいた5年間に世の中は様変わりしまして。これには複雑な気持ちになりましたが、就職環境がよかったのはとにかく幸いでした。

 日本の大手メーカーという選択肢もあったんですが、僕は日本IBMの東京基礎研究所を選びました。大きかったのは、まだできたばかりの研究所だったこと。いろんなことをやらせてもらえると思ったんです。実績よりも将来性を見たい、という考え方もありがたかった。物理からコンピュータへと専門を変えたいと思っていたし、新しいコンピュータを作ってみたいと思っていたからです。

 最初の印象は、やっぱりすごい人たちが集まっているんだな、ということ。話をしていても、この人は自分よりもわかっていると思って話をしないといけないと思いました。うかつなことは言えない(笑)。後に各方面に人材が飛び出しますが、25周年の同窓会で会ったときは、本当にいろんな分野にみんな進んでいましたね。

 入社してユーザーインタフェース系のチームに入ったんですが、最初の仕事はマッキントッシュを使うこと(笑)。僕の入った年の1月の発売でした。どうして使いやすいか調べろ、と。ゼロックスのStarも使いました。両方ともよくできていると思いましたね。動きがスムーズでなめらか。Starは10年かけてユーザーインタフェース研究をしたといわれます。今ではありえない手のかけ方です。そしてマッキントッシュは、そのStarの技術者がかかわっていたんです。

 それから仮名漢字変換のインタフェースなど、オフィス向けのインタフェースにかかわったんですが、僕にとって忘れられない仕事になったのが、プレゼンテーションツールとして作った発表システムのための指示装置『ViewPoint』でした。自分でも手応えのあったアイデアでしたが、研究所の上層部から特許を申請しなかった叱責とともに、直々に製品にしなさいという指示もきまして。

 ただ、IBMで安価な製品を作るのは難しい。ほかの会社に作ってもらおうと、慣れないスーツを着て2年間いろんな会社を行脚しました。学会の発表などでは大きな反響を得たんですが、製品化は厳しい。製品を作るということの難しさを痛感させられた経験でした。
『遠距離恋愛支援システム』
  ■『遠距離恋愛支援システム』

相手の行動や状態をさりげなく知らせることを目的として、遠距離に置かれた家具、日用品、調度品が同期するシステム。遠隔地の家具の動きが連動することによって、離れた相手と一緒にいるような感覚を与えることができる。平成18年度下期未踏開発ソフトウェア創造事業に採択されている。
  『遠距離恋愛支援システム』
『VirtualGlassboat』
 
■『VirtualGlassboat』

手押し車の上にコンピュータディスプレイを上向きに設置・搭載。車輪の回転などから、装置全体の移動量を測定でき、移動方向の逆の方向にディスプレイの内容をスクロール表示する。この結果、ディスプレイ枠を通じて、床下などの様子をのぞき見るかのような拡張現実感を得ることができる。
『MeetingPot』
 
■『MeetingPot』

ネットワーク接続されたコーヒーメーカー。談話室で誰かがコーヒーメーカーのスイッチを入れると、無線ネットワークがコーヒーが入りつつあることを別室のフロアに香りで知らせる。ミーティングルームに人が集まっていることを知らせ、インフォーマルなコミュニケーションを促進する。
『ViewPoint』の研究過程で、椎尾氏にあるアイデアが浮かぶ。それは、天井にプロジェクタを置き、机の上にコンピュータの画面を投影すること。面白いと思ったが、すでに先駆者がおり、有名な論文となっていた。ガッカリするも、一方で椎尾氏は自信をつかむ。時間差で負けたとはいえ、世界レベルのアイデアが出せた、と。それは、次のアイデア『InfoBinder』の国際会議発表につながる。最先端の研究でその名を知られるようになる椎尾氏は、やがて自らの研究テーマを、“ハードウェアとソフトウェアの接点で今までとは違う新しいコンピュータを作る”と定め、日本IBMの研究所を退職する決意をする。当時、40歳。その後、玉川大学工学部に職を得て、話題の研究を数多く送り出す。そして2005年より、お茶の水女子大学理学部情報科学科で教鞭を執っている。
人生の方向性はじっくり考えればいい
 IBM時代に上司にこんなことを言われたことを覚えていまして。技術者としてやっていくのなら、××の椎尾と言われるような特徴を作らなければならない。椎尾という名前が出たら、すぐにシステムの名前が出てくる。そんな人間にならなければいけない、と。

