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我ら“クレイジーエンジニア”主義 vol.27 世界で初めて白色有機ELの開発に成功。世紀の仕掛け人・城戸淳二
1993年に世界で初めて白色有機ELの開発に成功した城戸淳二氏。研究成果は「サイエンス」に掲載されるなど注目を集め、その後の製品化の道を切り開いた。大型化、多方面への応用なども提唱した有機ELの権威として、世界の研究者から知られる人物だ。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/関本陽介)作成日:07.12.11
クレイジー☆エンジニア
山形大学 教授
城戸淳二氏
デジタルカメラや携帯電話をはじめ、今やさまざまな製品で使われ始めている有機EL。2007年11月にはソニーが最も薄い部分の厚さが3mmという有機ELテレビを世界で初めて発売、先行予約であっという間に品切れになるなど、大きな話題となった。有機ELディスプレイの特徴は、液晶のようなバックライトが不要なこと。数mmという極限の薄さで折り曲げも可能。しかも低電力で視野角も広い。まさに夢のディスプレイ、なのである。 だが、15年前までは実用化の見込みがなかなか立たなかった。そして1993年、この状況を一変させるニュースが世界に衝撃を与える。実現不可能と言われていた白色の有機ELの開発に、成功した人物が現れたのだ。それが城戸氏。今や有機ELの世界的権威として知られる。大阪に生まれ、早稲田大学理工学部へ。だがその入学は、21歳のときのことだった。
名前が城戸君なんだから、テーマは希土類にしたら
 実家はプラスチック成形工場を営んでいました。子どもの頃からモノづくりの現場を見ていましたし、プラモデルやら図画工作やら大好きでしたね。それで漠然と理系の方向に進むんやろな、と思っていました。どちらかというと建築とか、機械とか、目に見えるモノを作ることに興味があったんです。そうなんです。今の化学とは、まったく正反対なんです(笑)。

 実は早稲田は2度目の大学でして。最初の大学では、機械工学を専攻していました。子どものころは勉強が嫌いでして。そもそも、人に何かをやらされるのが嫌いだったんです(笑)。自分でやろうと思っていても、人にやれと言われたらやらない。言われると、逆の方向に行きたくなってしまう。そんな性格(笑)。それで受験勉強なんてほとんどせずに入れる大学に入ってしまったんです。

 ところが、本当にこれでいいのか、と思うようになりました。自分の能力や才能を試すことなく、必死になることもなく進んだ大学に、自分は本当に納得しているのか、と。それでやめて、もう一度、受け直すことにしたんです。今度は必死に勉強して。それで早稲田に入ったのが21歳。でも、面白い大学でね。同じくらいの年齢の新入生がごろごろいるんです。面白いと思いました。同じような人間が集まるんじゃなくて、優秀な現役生から、私みたいなええ加減なモンまで幅広い。こういう社会は、活性化するんだと思いましたね。

 ただ、3年も遠回りして、親にはさんざん迷惑をかけてましたから、申し訳ないと思いまして。もしかしたら将来、家業にも役立てるかもしれない専攻をしとこうと化学を専攻したんです。もともと機械やデザインが好きなんですから、興味が出るはずもない。やっと入った大学でしたが、スキーと麻雀とバイトであっという間に3年たっていました(笑)。

 転機は4年になって、高分子の研究室に入れてもらったこと。ここで研究の面白さを知るんです。予想した結果が出てこない。世界の誰もやってないことをやれる可能性がある。なんだ、化学も捨てたもんじゃないな、と。それに4年で気づいた(笑)。そんな私に研究テーマを決める打ち合わせで、担当教授がひと言。「名前が城戸君なんだから、テーマは希土類にしたら」。本当です(笑)。でも、やっと入れてもらえた研究室。しゃあないな、と。でも、この思いもよらない専攻が、自分の運命を変えることになるんです。
危機感がなければ、本当の力なんて出てこない
 とにかく勉強してなかったですから、基礎もない。それで、このまま卒業したらアカンと修士に進もうと思いました。ところが先生が、「お前みたいな勉強してないヤツは、アメリカに行ってゼロからやり直せ」と。優秀だからアメリカではなく、勉強してないからアメリカで再出発しろ、と。先生が知り合いを紹介してくださって。ここからの5年間は、それはもう壮絶でした。3年間のブランクを取り戻して、かつ最先端の研究をしながら修士と博士も取りました。

