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我ら“クレイジーエンジニア”主義 vol.22 世界の度肝を抜く「三次元お絵かきソフトTeddy」を作った五十嵐健夫
学生時代からインタラクションやユーザーインターフェースの研究を推し進め、二次元の絵から簡単に三次元の絵を生成できる「三次元お絵かきソフトTeddy」の開発で世界の度肝を抜いた五十嵐健夫氏。その画期的技術は、既に製品に組み込まれ、世に送り出されている。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:07.05.16
クレイジー☆エンジニア
東京大学准教授
五十嵐健夫氏
 パソコン上で描いた絵が、あっという間に立体化され、3Dになってしまう。しかも、四方八方に自由自在に回転でき、絵はいつでも修正・加筆することができる……。「三次元お絵かきソフト(=手書きスケッチによる三次元モデリングシステム)Teddy」を五十嵐氏が初めて発表したのは、東京大学大学院博士課程に在籍しながら、カーネギーメロン大学に短期留学していたときだった。学会関係者を中心とした数百人の聴講者は、デモが始まってすぐに総立ちとなったという。革命的な技術が、世に出た瞬間だった。
 この1999年に、アメリカのコンピュータ学会主催による世界最高峰のコンピュータグラフィックス学会のカンファレンス「SIGGRAPH」で優秀論文を受賞。そして2006年には、これからも功績を挙げるであろう研究者に対して早い段階で評価を与えることを目的とした賞「Significant New Researcher Award」を受賞。それは、五十嵐氏が描こうとする未来に、世界が注目する、まさに証しとなった。
市販並みのアクションゲームを作った中高生時代
 子供の頃から研究者になるのが夢だった、という人もいますが、私はそうではありませんでした。大学から修士課程まではなんとなく進みましたが、実は修士で就職活動もしているんです。それこそ、日本を代表する企業もたくさん見ました。でも、ちょっと違うな、と思って。そのまま大学にいようと考えて過ごしていたら、そのままズルズルという感じで(笑)。もっというと、父は文系出身で銀行員でしたし、親せきにも理系の人があまりいなかったので、「博士」というものが実在することすら、大学に入るまで知らなかったんですよね(笑)。では、どうして今があるのかというと、子供の頃から絵を描くのが好きだったことと、それから小学生のとき、コンピュータに出合ったことだったのではないかと思っています。

 当時はマイコンと呼ばれていたNECのPC-6001MkIIは、もともと父親が自分で使ってみようと買ってきたものでした。私は小学校4年生でしたが、触っているうちに面白くなってしまって。自分でBASICを使ってプログラムを組んで、お絵かきソフトを作って、クマやパンダの絵を描いていたんです。当時のPCは、プログラムを書かないと動きませんでしたから。中学、高校に入ると、もっと本格的にプログラムを始めるようになって。

 それこそ家に帰ると部屋にこもって黙々とゲームを作ってた。内向的な少年でしたね(笑)。しかも、誰に見せるわけでも発表するわけでもないのに。作ること自体、作る過程が面白かったんです。でも、売られているものとほとんど変わらないレベルのものを作っていました。当時としては、かなりの技術だったと今も思っています。ただ、オリジナリティはなかったですね。結局、市販ゲームのマネでしたから。

 でも、ゲーム作りも高校2年でぱったりやめるんです。以後、大学に入ってからも、ほとんどコンピュータは触ってない。飽きちゃったんです(笑)。もう、やることはやっちゃったというか。大学の学科選択も、コンピュータに関係なく、ちゃんと基礎をやっておいたほうがいいかなと思って数学を選び、より実用性があるほうがいいだろうと理学部ではなく工学部を選んだんです。あとは、テニスサークルとかで、楽しく過ごそうと(笑)。
たまたま選んだのが、ユーザーインタフェースだった
 転機は大学4年生のときです。卒業論文のテーマを決めることになったんですが、学校から提示された選択肢にあまり面白そうなものがなくて。それで最もやわらかそうなものを、と選んだのが、ユーザーインタフェースでした。もっとも当時は、それが何なのか、よくわかっていませんでしたが。コンピュータっぽいしな、とも思って。そしてこのときの指導教官が、当時工学部の講師をしていた現東京工業大学の松岡聡先生だったんです。これが、ユーザーインタフェースとの出合いでした。ちょうどWindowsやJavaが出始めた頃。インターネットは黎明期です。卒論が終わって修士に進んでからも、学会誌や論文をずっと読み続け、ユーザーインタフェースについて、新規性のあるもの、オリジナリティのあるテーマを、ひたすら考える毎日でした。

