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懐かしの“アレ”がエンジニアの原点だ! Vol.20 初めてネットで人とつながった「ニフティサーブ」の魅力
今や誰もが使えるインターネット。しかし、かつてのPCはひとりで完結する演算機にすぎなかった。それを変えたのがパソコン通信・ニフティサーブである。今回はその魅力を追求し、現在のネットとの比較をしてみたい。
(取材・文/金沢桃子 総研スタッフ/山田モーキン)作成日:06.11.01
座談会テーマ:ニフティサーブはエンジニアにどのような影響を与えたか?
今回の座談会では、ニフティサーブに熱中したエンジニアお2人に来ていただき、ニフティサーブとの思い出の日々を語っていただいた。
ニフティサーブとは?
2006年3月までニフティ株式会社が運営していたパソコン通信サービス。現在のインターネットのようにオープンではなく、会員制(※1)であった。アメリカのCompuServe(※2)と提携をしており、それに倣い、フォーラム(※3)というジャンル別コミュニティを形成していた。フォーラムには「フォーラムの案内」「電子掲示板」「電子会議室」「データライブラリ」「リアルタイム会議」という機能があり、シスオペと呼ばれる管理人が、管理・運営をしていた。当時はパソコンにモデムが組み込まれておらず、自分で設定をする必要があり、ニフティサーブをするにはそれなりの知識が必要だった。文字だけの内容だったが、当時の通信は速度が遅く、定額制ではなく従量制であったため、フォーラムの電子掲示板などのログ(※4)を集めて、すぐに回線を切り、後から読む方法が当時の主流。当時はニフティ以外にもPC-VAN(※5)アスキーネット(※6)といったパソコン通信も存在した。
ニフティサーブに熱中したエンジニア2人のプロフィール
松木さん 高田さん
松木さん(仮名・31歳)
外資系サポート
高田さん(仮名・38歳)
システムエンジニア
まずニフティサーブを始めたきっかけと魅力について教えてください
松木:
東芝リブレット20
東芝リブレット20
ニフティサーブ入会用CD
ニフティサーブ入会用CD
魅力は匿名性がありながら、規律がある。コミュニケーションがちゃんと取れるところですね。大学1年のころ、Windows3.1(※7)東芝リブレット(※8)を買ったのですが、外付けのCD−ドライブの増設が大変で、本や知人に学んだのですが、それでもわからない。それでニフティに入って、ハード系のフォーラムに投稿をしたりするようになったのが、きっかけです。インターネットの時代になってからも、@niftyにフォーラムがあったので、料金を払って参加(※9)していました。2000年近くまでやっていましたよ。
高田:
ニフティサーブパンフ
ニフティサーブパンフ
初めてPCを買ったのはPC-98でした。パソコン通信をするつもりはなかったのですが、アスキーとかのPC雑誌(※10)を見て、フリーソフト(※11)を知り、利用してみたいと思ったのがきっかけでした。当時はもうソフト屋として働いていたので、人のソフトを見てみたかったんです。1995年くらいからネットが始まり、それから1年くらいしてネットに移行しました。
ニフティサーブに接続して、まず、したことは何ですか?
高田:
まずは、フリーソフトを数多くダウンロードしました。書庫ソフト、LHA、コンソールアプリケーション、テキストエディタ、ファイラー……とまずはインフラから整えましたね。
松木:
雑誌の付録CDで試供品がついていたんで、自分もそれを使ってみて、気に入ったソフトをダウンロードしていました。自分自身がまずしたことは、ハード系のフォーラムに参加したことでした。付属機器を外付けする必要があったので。その後は趣味のフォーラムを探しました。バドミントンをしていたので、東京のバドミントンフォーラムに参加して、練習会のお知らせを見て参加したりしました。
高田
フォーラムは開発系、PCのハードウェア系に参加して、情報交換をしました。パソコン通信を始めて、PCはコミュニケーションツールだと認識してから、フォーラムに参加するようになりましたね。PC関係はすごく細分化されていたんですよ。開発ツール、コンパイラ、ファイルソースカラー、それぞれのフォーラムがありました。開発言語でもCとかBASICとかでも分かれていたし、DOSかUNIXかでも分かれていましたしね。主に見るだけでしたが、開発系・コンピュータ系のフォーラムに20〜30くらい参加していました。
ほかにはどんな使い方をしましたか?
高田
メール(※12)はあったのですが、ニフティIDがないとできないとか、使い方が限定されていたんですよね。ほかの使い方というと、その当時、バックアップができるツールがなかったので、自分のIDあてに送っておいて、バックアップにしていました。どこでも取り出せるし、便利でしたよ。あとは、「売ります・買います」でソフトの売買をしていました。
松木:
だいたい同じような感じでしたね。ネット売買は情報を見てはいましたが、実際に売り買いはしなかったですね。当時は定額とかじゃなくて、従量制なんで、1万円とかいくときついし、毎日見て6000円くらいにするために、巡回場所は6、7カ所に絞っていました。
