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物理学の学士号取得、31歳で放射性化学元素「ラジウム」を発見 自分と比較! もしもキュリー夫人が31歳でレジュメを書いたら
スカウトの目に留まる「レジュメ」作りに頭を抱えるエンジニアは少なくない。華やかな成功がなくても、日ごろの態度をそのままアピールする方法もあるだろう。そんな「レジュメ」のポイントを、歴史的人物で見てみよう。
(取材・文/中村光宏 総研スタッフ/山田モーキン)作成日:06.08.02
もしキュリー夫人が転職するとしたら……歴史をひもとき、レジュメを代筆
 登録しておけば市場価値を相対的に把握できたり、登録者のレジュメを熟読した企業から、スペックや志向にふさわしいメッセージが届く、エンジニアのキャリア形成に役立つリクナビNEXTスカウト。ところが、いざ登録するためにレジュメを作り始めてみると、自分のことをうまくアピールできずに苦労するエンジニアは多い。そこで、Tech編集部はだれもが知っている超有名エンジニアのレジュメを作成してみることで、何かしらのヒントが得られるのでは?と考えた。
 今回取り上げたのは「マリー・キュリー」。「キュリー夫人」と呼んだほうが、皆さんよくご存じだろう。ポーランド生まれの彼女の本名は、「マリア・スクロドフスカ」という。「マリー」はフランス流の呼び方で、ソルボンヌ大学(パリ大学)入学後に、彼女が自分で名乗るようになった名前である。「キュリー」のほうは、夫であるピエール・キュリーの姓だ。

 キュリー夫人のことを、「X線の発見者」や「放射線の発見者」として記憶している人がいるかもしれないが、それは正確ではない。彼女が発見したのは「ラジウム」で、それによって、放射性物質の性質がようやく明らかになったのである。この発見と、その後の研究に対して、マリーには2度、ノーベル賞(物理学賞・化学賞)が贈られている。彼女は、女性初のノーベル賞受賞者であると同時に、史上初めて、ひとりで2回ノーベル賞を受賞した科学者なのである。

 けれども、マリーは決して天才肌の科学者ではなかった。ポーランドでの女学校時代や、パリの大学での成績は抜群に優秀だったが、それは毎日の努力の積み重ねにほかならなかった。とくに大学時代は、食うや食わずの状態で学業に打ち込んでいたようだ。朴訥といってもいいほどまじめで、ひたすら努力を続けることをいとわない性格は、彼女の幼少期から育まれてきたものだろう。「ラジウム」を発見することになる研究室も、打ち捨てられていた倉庫で、彼女を訪ねてきた著名な科学者たちは、その粗末な環境に一様に驚いたという。そんな研究室で4年間、来る日も来る日も同じ手順の実験を飽くことなく繰り返した結果が、人類史に残る大発見にたどり着いたのである。

 だから、「ラジウム」を発見した31歳のマリーがもし、その成果を手に転職を希望するとしても、地位や名誉、金銭的な野心などは抱かないに違いない。自身が裕福になることよりも、研究が続けられること、そして、その研究成果が人々の幸福に役立つことを何よりも願うはずだ。起業家精神や経営能力に抜きん出ているわけではないが、地道な継続力のあるプロフェッショナルとして仕事に打ち込む姿は、現代のエンジニアにも通じるものがあるのではないだろうか。
 転機を感じているエンジニアの方や、リクナビNEXTスカウトに登録している方は、ぜひご自身のレジュメを書くうえでの参考にしてほしい。

