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No tech No life 〜この技術とともに在り〜 Vol.6 世界をつないだ「商用インターネット」技術16年史
最新の「通信利用動向調査」(総務省)によれば、日本のインターネット利用者数は2007年末で推計8811万人。この広範な普及を可能にしたのは、まず「斬新なビジネスモデル」や「企業間の提携・買収」であり、そして根幹にあった「技術力」だった。その技術史と、技術者の堅実な日々の営みを追います。
(文/三浦優子 総研スタッフ/根村かやの イラスト/岡田丈)作成日:08.06.19
Part1 「ネットバブル」とその崩壊を生き抜いてきた技術力
1993年、「接続」からスタートした日本のインターネット
 日本でのインターネット利用は、1984年、東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学が実験的にネットワークを結び実現した「JUNET」、1988年にスタートした産学協同プロジェクト「WIDEプロジェクト」など、1980年代からさまざまな試みが行われていた。
  だが、「商用」という観点で考えると、1993年、AT &T JENS、IIJが始めたインターネット接続サービスをスタートと考えることができる。同じ年、米国ではアル・ゴア副大統領(当時)が、国内のコンピュータを高速通信網で接続する、「情報スーパーハイウェイ構想」を発表。ネットワークの可能性が大きくクローズアップされた年でもあった。

  もっとも商用接続サービスが始まったとはいえ、1990年代前半のインターネットユーザーは技術者やIT系企業など、ITリテラシーの高い層に限られていた。現在のように誰もが簡単に利用できるわけではなかった。
  そのため、インターネットを利用することは、技術者にとっても新鮮な驚きがあったようだ。1990年当時、同一企業内のパソコンをネットワークで結ぶ、LANの利用は増えてはいたものの、外部との接続は容易ではなかった。VAN(value added network)を利用し、外部との通信を実施している企業もあったが、利用料が高額となるため、一般的とはいえない状況であった。
  それが、インターネットを利用することで簡単に会社や学校の外と通信ができるようになった。ある技術者は、「当時、自分が作ったホームページをパソコンショップのインターネットサービスコーナーで見た際、世界中につながっているネットワークであることを初めて体感できた」という。

  日本にいても世界中の人と通信できるインターネットへの期待は高まり、1995年には「インターネット」という言葉が、『現代用語の基礎知識』が毎年選出している、流行語のトップ10に選ばれた。体験したことがない人までがインターネットに注目する状況が、一気に展開していった。
90年代後半、日本語ポータルサイトが続々と登場
 1990年代後半になると、米国でサービスを開始していた日本語ポータルサイトが次々に登場してくる。先陣を切ったのはソフトバンクと米Yahoo!が合弁で設立した日本法人ヤフー株式会社が立ち上げたポータルサイト「Yahoo! Japan」であった。
  ヤフーの設立会見では、ソフトバンクの孫正義社長が、「ポータルサイトが世の中の主流となる」と熱弁を振るった。しかし、インターネットポータルサイトが存在しなかった当時、無償でサービスを提供するポータルサイトビジネスはほとんど理解されなかった。その後ヤフーが商業的にも大きな成功を収めたことから、孫社長は新しい事業をスタートする際、「ヤフーも最初は理解されなかった」とたびたび引き合いに出した。

1996年の「Yahoo! Japan」のトップページ。
1996年の「Yahoo! Japan」のトップページ。
 初期のポータルサイトは、収益モデルがきちんと確立されず、インターネット接続事業者も収益的には赤字の事業者も少なくなかった。インターネットビジネスはしばしば米国開拓時代のゴールドラッシュに例えられ、「一獲千金を夢見て集まっても、実際に大金を手にできる人はほとんどいない」とも揶揄された。しかし、米国では1990年代後半から、インターネットで話題を集めた企業が次々に株式を公開し、高値をつけ始める。
  日本でもこうした情報を基にした起業が相次ぎ、創業間もない企業に金融機関が積極的に融資した。
  その結果、一般的にはインターネットは技術産業というよりも、ビジネスに野心をもった、アイデアをもった人材が成功する産業という印象が強まってしまうことになる。

  インターネット利用環境も大きく変化した。当時ブラウザは、無償で提供されていたものの、OSにバンドルされていたわけではなく、自分自身でダウンロードし、インストールして利用する必要があった。
  ところが、マイクロソフトがInternet Explorer(IE)をバンドルした「Windows98」をリリース。わざわざダウンロードしなくとも、Windows98さえあれば利用できるIEの利用者の数が一気に増加し、ITリテラシーが高くない人もインターネットが利用できるようになった。その結果マイクロソフトは、ネットスケープコミュニケーションズと繰り広げていた、ブラウザを巡るシェア争いで優位に立つ。後にマイクロソフトは、IEをOSにバンドルしたことで独占禁止法に問われることになるが、IEの優位は変わることがなかった。