 アメリカでは、イオン交換樹脂を作る希土類イオンと高分子材料の基礎研究をしていた先生についていました。幸いにも、日本の研究室でも同じような物質を扱っていました。でも、幸いだったのはこれだけ。最初は半年もいれば、英語もペラペラだろうと思ったら、まったくそんなことはない。まず講義についていくのが難しい。しかも、修士に進むにはすべての単位で優か良しか許されない。さらに、博士候補生の試験は、学期の途中にあって、チャンスは2回しかない。まわりは、世界中から集まっている学生。中国からの留学生なんて、当時は1万人に一人といわれていました。そういう連中と戦わないといけない。まさにサバイバルです。

 でも、だからといってノコノコと日本には帰れない。こういうせっぱ詰まった状況になると、馬鹿力が出るんです。人間というのは弱い。だから、強くなる方法はやらざるを得ない環境に身を置くしかないと思いましたね。何も危機感がなければ、本当の力なんて出ない。力も伸びない。実際、全部英語で書かれた5cmの厚さの教科書だってスラスラ読めるようになる。ただ、目はずいぶん悪くなりましたけど。日本では全然、悪くならなかったのに(笑)。

 勉強することだけじゃなく、もともと苦手だったプレゼンテーションなど、一つひとつを乗り越えていった5年間でした。まさに生まれ変わったんです。絶対に無理や、と思っていたものも乗り越えたわけですから。その体験がハードであるほど、自信は深いんですよね。ましてや、日本ではできない体験でしたから。

 博士課程が終わったら、ベル研究所やIBMなどで研究員になるつもりでした。ところが、ある日、突然ニューヨークの下宿に日本から電話がかかってきまして。大学の恩師でした。助手を募集している大学があるが、と。最初は断ろうとしましたが、自分を生まれ変わらせてくれた恩師に報いたい気持ちもありました。それでお受けすることにした。そして、山形大学に来ることになったんです。
これができたら、世界が変わるかもしれない
 実は最初は、3年で出ようと思っていました。田舎の大学ですし、教授の手伝いの助手なんてまっぴらだと思っていましたから。やりたい研究をしていい、ということだけが救いでした。ところが、その間に有機EL研究がどんどん進んでしまって。

 有機ELとの出合いは、アメリカの最後の年でした。研究室には、蛍光性をもった希土類のプラスチック板がたくさんありましてね。手にしていて、ふと思ったんです。これを電気で光らせることができたら、世界は変わるんちゃうかな、と。それこそ子供みたいな発想です。調べてみたら、原理を考えた人がいて、1963年に論文になっていました。先生に話をすると、論文を書いたマーティン・ホープ氏を知っているという。紹介してもらって会って、原理をじかに解説してもらいました。まったくわかりませんでしたが(笑)。

 ただ、やっぱり面白いなとは思ったんです。それで希土類化合物を溶剤に溶かしてガラス板の上に塗布する材料などの研究を始めて。当時はまったく、うまくいきませんでしたけど。ただ、もしこれが実現したら、薄いディスプレイにもなるし、何にでも応用ができる。すごいな、と思ったんです。実際、世界では企業や大学など、20グループくらいが研究を進めていたことを後に知りました。

 いずれは有機ELの研究を。そんな思いをもちながら、山形大学に赴任して驚くことになりました。化学系の学科でしたから合成の設備はありましたが、素子を作るために必要な真空蒸着機も輝度計測機もなかった。それこそ、あったのはフラスコくらいで(笑)。でも、ないなら借りてくればいいか、と(笑)。

さらに当時の助手にあてがわれた研究費は、大学院生と同等かそれ以下。でも、これも文句を言っていても始まらない。企業や財団の公募に応募したり、国の科学研究費を申請したりしました。申請書はしょっちゅう書いてましたね(笑)。それで手にした資金で装置を購入するなど、コツコツと設備も作り、研究も進めていったんです。

 そのうち、世界中からいろんな研究成果が出始めました。それこそ世界の総力戦です。化学的なアプローチも、電気的なアプローチも、機械的なアプローチも。そして、論文が集まって、それを読んで、また次に挑んで。お互いに切磋琢磨する環境ができたんです。
有機ELのもとになったプラスチック
 
有機ELとは、石油から作られたプラスチックや合成繊維といった高分子化合物などの有機物を素材に、電流を通して自発光させる発光素子。ELは、エレクトロ・ルミネッセンスの略。有機物自体が発光するため、ディスプレイに使う場合、これまでの薄型が主流だった液晶のようにバックライトを必要としない。そのため、極限の薄さが可能になる。液晶やPDP(プラズマ・ディスプレイ・パネル)に替わる夢の次世代ディスプレイになる、という期待の声は大きい。実用化による市場創出は、ディスプレイ市場で14〜15兆円、照明市場で6000億円が見込まれている。
白色発光有機EL素子
 
