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我ら“クレイジーエンジニア”主義 vol.24 今秋、ロシアに続きインドから打ち上げる!10cm角の超小型人工衛星を開発した松永三郎
大学の研究室から宇宙へ、10cm角の超小型人工衛星「CUTE-1」を2003年に打ち上げ、世界的に大きな話題となった東京工業大学の松永研究室率いる松永三郎氏。2006年2月には2号機の打ち上げに成功。半年以内に、3号機が打ち上げられる計画だ。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:07.07.11
クレイジー☆エンジニア
東京工業大学准教授
松永三郎氏
学生が研究開発を手がける一室では、モールス信号が鳴り響いていた。研究室で学生たちが作り上げ、すでに宇宙へと飛び立った超小型人工衛星の状況も、ここで把握されている。10cm×10cmのキューブ形、重さわずか1kgという世界最小の1号機の打ち上げからはすでに4年が経過。宇宙の環境がもたらす超小型衛星への影響など、さまざまな貴重なデータを地球上にもたらすことになった。06年2月には2号機の打ち上げに成功、さらに07年秋をめどに3号機の打ち上げが予定されている。ロケット開発、人工衛星といえば、数十億円から数百億円という巨額の費用がかかるビッグプロジェクト。関わることのできる人は一部の人たちに限られる。ところが大学の一研究室が、学生が、自ら作った人工衛星を打ち上げたのだ。世界中から百件以上の取材が押し寄せたという。一体どんな人物がこの驚愕の“クレイジー”なプロジェクトを遂行したのか。待っていたのは、意外な素顔をもつ人物だった。
狙っていたわけではない。気がついたら今があった
 将来、科学者になるんだとか、研究者になるんだとか、実はそういう強い思いをもってやってきたわけではないんですよね(笑)。ましてや、自分が人工衛星を打ち上げるプロジェクトを率いるなんて、夢にも思いませんでした。なんとなく行く先々で、次の道が用意されていて、僕でもいいんですか、と聞いてみると、いいんだと言ってくださる先生ばかりで。気がついたら今があったんです。

 子供のころも、友人が飛行機の模型を作っているのを参加するのは好きでしたけど、自分からみんなを引っ張って、なんてこともなかった。むしろ魚を釣ったり、ザリガニを捕ったり、田舎でいろんな遊びをしているのが楽しくて。勉強も好きとはいえないし、努力をしないといけない暗記物は嫌いでしたし(笑)。

 親に聞けば、小さいころから天文関係の本などを見ていたようですが、僕自身にはそれほど記憶はないんです。ただ、大学は地元の国立大学に、という親の希望で志望大学の学科を見ていたら、航空学科というのを見つけましてね。このとき、ふと思い出したんです。小学校で書いた10年後、20年後の夢の絵が、ロケットエンジニアだったことを。それで航空学科に行ってみるかと。面白そうだなとは思いましたが、将来についてはまったく考えていませんでした。実際、大学に入ってから、最も夢中になっていたのは、ギター・マンドリンクラブの活動でしたから(笑)。

 ひとつの転機になったのは、宇宙関連の研究室で流体を専攻したこと。これが、いろんな意味で、ちょっと違うな、と思いまして。学部を出たら、別の大学の大学院に行こうと考えたんです。それで、東京大学の大学院に兼担している宇宙科学研究所に行って宇宙構造物を学びました。ここで宇宙と真剣に向き合っている人たちとたくさん出会えたんです。