ニフティサーブを利用していて、印象に残ったことは?
高田:
まずネットにつながることが自分にとってエポック的な出来事でした。それまで計算機だったPCがコミュニケーションツールに“大変身”したわけですから。
松木:
パソコンに対する印象が変わりましたよね。それまでローカルのスタンドアローンだったのが、つながりをもつものと体感しました。普通に生活していたら、出会わないであろう人ともオフ会とかで直接、出会えましたしね。
高田:
脅威としては、ウイルス(※13)がありましたね。PCが外の世界とつながることが、もろ刃だと知りました。
松木:
あとは文章の書き方が違いますね。今のネットみたいなパッと反射的にするような誹謗中傷はできないので、長々と否定される、というか諭される(笑)。20行くらいで質問をするなら「こうこうこういう形で質問をしなさい」と言われるんです。環境やケーブルによって変わるからそれを書けと。
高田:
主みたいな人(※14)が有志で答えてくれるので、聞き方のマナーとかが厳しかった。理路整然としていないと、テクニカルなことを聞いても答えてくれなかったし、こういうものを作りたいとか、こういうエラーが出たとかをちゃんと書かないと本気で怒られた(笑)。
松木:
主とか頻繁に答える人は、こんなすごい人も世の中にいるんだなって感じでしたよね。
今のネットの世界とニフティサーブの違いはどのあたりでしょうか?
松木:
一度フォーラムの内容とかをダウンロードしてきて、オフラインでじっくり見るので、書くほうも聞くほうもゆっくり考えてやるというのがありました。
高田:
当時からすると、今の2ちゃんねるみたいなものはおかしい気がします。ニフティにはシスオペ(※15)という管理人が必ずいました。管理や監視をしましたし、場合によっては強制退会なんかもさせることができました。そういう抑止力があって、モラルの高いフォーラムになった。意識レベルも高かったですしね。
松木:
ある程度の匿名性はありましたが、IDがあるから、今より軽々しく何かを送れないというのもありましたしね。今のほうがいいのは、コストですね。断然にいいです(笑)。
高田:
交換できる情報量が上がっていますからね。
松木:
伝える手段も増えましたよ。たくさんの文章を書くより、画像をポンって送るほうがわかりやすい。その代わり、昔のほうが表現力はつきましたよ。
高田:
検索もニフティはキーワードレベルですることはできましたが、フォーラム単位でしたからね。落としてきたものをログで探す感じでした。オープンなネットワークになったので、検索の垣根は低くなりましたよね。
松木:
ただパソコン通信の時代のほうが、情報の信頼性が高かったですよね。みんな本当かわからないような情報はニフティには書かなかった。
高田:
今は量はあるけれど、質は玉石混交で、石のほうが多い感じですよね。インターネットの時代になって、情報を見極める目が必要になった。
ニフティサーブを利用していて、よかった点や助かった点はありますか?
高田:
仕事で助かりました。サーバ上に必要なファイルを送っておいて助かったことが結構ありましたよ。自分の記憶媒体が壊れたとか、急な出張があってもサーバから落とせたとか。あとは技術的なことじゃないのですが、DOS/Vパソコンがはやっていて、ゲートウェイ(※16)が欲しかったのだけど、当時、日本法人がなくて。個人輸入で買いたかったのですが、そのとき、どういう書式でどう英語を書いたらいいのかわからなくて、フォーラムで質問して、全部書き方も英語も教えてもらって、無事に買えたことがありました。
松木:
何よりよかったのは旅行ですね。大阪に行くときに、名古屋に立ち寄ることにしたのですが、知り合いが全くいなかったので、名古屋の通信上の知り合いにオフ会をしてもらって、20人以上が集まったんです。初めて行く名古屋なのに、いっぱい知り合いができて、楽しかったです。
ニフティサーブが今のお仕事にどのように影響していますか?
松木:
ソフトウェア関連の技術とは全く違う学部にいて、ネットワークの知識とかも学校では教えてくれなかったので、ここで学びました。OSI(※17)のネットワークモデルとか、ニフティを経験しているのが役に立っています。フォーラムで壁にぶつかったのが今になって生きていますね。質問の仕方を学んだのが特に経験になっています。自分が部下に教えるときにも聞き方とかを教えられますしね。当時のフォーラムは、今、大事なお客様にメールを出すときみたいに、投稿をするときに推こうをしていましたから。
高田:
ネットワークのリテラシー、ネチケットが磨かれました。文章をどう書けば相手に伝わるか考えましたね。会うときと違って、表情とか見えない表現が通じない、文章のみだから、とにかく推こうする。顔が見えないからと無秩序にしていいというわけじゃないというのがパソコン通信の世界にはありました。今のネットは無秩序に見えますよ。
あなたにとってニフティサーブとは?
松木:
パソコンが単独で動くものではなく、外の情報にアクセスできるものと感じたもの。人と会う以外で、外とのつながりをもてたものです。
高田:
新たな可能性であり、脅威。広がりを感じるとともに、バーチャルな世界を感じました。人が集うところというのはひとつの社会で、いい人も悪い人もいるけど、必要な別の社会だと思いました。