 ただ、30代も後半になると、組織にいればいろんなことが求められます。研究だけではなく、工場や営業にキャリアチェンジする生き方もある。技術者として自分を貫くのか、あるいは組織の中で頑張っていくのか。それが僕も問われたわけです。そして、前者を選ぼうと思った。だから、日本IBMを辞めることにしたんです。

 これはよく学生にも言うことですが、自分が一生やっていくことを決めるのは、簡単なことではありません。僕だって、40歳近くなってようやくわかった。高校時代や大学時代に決めたことをずっとやっていける人生というのは、本当にまれです。その意味では、じっくり考えて、前に進んでいけばいいんです。ただ面白いもので、これだ、という方向が決まると、どういうわけだか、ものすごい力がわいてきて、アイデアもどんどん出るようになったんですね(笑)。これは、転職というものの大きな利点だと僕は思っています。

 玉川大学への就職は、パソコン通信で知り合った人が玉川大学の先生だったのがきっかけでした。僕がたまたま大学の近くに住んでいたこともあり、一度、特別講義をやってみないかと誘われて。すると、学生に交じって、なぜか年配者が(笑)。面接も兼ねていたということです。もし、大学の特別講義をお願いされたときは、こういうこともあると知っておいたほうがいいですよ(笑)

 大きな転機になったのは、この後、ジョージア工科大学に客員研究員として行ったことです。ここで実験住宅にかかわったことが、日用品のコンピューティングに大きく踏み出すきっかけになったからです。せっかく行くわけですから、事前に半年ほどかけて、ホーム系のアイデアをたくさんもって行きましてね。かなりウケたものも多かった。すでに日本で発表していたコーヒーメーカー『MeetingPot』も現地で実装して、これにはニューヨークタイムスも取材に来てくれました。たくさんのアイデアを実装して、年1回の多くのスポンサーが集まる成果発表会でも、僕のシステムを発表させてもらうことができました。
アイデアは制約があったほうが出しやすい
 アイデアを出すのは苦しいもの。僕も、考えて考えて、ようやく出てくることも多い。ただ、アイデアは、まったくの自由よりも制約があったほうが出しやすいんです。制約がなければ、自分で作る。組み替えたり、バリエーションを作ったりして追い込んでいく。あとは、優秀な研究者とディスカッションすることですね。これは、ものすごい刺激になります。

 アメリカで驚いたのは、実装するための環境の素晴らしさです。日曜大工が趣味の人も多いので、大きなDIYショップがたくさんあったんですが、DIY雑誌も驚くべきものでした。量だけではなく、レベルも高い。電灯線の中に信号を通して電球などをコントロールするシステムのプログラミング方法が連載されていたり。これは後に『遠距離恋愛支援システム』にも使いました。DIYショップは朝6時から夜9時までやっているし、ラジオシャックは大きなショッピングモールには必ずあるし。意外な発見でしたね。

 お茶の水女子大学からお誘いをいただいたときは、「これは!」と思いました。女子大という選択は、日用品系の研究には非常にありがたかったからです。ひとつだけ心配だったのは、学部が理学部なので、理論や数学に近いものだとちょっと違うな、と思ったのですが、むしろ工学系の人を求めていると聞いて安心しまして。

 これまでの情報科学や情報工学は、企業のイメージや男の世界のイメージがまだまだ強かったと思うんですね。工場しかり、オフィスしかり。女性の活躍も増えてきてはいますが、男と対等に、といった印象で男的な仕事をしている人がまだ多いと思うんです。