 修士を終えて、博士に進んでも、まだ就職する気なかった。すると、東京工業大学で宇宙関係の講座ができることになって客員助手の口が見つかって。6年して海外留学でもしようかと思っていたら、教授が突然退任されることになり、研究室を任せたと言われて。そして、予想もしなかった超小型人工衛星作りが始まったんです。
こんなに厳しい分野になぜ惹かれるか
 航空、宇宙分野というのは、開発に対して非常に厳しい分野です。成功への道筋がきちんとしていないと絶対に前には進めない。「ロケットを作りました、実験しました、残念ながら落ちました」ではすまないからです。そこで、プロセスまで含んだうえで予測して、綿密に理論を組み立てる必要がある。打ち上げなどの本実験の前に、徹底的な解析と基礎実験が必要なんです。しかも、巨額の費用がかかる大がかりなプロジェクトがほとんど。一筋縄にはいかない、本当のシステム工学が必要とされる。さらにいえば、これは大学に入って言われたんですが、「航空学科を出たからといって、飛行機が作れると思うな」と(笑)。実際、日本で自前で飛行機を作っているところはほとんどない。かつては花形分野であり、アメリカなどでは派手な大分野ですが、日本ではなんとも地道な分野。ずっと不遇の時代が続いています。

 ところが大学院、宇宙科学研究所に行くと、本当に宇宙科学を実践しようという人たちがたくさんいた。ものすごいエネルギーをかけてやっているんです。そもそも宇宙工学はフィールドが膨大です。あらゆる学問が関わる。ところが、ロケットの研究開発に従事している人たちにしても、打ち上げ時のほんのわずかな時間でミッションの遂行を求められる。部品数にして数十万から数百万以上。それを、完璧に動かさないと失敗してしまう。不具合になったとしてもバックアップする機器が動くシンケーシャルな仕組みも必要になる。

 そして打ち上げは一発勝負。ロケットの打ち上げを見たことのない人は、一度ぜひ見てほしいと思いますが、打ち上げ時のエンジンは、普通に見たらあれは爆発なんです。ある意味では、破壊現象なんです。爆発の一歩手前のギリギリのところを制御して打ち上げている。もちろん予行演習なんてない。これがどれほど難しいものか。

 さらにロケットに乗り、宇宙に上がると切り離される人工衛星は、その爆発的な振動に耐え、さらに宇宙空間に出れば空気もない環境に耐えなければならない。熱の出入りも激しく変わり、コンピュータメモリやさまざまな回路は放射線や電磁波の影響も受けて、誤動作しやすい。また、銀河形外からも大きなエネルギー放射がある。そうした環境を想定し、もし不具合が起きても無線通信で情報をやりとりすることで修正していく。しかも10年、20年ともたせないといけません。ロケットと人工衛星という両極端の性格のものを同時に完成させていく。宇宙関連というのは、とにかく大変な分野なんです。
モノが作れなかった教員生活のスタート
 しかもプロジェクトには、電気、通信、機械、科学などのいろんな分野の専門家がミッションをもって集まる。自らのミッションの成功のためにさまざまな要求が突きつけられることもある。これをまとめないといけない。巨額の費用がかかっていますから、成功は当然。もしロケットの打ち上げに失敗したり、人工衛星がうまく作動しなかったりすると、バッシングの嵐です。システム工学の華ともいえるかもしれない。でも、宇宙工学のエンジニアのプレッシャーたるや、生半可なものではない。とにかく厳しいんです。

 それでもなぜこの分野にこだわっているのかといえば、とんでもない高い目標をクリアするという体験は、ほかでは味わえない大きな醍醐味をもたらすから。そして関わっている人全員が、一発勝負に向けて集中していく盛り上がりというのは、ほかにはまずないものだから。そうみんなは言う。そんな宇宙工学の現実と魅力を、僕も大学院以降、だんだんわかるようになっていきました。

 東工大で教える立場になったとき、そんな宇宙工学のもつ、とんでもない難しさもあるけれど、だからこそ成功の喜びが大きいという魅力を、なんとかして伝えられないかと思っていました。でも、実際には緊張感に満ち満ちたプロジェクトに大学が入っていくのは、極めて難しい。それで、宇宙関連の基礎的な機器開発や、既に出来上がっている宇宙システムを用いて学ぶ場を用意していました。スペースシャトルを使った実験も行ったことがありますが、あくまで利用という形。東工大として強調したいモノづくりの要素も物足りないのが現実でした。

