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1482年、フィレンツェで頭角を現したのちに転職するとしたら…… 自分と比較! もしもダ・ヴィンチが30歳でレジュメを書いたら
不世出の大天才も、転職の際には細心の注意を払って、自分の能力と可能性をより効果的にアピールすることを怠らなかった。歴史上の人物を題材にした架空の「レジュメ」を検証するこのシリーズ、いよいよ最終回をお届けしよう。
(取材・文/中村光宏 総研スタッフ/山田モーキン)作成日:06.12.06
はじめに もしもレオナルド・ダ・ヴィンチが転職するとしたら……歴史をひもとき、レジュメを代筆
 登録しておけば市場価値を相対的に把握できたり、登録者のレジュメを熟読した企業から、スペックや志向にふさわしいメッセージが届く、エンジニアのキャリア形成に役立つリクナビNEXTスカウト。ところが、いざ登録するためにレジュメを作り始めてみると、自分のことをうまくアピールできずに苦労するエンジニアは多い。そこで、Tech編集部はだれもが知っている超有名エンジニアのレジュメを作成してみることで、何かしらのヒントが得られるのでは?と考えた。
 今回取り上げたのは「レオナルド・ダ・ヴィンチ」。言わずと知れた、イタリア・ルネサンスを代表する大天才である。

 「天才」「巨匠」と呼ばれる歴史的人物の中でも、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」くらいその名が広く知れ渡っている人物はいないだろう。しかも、「彼の代表作は何か?」と問われて、多くの日本人が『モナリザ』『最後の晩餐』などの作品名をすぐに挙げることができるに違いない。500年以上も昔のイタリア人のことを、私たちがこれだけ知っているということ自体、ダ・ヴィンチが、ほかの「天才」「巨匠」たちとはある種別格な存在であることを物語っている。折しも今年、小説と映画で『ダ・ヴィンチ・コード』が大きな話題を呼んだ。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが大天才と言われるゆえんは、絵画や美術作品だけでなく、科学や医学の分野でも非凡な才能を発揮したからにほかならない。軍事や建築・土木技術についてのさまざまな発明、機械学・動力学・数学における革新的な考察と発見、解剖学からの人体探求など、その功績は枚挙にいとまがない。ひとりの人間が一生のうちに手がけるにはあまりに広範すぎる、と思えるから、彼を特別な存在と考えてしまうのだろう。だが、ルネサンス全盛期の芸術家たちにとって、そうしたことは決して珍しいことではなかったようだ。パトロンである実力者たちの求めに応じて、あるときは絵画を描き、またあるときは運河開発の工事を監督し、ときには軍事技術顧問も務めていたのが、当時の芸術家である。専制政治に支配されていたイタリアの都市国家においては、それが生き残るすべだったのである。

 そんなダ・ヴィンチも、活動を続けるためには有力者の庇護が必要だった。30歳でフィレンツェからミラノへと拠点を移すにも、時のミラノ大公に自分をアピールして、いわば「採用」してもらう必要があった。そういう意味では、転職によってキャリアアップを実現したい現代のエンジニアに、どこか通じるものがあるのではないだろうか。そんな視点で、ダ・ヴィンチのレジュメを参考にしていただければ幸いである。