 でも、この頃はまだ研究者として生きていくとは決めていませんでした。それで就職活動をするんですが、正直がっかりしました。日本企業の研究所は、やろうとしていたことが、どこも同じようなことだったからです。ちょうどこの頃、技術のキーワードはビデオオンデマンドやネットワークだったんですが、どこの企業も同じことをやっていた。オリジナリティはないのか、と思いました。新しいことをやるよりも、ひとまず追随で押さえていく。そういう印象を強く受けたんですね。博士課程に進んでからは、コンサルティング会社に行くことも考えたんですが、途中でTeddyができて、結局、一般企業に就職することはなくなりました。

 もうひとつの転機は、松岡先生から、海外に行くことを勧められたことです。実は修士はアメリカの大学に行くことも考えたんですが、学費の高さにびっくりしまして。でも、実は海外のコンピュータサイエンスの学生は、その多くが大学から給料をもらって学んでるんですよね。それを後で知って。もっと早くからわかっていれば、アメリカに行っていたかもしれません。もともと英語は好きでしたし、論文の読み書きで英語は必須ですから、英語力を磨くためにも海外は魅力でした。そんなとき、教えてもらったのが、インターンという方法だったんです。
博士課程の3年間で、4度の海外インターン
 日本でインターンというと、学生はお客さん扱いのイメージがあると思いますが、アメリカの企業は、たとえ3カ月でも戦力として考えます。選考も厳しいし、決まれば実戦に放り込まれて真剣に仕事に取り組むことになる。インターンによる成果も、研究所の年間スケジュールに組み込まれているんです。私は博士課程の3年間に、Xeroxのパロアルト研究所(PARC)に2回、カーネギーメロン大学、そしてマイクロソフトに、それぞれ3カ月のインターンに行きました。これが、とても刺激的な体験でした。

 まず驚いたのは、研究者一人ひとりがひとつのプロジェクトではなく、異なる複数のプロジェクトに所属するという組織の柔軟性でした。また、議論の進め方も新鮮で。日本ではあらかじめ結論のようなものが出ていて、発表者とそれを聞く人という構図のディスカッションが少なくありません。しかし、アメリカではディスカッションが生産の場なんです。渡米する前に松岡先生から、「黙っていると能力がない人間だと思われるぞ」とは言われていましたが、実際そうでした。積極的に発言しないと、プロジェクトに貢献をしたと見なされない。でも、ディスカッションでは、みんなマシンガントークなんですよ。間に入るのは非常に難しい。おかげで、英語をしゃべると人格が変わるようになりました(笑)。モードが切り替わって攻撃的になる。実際、海外で成功している日本人は、意識的にアグレッシブなモードに切り替えられる人だと思いますね。

 そしてTeddy開発のきっかけをつかんだのも、アメリカでした。もともと絵を描くのが好きだったこともあって、ペンコンピュータに興味を持っていました。修士論文はペンを使った二次元のお絵かきがテーマ。次は、これを三次元にすることを考えていたんです。ところが、ブラウン大学でまさにこれを研究しているチームがあって。ショックでした。やりたかったことが、先にやられてしまっていた。でも、どんな技術なのか見学に行ってみようと、最初のXeroxへのインターンの後にブラウン大学に行ってみたんです。

 ブラウン大学の研究は、わかりやすくいえば、三次元で作られた点と線のCGを、いかにも人が描いたような手描き風の絵として表示できる、という技術でした。面白いと思いました。CGの持つ質感がまったく変わる。こんな研究があるんだ、とハッとさせられて。でも、見ているうちに、ふと気づきましてね。この逆をやってみたらどうだろうかと。普通に手で描いた絵が、三次元になる。ひらめいたら、一気にもう大興奮で(笑)。帰国して、すぐに作り始めました。翌年の2度目のXeroxのインターンのときは、昼間はXeroxの仕事をして、夜は毎日、Teddyの開発に挑む、という日々だったんです。
クマのイラスト 研究室のトップ画面?
 