  一見、順調に進むかに見えたネット業界だったが、2000年後半になると加熱していたインターネット関連企業の株価が一気に下がり、利益が出せない企業の経営状況は一気に苦しくなっていった。
商用インターネット技術史:(1)1993〜2000
商用インターネット技術史 IT技術史
1993
IIJ、インターネット接続サービスをスタート(11月)
米政府、「NII(全米情報通信基盤)アクションプラン」を決定
1994
WWWで利用する技術の標準化を進める業界団体、World Wide Web Consortium(略称=W3C)が発足(10月)
独立系インターネットプロバイダ、「東京インターネット」が創業(12月)
通産省、アウトソーシングに関する認定制度を創設
村山富市内閣成立
1995
米ネットスケープコミュニケーションズが「Netscape Navigator」の日本語対応版を公開(3月)
Webサーバー、「Apacheo0.2」がフリーウェアとして公開される(3月)
日本初のインターネットカフェ「エレクトロニックカフェ東京」が東京・渋谷にオープン(6月)
阪神・淡路大震災
Windows95発売、ウィンドウズ・フィーバー
1996
米Yahoo!とソフトバンクの合弁企業として、ヤフー株式会社設立(1月)
米インフォシークとデジタルガレージが業務提携し、日本語ポータルサイト「インフォシーク」が開設(10月)
文部省とNTT、全国の小中学校計1000校のパソコンに通信機能をもたせる共同計画を発表
通産省、「不正アクセス対策基準」を告示
1997
「まぐまぐ」がサービスを開始(1月)
NTTアド(現・NTTレゾナント)、ロボット型検索エンジンを使った検索ポータルサイト、「goo」サービス開始(3月)
楽天、ショッピングポータルサイト「楽天市場」サービス開始(5月)
エキサイト、ポータルサイト「エキサイト」を開始(7月)
「通信利用動向調査」(現・総務省による調査)で日本のインターネット人口は1155万人で、総人口の9.2%に(12月)
政府、高度情報通信社会推進本部に「電子商取引等検討部会」を設置
動燃原子力再処理施設が爆発事故
建設省、光ファイバー網整備計画(CCC構想)を発表
「コンピュータ西暦2000年問題関係者省庁連絡会議」を設置
1998
米ネットスケープコミュニケーションズ、「Netscape Communicator5.0」のソースコード開発支援のためのサイト「mozilla.org」を開設(2月)
米ライコスと、住友商事、IIJの合弁で日本法人が設立、日本語ポータルサイト「ライコス」を提供(4月)
W3C、「XML1.0」を発表(11月)
行政情報化推進基本計画(1998〜2002)がスタート
民間金融機関と郵便貯金、日本デビットカード推進協議会を設立
和歌山毒物カレー事件起こる
1999
リクルート、生活総合サイト「ISIZE」の提供を開始(1月)
NTTドコモ、携帯電話を使ったインターネットサービス「iモード」の提供を開始(2月)
「2ちゃんねる」サービスを開始(5月)
ヤフー、楽天がオークションサービスを開始(9月)
「通信利用動向調査」(現・総務省による調査)で日本のインターネット人口は2706万人で、総人口の21.4%に(12月)
EU単一通貨「ユーロ」がスタート
郵政省、「日本インターネット決済推進協議会」を設立
情報公開法が成立
携帯電話の普及が4割を超える(普及累積台数5411万台)
2000
インターネット関連事業者の会合として話題を集めていたビットバレーが、東京・六本木のディスコ・ベルファーレでイベントを開催(2月)
Google、日本語検索サービス開始(9月)
森喜朗首相(当時)が、全国民が情報通信技術を活用できる、日本型IT社会を実現に向けた構想「e-Japan構想」を発表(9月)
アマゾン・ジャパン、書籍販売サイト「amazon.co.jp」を開設(11月)
インターネット上の万国博覧会「インパク」が政府主導でスタート(12月)
「通信利用動向調査」(現・総務省による調査)で日本のインターネット人口は4708万人で、総人口の37.1%に(12月)
コンピュータ西暦2000年問題、世界的にクリア
情報家電インターネット推進協議会が発足
政府、「申請・届け出手続きの電子化推進のための基本的枠組み」を策定
電子署名および認証業務に関する法律が成立
IT戦略本部とIT戦略会議、「IT基本戦略」を策定
2000年以降、ネットバブル崩壊を生き抜いた企業は技術力で勝負
 2001年に入っても、インターネット関連企業に対する目は厳しく、かつては潤沢に集まっていた資金の調達もますます難しくなり、注目されていた企業が倒産したり、他社に買収されたりするケースが続出。インターネットに対する評価も厳しいものとなった。

