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懐かしの“アレ”がエンジニアの原点だ!Vol.14 ソフトの数だけ興奮がある「セガゲーム」家庭用機編(後編)
セガのアーケードゲームに熱中した時代を振り返った前回。今回は「メガドライブ」などの家庭用ゲーム機と、そこから生み出された数々のゲームソフトの魅力とエンジニアのかかわりにスポットを当ててみたい。
(取材・文/金沢桃子 総研スタッフ/山田モーキン)作成日:06.05.03
前編の要約
お二人のエンジニアが、セガアーケードの魅力を「これでもか!」というほど、語りつくしていただいた。 今回の家庭用ゲーム機編では、深いセガへの愛(一部ゆがんだ愛?)を感じさせる、よりディープな話が飛び出した。
セガにほれ込んだエンジニア2人のプロフィール
恒田さん(仮名/半導体関連プログラマ・28歳)
片野さん(仮名/通信会社サービス開発・37歳)
お持ちだった家庭用ゲーム機とソフトはなんですか?
片野:
マスターシステム(前編参照)です。FM音源対応のソフトを特にプレイしてましたね。FM音源がとにかく魅力的でした。「ファンタシースター」(※1)、「スーパーバブルボブル」(※2)、「アルゴスの戦士」(※3)、「ソロモンの鍵」(※4)とかをやりました。液晶シャッター式の3Dグラス(※5)が周辺機器にあって、「スペースハリアー3D」が出たのですが、目が疲れるんで、裏技コマンドで3Dをオフにしてプレイしてました(笑)。
恒田:
自分はメガドライブです。とにかくグラフィックの精細さが素晴らしかったですね。もちろん、FM音源も。「これはすごいぞ、16ビットだ!」と意味もわからずに小学校の担任の先生に自慢していました(笑)。メガドライブのソフトはほとんどプレイしましたね。友人に『BEEP!メガドライブ』(前編参照)を貸して、布教をしてました(笑)。(メガドライブを買わない人には)「なんでこのすごさがわからないんだ!」といら立ちを感じるときもありましたが。
ファミコンとの違いと、その魅力はなんですか?
恒田:
とにかくグラフィックと音がまるで違う。16ビットによる画面の美しさには当時、衝撃を受けました。「メガドライブの高い技術には未来がある」と思った人が、ファミコンでなく、メガドライブを選んだんだと思いますよ。
片野:
FM音源がとにかくよかったです。アーケードで耳が肥えていたので、ファミコンのピコピコ音がどうも……。
恒田:
やっぱりFM音源だと変わりますよね。音楽が違うと、ゲームに対する集中度も全然違う。よりいいものを聞いてしまうと戻れないというか。
片野:
メガアダプタ
それと、セガはメガアダプタ(※6)みたいに、メガドライブで、前機種であるマスターシステムのソフトも遊べるというようなキットを作っていて、そのあたりがユーザー本位で好きでした。
恒田:
自分はメガドライブにいちばん熱中していたのですが、例えばファミコンのシューティングゲームだと、画面に出る敵の弾の数に限りがあって、すぐにプレイできる「難易度の頂点」まで到達しちゃうんですよ。でも、メガドライブはハードウェアの性能が高いので、簡単には到達できない。「TATSUJIN」(※7)というゲームがあったのですが、文字どおり達人向けのゲームで、弾のばらまきの数が画面を埋め尽くすほどの「ありえない量」で、かなりの難易度でしたね。
片野:
セガのほうが自分の主張を通しているように見えましたね。こだわりを感じましたし、高いクオリティを感じた。ゲームのスピード感もすごかったですし。ファミコンでなくセガを選んだのは、「群れる」のが好きじゃなかったのもあります。
恒田:
一般の人からすると、メガドライブは「稀」な存在で、親友には言えるけど、クラスで堂々というのは正直、カミングアウトに近かった(笑)。
片野:
会話が合わないって言うのはありましたね。私もメガドライブユーザーの仲間内で話をしてました。
恒田:
メガドライブユーザー同士の結束は固かったですけどね。
片野:
何年たっても仲間の数は増えないんですが、減りもしないって感じでしたね。結局、ファミコンをやりたいとは一回も思わなかった。1時間くらいやってみたのですが「ああ、違うな」って。音やグラフィックスに満足できなかったり、それに十字キーが使いづらくて。
恒田:
初代メガドライブも難易度の高いコントローラー(※8)でしたけどね(笑)。自分もみんなの仲間になるためにファミコンをやろうと思ったことはないですね。つるんでゲーセンに行くとかはありましたが。
ソフトの観点から見るといかがでしょうか?
恒田:
セガは子供向けのソフトじゃなかったですね。世界観とか設定が大人向けでした。アーケードからの影響だったり、アメリカでの影響だったりいろいろあったんだと思いますが、主にシミュレーションゲームが多くて、世界設定もサイバーパンクだったり、出てくるキャラクターもごついお兄さんだったり(笑)。
片野:
それに、ソフトの数が違いましたよね。ファミコンが月に10本くらいのペースで出すと、セガの場合は月に2、3本。『BEEP!メガドライブ』を見て、セガの開発スケジュールに自分が合わせてゲームをしてましたよ。