小学生の頃から、絵を描くのが大好きだった。授業中は、教科書にクマの絵ばかり描いていたとか。今もクマは、五十嵐氏に欠かせないキャラクターとして、イラストにぬいぐるみに活躍(?)している。ちなみにイラストは、長年にわたって描き続けられた経験から、計算し尽くされたプロポーションを持っているとか。世界に知られるTeddyを開発した五十嵐氏は、クマをキャラクターにすることでも有名。そのインスピレーションを受け、クマのキャラクターを実験などのモチーフに使うコンピュータ関連の研究者もいる。
ゲーム
 
高校時代に自作したPCのアクションロールプレーイングゲーム。OSからミュージック・ドライバ、キャラクターデザイン、ストーリー、それぞれをプログラムするためのソフトなどなど、すべてを自作したという。「まさに、市販されているものとほとんど変わらないものを作っていたし、そういうものが自分で作れるということが面白かったんですね。時間はそれこそ、無限にあるような時期でしたし」。大学時代はこうしたコンピュータ三昧の世界からは離れてしまうが、中・高生時代に身につけたプログラム技術が、後に大きく生きたことは想像に難くない。
 
「三次元お絵かきソフトTeddy」のデモ。この技術の革新性は、まさに見ればわかる。一目瞭然なのだ。「ペンで何かをやりたいと思っていて、Xeroxへのインターンが決まって、ついでにブラウン大学に見学に行くこともできて、アイデアをひらめいて、とすべてがタイミングよく進んだんですよね。また、コンピュータの性能という意味でも、タイミングは良かった。処理速度が速くなってきたからこそ、PC上でラクガキができるようになったわけですから」。だが、アバウトな手書きの線を一瞬にして三次元化してしまうロジックとプログラムには、相当な準備と開発の期間がかけられているのは言うまでもない。
世界が驚いたTeddyの新規性は、CGのもうひとつの概念を作ったことにあった。それまでのCGはできたものを見せるためのものだった。従って、作る過程がどれほど複雑で難しくても、それは隠されていた。でき上がったものさえ残ればいいのである。しかし、Teddyは違った。でき上がっていく過程に意味があるのだ。極端な話、でき上がったものは捨ててもかまわない。作るまでの過程が使える、使い捨てのCG。革新的な技術の登場だった。五十嵐氏の論文には、世界中の研究者が飛びつき、後にさまざまなコンピュータグラフィックスの学会で、このテーマでの論文が続々と出るようになる。五十嵐氏の研究は、まさに世界を動かすことになったのだ。その後、Teddyの技術は三次元での着せ替え、ペイント、モーション、アニメーションと展開していく。だが、五十嵐氏は自身の専門はあくまでインタラクションやインタフェースだと強調する。一連のCGモデリングシステムは、その一部にすぎないのである。
 
すべての情報を与えなくても、動いてくれる
 Teddyも、発想のベースにはユーザーインタフェースがあるんです。人とコンピュータが、いかにうまくコミュニケーションを図れるか、ということ。普通、人と人がコミュニケーションをするときは、一方的に言葉をやりとりするわけではありませんよね。例えば取材を受けるとき、質問者が完璧な質問を用意していなくても、受け手は質問のニュアンスも受け取りながら質問を返していきます。コミュニケーションは受け手の想像力や解釈する力も必要なんです。Teddyはまさにこれを絵でやってくれるということです。

 人は絵を描くとき、頭の中におぼろげに三次元の姿があって、実はそれもイメージしながら描いているんですね。Teddyは、そんな人のイメージを受け止めて、二次元の絵を三次元の絵にしてくれるわけです。三次元の絵を作るのに、座標軸に数字を一つひとつ打ち込むのではなくて、人が持っているイメージをそのまま三次元の絵にできる。そして、二次元入力を三次元にする計算をコンピュータが行います。しかも、一瞬で。このロジックとプログラムが最も難しいわけですが、それを外に見せることはしない。

 人間がすべての情報を与えなくても、コンピュータが考えてくれる環境を作る。大事なことは、コンピュータと人間のコミュニケーションをやりやすくすることなんです。実際、Teddyは、作った私自身が驚いちゃったんですけどね(笑)。ロジックを考えてプログラムを書いているとき、頭ではどうなるかわかっていますが、実際の絵はまだ見ていない。それで試しに手書きで腕の絵を描いてみたら、本当に立体的な腕の絵になって。こりゃすごい、と(笑)。