  その中で生き残っていったインターネット企業は、営業や経営戦略だけでなく、顧客に信頼されるサイトを構築し、運営する確かな技術力をもった企業ばかりであった。その代表といえるのがGoogleである。本社がある米国においても、日本においても、検索精度の高さからたちまち利用者を増やしていった。その結果、Yahoo!など競合ポータルサイトでも、それまで利用していた検索エンジンをGoogleのものに切り替えていった。
  しかし、Googleへの評価が高まっていくことを懸念し、Yahoo! Japanでは2004年5月に、自社で新たに開発した検索エンジンに切り替えた。Googleに対抗できるオリジナルな検索エンジンがなければ、インターネットポータルサイト間の競争に対抗できないと考えたからである。技術力がなければ、インターネットの世界を制することができないことが証明されたのだ。

  ただし、その一方で2004年、プロ野球球団の近鉄が経営問題から球団消滅の危機であることが明らかになると、堀江貴文社長(当時)率いるライブドアが買収に名乗りをあげ、注目を集める。さらに、楽天が球団買収競争に名乗りをあげると、「インターネット企業=お金持ち」というイメージが世間に広まることとなった。
  米国に本社を置くインターネット企業が技術力での優劣にしのぎを削っていたのに対し、日本では広く一般に知名度を上げることに力が注がれていた。プロ野球の球団買収騒動の当時、来日した米・ネット企業の創業者は、「みんなが球団を買収する意向があるのかという質問ばかりしてくる」と日本の取材陣に苦笑してみせた。
2004年〜、ブログ、SNSなどユーザー参加型サービスが人気に
 2000年代も中盤を過ぎると、ブログ、SNSなど参加型サービスが人気を集める。総務省の調査によれば、2005年3月末時点で国内のブログ利用者は335万人、SNS利用者の数は111万人にのぼると算出している。

  こうしたサービスで特徴的なのは、日本で作られたサービスが多数登場したことだ。これまでITの世界では米国で開発されたものを日本語化して利用することが多かったが、イーマーキュリー(現・ミクシイ)が提供するSNSサービス「mixi」、サイバーエージェントが提供するブログサービス「アメーバブログ」、はてなが提供するブログ「はてなダイアリー」といったサービスは、日本で独自に開発されたアプリケーションによるサービスだ。

  利用者参加型サービスは、夜間にユーザーが殺到することから、アプリケーションの機能や質とともに、トラブルなくサービスを運営する管理機能が事業者側に求められる。口コミで評価が短期間に広まるインターネットの世界でユーザーの支持を集めるために、事業者には細心の注意を払ったサイト運営が求められている。
  新しいサービスについても、企業との提携といったビジネス的な部分よりも、顧客満足度が高いサービスをいかに構築していくのか、技術力が求められる時代となっている。
商用インターネット技術史:(2)2001〜2008
商用インターネット技術史 IT技術史
2001
リクルートと米オールアバウトの合弁企業であるリクルート・アバウトドットコム・ジャパンが、情報発見サイト「All About Japan」(現All About)を開設(2月)
人力検索サービス「はてな」がサービス開始(7月)
ソフトバンク、ブロードバンド接続サービス「Yahoo! BB」を正式スタート(8月)
「通信利用動向調査」(総務省による調査)で日本のインターネット人口は5593万人で、総人口の44%に(12月)
ICカードを組み込んだ電子ナンバープレート公開実験
小泉内閣が発足/聖域なき構造改革、骨太の方針
米グーグル社日本法人設立
G-XMLのJIS化完了
2002
W3C、「XHTML 1 Second Edition」を勧告(8月)
W3Cが障害者用Webブラウザ開発の指針として「UAAG 1.0」を勧告。 「通信利用総合調査」(総務省による調査)で日本のインターネット人口は6942万人で、総人口の54.5%に(12月)
みずほ銀行、システム統合でシステムトラブル
住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)が稼働
2003
BBテクノロジー、ADSL回線による放送サービス「BBケーブルTV」の試験サービスを開始(1月)
米アップル、インターネット上の音楽販売サイト「iTunes Music Store」をオープン(4月)
六本木ヒルズ開業
日中韓連携の「OSS推進協議会」発足
2004
ソーシャルネットワーキングサービス「mixi」がサービス開始(2月)
ソーシャルネットワーキングサービス「GREE」が個人サイトとしてサービス開始(2月)
GMO、ブログサービス「ヤプログ!」のベータ版の提供を開始(6月)
ライブドア、プロ野球球団近鉄を買収する意向であると発表(6月)
楽天のプロ野球参入が認められ、新球団「楽天ゴールデンイーグルス」誕生(10月)
Webブラウザ「Firefox1.0」の正式リリース開始(11月)
「通信利用動向調査」(総務省による調査)で日本のインターネット人口は7948万人で、総人口の62.3%に(12月)
知的財産基本法施行
サイバー犯罪条約を批准
アテネオリンピック開催
スーパー大手のダイエーが産業再生機構に支援を要請
新潟県中越地震発生
ICカードと電子マネーの利用が本格化(Suica、ETC、キャッシュカード、住基カードなど)
2005
アップル、日本での「iTunes Music Store」の提供を開始(8月)
YouTube、米国で正式にサービスを開始(12月)
「通信利用動向調査」(総務省による調査)で日本のインターネット人口は8529万人で、総人口の66.8%に(12月)
JR福知山線脱線事故
電子文書法施行
みずほ証券、ジェイコム株誤発注で約400億円の損失
2006
ライブドア、当時の社長であった堀江貴文氏が逮捕(1月)
スカイプが、「Skype In」を日本国内で提供開始(2月)
経済産業省IT戦略本部が「IT新改革戦略」「重点計画2006」を策定
2007
Yahoo! Japanの5月期のPV数が米Yahoo!のPV数を抜き世界でトップに(6月)
Windows Vista発売
2008
NTTドコモ、Googleとの提携を発表(1月)
 