恒田:
いろいろありましたね、セガ以外でもサンダーフォース(※9)とかシルフィード(※10)とか。セガのソフトに共通するのは“理不尽さ”。『BEEP!メガドライブ』で点数が低いものも、あえて買っていました。最下位から10位以内のソフトは、ところどころじゃなくて、ゲーム全体が理不尽なんですよ(笑)。一発死したり、知らないと避けられない攻撃があったり、操作性も考えてなくて。慣れるとできるのですが、普通の人は慣れる前に投げ出しちゃう気が(笑)。
そういった難易度の高いゲームの楽しさはどこにあるのでしょう?
片野:
例えばメジャーゲームの場合は攻略法が存在するので、すぐにクリアできてしまうんです。でも難易度の高いゲームの場合、自分で攻略法や裏技を見つけないといけない。 でも、そうした高いハードルをクリアできたときの充実感は、メジャーゲームでは得がたいものなんです。
恒田:
自分の頭にしかクリアの知識がないですからね。これは僕しか、限られた人しかできないという、ある種のエリート気分に浸れることも魅力かもしれない(笑)。
片野:
操作を覚えるだけで大変なものもありましたからね。「カース」(※11)とか「ナスカ’88」(※12)とか。「ナスカ’88」はキャラクターが縦横にしか進まなかったり、当たり判定がよくわからなくて、本当に苦労させられましたけど。
恒田:
私の場合、「収集癖」があるので、あえて難易度の高いゲームを買い集めましたね。「おそ松くん」(※13)とか。
片野:
そのソフトがプレイヤーに対してどう絡んでほしいのかを理解できるまでが、大変なんですよね。ゲームが教えてくれるのではなく、自分たちで理解しないといけない。ただし本当に、グラフィックなどの技術はすごいんです。
恒田:
「ソード・オブ・ソダン」(※14)なんかは、子供が泣いちゃうようなリアルなビジュアルでしたよね(笑)。キャラクターもエフェクトも音楽も。メジャーなゲームで「チェルノブ」(※15)は業務用で評判だったものなのですが、家庭用としてはいろいろとハードすぎて……。ライフゲージがなくて一発死してしまうとか。強制的に右にスクロールする上に、キャラクターが後戻りできない。プレイヤー泣かせのゲームでしたが(笑)。 それでもやはりゲームをクリアしたときは、ちょっと感動してしまいました。
セガに熱中した経験が、今のお仕事のどのように影響をしていますか?
恒田:
こだわりをもつ大切さ。大衆に迎合しないで斜めに構えてみると、そこに宝の山があるんだと教えられました。自分は同じことをやるのが嫌いで、常に新しいことをしたい。セガも時には失敗することもあるけど、常に新しい技術やアイデアを提案していくスタンスに少年時代、強く影響されましたね。
片野:
大衆に迎合しない、ほかの人が見ているのと違うところを見る、広い視野で見ることができる。サービスの仕事は差別化が大事なんですが、社内でみんなが、こっちがいいと言っていたものを、自分だけが違うものを押して孤軍奮闘をしたことがあったのですが、それを通した結果、そちらが主流になったってこともありましたね。
恒田:
それと、『ファミ通』にはゲームデザイナーがインタビューに出てきたりするのですが、『BEEP』には作業着を着たセガのエンジニアが出てましたね。父がプログラマだったのですが、その時代は人並み以下の給料で、機械に囲まれて人間がやる仕事じゃないみたいに言われていたんで、エンジニアが表に出てゲームについて生き生きと語っているその記事を見て、とても勇気づけられました。
あなたにとって、セガとは?
恒田:
セガのゲーム=青春時代です。人生の中で打ち込んだものは人それぞれですが、自分はセガです。僕がひねくれた人間になったのはまぁだれのせいとはいいませんが(笑)。セガを選んだことに後悔はありません。単純な快楽でなく、“複雑にひねった楽しさ”を教えてくれました。セガゲームに対して時には厳しい批判をしたこともありましたが、そこまで言うには深くセガにつき合わないといけませんからね(笑)。こだわりが問題になることもありますけど、こだわってやることが大事だと思えるようになったのはセガの影響です。「ここまで仕事をやったからもういいや」と終えてしまうのではなく、「もう少しがんばろう、朝までがんばろう」と思えるのも。
片野:
技術に対する感覚の基本を作ってくれたものです。セガはとにかくほかよりレベルが高かったし、ほかとは違う基準点をもっていました。より高いものへ、より違うものへと常にチャレンジしていましたね。自分は打ち込んだのが、野球でもサッカーでもなく、「セガに打ち込んだ」と胸を張っていえます。今、あれ以上に打ち込めるものはほかには存在しないですからね。
ファンタシースター(※1)
1987年にセガが発売した、セガ初のオリジナルRPG。マークV、マスターシステム共用のソフト。滑らかな3Dダンジョンや敵のエフェクトなど、それまで培われたセガの技術が盛り込まれたゲームである。当時としては珍しく、アリサという女性が主人公で、世界観もSFが加えられているなど、ほかのRPGとは違う魅力があった。後にメガドライブで「ファンタシースターU」が発売され、こちらも人気を博した。