 それでは早速、キュリー夫人31歳の「職務経歴」「自己PR」「キャリアプラン」をご覧いただきたい。
profile
1867年、ロシア領ポーランドのワルシャワに生まれる。父は中学の物理と数学の教師、母は女学校の校長を務めていた。1883年、16歳で女学校(第3ギムナジウム)を首席で卒業。その後、マリーは家庭教師として働き、姉へ仕送りしながら、自身の大学入学試験に備えて勉強を続ける。ブローニャの卒業後、今度はマリーが姉の支援を受けて、ソルボンヌ大学理学部に入学する。
【職務経歴編】Tech総研編集部の仮説 努力を重ねて念願の大学入学を果たし、優秀な成績を修め、さらに地道な研究に取り組んできた経歴に焦点を当てるはず
1886年(19歳) 姉の学費・生活費を援助するため、家庭教師を務める
前年に姉のブローニャが医学を学ぶため、パリに留学。その姉の学費・生活費を援助するため、家庭教師の仕事を開始。
1891年(24歳) ソルボンヌ大学理学部入学
1893年(26歳) ソルボンヌ大学を首席で卒業……(ポイント1)
学年トップの成績で物理学の学士号を取得。
1894年(27歳) 数学の学士号を取得
学年2番目の成績で、数学の学士号を取得。
1896年(29歳) 中等教員選抜試験に合格……(ポイント2)
パリで、中等教員選抜試験に首席で合格。
工業奨励金を得て、高温での鋼鉄の磁性についての研究に取り組む。
1897年(30歳) 放射線の研究に取り組み始める……(ポイント3)
前年から取り組んでいた研究の成果を「焼入鋼の磁性」として論文にまとめ、発表。
さらに、ウラン化合物の放射能の研究を博士論文のテーマに、夫ピエールとその兄が発明した「水晶板ピエゾ電気計」という精密な測定機器を得て、空気を帯電させる放射線を放つ物質を見つける研究に取り組む。
1898年(31歳) 未知の放射性化学元素「ラジウム」を発見……(ポイント4)
ウランなどを含む混合鉱石のピッチブレンド(レキセイウラン鉱)が、純粋ウランに勝る放射能をもつことを発見。ピッチブレンドの中に、未知の強力な放射性化学元素が存在することを、科学アカデミーの会議で発表。
その後の研究で、元素は2つあることを発見。まず、先に見つけた1つを「ポロニウム」と名付け、「ピッチブレンドに含まれる放射性をもった新物質について」という論文を発表。
次いで、ウランの実に100万倍の放射性をもつ元素を発見。「ピッチブレンドに含まれる放射性の高い新物質について」という論文で、この元素を「ラジウム」と名付けて発表。
【職務経歴】 Dr.スカウトの分析「企業はこう見る!」
 マリー・キュリーは、決して恵まれた裕福な家庭に育ったわけではない。当時のポーランドの社会情勢も相まって、女性の大学進学は困難を極めた。しかし彼女は、女学校卒業から8年をかけて大学進学の夢を実現する。その努力、目標を定めたらしっかりとその達成に向けて歩み続けようとする一途な態度は、称賛に値する。しかも、大学では、当時の女性としては珍しい物理学を専攻し、首席で卒業している(ポイント1)。さらに、物理学の研究に欠かせない数学の学位までも、学年2番目の好成績で取得している。マリーがこれほどまでの成績を修められたのは、もちろん才能もあるだろうが、彼女がたぐいまれなまでの努力家であることを表している。

 物理学と数学、2つの学位を得て大学を卒業したマリーは、新進気鋭の物理学者だったピエール・キュリーと結婚する。当時の女性の多くがそうだったように、そのまま家庭に落ち着いてしまっていたら、彼女は、大学の歴史に名を残すだけの才媛で終わっていたかもしれない。教職に就いて家計を支えながらも、マリーは学問の追究を続けた(ポイント2)。彼女は、家庭を支える日常と、自分自身の研究テーマの探求を両立させることができる女性だったし、そのために、他人に見せないさまざまな努力を重ねていたに違いない。マリーは結婚の翌々年、第一子を生むことになるのだが、彼女なら、育児と仕事のバランスをとった生活ができただろう。