 もうひとつ、Teddyが高く評価されたのは、簡単に回転させたりして動かせて、途中で絵をどんどん加筆・修正できるインタラクティブ性を持っていたことです。これも、ユーザーインタフェースという研究ベースがあったからでした。CGの世界では、インタラクティブに作るなんて誰も考えなかった。でも、私の発想は常にユーザ視点にあった。だから、出てきたアイデアだったんです。

 実は最初に見せたカーネギーメロン大学の研究紹介は、持ち時間が2分しかなくて(笑)。でも、何しろTeddyは一目瞭然ですから、すぐに大騒ぎになりまして。これがなかなか静かにならない。説明したいので静かにしてくれ、時間がない、と叫んでいましたね(笑)。
最先端だけど、誰もが使えるものを作りたい
 Teddyは三次元モデリングソフトとしてだけではなく、これまでのCGとは違う、新しい使い方を提案するべきだと思っていました。子供がお絵かきで遊ぶのもいい。また、コミュニケーション支援の道具として使ってもいい。例えば、医師が手術の説明をするとき、簡単に胃の絵を描いて「このあたりを切除します」といった説明をしたり、歯医者が虫歯の位置を患者に伝えるときに使ったり。三次元的な内容をコミュニケーションとして使える場面はたくさんあるからです。

 そしてTeddyを使って製品化を申し出てくれたのは、日本の企業でした。エンドユーザーがホビーの一環としてCGを描くということが、日本のカルチャーに合っていたんでしょう。3Dグラフィックスソフト「Shade」や「マジカルスケッチ」といったソフトウェア、またプレイステーション2用のゲーム「ガラクタ名作劇場 ラクガキ王国」などに応用されて製品として発売されました。

 そして私も思いつかなかった使われ方も、実際に行われています。高校の地理の授業です。海溝や等高線を生徒にわかりやすく説明するのに、Teddyが活用されているんです。たしかに等高線は、上、前、横など、さまざまな角度から見れば、理解は深まります。面白い使い方があったものだと、私もびっくりしました。これをきっかけに、授業で使うものには、裏側にも線が引ける等高線用の機能を付加しました。

 私がやっていきたいのは、自分の考えをグラフィカルに表現する方法やツールを発表すること。そして難しい技術と人との橋渡し的な役割です。まったく新しいものを作っていくというよりも、例えば普通の人が読まないような論文のアルゴリズムや、学会・展示会などで発表される世界中の誰も思いつかないようなすごいアイデアで、普通の人が「これは新しい」と思うものを作る。一部の人間がシェアするのではなく、一般的な人たちでもわかるような形にパッケージする。誰もが使えるものを作りたいんです。実際、それこそが自分たちの強みだと思っていますし。だから、インタラクティブであり、ユーザーインタフェースなんです。こんなことをやろうとしている研究室は、実は世界にもあまりないんです。
客観的に考え、選択肢を用意し、最良を選ぶ
 仕事で一番大切なのは、いかに自分を客観的に見られるか、だと思っています。成果を出すには、まず冷静に周辺の状況を観察し、把握する必要があります。そこから自分が本当にそこで何をやるべきかを考えなければなりません。このときに重要なのが、選択肢をたくさん出すことです。そして、それぞれの選択肢ごとに特徴をつかみ、どれをやるのか、どうやってやるのかを深く考えていく。最良の選択肢を選び、そこに全力投球する。実はこれは、まさにアメリカの研究所の手法なんですけどね。

 でも、これがきちんとできれば、うまくいくと私は思っています。だから、この方法論で頭をフル稼働させてきた。最もありがちな、うまくいかないケースは、選択肢をひとつしか考えないことです。そして目の前にあることだけをやってしまって、失敗する。客観性もなければ、考え抜くこともなく、選択肢もない。それではうまくいくはずがありません。でも実は多くの人が、この失敗を繰り返してしまっているのではないかと思うんです。ついつい、そういう行動を人はしがちだからです。だからこそ改めて、成果を出すための基本原則を頭にたたき込んでおく必要がある。客観的に考え、選択肢を用意し、最良を選ぶということです。