会員制(※1)
ニフティサーブは接続アカウントをもつ会員のみのサービスだった。会員以外は入ることはできないクローズな環境で、匿名ではあるが、接続IDがどこでも表示され、完全匿名ではないという縛りがあったため、秩序を高める要因となった。

CompuServe(※2)
アメリカのパソコン通信会社およびその会社が提供をしていたサービス。 1995年まで全米最大を誇っていた。ニフティサーブと提携をしており、ニフティから接続して、利用することができた。

フォーラム(※3)
ある特定の話題や趣味などをテーマにしたコミュニケーションサービス。フォーラムの名前は半角英数字で、フォーラムを表す「F」が先頭につき、テーマに合った文字が割り当てられた。MIDIフォーラムなら「FMIDI」、経済フォーラムなら「FECO」という名前だった。

ログ(※4)
データ通信の記録のこと。ここではニフティサーブの巡回ソフトが拾ってきた掲示板などの発言記録・書き込み記録のことを指す。巡回ソフトの使用者は、事前に巡回先を設定して通信を開始し、巡回後すぐに「BYE」で接続を切って、じっくりとテキストベースのログを読んでいた。

PC-VAN(※5)
1986年〜2001年の間、NECが運営していたパソコン通信サービス。電子掲示板、SIG(特定話題掲示板)、OLT(チャット)、OSL(オンラインソフトウェアライブラリ)などがあった。管理の強いニフティサーブに対し、PC-VANは放任主義な傾向にあった。