 それでは早速、レオナルド・ダ・ヴィンチ30歳の「職務経歴」「自己PR」「キャリアプラン」をご覧いただきたい。
profile
1452年、フィレンツェの西方にある山村、ヴィンチ村に生まれる。ひとり野山で草や小動物の絵を描くのを唯一の楽しみに多感な幼少期を過ごしたが、その絵の才能は非凡なもので、周囲の大人たちを驚かせたという。これを知った父は、1466年、ダ・ヴィンチが14歳になると、フィレンツェの美術家ヴェロッキオの工房に息子を弟子入りさせる。ここから、ダ・ヴィンチの芸術家としての才能が花開いていく。
【職務経歴編】Tech総研編集部の仮説 画家として順調な活躍を重ねてきた実績と、一方でまったく別の分野へ進出したい強い意欲を秘めていることをアピールするはず
1469年(17歳) ピエロ・デ・メディチの墓標制作に参加……(ポイント1)
入門3年目のヴェロッキオの工房で、ピエロ・デ・メディチの墓標制作に参加しました。また、師匠であるヴェロッキオの制作する『ダビデ』像のモデルにも採用されました。さらに、サンタ・マルコ修道院でラテン語を学びました。
1471年(19歳) ミラノ公の接待の演出に携わる
フィレンツェを来訪するミラノ公ガレアッツッオ・マリア・スフォルツァの接待係をヴェロッキオ工房が委嘱され、その接待演出に参加しました。
1472年(20歳) フィレンツェの画家組合に加入
6年間の徒弟修業を終えて、フィレンツェのサン・ルカ画家組合に登録しました。画家として独立を果たしましたが、請われて、その後もヴェロッキオ工房で助手として働くことになりました。
1473年(21歳) 『キリストの洗礼』制作に参加……(ポイント2)
ヴェロッキオ工房で、師匠ヴェロッキオとともに『キリストの洗礼』の制作に参加しました。2人の天使のうち、左側の天使を描き、師匠はもとより、広くフィレンツェの人々から非常に高い評価をいただきました。
1477年(25歳) 『受胎告知』を制作……(ポイント3)
ピストイアの聖サクラメント礼拝堂の祭壇画を委嘱され、工房の同僚であるロレンツォ・クレディとともに『受胎告知』を制作しました。このころから、機械学や動力学、軍事技術にも興味をもち、独自に研究を重ねていきました。
1478年(26歳) フィレンツェ政庁から祭壇画制作を委嘱
フィレンツェ政庁から、市庁舎内の聖ベルナルド礼拝堂の祭壇画制作を委嘱され、『ブノワの聖母』の制作に着手しました。
1479年(27歳) ベネチア政庁から騎馬像の制作を委嘱
ベネチア政庁から委嘱された『コレオーニ騎馬像』の制作に参加しました。また、助手を務めていたヴェロッキオ工房から正式に独立しました。
1480年(28歳) 『聖ヒエロニムス』の制作に着手
とくに委嘱を受けたわけではなく、私自身の絵画に対する創作意欲から、『聖ヒエロニムス』の制作に着手しました。
1481年(29歳) 修道院の祭壇画を委嘱
ポルタ・ロマーナの外、サン・ドナート・スコーペト修道院から、祭壇画の制作を委嘱され、『三王礼拝』の制作に着手しました。
1482年(30歳) 楽士としてミラノを訪問
フィレンツェの当主、ロレンツォ・デ・メディチの命を受けて、ミラノ大公ロドヴィコ・スフォルツァ(通称イル・モーロ)に、私が発明した銀製の馬の形をしたたて琴を献上するために、北イタリアの軍事都市ミラノを訪れました。
【職務経歴】 Dr.スカウトの分析「企業はこう見る!」
 正当な教育を受けることもなく、ただ絵のうまさを父親に認められて、画家の工房に弟子入りすることになったレオナルド・ダ・ヴィンチ。もしその才能が平凡なものであったなら、彼は一介の職人として一生を終えていたかもしれない。しかし、彼の画才は極めて非凡なものだった。入門から3年で、当時フィレンツェを支配していたメディチ家の墓標制作に参加することを認められている点は、彼の画家としての類いまれな才能、将来への可能性を予感させるものである(ポイント1)。

 画家として独立したダ・ヴィンチは、『キリストの洗礼』の制作にかかわる。この天使の絵が、彼の芸術家としての出発点であり、その出発点において、彼は既に絶大な評価を獲得している(ポイント2)。絵の中に2人描かれている天使のうち、右側の1人を、師匠のヴェロッキオが、左側のもう1人をダ・ヴィンチが描いているのだが、ダ・ヴィンチの天使を見たヴェロッキオはその絵が放つ存在感に圧倒され、一説によると、これ以降、自分では絵画を描くことをやめてしまい、もっぱら彫刻や銅像などの造形作品をつくることに専心していた、と言われている。今日、まったく絵画の素人である私たちがこの『キリストの洗礼』を見ても、2人の天使の差を目の当たりにすることができる。この作品で、ダ・ヴィンチはいきなりルネサンス絵画の頂点に躍り出たのである。