Part2 2人のエンジニアが語る、ポータルサイトの黎明期
1997年、技術部門がわずか3人だったインフォシーク
 ポータルサイト誕生当時、エンジニアはどのようにサイトを支えたのか。1996年にサービスを開始したヤフー、インフォシークにかかわった2人のエンジニアに当時の状況を聞いてみた。

  まず、サービス開始の翌年にインフォシークに入社し、現在はKVHでシニアコンサルタントとして仕事をしている廣木秀典氏。現在は楽天の部門のひとつとなっているインフォシークだが、廣木氏が入社した1997年当時は、米インフォシークとデジタルガレージの合弁企業。検索エンジン「ウルトラシーク」など米国発の技術を利用しながら、インターネットベンチャーらしい雰囲気をもった企業が当時のインフォシークだった。
廣木秀典氏
廣木秀典
KVH株式会社 マーケティング&ソリューション本部 ソリューション部 ITソリューショングループ
シニアコンサルタント

「インフォシークに入社前は、マルハのシステム子会社でメインフレームのエンジニアとして働いていました。同じエンジニアの仕事とはいえ、インターネットはまったくの初心者でした。しかし、技術部門はインフォシーク事業部所属のイギリス人上司と、デジタルガレージ所属のウルトラシーク担当技術者の米国人のなかに私が加わり、3人体制で技術全般を担当していました。イギリス人と米国人のスタッフといっても、米国本社から派遣されたわけではありません。2人とも子どものころから日本で育ち、デジタルガレージの創業者である伊藤穰一さんと同じインターナショナルスクール出身者でした」

  少ない人数でサイト運営を担当するとあって、廣木氏は実践の中で必要な技術を学んでいったという。
「HTMLをはじめ、Java、Perlといったコンテンツ作成に欠かせない技術については、『自分で勉強しておいて』といわれ、ほぼ独学でした。HTMLは書くこと自体は難しいことではありません。ただ、正しく書くにはそれなりの技術知識が必要です。特に1997年当時は現在のようにブロードバンドが普及していたわけではありません。ネットワーク帯域が不十分な中、いかにサイトの表示スピードをアップするのか、タグの組み方ひとつでスピードに大きな違いが出るだけに、上司からの指摘はいろいろと勉強になることが多かったですね」
ノリのよさと地道な運用が高い評価に
 当時のインフォシークがベンチャー企業らしい雰囲気をもっていたことを示すエピソードが、1999年に実施された東京都知事選をサイト上で実践したこと。サイトに候補者を紹介し閲覧者に投票してもらう、いわばインターネットの世界で模擬選挙を行ってしまうサービスである。現在のような規制がなかったことから実現したものだが、「面白そうだ!ということで社内が盛り上がり、即サイト作りを進めました。サイトを作ると、予想以上に反響があって戸惑いもいろいろありました」と廣木氏は振り返る。
  NTTドコモがiモードをスタートした際にも、「当時は公式サイトに選ばれるまで時間がかかったので、非公式サイトを1週間で作りましたが、お客さまの食いつきはよかったです」という。