 日本機械学会などが主催する衛星設計コンテストにも出品しました。優秀で意欲の高い学生が集まってくれていましたから、研究室は設計大賞を独占して取ったこともありました。でも、賞をもらえばもらうほどむなしさは募ってしまって。面白いアイデアや概念に満ちたミッションを行う衛星の基礎的な概念設計はできても、実際にモノが作れない、と。これは相当に寂しいことだったんです。
Cube Sat ミッション
 
1号機となった、10cm角、重さ1kgのサイコロ型人工衛星「CUTE-I」。太陽電池パドル、3本のモノポールアンテナを展開する基本設計。衛星の加速度、角速度、温度などのデータを地上と送受信できる。「機械が動く適正な温度は摂氏15度から25度。ところが宇宙では、熱収支により、太陽が当たれば摂氏100度から200度にもなりうる。逆に地球の陰になると太陽光が当たらずマイナスになり、その正確な予測は大変難しい。CUTE-I のおかげで、10cm角のサイズの世界最小の衛星が、こういう世界でどんな状況になるのかがわかります。しかも長期的にデータが取れる」。様々な機能を排除し、シンプルな機能に特化したのが、大きな特徴。「太陽電池パドルを入れたのは、機械屋としての意地もありました(笑)。実際には、電力はそれほど必要なかったんですけどね」。余剰の電気はヒーターに回して、搭載電池を温める役割に用いられている。

 
実際に自分たちで人工衛星の稼働に成功した背景には、膨大な量の基礎実験や解析があるのは言うまでもない。「超小型人工衛星が自分たちで作れて、こんなにも早く宇宙に送り出せたのは、企画段階から運用まで、すべて自分たちでリスクが負えたから。大学だからできたことだと思っています」。複雑で挑戦的、しかも一発勝負で結果が決まる超小型人工衛星というプロジェクトを成功させられたことは、日本のモノづくりにとって大きな意義があった。「世界のいろいろな国から日本は追い上げられていると言われています。しかし、部品レベルではそうかもしれませんが、部品ができたらモノができるわけではない。重要なのは、部品をまとめ上げ、ひとつの完成形へと持っていく力。そういうノウハウを学生たちが経験できた。日本には大きなプラスになった、と思っています」。

 
世界最小となった1号機より2倍に大きくなり、06年2月に日本のロケットで打ち上げた2号機の「Cute-1.7 + APD」では、民生部品も利用。PDAを分解して実装。高解像度の映像が撮れるカメラやX線の観測に必要なセンサーを搭載している。早ければ07年秋、遅くとも08年初頭までにインドでの打ち上げが予定されている3号機の「Cute-1.7 + APD II」では、2号機で受けた強い放射線などによる不具合をすべて改良し、機能もアップ。「いろんなことをやろうと考えていますが、実際やろうとすると、あれは難しい、これは難しい、となる。だから、予定が変わることもある。でも、学生主導で、大学でやることだから、こういう研究開発スタイルが許されるんです。しかも、実装できるギリギリの複雑さで統合試験に挑める」。
基礎実験
CUTE1.7
Cute-1.7と分離機構−M-V8に装填
大きな転機が訪れたのは、松永氏が助教授となる前年、1998年だった。アメリカと日本の大学がハワイで共催、日米の教員や学生が集まった宇宙システム工学のシンポジウムで、スタンフォード大学のトィッグス教授からとんでもない提案がなされたのだ。日米で宇宙関連の共同開発をやろう、ついては缶のサイズの衛星を来年までに作ろう、と。当時のアメリカでは、大学が小型人工衛星を作り、ロケットに搭載されて打ち上げるプロジェクトが始まっていた。衛星メーカーの技術者がメンターとなり、優秀な学生が開発に携わるプロジェクトも行われていた。そもそも年間100発以上のロケットが打ち上げられるアメリカ。年1回打ち上げがあるかどうかの日本とは、宇宙システム機器の開発環境にあまりに隔たりがあった。だが、圧倒的に日本より宇宙技術が進むアメリカ側からのこの提案が、日本の学生たちの魂に火を付けることになる。
 