 だが、ダ・ヴィンチ自身は、そうした芸術家としての自分の才能には懐疑的だったようだ。『受胎告知』の制作では、ロレンツォ・クレディが中心的存在で、ダ・ヴィンチはあくまで脇役に徹している。そのころのダ・ヴィンチは、絵画制作に携わる傍ら、次第に科学的分野への関心を高めていく(ポイント3)。彼は、生涯に5000点にもおよぶ手稿(そのほとんどが鏡文字で書かれたメモ)を残しているが、このころ、歯車やピストンなどさまざまな機械を動かす仕掛けや、そのための動力についての考察を行っている。また、新しい兵器や要塞建築についても独創的なアイデアをもっていたようだ。評価を得た画家の職に安住してとどまるのではなく、未体験の幅広い分野でも自分の着想を実現していきたいという強い情熱が、ダ・ヴィンチの最大の魅力だろう。
職務経歴作成の詳細に関しては、こちらをチェック!
企業にスカウトされるレジュメ作成術 職務経歴編
【自己PR編】Tech総研編集部の仮説 フィレンツェで認められた画家としての才能はもちろん、まだ具現化していない知識や技術についても披歴して、自分の可能性をアピールするはず
自己PR 「私は、芸術の都と称されるフィレンツェで、当代随一の画家と謳われるヴェロッキオに師事して絵画の技術を磨きました。スフマートと呼ばれる、筆跡をぼかした独自の描画方法も生み出し、独立後も、教会や修道院、フィレンツェ政庁から主祭壇画の制作を委嘱されるなど、画家として高い評価をいただいています。ただ、私は画家の枠にとどまるつもりはありません。私は、軍事的利用価値の高い橋梁のつくり方や、堅固な城壁を攻略するための機器のつくり方を知っています。砦や城砦を効果的に破壊する方法、非常に強力で運搬が容易な大砲の製造方法を知っています。また、歩兵を無傷で敵陣に突入させることのできる戦車や、海上戦闘のための船をつくる方法も知っています。もちろん、こうした軍事技術を、平時においては治水や都市建設にも役立て、微力ながらミラノの発展・繁栄に力を尽くしたいと考えています。さらに、当然ながら彫像や絵画制作においても、必ずやご期待に添える活躍ができるものと自負しております」
自己PR Dr.スカウトの分析「企業はこう見る!」
 ダ・ヴィンチの芸術家としての才能は、フィレンツェでの活躍から疑う余地のないところである。とくに、教会や修道院、フィレンツェ政庁など、公の立場にある機関が相次いで重要な主祭壇画の制作を彼に委嘱している点は見逃せない。そうした事実と、自分が確立した絵画技法をさりげなくアピールしているところは、ダ・ヴィンチの自己PRのうまさといえるだろう。そのうえで、「画家の枠にとどまりたくない」として、軍事都市ミラノにとって非常に重要な軍事技術の数々について、その独創的なアイデアの一端を披露してみせている。治世者にとっては、それらアイデアの中身をもっと具体的に知りたくなるようなアピールの仕方である。絵画や彫刻に実利はないが、こうした軍事技術や土木・建築技術からは、具体的な成果が得られる可能性が高い。その点に着目して、画家としてよりも技術者としてのアピールに力を注いでいるダ・ヴィンチは、なかなかの戦略家といえるだろう。都市国家ミラノを企業だと考え、そこにスカウトマンがいたとしたら、ダ・ヴィンチの採用を真剣に検討するはずだ。
自己PR作成の詳細に関しては、こちらをチェック!
企業にスカウトされるレジュメ作成術 自己PR編
【キャリアプラン編】Tech総研編集部の仮説 まず、実績がある画家としての能力を生かせる実現可能な具体的目標を掲げ、そこから、将来に向けた展開をキャリアプランに示すはず
次のキャリアで
実現したいこと
「今はただ、ミラノ公のために自分の持てるすべての能力を発揮したいというのが唯一の望みです。先に述べた軍事技術などのアイデアも、その一端にすぎません。そのうえで、許されるなら、まず誰もが驚くような青銅の騎馬像をミラノで制作することを考えています。ほかにも、ミラノの宮廷で、多くの方の肖像画を描きたいと考えています。また、絵画や彫像などの芸術作品の完成度を極めるため、自然科学の研究にも力を注ぎたいと思います。とくに、人体の造形、体の各部位が動く仕組みを知ることは、人間の中に秘められた自然の理を知ることにつながるはずです。そのほか、ミラノの人々がペストなどの恐ろしい病気におびえることなく、健康的で安全な生活を送れるようにするため、都市計画や運河計画にも積極的に携わっていきたいと思います。そして、これは個人的な希望ではあるのですが、鳥の飛翔の研究から、人が空を飛ぶための機器を開発できれば、とも考えています」
キャリアプラン Dr.スカウトの分析「企業はこう見る!」
 自己PRでは、ミラノ公にアピールできる軍事技術の知識を並べてみせたダ・ヴィンチだが、ただアイデアがあるだけでは、兵器開発は実現しない。多くの職人を動かす手腕や、実戦での経験が問われることは間違いないだろう。そのことは、ダ・ヴィンチもうすうす感じていたようである。だからこそ、キャリアプランでは、机上の論理である自分の軍事技術に頼らず、実績のある芸術家としての可能性を伸ばしていく方向に視点を向けている。とはいえ、単に画家として評価される絵画を描くことに目標を置くのではなく、さらにその先、人体の仕組みや自然の法則を解き明かすことに関心が向いている点は、注目していいだろう。ここにも、「画家の枠にとどまりたくない」とするダ・ヴィンチの情熱を垣間見ることができる。描く対象としての「人」から、「自然科学」全般へと研究を広げ、その成果を「都市に暮らす人々の幸福」に役立てていこうというダ・ヴィンチのキャリアプランには、おおいに期待をかき立てられる。「空を飛ぶ」という突拍子もないアイデアも、あながち夢物語ではないように思えてくる。
キャリアプラン作成の詳細に関しては、こちらをチェック!
企業にスカウトされるレジュメ作成術 キャリア編
レジュメのポイント 専門分野に特化するだけでなく、幅広く世の中の動きに目を向けて、社会のニーズにこたえられる能力を「レジュメ」で示すことで、キャリアアップの可能性が開かれる
 今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチが、フィレンツェで画家としての礎を築いたのち、さらに自分の可能性を広げようとミラノへの移転、つまり、メディチ家からスフォルツァ家への転職のために作成した「レジュメ」、ということで想定してみた。

