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数学器械の製造修理工、測量士を経て、33歳で蒸気機関の決定的改良を実現 自分と比較! もしもジェームズ・ワットが33歳でレジュメを書いたら
転職によるキャリアアップを検討しているエンジニアは、決して少なくない。もしあなたもそうなら、まず手始めに「レジュメ」を作成してみてはいかがだろうか。スカウトの目に止まる「レジュメ」作りのコツを、歴史的人物で検証してみよう。
(取材・文/中村光宏 総研スタッフ/山田モーキン)作成日:06.07.05
もしジェームズ・ワットが転職するとしたら……歴史をひもとき、レジュメを代筆
 登録しておけば市場価値を相対的に把握できたり、登録者のレジュメを熟読した企業から、スペックや志向にふさわしいメッセージが届く、エンジニアのキャリア形成に役立つリクナビNEXTスカウト。ところが、いざ登録するためにレジュメを作り始めてみると、自分のことをうまくアピールできずに苦労するエンジニアは多い。そこで、Tech編集部はだれもが知っている超有名エンジニアのレジュメを作成してみることで、何かしらのヒントが得られるのでは?と考えた。
 今回取り上げたのは、ジェームズ・ワット。名前を聞いておおよその方は「ああ、蒸気機関を発明した人でしょ」と思い浮かぶかもしれない。
 ただし正確に言うと、ワットは発明したのではなく、極めて効率的な新エンジンとして蒸気機関を「改良」した人物である。先行技術の欠点を見抜き、それを克服する方法を考案したワットの改良により、蒸気機関は、画期的な動力源としてイギリス産業界に広く浸透していきやがて、世界に先駆けて産業革命を実現するのである。

 ワットは、それまでの蒸気機関の欠点を克服した2つのシリンダーをもつ蒸気機関の設計で、33歳のときに特許を取得する。しかし、実際にその蒸気機関の製造・販売が軌道に乗り始めるのは、それから7年後のことだった。その間ワットは、素材、製造法、機関の稼働効率など、あらゆることに試験を重ね、改良を加え続けるのである。そうしたあくなき技術改良への意欲、真摯なまでの向上心は、すぐれた発明家であると同時に、ワットがまぎれもなく一級の技術者であることを示している。

 そのワットが「もしも33歳で転職するとしたら……」と仮定してレジュメを作成してみた。おそらく彼は、取得した特許に基づく蒸気機関の製造とその事業化に取り組み、さらなる改良・応用によって幅広くイギリス産業界への新動力の普及を推し進めていきたいという情熱をアピールすることだろう。
 転機を考えている方は、ぜひ自分のエンジニアキャリアと比べてみてほしい。また、リクナビNEXTスカウトに登録している方は、書き方の参考に。