日本は静かな闘志でやる。やると言ったらやる
 今もはっきり覚えています。トィッグス教授の提案に、アメリカ側の教員や学生は、拍手喝采なんです。面白い、やろうじゃないか。ところが日本の教員や学生は、シーンとして(笑)。そんな小さなサイズで、通信機は載せられるのか。電力はいったいどうするんだ。そういうことが、一気に頭の中を駆け巡ったんでしょう。当時、20〜30人の出席者がいましたが、どの顔にも「難しい」という表情が浮かんでいました。

 でもトィッグス教授は本気でやると言う。スケジュールを作り、実際に持ってくれば打ち上げようと。僕は複雑な気持ちでいました。たしかに面白そうではある。しかし、何より缶のサイズではあまりに小さすぎる。自分たちの研究でも忙しい学生に、果たして労力をかけてやる価値はあるかどうか。そもそも、僕自身も衛星を作った経験なんてありません。普通の感覚なら、できるわけがない、という結論になるはずでした。

 でも僕は、学生たちがどう出るか、見てみたかったんです。帰国して、何も言わなかったら、この提案のことは忘れよう。なかったことにしよう、と。ところが、僕を待っていたのは、学生からの「絶対にやりたい」という強い声でした。これは、本当にうれしい声でした。ならば、やってみようじゃないかと。NASDA(JAXA(宇宙航空研究開発機構))をはじめ、省庁、研究機関、衛星メーカーなど、片っ端から話を聞きに行きました。聞かれたほうも困ったと思います。いきなり、缶のサイズでできるかと聞かれても、答えられるはずがない(笑)。それでもたくさんの情報を得て、1年後に缶サットモデルを作って持っていったんです。

 ところが、まともなものを持っていったのは、日本の大学だけでした。アメリカの大学は、面白いとは言ったものの、ほとんど進めていなかった。日本はやると言ったらやるんです。一生懸命モデルを作った。ただ実際、缶はあまりに小さすぎて実現可能性が低かったんですね。それで99年、トィッグス教授は新しい提案をしました。10cm角のものを作ろうと。キューブを重ねて、分離機構に搭載して、宇宙に一気に放出しようと。これは、缶よりもはるかに具体的で実現可能性のある提案でした。この「CubeSat」プロジェクトが、本格的な開発の始まりになったんです。
成果は志気の3乗に比例する
 学生たちは既に缶のプロジェクトで自信をつけていました。勢いがあった。もっと大きな衛星を作りたい、と。もちろん課題は山積です。開発費用もない。実は最初は自腹を切るところから始まりました。学生はアルバイトをしました。そして学生5、6人で始まったプロジェクトは、やがてどんどん大きくなっていきました。

 正直、作れる自信があったわけではありません。研究開発における危機的状況は、それこそほとんど毎日でした。全員が夜中まで奮闘する日々。難問だらけ。でも、僕が何より心配していたのは、難しい課題ではありませんでした。学生の志気すなわち、やる気です。これがストップしたら絶対にできないと思っていました。「成果は志気の3乗に比例する」と言っていた先生がいましたが、本当にそう思いました。そして、自分たちが作った衛星が宇宙に飛び、回っていく光景を想像することだけが、彼らのモチベーションを支えていたんです。

 そして2年。開発以外でも難問の連続でしたが、紆余曲折を経て、たくさんの方々の協力を得て、打ち上げは決まりました。開発は、まさにスケジュールギリギリまで行われていました。1号機の打ち上げは、ロシアのクリニチョフ宇宙センターから。空港から18時間電車に揺られて基地に到着。何が起きるかわからないから、と窒素封入した部品レベルで持っていき、現地で組み立てをしました。代表で行った学生の緊張ぶりを今も覚えています。組み立ての前日、完全に理解しているはずの組み立て手順を何度も何度も確認していました。まったく眠れなかった学生が何人もいました。ここに来られなかった研究室の仲間たちの努力を、みんな痛いほどわかっていたからです。絶対に失敗できない。翌日、無言で必死に衛星と格闘する学生の姿を、僕は生涯、忘れられません。