スーパーバブルボブル(※2)
タイトーが発売した固定画面アクションゲーム。「泡」を題材にした独特のアクションを用いる。二人同時プレイにより、優れた連携アクションを楽しむことができる

アルゴスの戦士(※3)
1986年にテクモが発売したアクションゲーム。マークV・マスターシステム向けには1988年に「アルゴスの十字剣」というタイトルで移植された。ディスカーマーというヨーヨーのような武器を使う戦士となり、世界を支配する獣王ライガーを倒す。
ソロモンの鍵(※4)
1986年にテクモが発売したステージ型アクションパズルゲーム。マークV・マスターシステム向けには1988年にテクモから許諾を受けたサリオがファミリーコンピュータ版のものを移植したものが発売された。FM音源対応ソフトである。

液晶シャッター式の3Dグラス(※5)
サングラス型の周辺機器。3D対応のソフトをプレイする際にこのメガネをかけると立体的な画面でプレイすることができた。友達が同じグラスを持っている場合、ツインステレオジャックを使って、二人同時に立体映像を見ることも可能だった。

メガアダプタ(※6)
メガドライブでマスターシステム以前のソフトがプレイ可能になる周辺機器。形式が違うため、FM音源には対応していない。また、メガドライブ2やテラドライブには使用不可。

TATSUJIN(※7)
1989年に東亜プランが製作した縦スクロールシューティングゲーム。シューティングゲームに定評のある会社で、後に出した「達人王」も人気を博した。

初代メガドライブも難易度の高いコントローラー(※8)
3ボタンコントロールパッドで、キーがうまく入らないなどの弊害があった。後に改良される。

サンダーフォース(※9)
テクノソフトの開発したシューティングゲームで、メガドライブでは「サンダーフォースIIMD」が1989年に発売されている。本来パソコン向けのゲームだったが、メガドライブの16ビットを生かし、忠実に移植した。メガドラの代表的なシューティングとして名を挙げられる一作。