アスキーネット(※6)
1985年に株式会社アスキーが実験的に開始したパソコン通信サービス。アスキーがパソコン関連出版社だったこともあり、技術系エンジニアの利用者が比較的多く、自治的な利用の傾向が見られた。97年にサービスを停止。
モデム
モデム
モバイル用音響カプラー
モバイル用音響カプラー
Windows3.1(※7)
マイクロソフトが開発したMS-DOSを拡張するオペレーティングシステム。1993年発売。MS-DOS環境から起動させるため、先にMS-DOSを動かしておく必要があり、当時のWin3.1の能力は不十分であったため、MS-DOSでニフティサーブを行っていた。

東芝リブレット(※8)
東芝が開発したノートパソコン。リブレットという名前は小さな本という意味のイタリア語から由来しており、その名のとおり、1996年発売のリブレット20は850gという軽さで、携帯性に優れたミニノートとして人気があった。

料金を払って参加(※9)
インターネットに会員が流れていったあとも、@niftyではテキストではなく、ブラウザで閲覧できるフォーラム「Webフォーラム」を作り、対応していった。しかし2000年あたりには多くのフォーラムが活気をなくし、閉鎖していった。

アスキーとかのPC雑誌(※10)
パソコン黎明期のころから『月刊アスキー』のような総合誌があり、後にソフトバンクの「Oh!PC」なども出て、ソフトウェア開発やプログラムリストなどが紹介され、フリーソフトを収録したFDを綴じ込み付録につけていた。

フリーソフト(※11)
無料で利用できるソフトウェア。フリーウェアという名称でも呼ばれるが、80年代には商標として登録されていたため、その呼称が使えなかった。ソースコードの変更や再配布については条件がそれぞれのソフトで違うが、勝手に有償販売することは大体のフリーソフトが禁じている。
ニフティ雑誌
ニフティ雑誌
メール(※12)
ニフティサーブでは接続アカウント=メールアドレスだった。相手がメールを受信したかを自分の送信ボックスから確認することができ、相手が受信する前なら、送信したメールを相手の受信ボックスから削除できた。当初は会員間のみだったが、後にはインターネットメールとの乗り入れが可能になった。

ウイルス(※13)
コンピュータに被害をもたらす不正プログラム。BIOSを書き換えたり、データを盗み出したり、メール履歴や写真を勝手にHTTPサーバにして公開してしまうものなどさまざまな種類がある。日本では1988年にパソコン通信を介してウイルスが感染し始めた。

主みたいな人(※14)
シスオペ、サブシス、ボードリーダーというスタッフ以外にも、そのフォーラムに住み着いている人たちが多数いた。的確なレスを返してくれたり、話題を盛り上げてくれたりするいい点がある一方、彼らが幅を利かせるためフォーラムが閉鎖的と感じる新人さんもいたようだ。
シスオペ(※15)
フォーラムを管理・運営する人物で、そのテーマに詳しい人物が任命された。SDIから始まるIDをもち、会員がフォーラムに接続する時間によって、その課金の一部が収入となっていた。フォーラムの話題を盛り上げたり、トラブルの仲裁をしたり、発言の削除や会員の強制退会などの権限ももっていて、フォーラムの秩序を守っていた。

ゲートウェイ(※16)
1985年に設立されたアメリカのパソコンメーカー。農場の中で設立されたため、そのときの精神を忘れないためにトレードマークに白黒の牛柄を採用した。「牛パソ」として親しまれ、ユーザーは「牛飼い」と呼ばれた。

OSI(※17)
Open Systems Interconnectionの略。開放型システム間相互接続。OSI基本参照モデルとも呼ばれ、コンピュータのもつべき通信機能を階層構造に分割したもの。
コラム1:一時代を作ったニフティサーブ
今回はニフティサーブおよび@nifty運営元であるニフティ株式会社におじゃまし、パソコン通信を日本に根づかせたニフティサーブについてお伺いした。パソコン通信=ニフティサーブと言っても過言ではないほどの時代を築いた設立からサービス終了までの20年の歴史を、当時からのスタッフである本名さんが語ってくれた。
・ニフティサーブ設立の経緯について教えてください