1993年、高分子中に赤、緑、青の蛍光色素を分散して発光させることにより、有機EL素子において、世界で初めて白色発光を得た。95年には、赤、緑、青の蛍光色素を真空蒸着法で積層することにより、白色発光を得ることに成功。その後、新規材料の開発や低電圧化技術、新規素子構造の開発を経て、実用化レベルの白色発光素子の開発に至った。城戸氏が有機ELの権威と世界から呼ばれるゆえんは、白色有機ELの開発に成功したことばかりではない。当時の常識では考えられなかった大型化への取り組みと実践、さらには照明という新しい用途への応用を発想したこと。SF映画で見たフィルムのようなディスプレイ、壁面全体が光る照明など、夢の技術の開発が今進んでいるのだ。
書籍
 
城戸氏の誕生日は2月11日。エジソンの誕生日と同じだという。そんな偶然もタイトルに一役買ったのか、2006年には著書『日本のエジソン城戸淳二の発想〜成功は成功を呼ぶ〜』を上梓している。前年には、あの青色発光ダイオード開発で知られる中村修二氏との共著『突然変異を生み出せ!』も発刊。現在は、大学教授としてだけではなく、2003年にスタートした山形県産業技術振興機構 有機エレクトロニクス研究所の所長も務める。その研究費は、実に40億円。ディスプレイだけでなく、トランジスタや太陽電池、メモリーなど、多くの有機デバイスが研究されている。当初のフラスコだけの状況からは、想像もつかない規模になっている。
 当時の有機ELは、国内でも研究している企業はごくわずか。効率性やコストの問題も含めて実用化の見込みはまったく立っていなかった。当然、関心は今からは想像もできないほど低かった。城戸氏はアメリカに数カ月間、行ったきりの状態で研究を続けたこともあったという。学生をつけて研究ができるようになったのは92年から。そしてこの翌年、世界初の白色有機ELの開発に成功する。
 高効率の白色有機ELは、白のベースにカラーフィルターを張り付けることで、格段に低コストで高効率のディスプレイが実現できるだけでなく、面発光という特性を利用した照明器具としての新しい可能性も見出せた。研究成果は学術誌『サイエンス』に掲載。ウォールストリートジャーナルの1面も飾った。そして城戸氏は以後、国家プロジェクトの立ち上げ、山形有機エレクトロニクスバレー構想の提唱など、サイエンティストの枠を超えた活動を進めていく。
 
無から有は生まれない。考える続けること
 当時は青や赤、緑を単色で光らせるのがやっとの時代。白色は実現不可能だと言われていました。ところが、実験の過程で偶然、白っぽい発光が得られたんです。どうして白っぽくなったのか。それを逆算していくと、「白は絶対に出ない」という当時の常識が、実は正しくなかったことがわかりました。考え方が、間違っていたんです。新しいことをやるときには、常識にとらわれてはいけないと、このとき改めて認識しました。

 では、なぜ常識外れの結論が出せたのか。それは私たちが化学屋だったからかもしれません。理論、理論でやっていくと、実はあまり新しいことは出てこないんです。理論を飛び越えるようなことこそ新しいもの。ブレークスルーは非常識なところにあるんです。化学屋は、とにかく作ってみようとします。しかも、いろんなことをやる。さらに私が重視していたのは、人がやっていないことをすることでした。

 科学者は、自分がもっている強みを認識し、それを使って人のやっていないことに立ち向かっていかなければなりません。それが、オリジナリティを生むんです。人と同じことをやっていては絶対にトップにはなれません。もちろん、人と違うことをやるのは大変です。だから、いろいろな興味をもつようになる。自然にアンテナが高くなる。そうすれば、いろんな切り口が見つかる。私もそうでした。パラレルでいくつもの切り口の研究を進めていました。だから結果的に、研究が行き詰まることはありませんでした。

 結局、ブレークスルーをつかむには、考え続けることしかないんです。エジソンも、ニュートンも、きっと考え続けていたから、あれほどの偉業を達成できたんだと思う。どんなことでも、まっさらな状態で見てみれば、「あれ」「おや」と思うことが絶対にある。それを一つひとつ疑問の引き出しに入れていくんです。そして常に考えておく。頭の片隅に置いておく。そうすれば、まったく関係のないミーティングでいきなりヒントが浮かんだりするんです。人と会っていて、びっくりするようなアイデアが浮かんだりする。