  もっとも、顧客の支持を受けたのは、ノリのよさが評価されただけではないと廣木氏は指摘する。
「サーバーダウンするサイトも多い中、インフォシークはなかなかダウンしなかったんです。これは地道な運用に気を配るスタッフがいたからです。私自身、レガシーシステムの運用からエンジニアとしての仕事をスタートしています。オープンシステムになり、『トラブルがあったら捨てればいい。発生してから対処する』と考えられがちですが、これは決してよいことではない。オープンシステムであっても、レガシーシステム同様、地道な運用管理を行うからこそサービスは成立するのだと思います」
1999年、ヤフーでさえ巨大サイト運営の経験値を重ねる途上だった
 現在もヤフーのエンジニアとして働く平田源鐘氏は、1999年6月に同社に入社した。インフォシークに比べると会社らしい雰囲気があるように感じるヤフーだが、入社当時のヤフーにはやはり文化祭のような雰囲気が漂っていたそうだ。

「それまでコンピュータメーカーで社内LANの構築などを担当していましたが、インターネットに関しては素人も同然だったと思います。データセンターに増設用サーバーをタクシーで届けるといった雑用から始まり、最初の3年間はデータセンターを担当しました。当時は現在とは違い組織もきちんと固まっていませんでした。まさに学校の文化祭のようなお祭り騒ぎの中、仕事をしていた覚えがあります」
平田源鐘氏
平田源鐘
ヤフー株式会社
システム統括部 開発2部 部長

 ポータルサイトというもの自体が確立していない時代だっただけに、「サイト運営」自体が手探り状態で行われていた。
「『どんなにアクセスが集中しても、トップページは落とすな!』――これが社内の合言葉でした。当時はサーバーの性能自体も現在と比べると貧弱で、メモリも少なく、サーバーへの負荷が高まるとサーバーダウンということも珍しくありませんでした。しかも、Yahoo! Japanのトップページほどアクセス数があるサイトはほかにはない状態です。
  もちろん、米国ヤフーのノウハウが参考になる部分もありましたが、『日本独自サービス』も多かっただけに、すべてが参考にできたわけではありません。経験値というものが存在しない中、すべて手探りでサイト運用が進められていました。
  サイト運用がうまくいく魔法のような方式があるわけではありません。結局は小さなナレッジを積み重ね、改善の方法を模索していくしかない。例えば、『アクセス負荷に耐えられるよう、OSのネットワークバッファを調整する』といった、経験によってわかったことを積み重ねていく。思ったようにパフォーマンスが出ないのであれば、自作のベンチマークソフトでいろいろと試してパフォーマンスを出す。こういう地道な積み重ねを続けていくしか方法はありません」
細かなナレッジの積み重ねがサイト安定を実現する
 ヤフーでは2003年に事業部制が導入され、組織だってソフト開発が進められるようになった。サイト運営ノウハウもいろいろと蓄積されてはいるが、「サイト運営にかかわる根本は黎明期も今も大きく変わりはない」と平田氏は指摘する。

「ヤフーのサービスが生活に密着したものになっていますから、サイトを安定して運営することの重要性は、現在はさらに増していると思います。そのための対処法も、魔法のやり方があるわけではないという点も、現在も一緒です。さまざまな技術や手法が登場して大幅に改善した部分もありますが、黎明期でも現在でも、安定したサイト運営を実現するためには、地道にいろいろと手を打っていくことが重要なのです」
  膨大なアクセスを集めるポータルサイトは、こうしたエンジニアの地道な活動があって成り立っているのである。
「No tech No life 〜この技術とともに在り〜」は今回で終了です。新たな「技術史」連載として、7月17日から「技術史の『現物』が見たい!〜企業博物館・資料室探訪〜」(仮題)を掲載します。
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根村かやの(総研スタッフ)からのメッセージ 根村かやの(総研スタッフ)からのメッセージ
私が初めて(パソコン通信と兼用ではない)インターネットのメールアドレスを手に入れたのは、廣木氏がインフォシークに入社した97年。平田氏がヤフーに入社した99年には、仕事の場が紙=雑誌からWebコンテンツに広がろうとしていました。インターネットが「誰でも使える」ものになっていった16年間を振り返ると、この技術が、私を含む人びとの仕事や生活を変えてきたことを改めて実感します。あなたにも、「あのときインターネットが……」という思い出がきっとあるのではないでしょうか。

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