我慢するばかりが美徳ではありません
社長がイヤというのは、転職する立派な理由ですよ。どんな会社に行っても人間関係がうまくいなかい場合は本人の問題ですが、こんなにわかりやすくみんなが手を焼いている社長がいるのなら、そのワンマン社長に問題あり、でしょう。
あなたのおっしゃるように、どんな職場に行っても合わない人はいるものだって、誰もが言うんです。だけど、人間関係ってすべての基本。「自分が我慢すればいい」と思う人は多いけれど、あまりに我慢しすぎては人生のプラスにならないのではないかしら。もちろん、我慢を全くしないのもよくないけれど、我慢しまくることが美徳ではないし、少なくとも自分のための我慢でなければ意味がないですよね。
「我慢したメリットがなければ、我慢しなくてよし」と、私は言いたいです。 例えば、あなたがやりたいことをやる上で有利になると判断したら、そのために頭を下げるのも我慢できますよね。でも、この社長にそういうことをして、あなたが報われるのかしら? もし、ワンマンだけどなぜか取引先にウケがいいとか、社長にナゾがあるのなら、それを解いてからでもいいじゃないですか。世渡りの秘訣がひとつでもわかるのであれば、自分のためになるのだから。どうせ我慢するなら、そういう種類の我慢じゃないとね。
自分のメリットがあるのかを考えましょう
先行き自分にとって、我慢することが何のメリットにつながるかを考えてみるといいですよ。そうすると、自分自身に対する説得力も出てくる。もし、あなたが辞める時に社長から引き止められても、それは会社側のメリットであって、あなたの人生なのだから、自分のメリットで考えていいんです。そう考えることを恥じることもないんですよ。
なぜなら、メリットがないことをする相手って、本当に自分が好きな相手だけ。それは皆、同じだと思うんです。自分のメリットばかり考えたら、利己的と思われると恐れるかもしれませんが、決してエゴイズムじゃありません。エゴイズムは人をだましたり、犠牲にしたりして人の足を引っ張ること。自分のメリットのために生きるのはエゴイズムではないのです。
私の場合は、仕事をするのも恋愛をするのも同じポリシーなので、「自分のために生きよう」と思ったのは、転職じゃなくて離婚の時でした。私が彼のおもりで一生を棒に振ったとしても、それを彼が責任取ってはくれないし、もし「選んだのはお前だろう」と言われれば、その通りだと思ったわけです。あなただって、好きでもない会社のためにいつまで残っていても、この社長は責任取ってくれるわけじゃありませんよね。あなたの人生の責任を取れるのは、他人ではなく自分だけなのですから。
人のために生きて「自分の人生メチャクチャになりました」って言うのは、自分で人生の責任を取ってないわけじゃないですか。思った通りに生きるのは自分の責任。他人が自分の人生を幸せにしてくれるのではありません。自分自身でつかむものなのです。