 マリーと放射線との出合いは、運命のようなものかもしれないが、それだけ彼女が、物理学界の最新の動きに絶えず注意を向けていた証拠でもある。そこに、まだだれも手をつけていない新発見の可能性を見いだしたのは、学問に対する彼女の鋭い嗅覚を感じさせる(ポイント3)。そして、すでにこのころから、飽くことなく実験を繰り返し、常に厳密な測定を行って実験結果を検証し続けたマリーの実証主義的素養がうかがえる。そうして得られた正確なデータに基づく研究成果に、大胆な仮説を組み込むことで、マリーは「ラジウム」の発見にたどり着いた(ポイント4)。企業にとっては、採用後も手を休めず研究し続ける彼女の姿が浮かぶであろう。ぜひともスカウトしたい人材なのである。
職務経歴作成の詳細に関しては、こちらをチェック!
企業にスカウトされるレジュメ作成術 職務経歴編
【自己PR編】Tech総研編集部の仮説 大きな発見は成し遂げたものの、実利はまだ上げていない。それだけに、これまでの研究態度をアピールし、自分の潜在価値を訴求するはず。
自己PR 「学習意欲では、だれにも負けない自信があります。物理学や化学の最先端理論も貪欲に吸収して、そこから新しい可能性を見つけ出すことができます。そして、発見した可能性を実証するための理論的手順を構築することができます。物理・化学の実験と測定のために必要な器具の扱い、継続的な作業においても、十分な手腕を発揮できます。教師としての経験もあるので、後進の指導もお任せください。私の発見した『ラジウム』は、極めて強力な放射性化学元素であり、その研究は、物質の原子に秘められた莫大なエネルギーについて解き明かすことにつながるものと確信しています。原子の性質と放射能という、未知の領域に踏み込む研究に、私の心血を注いでいく覚悟です」
自己PR Dr.スカウトの分析「企業はこう見る!」
 学習意欲と能力の高さは、これまでの学歴・成績から見て説得力のある自己PRと受け止めて差し支えないだろう。職務経歴と併せて考慮しても、最新の論文に刺激されて自分自身の研究テーマを決めている点などは、研究分野に対する先見性をもっているといえる。地道な作業もいとわない努力家タイプであることは、実験や測定といった一見単調な作業も確実に継続できるといった点や、後進の育成も任せてほしいとアピールしている点にも表れている。なにより、ある分野の研究でトップを走っているのは、他社に技術的アドバンテージをつけるためにも、彼女の確保に動きたくなるはずだ。
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企業にスカウトされるレジュメ作成術 自己PR編
【キャリアプラン編】Tech総研編集部の仮説 「ラジウム」から広がる可能性、放射能がもつエネルギーの応用範囲を広げていくようなキャリアプランを考えるはず。
次のキャリアで
実現したいこと
「まずはいち早く、純粋な『ラジウム』の単離を成功させたいと考えています。原子の性質と放射能の関係についての研究を進めるためにも、純粋な形の『ラジウム』の抽出が急がれます。放射能は、原子の構造と密接にかかわる現象であり、原子の内部には、炭鉱や発電機が供給できるよりもはるかに大きなエネルギーが眠っていると考えられます。もしそうなら、人類はまったく新しい永続的なエネルギーを手に入れることができるのです。さらに、放射能の性質を上手にコントロールすることで、がん細胞の破壊などの医療分野や、工業製品の製造工程にも利用範囲が広げられるに違いないと期待しています。そのための研究にも、意欲的に取り組んでいきたいと思います」
キャリアプラン Dr.スカウトの分析「企業はこう見る!」
 当時、放射能についての研究はまだ始まったばかりで、マリー・キュリーによる「ラジウム」の発見は、その研究を大きく推し進めるうえで画期的な出来事である。さらに、放射能という現象が、原子の性質と密接に結びついていることを指摘する彼女の視点は、これまでの物理学・化学の世界にはなかったもので、非常に興味深い。産業革命以後、急速に工業化が進む社会は、慢性的なエネルギー不足という問題を抱えていた。もしもマリーが示唆するような新しいエネルギーを手に入れることができれば、その価値は計り知れないものとなるだろう。だが、マリー自身には、それによって利益を得ようというような意図はうかがえない。医療分野への応用など、人道的な見地から放射能の平和利用を訴えるあたり、彼女の無心さが読み取れるキャリアプランである。
キャリアプラン作成の詳細に関しては、こちらをチェック!
企業にスカウトされるレジュメ作成術 キャリア編
レジュメのポイント 華々しい成功や実績だけが「レジュメ」の魅力となるのではない。一途な思い、たゆまぬ地道な努力も十分に人を輝かせる。
 今回は、ソルボンヌ大学を優秀な成績で卒業したマリア・スクロドフスカが、物理学者のピエール・キュリーと結婚。博士論文のための研究テーマとして放射能に目を留め、31歳のときに「ラジウム」を発見して、ウラン化合物から純粋な「ラジウム」を単離し、放射能についての研究をさらに推し進めるために転職を希望するとしたら、という前提で「レジュメ」を作成してみた。

 マリー・キュリーはただ単に「ラジウム」を発見しただけでなく、原子の性質と放射能との関係から、物質を構成する原子に秘められた新たな可能性を提示してみせたのである。それはやがて、原子物理学や量子力学への扉を開くきっかけとなっていく。放射能と聞くと、現代の私たちは短絡的に核兵器に結びつけて考えがちだが、実は、マリーが「ラジウム」の単離に成功して以後、今日まで、放射能はがん治療などの医療分野や、工業生産、滅菌消毒、測量検査などに幅広く応用されているのである。

 マリー・キュリーの名が世界中に知られるようになるのは、彼女が純粋ラジウム塩の単離に成功し、36歳で女性初のノーベル物理学賞受賞者となってからである。もっともその受賞は、それまでの彼女の地道な努力があったからこそ成し得たものだ。最後まであきらめずに実現させた大学進学、食うや食わずの下宿生活を送りながらも勉学に打ち込んだ大学生活。結婚後も家計を支え、家事をこなしながら、自分の研究テーマを見つけて、その実験・測定に寸暇を惜しまず取り組み続けた。一見すると華々しさはないが、そうした一途な頑張りこそが彼女の「レジュメ」の最大の魅力となっていることに、皆さんもお気づきだろう。世間に騒がれるような成功体験や、利益を上げた実績だけが、「レジュメ」に表すべき誇りではないのである。