 それでは早速、ジェームズ・ワット33歳の「職務経歴」「自己PR」「キャリアプラン」をご覧いただきたい。
profile
1736年、スコットランド西部の漁村グリノックに生まれる。子供のころから数学や工作が好きで、大工である父親の道具を借りては動く模型を作っていた。周囲の職人たちからは「この子は手にひと財産もっている」と言われていたという。1754年、18歳でロンドンに出て数学器械づくりをわずか1年で習得する。
【職務経歴編】Tech総研編集部の仮説 理化学分野への探究心と地道な検証を重ね続けたことが、大きな発明に結びついたことをアピールするはず
1757年(21歳) グラスゴー大学構内に数学器械の店を開店……(ポイント1)
グラスゴー大学(物理学)のディック教授の助力を得て、同大学の中庭に、数学器械を製造・修理する店を開店。(注:数学器械とは、物差しや定規、羅針盤、六分儀、経緯儀など、精密が要求されるさまざまな科学実験器具の意)
1763年(27歳) 蒸気機関の模型修理
グラスゴー大学(物理学)のアンダーソン教授から、ニューコメン型蒸気機関の模型の修理を依頼される(これが、蒸気機関と本格的にかかわるようになったきっかけ)。
また、友人と共同で出店した店が活況で手狭になったため店舗を移転。15人ほどの助手を雇い、数学器械のほかに楽器や雑貨などの製造販売も開始。
1764年(28歳) 「気化潜熱」について研究……(ポイント2)
ニューコメン型蒸気機関の模型修理を通じて、蒸気は、もとの水の約1800倍に膨張すること、そしてニューコメン型蒸気機関が著しく効率の悪いエンジンであることを発見。そこから、グラスゴー大学(化学)のブラック教授と親交を結び、「気化潜熱」について教示を受ける。
1765年(29歳) 2シリンダー式蒸気機関の着想……(ポイント3)
ニューコメン型蒸気機関の改良に取り組み始め続け、ピストンを動かすシリンダーと、蒸気を冷やすシリンダーの2つを分ける、2シリンダー式蒸気機関の着想を得る。
そこで、新しい蒸気機関の小型模型(シリンダーは真鍮製で直径4.5cm、高さ25.4cm)を製作、試験運転に成功。
1766年(30歳) 新しい蒸気機関の製造に着手
小型模型を実物大にすべく、グラスゴーの町外れにあるブルーミローの陶器工場の一角を借りて、新しい蒸気機関のためのシリンダーづくりに着手。
1767年(31歳) 運河建設の測量士としての仕事を開始
その仕事の合間を縫って、蒸気機関の試験と製造に取り組む。
1768年(32歳) 新しい蒸気機関の実物大模型を完成……(ポイント4)
シリンダー直径20cmの実物大蒸気機関の模型が完成。試験運転に成功。特許を出願。
1769年(33歳) 新しい蒸気機関の特許が認可
前年に出願した特許が認可。これにより、2つのシリンダーをもつ新しい蒸気機関の製造・販売を決意。
【職務経歴】 Dr.スカウトの分析「企業はこう見る!」
 ジェームズ・ワットは、実は誇れる学歴をもっていない。それでも、彼が21歳で数学器械の製造・修理店をグラスゴー大学構内に開店することができたのは、その技量を大学関係者(とりわけディック教授)におおいに認められていたからにほかならない(ポイント1)。
 その期待にワットが十分にこたえている証拠として、同大学にひとつしかなかった貴重なニューコメン型蒸気機関の模型の修理を、アンダーソン教授が彼に依頼したこと、そして、熱力学の最先端理論である「潜熱」を、ブラック教授自らが彼に教示したこと、が挙げられる(ポイント2)。
 特に、ブラック教授が「潜熱」をワットに教えたという事実は、ワットが単なる器械修理工ではなく、理化学分野に旺盛な探究心をもった科学者的側面を持ち併せていたことを物語っている。実際ワットは、数学器械の修理を請け負うに当たり、その器械の仕組みや原理、そこに介在する物理学や化学の法則まで知識を深めたうえで、修理に取り組んだという。だからこそ、原状復帰のための修理以上の改良を彼が得意とし、周囲もまたそれに期待したのは当然といえる。