 ロシアは宇宙大国ですから機器の扱いには慣れています。しかし、完成した超小型人工衛星をロシアのスタッフが触るときには、思わず学生の手が伸びていました。もっと丁寧に扱ってくれ、と言いたかったんでしょう。そのとき、ロシアのスタッフがニヤリと笑いましてね。お前たちの気持ちはわかってるよ、と言わんばかりでした。

 さらに印象深かったのが、MLIと呼ばれる多層断熱材。取り付け方はいろんな方法がありますが、ロシアは布状のものを服のようにして手縫いで付けるんです。ここで出てきたのが、なんと60歳は軽く超えていると思われる老婆。もう何十年も前からこの仕事をしているとのことで、手際よく縫い付けていくんです。ロケットと老婆という組み合わせは、なんとも不思議なものでした。

 ロケットは打ち上げで終わりですが、人工衛星はこれが始まりでもあります。うまく安定して運用できるか、ここからが大変なんです。それこそ打ち上げ後も、2週間くらいはみんな徹夜状態でした。予想もしないいろんな不具合が次々に出てきました。地球の軌道上1周目で異変があれば、約1時間半後に来る2周目で対処しなければなりません。それまでに、研究室内にある予備用に開発した衛星で不具合を再現し、原因を確認し、修正するための方法を考え、次の周回で手を打つ。そうでなければ、死んでしまう可能性もあった。不具合が出尽くし、安定したのは、打ち上げから2カ月を経過したころでした。
反対は、鉱脈を当てた証かもしれない
 超小型人工衛星を作り、宇宙に送り出すというプロジェクトそのものにも意義はもちろんあると思いました。しかし僕は教育者として、学生への教育という観点で、これはとてつもない意義があると思っていました。実際、僕の予想をはるかに超えるものでした。学生たちは短期間で見違えるほどたくましくなったからです。以来、僕はこう思うようになりました。10代後半から20代にかけての時期は、モチベーションが高揚する大きな課題をぶつけて徹底的に負荷をかけてやらなければいけないのだと。この時期の負荷の有無で、その後の成長がまったく違うものになるんです。

 今は衛星づくりを指導というか見守る立場にいますが、これは経過のひとつだと思っています。これから先はどうなるかわからない。人生とはそういうものです。具体的に何をしたらいいかわからない中で、目の前に降ってきたものに取り組む。それしかないと僕は思っています。流れのままに、生きていければいい、と。

 考えてみればこれまでもそうでした。自分がやりたいと思うことと、誰かがやりたいと思うことがかち合ったら、いつも僕は「どうぞ」と言ってきた。それが僕のやり方でした。譲ってから来たものに、乗っていけばいい、と。もしかすると結果的に、この考え方が思いも寄らない運命を開いたのかもしれません。

 ただ単に、やりたいと思うこと自体、誰かがやっているから思うこと、とも言えるかもしれない。そうではなく、自分が本当にやりたいこと、自分の内側から絶対にこれはやるべきだという天命のようなものに、いかに近づけるか。この点こそ、常に自問すべきだと僕は思っています。

 研究室で超小型人工衛星を作りたい、という僕の声に、当初の周りの反応は、「何をバカなことを」というものもありました。オモチャを作ってどうする。宇宙のゴミを増やすのか、とも言われました。その意味では、むしろたくさんの反対があることとは、ひとつの鉱脈を当てたことなのかもしれません。どんなに反対されてもやる。面白い、人類に役立つと思うからやる。そう思えたとき、新しいものが生まれる可能性が出てくるのかもしれない。

 でも、僕が当時もし相談される側だったとしたら、「何をバカなことを」と言っていたかもしれません。実際、リスクもある。自腹を切って開発費に充て、家族の不信を買い、家庭崩壊でもしたら大変です。でも、その点でも僕はラッキーでした。使い道がはっきりしているお金なら使っていい、と家内は僕の自由にさせてくれたんです。家内には本当に感謝しています。良き伴侶を持つことができたことも含めて、僕は本当に運が良かったんだと思っています。
缶サット
 