 でも、ユビキタスコンピューティングの世界では、女性は、女性らしい新しい仕事を作れると思うんです。もっと肩の力を抜いた仕事ができる。生活のあらゆる場面、家や家事などの知識が生きる。フィールドが、圧倒的に女性的なものが多いからです。キッチンしかり、ファッションしかり、ビューティーしかり……。女性だからこそ豊かに発想できるものが、たくさんある。むしろ優位になる。
技術的な進化の次の時代がきた
 また、コンピュータの速度を何倍も速くする、ネットワーク効率を上げる、新しい半導体を作る、といった男的世界から見れば、インタフェースの研究は、どこがサイエンスなんだ、というイメージもあるかもしれません。しかし、テクノロジーは使われてこそ意味があるはずでしょう。人が何を望んでいるかを理解し、多くの人に使われるものにして初めて技術は本当の意味で生きる。

 Webはネットワークの発明と思われているフシがありますが、僕はアプリケーションの成功だったと思っています。研究者が困っていることを調べ、それに適応したものを作った。ファイル交換の仕組みも検索の仕組みも、使いやすいものを考えた。あれは、ユーザインタフェースの勝利だったんじゃないかと思うんです。

 コンピュータ性能がすさまじい発展を遂げる時代はもう終わりました。来年はとんでもないことができるようになる、なんて時代ではもうない。技術的な進化が鈍り、成熟が見えてきた今後は、「どう使うか」こそが問われ始めてくるんです。

 30年前、自動車の開発にはコンピュータエンジニアは入っていなかった。でも、今はプログラマなしに車は作れない。これが、あらゆるモノでも同じになっていくでしょう。洋服づくりにも、食器づくりにも、当たり前のようにコンピュータエンジニアが加わる。

 そしてCPUやOSやソフトウェアといった技術が成熟し、コモディティ化してくれば、コンピュータをめぐる競争はまたゼロからです。消費者を意識した気配りのある製品が得意な日本には、ポテンシャルは大きい。どのくらい生活者の視点に立ってコンピュータを発想できるか。大きな可能性を秘めた世界が、すぐそこにあるんです。
『DigitalDecor』
 
■『DigitalDecor』

家具、調度品などにセンサーとコンピュータを組み込むことで、収納物検索機能や、遠隔コミュニケーション機能を実現する。例えば、子供の引き出し家具の上部引き出しにカメラを組み込み、その映像を遠隔地に住む祖母に送れば、子供の状況に応じたコミュニケーションが可能になる。
『インタラクティブ掃除機』
 
■『インタラクティブ掃除機』

掃除機に取り付けたプロジェクタにより、仮想的なオブジェクトを床に投影し、それを掃除機で吸い込むインタラクションを実現する。掃除をゲーム感覚で楽しくさせたり、さまざまな情報を床に提示して掃除作業を有意義にしていく。08年内の完成を目指し、実験住宅の建設が進んでいる。
『文鎮メタファー』
 
■『文鎮メタファー』

机の上に置かれた紙片などにペンを使って書こうとするとき、人は手のひらを使って、文鎮のように紙を押さえる。その動作をメタファーとして利用し、タッチセンサ電極を組み込むことで、PDAや携帯などの表示コンテンツの編集操作とスクロール操作を、直感的に切り替えるインタフェース。
profile
椎尾一郎
お茶の水女子大学理学部情報科学科
教授 工学博士

1956年、愛知県生まれ。名古屋大学理学部物理学科卒。84年、東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程修了。日本アイ・ビー・エム入社。東京基礎研究所に入所。マルチメディアシステム、オフィスシステムなどのユーザーインタフェース研究に従事。97年。玉川大学工学部助教授を経て、2002年より教授。01年4月〜02年3月、ジョージア工科大学客員研究員、02年4月より筑波大学先端学際領域研究(TARA)センター客員研究員。05年よりお茶の水女子大学理学部情報科学科教授。実世界指向インタフェース、ユビキタスコンピューティングを中心に研究。情報処理学会、ソフトウェア科学会、ヒューマンインタフェース学会、ACM各会員。
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宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ 宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ
今回は女子大の研究室だったので、取材に協力してくださる学生の皆さんももちろん女子学生。とっても新鮮でした。日常品コンピューティングのテーマや着眼点も女性ならでは のものばかり。女性エンジニアが活躍できる場が広がっていく予感がした楽しい取材でした。

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