 もうひとつ、どうして自分にTeddyが作れたか、を考えてみると、やっぱり好きなことをしていたからだと思うんですね。就職して「すぐにお金になる」とか「この企業の製品に限る」とか、そうした制約をつけていたとしたら、Teddyは出てこなかったかもしれない。あの頃は、純粋にTeddyを作ることに夢中だったんです。もっというと、何かで人の役に立ちたくて必死だった。だから、3年間で4回も海外のインターンに行くという、クレイジーなこともしてしまったんだと思う。博士論文もあったのに、ほとんど学校にいませんでしたから(笑)。でも、Teddyという最良の方向が見つかってからは、「こんなものがあればいいなぁ」というピュアな思いで、好きなことを好きなようにやれた。結果はさておき、やっぱりそれが面白いものにつながっていったんだと思うんです。

 もちろん今の私も含めて、何にも縛られずに人が生きていくことはできません。でも、できるだけピュアに好きなことに向かおうとする気持ちは大事にすべきだと思う。それこそ多少制約があるくらいのほうが、ちょうどいいのかもしれません。かつて子供のころ、どうしてあんなにPCに夢中になったのかといえば、環境が不自由だったからだと思うんです。今と違って、コンピュータは難しいものでした。でも、その制約が大きなやる気を生んだのだと思うんです。まだまだコンピュータは使いにくいものです。それは誰もがわかっている。やるべきことは、まだ山ほどあると思っています。
 
Teddy以降、多くのソフトウェアが発表されている。五十嵐氏の研究室のHPで見ることができるが、これは2005年に発表された「物体の堅さを表現した二次元形状の操作手法」。二次元形状をつかんで自由に回転・移動したり、変形したりすることのできる手法を提案している。モニター上で手を使ってイラストの形状を変化させることが可能。複雑なアルゴリズムが用いられているが、ここでもアルゴリズム自体の難しさは見えない。ちなみに研究・開発、動作検証に使用されるコンピュータは、ごく一般的なスペックのWindowsノートPC。無理してハイエンドマシンでしか動かせないプログラムを作ることはあまり興味がないという。開発言語はJavaで、すべて一から自分で書く。プログラムは、自分で書くことに意義がある、と五十嵐氏。書きながらアイデアが出てくることもある。
サマーインターン
 
アメリカの企業・大学へのインターンは、実に3年間で4度にわたった。Xeroxのパロアルト研究所(PARC)が日本人の学生をインターンで受け入れたのは、おそらく初めてだったのではないか、と五十嵐氏。ユーザーインタフェースの聖地と呼ばれるこの研究所で、電子ホワイトボードなどのプロジェクトに参加した。「アイデアを出し、実装し、ディスカッションして、論文にまとめる。研究の方法論から進め方、人脈、そして英語まで、研究者としてやっていくためのすべてのノウハウを、まさにこのインターンで教わりました」。PARCでは、ディスカッションなどで成果を挙げたご褒美として、インターン中に賞ももらっている。
シーグラフ
 
1999年にSIGGRAPH優秀論文として選ばれ、2006年には若手研究者に贈られる賞も受賞。コンピュータグラフィックのカンファレンスで、インタラクティブテクニックの研究者である自分が賞をもらったことは、この分野の研究者に勇気を与えてくれる、と五十嵐氏は語っている。コンピュータはインタラクティブテクニックがなければただの箱であり、この分野は非常に重要である、とも。インタラクションやインタフェースの分野は実は研究が難しい。論文にもしにくく、形にもなりにくい。また、特許にもしにくいし、学会でも認められにくい。「使いにくいコンピュータが多いのは、技術的な問題だけでなく、社会的な問題も大きい。機能を重視するユーザが多いこともそうですし、インタフェースの研究環境も十分とはいえないと思う。逆にいえば、研究をめぐる環境が変わってくれば、ものすごく重要な分野になると信じて私は研究しています」
profile
五十嵐健夫
東京大学 情報理工学系研究科
コンピュータ科学専攻 准教授
博士(工学)

1973年、神奈川県生まれ。東京大学工学部計数工学科卒。同大学大学院工学系研究科情報工学専攻修士課程修了。99年に発表した「手描きスケッチによる三次元モデリングシステムTeddy」で注目を集める。2000年、同大学大学院博士課程修了。ユーザーインタフェースに関する研究により博士(工学)号取得。その後2年間、ブラウン大学において博士研究員として研究活動に従事。2002年、東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻講師就任。05年8月より准教授。ACM SIGGRAPH Impact Paper、IBM科学賞、ACM SIGGRAPH Significant New Researcher Awardなどを受賞。ユーザーインタフェースやコンピュータグラフィックスに関する研究で世界に知られる。
http://www-ui.is.s.u-tokyo.ac.jp/~takeo/
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