98年、スタンフォード大学のトィッグス教授が提案した「CanSat」(ジュース缶サイズの衛星)から、松永研究室の衛星開発活動は始まっているが、開発は難航を極めたらしい。「そもそも人工衛星は9割が電気電子の世界。通信の知識もいる。ところが僕らは機械屋。かといって、通信関連の研究室を巻き込んで迷惑はかけられない。そこで学生は通信を初めてすべてを独学でゼロから勉強し始めたんです」。土曜も日曜もない毎日。2年以上かかって「CUTE-1」は生まれた。打ち上げを含めた総費用は約1000万円。「でも、仕事量で見ると簡単に見積もっても7万時間×人はかかっています。時給1000円でも、7000万円。学生のいる研究室だからできたんです」。尚、『CubeSat』には、東工大のほか、東大も参加。宇宙に衛星を送り、正常に動作させることに成功している。

 
CUTE-1が打ち上げられたのは、部品でロシアに持っていった衛星を組み立ててから2週間後。「僕は一度、帰国し、別の学生の視察隊が向かい、日本で打ち上げの時間を待ちました」。打ち上げは日本時間の夜中。学生は泊まり込みで待ったという。「インターネットの回線を基地と1本つなげてもらって、視察隊の学生がチャットで打ち上げの状況を送ってくれましてね。面白かったのは、打ち上げ間近だとはわかっていたものの、ほとんど前触れのないまま、『あれ、打ち上がっちゃった』というメールが来たこと(笑)。日本みたいに、10、9、8とかやらないんですよ。ロケットの打ち上げなんて、慣れきっている国ですから」。

 
やるべきは衛星の開発だけではなかった。「地球から宇宙に放出されるものは、宇宙物体条約によって登録をする必要があります。さまざまな省庁への事務手続きもいる。通信のための周波数帯の割り当て、無線免許も必要です。普通はこれだけで、2、3年かかる。さまざまな紆余曲折、たくさんの方々の支援や協力を経て、ようやく決まったのが、ロシアのロケットを使っての打ち上げだったんです」。途方もない労力をかけて誕生した超小型人工衛星だが、松永研究室は研究開発の過程で得た多くのデータや資料を、衛星開発に挑む大学などに惜しげもなく公開している。「これだけあれば衛星はできるかも、くらいの情報を公開していますが、そんなに簡単なものではない。一発勝負で成功させるためのノウハウは本当に奥深いものがあります。それこそ、これから衛星開発に挑む人たちにじかに体験して身につけてほしいんです。これこそが、本当に大事なノウハウなんですから」。
ロシアでロケット打ち上げ
ロシアでロケット打ち上げ
研究室?
profile
松永三郎
東京工業大学 准教授
機械宇宙システム専攻 宇宙システム研究室

1963年、愛知県生まれ。86年、名古屋大学工学部航空学科卒。91年、東京大学大学院工学系研究科航空学専攻博士課程修了。工学博士。92年、東京工業大学客員教官。94年、東京工業大学助手。99年、東京工業大学助教授。専門分野は、宇宙システム工学、小型衛星システム、宇宙ロボット。革新的宇宙システムの概念創造と基礎研究開発、先端宇宙システム技術に関する研究開発を行う一方、大学/学生主導による小型衛星システムの開発・打ち上げ・運用を短期間で実施することで、挑戦的な宇宙システム工学の実践、将来の宇宙工学リーダーの育成に挑んでいる。共著に『宇宙ステーション入門』。
http://lss.mes.titech.ac.jp/index_j.html
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宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ 宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ
取材依頼の電話をしたとき、「スゴイのは僕じゃなくて学生なんです」とおっしゃった松永さん。取材中も「学生を撮って紹介してほしい」と熱心に勧められたんです。さらにもの静かに見えた学生さんたちの開発プロジェクトへの真剣な軌跡を聞いて感動で少し涙が出ました。学生でも社会人でも一つのことに真剣に取り組み、成果を出すことができれば、大きな成長になる。それが実感できた取材でした。黒幕Qブログで、卒業後の学生さんの活躍なども紹介していますので、ぜひこちらもどうぞ!

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