 実は、実際にダ・ヴィンチは、30歳のときに「自薦状」を書いている。ミラノ大公ロドヴィコ・スフォルツァにあてたその「自薦状」の中で、ダ・ヴィンチは10項目にわたって自分の能力をアピールしているのである。そのうち9項目までが軍事技術に関するもので、最後の1項目が、平時の建築や治水に言及した内容となっている。肝心の絵画や彫像制作に関するアピールは、最後に付け足しのように述べられているにすぎない。この「自薦状」が本当にミラノ大公の手に渡ったかどうかは定かでないが、結局、ダ・ヴィンチが披露した軍事的アイデアが実現することはなかった。戦車や攻城兵器、移動式橋脚、戦艦に潜水兵と、極めて独創的なアイデアが盛り込まれていたが、当時の素材や技術では実現不可能なものも少なくなかったようだ。芸術家としての能力をアピールすることを最小限にとどめたのは、逆に、そこには確固たる自信があったからだとも言われている。事実、ダ・ヴィンチはその後ミラノにおいて、『岩窟の聖母』『最後の晩餐』などの歴史的名画を制作し、人体の解剖学研究に取り組むことになる。

 実績のある、自分のもっとも得意とする分野を控えめにアピールし、いまだ未知数の、まったく新しい可能性をより強力に押し出したダ・ヴィンチの「レジュメ」。そこには、当時のミラノが直面していた社会情勢(ベネチアとの交戦、ペストの流行など)を的確に読み取り、そのミラノを治める為政者のニーズにマッチしたアピールで自分の価値を売り込もうとする、若きダ・ヴィンチのしたたかさがうかがえる。今、転職を考えているエンジニアにとっても、世の中を読み解く能力は不可欠だ。社会が今、何を求め、人々がどんなニーズを持ち、どこに次代を開くための可能性があるのかを見つけ出し、そこに自分をフィットさせていくことができなければ、キャリアアップなど臨めないだろう。ルネサンスの時代も、現代も、専門分野に埋没するのではなく、社会のあちこちに常に好奇心のアンテナを張り巡らせている能力が求められる。ダ・ヴィンチがいかに大天才といえども、もしその能力がなかったら、のちにあの『モナリザ』を描くこともかなわなかったかもしれない。

 皆さんも、未知なる可能性にかけて、ご自身のレジュメを作ってみてはいかがだろうか? そこにはきっと、自分自身が今まで気づかなかった新たな発見があるはず。

コラム ダ・ヴィンチ、30歳からの“ホントの人生”は……。
 30歳からのレオナルド・ダ・ヴィンチの実際の人生を簡単に紹介しておこう。
 ミラノに移ったダ・ヴィンチは、そこで『岩窟の聖母』『最後の晩餐』を制作する。また、都市計画やミラノ大聖堂、パヴィア大聖堂の設計にも携わっている。さらに、スフォルツァ家の結婚式を演出したり、水利工事の設計を監督したりと、絵画制作だけでなく、とにかく多方面でさまざまな活動や研究を展開している。その後、フランス軍がミラノに侵攻してきたことから、マントヴァ、ベネチアを経て、再びフィレンツェに戻る。2度目のフィレンツェ生活で、あの『モナリザ』の制作に着手するのである。そして、ルイ12世の招きで再度ミラノに移り、『聖アンナと聖母子』を制作する。解剖学における大量の手稿をまとめたのも、この2度目のミラノ在住時だった。ミケランジェロなど芸術家のライバルが多かったフィレンツェに比べて、ミラノは、ダ・ヴィンチにとって自由に才能を発揮できる場所だったのかもしれない。