 依頼されただけの修理にとどまらず、よりよい改良・改善に努力を惜しまなかったからこそ、ワットは、新しい蒸気機関の構造について、それまでだれも思いつかなかった着想を得ることができた(ポイント3)。このことはまた、「潜熱」や水蒸気の性質といった学問的領域についても、彼がしっかりと理解を深めていたことをうかがわせる。
 そうした確かな理論的背景と、天性の技術力の2つが相まって、画期的な蒸気機関を生み出すことに成功している(ポイント4)。しかも、机上の実験装置での成功ではなく、実物大模型での成功であり、すぐにも実用化できるレベルにあるのは間違いない。特許も既に彼が取得しており、事業化に向けて、もはや大きな障害はないものと思われる。
職務経歴作成の詳細に関しては、こちらをチェック!
企業にスカウトされるレジュメ作成術 職務経歴編
【自己PR編】Tech総研編集部の仮説 周囲から高い評価を得ていることに加え、旺盛な探究心と慎重な研究態度を持続して、画期的発明に至ったことをアピールするはず
自己PR 「各種数学器械の製造・修理技術にかけては、それらを日々利用して研究を重ねる大学の理化学系教授の皆さまから、絶大な信頼と評価を得ています。そうした技術力に加え、単なる修理業務だけを行うのではなく、器械が動作する仕組みや原理、その器械が用いられる研究分野の最新理論についても、多様な知識を習得してきました。その結果、従来の蒸気機関が抱える最大の問題点として、エネルギー効率の悪さを見いだし、その問題点を克服する画期的なエンジンとして、2シリンダー型の蒸気機関を発案いたしました。ただし、私は、新しいエンジンの実用化には慎重を期すべきであると考え、シリンダーの素材や製造方法に至るまで、徹底的に試験・検証を繰り返してきました。そして、ようやく信頼に足る性能と安全性を確立した蒸気機関を作り出すことに成功しました。今後は、この新しい蒸気機関の製造・販売を事業化し、さらなる改良に全力を尽くしていきたいと考えています」
自己PR Dr.スカウトの分析「企業はこう見る!」
 まず、専門分野の大学教授たちから高い信頼と評価を獲得していることが端的に述べられている。技術力については、既に第三者評価で折り紙付きであることが証明されているわけだ。しかも、ただ手先の器用さに頼った技術力ではなく、積極的に学んだ知識、論理的思考に裏打ちされた技術力であることをしっかりとアピールしている。そうした技術力、思考力の成果として、2シリンダー型蒸気機関を発明するに至ったという説明は、説得力をもつ。また、自らの発明を手放しで喜ぶのではなく、その優位性について慎重に検証を続けた態度は高く評価できる。技術者として、おごることなく真摯な気持ちで自分の仕事を検分する目をもつことは、極めて重要である。
自己PR作成の詳細に関しては、こちらをチェック!
企業にスカウトされるレジュメ作成術 自己PR編
【キャリアプラン編】Tech総研編集部の仮説 特許をもつ蒸気機関の量産で利益を上げるとともに、これまで以上に幅広い分野への蒸気機関の普及を目指すはず
次のキャリアで
実現したいこと
「早く特許使用料が得られるように、2シリンダー型蒸気機関の実用化に取り組みたいと考えています。これを量産して、イギリス全土の鉱山に導入を進めていきます。その際、エンジン性能を客観的に示す必要があれば、わかりやすい性能基準を考案したいと思っています。また、2シリンダー型蒸気機関は、さらなる改良が可能です。コンデンサー(冷却復水器)などを改良することで、従来のニューコメン型蒸気機関の数分の一の燃料で、同等以上の仕事量をこなせる効率のよいエンジンに仕上げることができます。そのための試験にも既に着手しています。さらに、蒸気機関が炭坑以外の場所でも広く利用されるためには、これまでのピストンによる往復運動から、クランクを用いた回転運動に転換する必要があると考えています。その方法も現在考案中であり、蒸気機関は近い将来、産業のあり方や人々の労働、暮らしを一変させる原動力になるものと期待しています」
キャリアプラン Dr.スカウトの分析「企業はこう見る!」
 既に特許を取得している蒸気機関の量産化によって、確実な利益を上げていこうとする姿勢は、ビジネスプランとしても評価できる。と同時に、それだけに安住するのではなく、自ら考案した蒸気機関の改良を続けることで、新たな動力源としての可能性を示唆している点は非常に興味深い。それが机上の空論でないことは、いち早く具体的な改良に着手して、既に試験を進めているという事実からも見て取れる。ワット以前の蒸気機関は、せいぜい炭坑の坑道に染み出す地下水をくみ上げるための装置でしかなかったが、彼を信じて力添えすることで、蒸気機関が、あらゆる産業の姿を激変させることになるかもしれないという期待を十分抱かせるに足るキャリアプランである。
キャリアプラン作成の詳細に関しては、こちらをチェック!
企業にスカウトされるレジュメ作成術 キャリア編
レジュメのポイント どのような態度で仕事に臨んできたか。どう評価され、どんな成果を生み、どういった展望をもっているかが重要
 今回は、画期的な2シリンダー型蒸気機関で33歳のときに特許を取得したジェームズ・ワットが、自ら考案した蒸気機関を量産化するために転職を希望したら、という前提で「レジュメ」を作成してみた。ワットは、21歳でグラスゴー大学の中庭に科学実験器具の製造・修理を請け負う店を開き、そこで、当時の鉱山で広く利用されていたニューコメン型蒸気機関と出合う。そして、瞬く間にニューコメン型蒸気機関の欠点を見抜いて、改良方法を見つけ出していくのである。

 蒸気機関の発明家として紹介されることの多いワットだが、実際には、発明家というより極めてすぐれた技術者と呼ぶべきだろう。積極的に知識を学び、仮説を立て、実験を行い、その実験結果から論理的かつ合理的な理屈を探る。そうして導き出した理屈を検証するために、実験器具に改良を加え、さらに実験を繰り返していく。
 しかし、彼はいつも部屋にこもって実験ばかりに没頭していたわけではなく、実際の現場を見て歩き、当時の著名な実業家と親交を結んで、蒸気機関製造の事業化にも取り組んでいた。特許取得を怠らなかったのも、事業化を念頭に置いていたからにほかならない。その点でも、現代のエンジニアに通じる素養をもっていた、と言えるかもしれない。