シルフィード(※10)
1993年にゲームアーツが発売した縦スクロールシューティングゲーム。メガCD対応のゲームで、メガドライブ本体と、メガCDのCPU両方を使って、質の高い画像を提供した。

カース(※11)
1989年にマイクロネットが発売したシューティングゲーム。パッケージのデザインがSFチックなのだが、人の頭部の後ろ半分が割れて、赤い脳などが見えているものだったので、ゲーム操作の難易度の高さとともに、そのパッケージの怖さを印象づけられた人も多い。

ナスカ‘88(※12)
1987年にセガが発売したアクションゲーム。仲間になる3人の名前がパピ、プペ、ポーだったり、彼らがお金を投げつけると仲間になったりと、さまざまにネタの多いゲームだった。

おそ松くん(※13)
1988年の年末にセガが発売した横スクロールアクションゲーム「おそ松くんハチャメチャ劇場」。絵や世界観は原作に忠実だったが、膨大なバグがあり、原作者が怒ったという逸話が残されている。

ソード・オブ・ソダン(※14)
1991年にセガが発売したアクションゲーム。 左右も後ろも向くのが大変困難で、かなり難易度の高い操作性で有名。

チェルノブ(※15)
1988年にデータイーストが発売した強制横スクロールアクションゲーム。メガドライブには1992年に移植されたが、原子力発電所の事故で放射線を浴びて特殊能力を身につけたという設定や、主人公が死んで終わるED、「OWATTE SHIMATTA」というローマ字エンドロールがなくなり、動きが非常に滑らかなちょっと変わったデザインのアクションゲームというマイルドなものになった。

白熱!「セガゲーム」座談会を終えて
高度な技術力やユニークなアイデアで常に、話題になるソフトを提供してきたセガ。
そうしたセガの、ゲーム開発に対する「こだわり」の姿勢に少年時代、共感を抱きつつ長い間熱中してきた今回のエンジニアたち。
細かいこだわりが、多くのゲームユーザーを魅了させることに身をもって実感した少年たちが今、同じ技術というフィールドで、こだわりをもって仕事をしている。
そんな「セガゲーム」もまた、エンジニアにとってひとつの原点と呼べる。
コラム:移りゆくゲームセンターの存在価値とは?
今回はセガのアミューズメント施設のひとつである『ハイテクランド セガ 渋谷』にお邪魔した。この施設は15年ほど前に開店し、昔ながらの外観ではあるものの、中には最新のゲームが揃っている。取材時にも、最新作の「バーチャファイター5」のロケテストが……。
お話しいただいた株式会社セガ AM事業統括部・AMパブリシティ企画室室長の高橋哲也さんも実はスペースハリアーに感銘を受けてセガに入社したという、セガファンの一人でもある。
・アーケードゲーム業界の20年の動きについて教えてください

まず、1978年の「スペースインベーダー(タイトー)」の時代からお話をスタートします。その当時のゲームセンターは、暗くて汚くて怖い場所と言われていたんですが80年代になって風俗営業法がゲームセンターにも適用されたこともあり、明るく健全でカップルやファミリー、そしてゲームファンの集まる手軽なレジャーの場所へと進化していきました。

1985年に体感ゲームがきて、それから、85年に発売されたUFOキャッチャーが市場を広げました。91年に発売された「NEW UFOキャッチャー」の爆発的ヒットがいわゆる「UFOキャッチャーブーム」です。
そして95年の「プリント倶楽部」、2003年の「甲虫王者ムシキング」が大きなムーブメントを起こしましたが、ビデオゲームではその間に90年代初めの「ストリートファイターU(カプコン)」による2D対戦格闘ゲームのブーム、94年に登場した「バーチャファイター」以降の3D対戦格闘ゲームのブーム、そして、99年の「ダービーオーナーズクラブ」へと続きます。

「バーチャファイター」は技術の先進性もさることながら、ゲームだけでなくプレイヤーにも脚光を浴びるようになったエポックメイキングな作品です。それまでの概念を覆し、「ゲームがうまいことがカッコイイ」と言われるようになりましたからね。
「ダービーオーナーズクラブ」はそれまで100円、200円だったゲームの単価を変え、お客様の滞留時間を延ばしました。ゲームで遊ばなくなっていた層の方々を再びゲームセンターに来ていただけるようにした功績は大きいと思います。この流れが今日の「WCCF」「三国志大戦」をはじめとしたカードゲームブームへと継承されます。

・年代によって人気のゲーム機種は変わっていきましたか?