 物事の解答というのは、ひらめくものではありません。無から有は生まれない。常に疑問の引き出しに入っていて、それを「なんでやろ」「ああしたらどうやろ」と考えているから浮かぶんです。だから、考えない人間には、何も生まれないということです。
実力以上のことが、人間には必ずできる
 もうひとつわかったことは、成功は成功を呼ぶのだ、ということです。93年から環境が変わって、共同研究をしたいという企業からたくさんの申し出をいただきました。優秀な、モチベーションの高い企業の研究員の方々と共同研究する機会を得ました。そうすると当然、成果が出る。ひとつの研究成果が、新たな成果を呼ぶ。するとまた、共同研究が増えていった。

 大事なことは成功することです。それは小さなものでもいい。自分なりに達成感のある成功を味わうこと。それが次の成功を呼ぶ。そのためにも、自分の今の能力のちょっと上にある目標を設定することが大切です。そして、頑張る。この体験が、今の若い人には足りないように思える。重要なのは、目標を自分で決めることなんです。人から与えられた目標ではダメ。それでは頑張れないから。

 例えば、研究者として目標をもつ。でも、研究費も設備もない。人から与えられた目標だったら、文句を言うだけです。費用もない、設備もない。でも、自分で決めた目標だったら、やるしかないんです。真剣になる。本気になる。そうすれば、費用や設備をどうするか、知恵をめぐらせます。自分の能力をフルに発揮させようとします。ところが、自分で目標をつくっていない、こういう機会がない。本気でやったら、人間はできるんです。今もっている力を、最大限に出せる。120%の力だって出る。実力以上のことが、人間にはできるんです。それを私は強く言いたい。本当にそうだから。そしてそれは、専門や枠組みやポジションさえも越えてしまうから。

 山形大学に来たばかりのころは、それこそ端から見ればクレイジーだったかもしれません。徹夜の実験なんて普通でした。助手時代は独身でしたから大学に住んでいたようなもんで(笑)。午前3時、4時は普通の時間。それから仮眠をとって出張に行ったりする。

 かわいそうだったのは、助手に付き合わされた学生でした。今も覚えているのは、仮眠を取って朝7時ごろに出張に行こうとしたら、コンビニでサンドイッチを買っている学生に出くわしまして。「お前も早いなぁ」なんて声をかけたんですが、後で聞いたら帰るところだった(笑)。いや、本当に申し訳なかった。

 ディスカッションもよくやりました。午前2時、3時まで連日、侃々諤々(かんかんがくがく)。方向性が出たので、明日からやろうと解散したら、朝8時半くらいに電話がかかってきまして。会議の方向性をどうしても試したくて、あれから実験に向かった。できたので見てほしい、と。あのころの学生は、本当に熱意があった。熱意は伝わるのかな、と思いました。それ以上に彼らも面白かったんでしょうね。研究そのものが。
入ったときのモチベーションが未来を決める
 今とりわけ大事にしていることがあります。それは、中学生や高校生に、私たちの研究を見てもらうことです。科学の面白さ、未来の可能性を知ってほしいという思いもありますが、それ以上に目標をもってほしいと思っているからです。ここ数年、私たちの研究室にも、有機ELの研究がしたくて山形大学に入ってくる学生が出始めました。彼らのモチベーションは、驚くほど高いんです。そして、研究室に入る前の1年、2年でしっかり基礎を身につけてきている。これも、目標があるからです。

 一方で、偏差値が自分に合うから、という理由で大学を選ぶ学生もいます。そこには目標はない。ここで圧倒的な違いが生まれます。モチベーションです。やりたいことがあって、それに向かっている学生と、何もない学生とでは、日々の充実感がまったく違ってきてしまうということです。これからの大学に重要なのは、こうした目標をしっかりと自分でもって大学に入ってくる学生を増やすことだと私は思っています。それは間違いなく、未来を変えていくことになると思う。そしてこれは、企業への就職も同じことです。

 もうひとつ、大事にしているのが、今進めている山形有機エレクトロニクスバレー構想です。私はこれを、地域振興のひとつのモデルにしたいと思っています。地域の産業振興といえば、これまでの主流は企業誘致でした。しかし、大企業の工場を誘致することが本当に地域振興になるのかどうか。私はこれまでの産官学連携でも、大企業だけでなく、中堅中小企業にも参加してもらってきました。なぜなら、家業を通じて、日本の中小企業の高い技術力を知っていたからです。大企業を支えているのは中小企業。その構図が日本を強くし、そして豊かにしてきた。