1984年にアメリカでCompu Serveがユーザー情報の交換を始めて、日本でもこれははやるのでは、との思いから日商岩井と富士通が接触して、両社が協力してライセンスを受けることにして、86年にNIFという合弁企業を作りました。
その後、87年4月15日にニフティサーブをリリースして、サービスが始まりました。
サービス当初は技術・開発はすべて富士通が、営業・サービス企画・業務提携などは日商岩井がそれぞれ担当して、それぞれ7人ずつ、14人で運営を開始したんです。


・サービスを開発するうえで苦労した点は?

Compu Serveからのライセンスというのは、あくまでもライセンスで、彼らのもっているプログラムをただ単に移植することではなかった。逆にいうと移植なんてほとんどできなかったです。
Compu Serveが使っている機械は特殊なもので、ほとんど日本ではなじみのないものだった。そういったサービス自体、アーキテクチャ自体を違う言語の上で動かすという形になるので、ソースコードをもってきてちょろっと書き直せば走るというものではなかったから一から書き直す、作り直すということになりました。


・運用スタート後のユーザーの反応はいかがでしたか

Compu Serveを使っていたお客様もニフティサーブに入ってくださったのですが、ここが違う、あそこが違うとリリース時点では不十分と言われました。
運用に関しては予想どおり、ビジネスプランどおりで実は当初、1分30円ってプランがあったのですが(笑)、10円に落ち着きました。

20年続いたフォーラムはニフティサーブの集大成です。フォーラムマネジャーは中でも大きな存在です。
ニフティサーブが始まってから5、6年はフォーラムマネジャーはボランティアでやってくれていました。ある程度、課金に関する補助はありましたが、サブシスとかボードリーダーはほぼなかったです。だんだんと補助を厚くしていきましたけどね。

フォーラムマネジャーの決め方は一本釣りです(笑)。
企画をしていて、目ぼしい人を当たってつり上げました。初期活動の中で人材を探していったんです。自ら手を挙げる人もいたりして、分離フォーラムを担当してもらったりしました。
最終的には1000近くのフォーラムができまして、大きなジャンルをカバーできたのではないかと思います。

・活発だったフォーラムは?

FWINDOWSというWindowsフォーラムですね。当時はまだWindowsに関する情報が少なくて、情報を欲する人が集まった。FGALというソフトウェアギャラリーのフォーラムも多かった。あと、FTRAINという鉄道フォーラムは一時代を築いた大きな成果がありました。JRに特別列車を出してもらって、結婚式をしたことがありましたね。行き先を不明にしたり。

フォーラムは安心して参加できるコミュニティという面が強かった。今はどこのコミュニティに参加していいのか探すのが大変です。それにコミュニティの規模感がフォーラムとは今は違う。
オープンコミュニティというのがネット初期時代が目指すものでした。しかし、現在はSNSのようなクローズ回帰みたいなムーブメントが起きていますね。

・今後の展開について教えてください

ニフティも今までやってきたフォーラムというサービス自体にはひとまず区切りをつけましたが、コミュニティに対するニフティの思いは、昔も今も変わりません。
いったん、ニフティを卒業した方にも戻ってきてもらって、その間に培ってきた経験をコミュニティの中でもって共有できるような、そういった機会をつくっていきたいですね。
本名信雄さん
本名信雄さん
ニフティ株式会社
技術顧問兼イノベーション・ラボ所長。元日商岩井情報システム部。
ニフティサーブの立ち上げ時からかかわり、現在も新たなコミュニケーションシステムを模索している。
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私も学生時代、ニフティサーブのフォーラムに非常に関心があったんですが、PCを購入するメドが立たずに断念した経緯があります。もし、そのときに無理してでもPCを手に入れていたら、今回ご登場いただいたエンジニアの方とも「交流」できていたのかもしれません。

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