1483年(31歳)
ミラノの聖フランチェスコ・イル・グランデ聖堂の礼拝堂祭壇画を委嘱され、『岩窟の聖母』を制作する。

1484年(32歳)
ミラノにペストが流行したことから、都市計画に関心を抱く。ミラノ大公の愛妾チェチリア・ガルレラーニの肖像画『白貂を抱く婦人』を制作。

1488年(36歳)
都市計画や建築に関する「手稿B」をまとめる。

1490年(38歳)
ミラノ大公の甥ジャン・ガレアッツッオ・スフォルツァと、ナポリ王の孫娘イザベッラ・ダラゴーナの結婚式の演出を手がける。パヴィア大聖堂の建築調査のために、パヴィアに滞在。

1494年(42歳)
ラ・スフォルチェスカの水利工事を設計監督する。また、マルテザーナ運河の工事にも従事する。

1495年(43歳)
スフォルチェスコ城の城内装飾に携わる。このころ、『貴婦人の肖像』を制作。また、サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院の修復に伴い、その食堂に『最後の晩餐』を描くよう委嘱される。

1496年(44歳)
針研磨機を制作。劇の舞台装置を制作する。

1498年(46歳)
『最後の晩餐』が完成。ミラノ大公からぶどう園を贈られる。

1499年(47歳)
ジェノバで、貝殻の化石などを観察。モンテ・ローザでは、大気の色を研究して鳥瞰図を描く。また、運動と重量に関する論文を著述する。フランス軍がミラノを占領したことから、マントヴァへ逃れる。

1500年(48歳)
ベネチア政府から軍事顧問として召還され、トルコ軍が侵入した国境の川・イソンツィオを視察する。その後、フィレンツェに移住。

1502年(50歳)
マントヴァの公妃イザベラ・デステから花瓶の鑑定を依頼される。その後、チェザーレ・ボルジアの軍事土木技師として従軍、ロマーニャ地方で活動する。

1503年(51歳)
フィレンツェに戻り、アルノ川の流路変更計画のための調査を行う。フィレンツェ市庁舎の大会議室の壁面に、『アンギリアの戦い』の制作を委嘱され、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会で準備に入る。この戦いは、フィレンツェがミラノに勝利した戦いであった。このころから、『モナリザ』を描き始める。

1504年(52歳)
ミケランジェロが『ダビデ』像を完成させ、その設置委員会に出席する。フィレンツェ政府は、大会議室のもう一方の壁面に『カッシナの戦い』を制作するよう、ミケランジェロに委嘱する。

1509年(57歳)
幾何学の研究を進める。ベネチアで、ダ・ヴィンチが挿し絵を描いた『神聖比例論』が出版される。最初のミラノ時代に手がけていた運河工事の設計監督と、解剖学の研究を再開する。

1510年(58歳)
解剖学の手稿をまとめる。『聖アンナと聖母子』の制作に着手。

1513年(61歳)
教皇レオ10世の弟ジュリアーノ・デ・メディチの招きに応じてローマに移住する。ローマでは、数学や天文学などの科学研究に専念する。

1514年(62歳)
円の面積を求める方法や、湾曲面の幾何学について執筆。ローマ南東部の沼地の干拓などに携わる。

1519年(67歳)
アンボワーズのクルー城にて遺言状を作成。5月2日、同地にて死去。ダ・ヴィンチは、3枚の絵画『モナリザ』『聖アンナと聖母子』『洗礼者ヨハネ』(ローマ時代に制作に着手)を最後まで手放さずに筆を入れ続けていた。
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山田モーキン(総研スタッフ)からのメッセージ
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今年は映画で話題になったダヴィンチですが、今回のレジュメで改めて、彼の多才ぶりを再確認できました。今回をもちましていったん、このシリーズは終了しますがもし、「こんな偉人を登場させてほしい」といったご意見があればぜひ、お寄せください。また再開できることを願って。
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