 ところが、この構図が揺らいでいる。大企業は海外に活路を求め、研究開発能力のない中堅中小企業は苦戦している。私はそうした中小企業をきちんと組み入れた地域振興を目指しています。もともと米沢市には、有機ELにも関連し得る技術力のある大企業、中小企業がたくさんあった。だから、有機ELを使ったバレー構想を提唱したんです。地方にもオリジナリティが必要です。そしてオリジナリティを活かした形で地域振興ができることを証明したいんです。

 これからの科学者やエンジニアには、これまで以上に大きな可能性があると私は思っています。活躍の場は世界中にあります。起業する道もある。大学教育の場でも求められてきている。だとするならば、その可能性を、そのチャンスを手にしようとしている人は、頑張らなければいけない。そういう人が頑張ることで、また新しい人が理系の世界に入ってくる。新しいチャレンジに挑むようになる。それこそ、国を変えることだって、できるんですから。
バレー構想
 
有機半導体産業の集積を目指した城戸氏提唱の山形有機エレクトロニクスバレー構想の中核研究開発拠点が有機エレクトロニクス研究所。山形大学工学部と連携しながら、バレー形成に向け、研究開発と産業の集積を2003年から3フェイズで段階的に進める構想だ。最初の7年間では、有機ELパネルの実用化技術の開発に主に取り組み、同時に有機白色照明の実現を目指す。次の5年間では、有機EL白色パネルの普及とともに、ほかの有機デバイスの実用化技術の開発を推進、企業誘致、ベンチャーの創出と産業を集積。次の5年間ではほかの有機デバイスの実用化や、山形を100社が集まる産業の集積地化を目指す。
照明
 
  ディスプレイデバイスとしてメジャーになりつつある有機ELだが、その可能性はディスプレイにとどまらない。例えば、有機白色照明。照明にはすでに蛍光灯がある、と考える人がほとんどかもしれないが、すでにEUでは蛍光灯の水銀を規制するなど、環境問題対応などで新しい動きが出始めている。城戸氏が注目するのは、その産業としての裾野の広さ。「照明パネルが実用化されれば、中小企業にぴったりの製品になる。マーケットがちょうどいい規模。しかも、少量多品種が求められるという点も中小企業向き。セル生産など、中小企業のもつさまざまな強みが生かせる商品になると思う」。
講演風景
 
世界に知られる権威だけに、講演に呼ばれることも多いが、その領域は有機ELにとどまらない。「バレー構想に関心をもっていただいて、地域の活性化をテーマにした講演で呼ばれることもあります。また、教育者として話してほしい、と言われることも増えてきました。中学生や高校生の前で話をすることもありますし、目の前に中学校の校長先生がズラリ、なんてことも」。軽やかな関西弁で笑いを取りながら語る姿が目に浮かぶ。「教育では、読み書きソロバンの基礎をきっちりやっておくことを伝えます。あとは個性を伸ばす創造教育をすること。教える側にも努力が必要なんです」
profile
城戸淳二
山形大学 大学院 教授
理工学研究科 有機デバイス工学専攻

1959年、大阪府生まれ。84年、早稲田大学理工学部応用化学科卒。89年、米国ポリテクニック大学大学院の博士課程を修了し、同年山形大学工学部高分子化学科に助手として赴任。93年、世界初の白色発光有機EL素子の開発に成功。95年、助教授。2002年教授。同年から始まった経済産業省・NEDOによる有機EL国家プロジェクト「高効率有機デバイスの開発」のプロジェクト研究総括責任者。03年から、有機エレクトロニクス研究所所長。有機ELの研究・開発の第一人者として教鞭を執る傍ら、複数の産官学のプロジェクトのリーダーを務め、有機ELの事業家を推進する中心的役割を果たしてきた。特許は申請中のものを含め、100を超えるという。米国情報ディスプレイ学会特別功績賞受賞など、受賞多数。
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宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ 宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ
子どものころは勉強が大嫌いだった、でもやりたいことの目標が定まってからは必死に勉強して、世界初の発明をするまでに至ったんだと、軽快な大阪弁で語ってくれた城戸先生。もちろん、それはおそらく普通の努力ではなかったろうなぁと、しみじみお話に聞き入っていました。明確に自分が作りたいものを目標にもった学生を増やし、地元企業を盛り上げるバレー思想、どれもモノづくり立国ニッポンを盛り上げていくことでしょう!心から応援したいです!

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