 皆さんも、未知なる可能性にかけて、ご自身のレジュメを作ってみてはいかがだろうか? そこにはきっと、自分自身が今まで気づかなかった新たな発見があるはず。

コラム キュリー夫人、31歳からの“ホントの人生”は……。
 31歳からのキュリー夫人の実際の人生を駆け足で紹介しておこう。
 マリー・キュリーは、「ラジウム」の発見から4年の歳月をかけて、その純粋な単離に成功する。これによって、「ラジウム」という物質の存在がだれの目にも明らかとなり、ラジウム生産が活発化して、放射能がさまざまな分野で利用されるようになっていくのである。
 夫のピエールが理論的な裏付けを進める一方で、繰り返される実験と精緻な測定に力を注いだのがマリーだった。彼女は、それだけ実証能力に長けていたのである。しかし、ピエールの不慮の死によって、彼女は、理論構築も、研究継続のための資金確保も、すべてひとりで担うことになっていくことになる。
 第一次世界大戦中は、放射能を使って負傷兵の治療にあたったマリーだったが、長年の研究による放射線障害は、確実に彼女の体をむしばんでいた。

1899年(32歳)
中央化学製品会社と提携。ピッチブレンドの純化に本格的に取り組み始める。

1900年(33歳)
ピエールは、ソルボンヌ大学付属P・C・N(医科入学試験のための予備校)の物理学教師となり、マリーは、セーブル高等師範学校(フランス最高の女性教師養成学校)で最初の女性教師となる。
キュリー夫妻の共同研究者のアンドレ・ドビエルヌが、「ポロニウム」「ラジウム」に次ぐ3番目の元素「アクチニウム」を発見する。

1902年(35歳)
純粋ラジウム塩1デシグラムの単離に成功。

1903年(36歳)
論文「放射性物質に関する研究」でソルボンヌ大学から博士号を受ける。
ピエールとマリー、さらにアンリ・ベクレルの3人に、ノーベル物理学賞が授与される。マリーは、女性として最初のノーベル賞受賞者となる。

1904年(37歳)
化学者であり、ラジウム生産にも携わっていたアルメ・ド・リールが雑誌『ル・ラジウム』を創刊。マリーは巻頭に論文を掲載するようになる。

1906年(39歳)
ピエールが荷馬車に轢かれる事故で急死。
マリーは、ピエールの職を引き継いでソルボンヌ大学物理学講師となり、女性として初めて同大学で講義を行う。

1908年(41歳)
マリーがソルボンヌ大学の物理学教授に任命され、同大学で最初の女性教授となる。

1910年(43歳)
マリーは、アンドレ・ドビエルヌと共同で、純粋ラジウム金属を取り出すことに成功。
ブリュッセルで開かれた国際放射線学・電気学会議で、「キュリー」が放射線の単位として採用されることが決まる。

1911年(44歳)
フランス科学アカデミー会員にマリーが立候補するが、1票差で落選。
第1回ソルヴェー会議に出席。
ラジウムおよびポロニウムの発見による科学の進歩への貢献と、ラジウムの性質および化合物の研究で、マリーにノーベル化学賞が贈られる。

1914年(47歳)
パリのピエール・キュリー通りに、ラジウム研究所、キュリー館が設立され、マリーはそれら施設の指導者となる。
この年、第一次世界大戦が勃発。1918年の戦争終結まで、マリーと娘のイレーヌは、負傷兵治療のために20台の移動X線車と200カ所の放射線治療の拠点を組織し、放射線医療のスタッフとともに各地の野戦病院を巡回する。

1920年(53歳)
ラジウム研究所の仕事を支援するため、「キュリー財団」が創設される。

1922年(55歳)
マリーは女性として初めて、フランス医学アカデミー会員に選出される。また、国際連盟の国際知的協力委員会の委員となる。
マリーが白内障の手術を受ける(その後、計4回の手術を受けることになる)。

1932年(65歳)
ワルシャワで、ラジウム研究所が正式に発足する。その開所式への参列が、マリーの最後のポーランド訪問となる。

1934年(67歳)
長年の放射性物質研究による放射線障害のため、マリー・キュリー死去。

1935年
娘イレーヌとその夫ジョリオが、「人工放射性元素の研究」でノーベル化学賞を受賞する。

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山田モーキン(総研スタッフ)からのメッセージ
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女性で始めてノーベル賞を受賞したキュリーのように、エンジニアの世界でも昔に比べて多くの女性エンジニアが活躍しています。今回ご紹介したレジュメが、今より理想の職場を求める多くの女性の方にとって、一つの参考になれば幸いです。
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