 キャリアアップを図るための転職で、自分を売り込む重要なツールとなる「レジュメ」。ワットの「レジュメ」からは、仕事に向かう姿勢やこれまでの実績、周囲から得られた評価、そして、将来への展望を飾ることなく、また臆することなく、率直に表現することが重要なのだということがわかる。企業のスカウトは、そんな「レジュメ」から、新たな可能性の芽を見いだすのである。
 皆さんも、未知なる可能性にかけて、ご自身のレジュメを作ってみてはいかがだろうか? そこにはきっと、自分自身が今まで気づかなかった新たな発見があるはずだ。

コラム ジェームズ・ワット、33歳からの“ホントの人生”は……
 33歳からのジェームズ・ワットの実際の人生を簡単に紹介しておこう。
 ワットは、バーミンガムの実業家ボールトンと共同で「ボールトン-ワット商会」を設立し、蒸気機関の本格的な製造・販売に乗り出す。しかし当初は、なかなか炭坑への導入が進まなかったようだ。そこでワットは、自ら炭坑町を回り、現場で蒸気機関を組み立てては運転してみせ、その性能を実証してみせた。そうした地道な活動が功を奏し、イギリス最大の鉱山を抱えるコォンウォール地方で認められたのをきっかけに、ワット型蒸気機関が、それまで多くの炭坑で使われていたニューコメン型蒸気機関に取って代わることになる。
「ボールトン-ワット商会」が実質的な利益を上げるのは、この回転エンジンの実用化以降のことである。ワットが発明した回転エンジンは、イギリスの紡績業を世界的巨大産業に成長させる原動力となり、産業革命の牽引役となった。

1772年(36歳)
グラスゴー市内のクライド川に運河を建設するための測量を3年がかりで終え、その報告書を作成する。69年から73年まで、ワットは生活のため、スコットランド各地の運河の測量、改良設計、河川の改修工事などに従事する。

1774年(38歳)
バーミンガムへ移住、蒸気機関の製造に本格的に取り組み始める。ボールトンの仲介で、「中ぐり盤」を発明したウイルキンソンと知り合い、堅牢なシリンダーを手に入れたことで、蒸気機関の実用試験に成功する。

1775年(39歳)
1769年に取得した特許の有効期限(14年間)を、25年間に延長する許可をイギリス議会に申請。受理される。

1776年(40歳)
「ボールトン-ワット商会」を設立。スタッフフォード州ブルームフィールド炭坑にワット型蒸気機関を設置し、試運転に成功する。

1777年(41歳)
コォンウォール半島のチェイスウォーター鉱山でワット型蒸気機関の運転に成功。コォンウォール地方の鉱山から、次々とワット型蒸気機関の注文が入り始める。

1781年(45歳)
蒸気機関で回転運動を起こす5つの方法を考案。そのうちのひとつ、遊星歯車装置を特許出願する(翌82年に特許が認められる)。

1783年(47歳)
最初の回転エンジンを完成させる。

1788年(52歳)
回転エンジンに、蒸気の圧力を加減してエンジン速度を自動的に調節できる「遠心調速器」を取り付けることに成功。これにより、より実用性の高い回転エンジンが完成する。

1809年(73歳)
長年の事業パートナーであったボールトンが死去。ワット自身も既に事業の一線を退き、互いの息子に会社を任せて、ヒースフィールドにある家で自分の好きな実験に取り組みながら悠々自適の老後を送る。

1819年(83歳)
ヒースフィールドの自宅で死去。遺体は、バーミンガムのハンズワース寺院に眠るボールトンの墓の隣に葬られる。

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山田モーキン(総研スタッフ)からのメッセージ
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私事ながら車を所有しているのですが、エンジンの調子が良くて実は丸10年、乗り続けています。そのエンジンも元をたどれば、ワットに行き着くんですよね。現代の生活が歴史上の偉人エンジニアによって今でも確実に支えられていることを、今回のレジュメと自分の車の両面で実感。これからももっと多くの偉人エンジニアの過去を、ひもといていきたいと思います。
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