あきらめることと投げ出すことは違います
僕のヨットレースの体験を話させてもらうと、もう何度もやりたかったことをあきらめてますよ。単独世界一周できたのは3回目の挑戦だったから、その前に2回失敗してるしね。3回目のときは、死ぬ気で出航しました。僕の場合、1回のレースに出場するのに何億円もお金がかかるんで、たくさんの人から資金を援助してもらって準備を整え、やっとスタートできる。だから、参加したくてもあきらめなきゃならないレースもあれば、やっとレースに出られたとしても、自然を相手にしているから、こてんぱんにやられてしまうこともあるわけです。
僕は高校時代、単独世界一周レースの初代優勝者である多田雄幸さんの存在を知って、卒業後すぐに弟子入りしたんだけど、多田さんが僕と一緒に回った引退レース中に亡くなり、師匠を失ってしまった。それから26歳まで四畳半の部屋に住み込んで、油まみれになって造船の見習いをしながら、不安だらけの日々を過ごしていました。ただひとつ、「どうしても世界一周をしたい」という夢があったから、どんな状況であろうと、それだけに向かってきた。不安や失敗やあきらめなきゃならないことはいくつもあったけど、決して投げ出さなかったんです。
「あきらめる」という言葉は仏教用語でね、「明らかに見極める」という意味。「投げ出す」ことじゃない。自分にはできないと見極めてあきらめることも立派なひとつの決断です。だから、もしあきらめるのだったら、人のせいにしないで、文句を言わず、執着を捨てて「ほかで頑張るんだ」と、気持ちをしっかり切り替えることだよ。でも、もしも投げ出そうとしているのだったら、それは現状から逃げようとしているだけ。ほかの仕事に変えたって、嫌になったらまた同じように逃げたくなるからね。あきらめるのはいつでもできることだから、今はもう少し頑張ってみたほうがいいと僕は思うな。逃げずに我慢できれば、後はどこに行っても通用する人になれるものです。
夢をかなえるには時間とエネルギーが必要
そもそも、あなたの夢が本当の夢ならば、簡単にかなうわけがないんだよ。夢を実現するには時間がかかるんです。花と同じで、大輪の花を咲かせるために、深く張った根も必要だし、しっかりした茎も葉もエネルギーも要る。手間と時間をかけて育てるしかないんです。山を登るにしてもそう。高い山ほど長い裾野があるでしょう。だから、裾野の道が長ければ長いほど、そこをひたすら歩き続ければ、高い山に登れるのだということ。それが「自然の理」というものです。
もうひとつは、夢を持ったのなら、たとえ年月がかかっても師匠をしっかり選んだほうがいいね。僕は多田さんと岡村造船さんという素晴らしい師に出会いました。「この人」と決めたら、何度も頭を下げに行くんだよ。かの劉備玄徳だって、部下にするために諸葛孔明の元に3回通って「三顧の礼」と言われるようになったんだから。あなたは、今の店長に「弟子になれ」と言われたわけじゃないよね?誰に頼まれるわけでもない、自分に選ぶ権限があることを忘れずに、師匠をしっかり見極める心の目を持ちましょう。自分の了見が曲がっていると、曲がった人に惹かれてしまうんです。そして、最終的には自分の了見ですべてを決める。志さえしっかり持っていれば、どんな決断も恐れることはありません。