そうですね、技術の進歩に伴い、ゲームが複雑化してしまい、上級者は楽しめるけれども初心者の人が入りにくい状況になりつつありました。それを変えるためにも、ファミリー向けのものや、ネットワーク対応のものを作るようになりました。

ネットワーク対応の点で言いますと、「バーチャファイター4」で、プレイヤーの対戦履歴などを残すICカードと、閲覧やカスタマイズをできるモバイルを連動させました。それに対応するために、設置店舗に筐体をサーバーにつなぐためのインフラを整備することにしたのですが、当時は今ほど回線が普及されておらず、大変でしたね。
しかし、ネット対応で明らかに売り上げも違いましたし、VF.NETにモバイル接続をするために、ユーザーが携帯のキャリアを変えるという現象まで起こりました。

一方で、現在「体感ゲーム」と言われる可動式の大型ゲームは主流とは言えません。メンテナンスや設置場所の問題があり、ドライブゲームなども可動のない汎用筐体を用いられることが多くなっています。ただし、かつて「体感ゲーム」が生み出したような全く新しい遊びは常に世に送り出していきたいですね。逆にプレイヤー自身が動くゲームはエアホッケータイプを筆頭に根強い人気を誇ります。「音ゲー」ブーム以降の楽器を操作するゲームもその流れの延長です。「体感ゲーム」が与えた興奮は現在大型アトラクションとして、ジョイポリスなどでお楽しみいただけます。

今はファミリー向けの「甲虫王者ムシキング」や、こちらは女の子向けになりますが「オシャレ魔女 ラブand ベリー」などが人気です。
親子で楽しめるゲームということで、ムシキングは実在する虫を登場させました。多少なりとも勉強につながりますし、親御さんもかつて昆虫採集をした経験などから入り込みやすい題材なので、その点が長く人気が続く理由だと思います。例えば“宇宙昆虫”のような架空のものだったら、ここまでの人気にならなかったかもしれませんね。
今の親御さん世代はゲームに対して抵抗感がないので、そういう点でも、手軽なレジャーとして楽しんでいただけていると思っています。

・高性能な家庭用ゲーム機や、パソコンでのオンラインゲームなどがありますが、その中でゲームセンターはどのような位置づけになると思いますか?

ゲームセンターは一種のコミュニケーションの場だと思うのです。親子のコミュニケーションであったり、ゲームファンの集まる場であったり。家にいてオンラインで人とつながるのではなく、ゲームセンターにいる実際の人とコミュニケーションが取れる、話ができる、そして、ギャラリーがいる。
現在もアーケードゲームの全国大会を定期的に開催していますが、参加者も数千人から数万人にのぼりますし、ギャラリーはその何倍もいます。今後もそういったコミュニティの場にしていきたいですね。

皆さんは「セガ」という名前を聞くと、さまざまなイメージをもつと思います。高い技術力だったりオリジナリティだったり、逆に「セガだからしょうがないや」みたいなものだったり(笑)。でもこれからも「やっぱりセガはセガだ」と思えるものを提供していきたいですし、セガに触れることで世代を問わず、多くの方に楽しんでいただきたいですね。
高橋哲也さん
高橋哲也さん
株式会社セガ AM事業統括部・AMパブリシティ企画室室長
▼「ハイテクランド セガ 渋谷」の店内と人気ゲーム機一覧
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山田モーキン(総研スタッフ)からのメッセージ  
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前回と合わせて今回のセガゲーム特集、いかがでしたでしょうか? とにかく今回はいつも以上に参加者の「熱」が高く、4時間近く「語りつくし」ました。もしまた機会があれば、別のテーマでセガゲームをクローズアップしたいと思います。

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