プロ論。

なぜ、あの人はいい仕事ができるのか。 第一線で活躍する人物の「こだわりの仕事術」を紹介します。

常に「80%」を目指す。その余裕がいい仕事を生む

坂井宏行さん(「ラ・ロシェル」オーナーシェフ)
さかい・ひろゆき●1942年、鹿児島県生まれ。17歳でフランス料理の修業を始める。19歳で単身オーストラリアに渡る。1年半後に帰国し、銀座「四季」で3年間修業。フランス料理の先駆者的存在だった志度藤雄氏の指導を受ける。その後、青山「ココ・パームス」「西洋膳所 ジョン・カナヤ麻布」にてシェフを務める。1980年、南青山に「ラ・ロシェル」オープン。94年、「料理の鉄人」出演。現在、渋谷、南青山、福岡の3店舗がある。2005年、フランス共和国より農事功労賞「シュヴァリエ」受勲。
2008年12月10日

戦争中に父を失い、
鹿児島で苦しい子ども時代を過ごした。
17歳でフランス料理の世界に入り、
19歳で単身オーストラリアへ。
念願の独立を果たしたのは、
1980年、38歳のときだった。

プレッシャーをかけて仕事をしてもいい結果はでない

子どものころは、一家の生計は母が和裁をして立てていたんです。夜なべも必要で、食事を作ることもままならなかった。そこで中学くらいから、僕が家族の料理を作るようになって。料理の面白さを知ったのはこのころです。しかも母からは、いつも「手に職をつけよ」と言われてたんですね。

戦争直後は、日本全体が貧しかった。さつまいもはつるまで食べたりして。僕は幸いにも田舎にいたから、自然の食材がまわりにたくさんありました。山の栗、桑の実、川魚…。取れたてのキュウリやナス、青臭いトマト…。僕はこういう自然のおいしさを口にして育ったんです。でも、やっぱりひもじさはある。料理人になれば食事に困ることはないでしょう。この道に進んだのは、その魅力も大きかったんです。

フランス料理を選んだのは、そりゃシェフの姿がカッコよかったからですよ(笑)。僕は意外とカッコから入っちゃうんです。でも、これも大きなモチベーションになる。鏡に映った自分の姿を見て、頑張ろうと元気がわいてくる。

下積み時代もそんなに苦しいものではなかったですね。要領が良かったのもあるのかもしれませんが、「仕事を楽しくするためにはどうすればいいのか」。これを常に考えていました。そのためには、素早くこなせたほうがいいし、先輩には可愛がられたほうがいいですよね。じゃあ、そうなるためにはどうすればいいのか、と順序立てて考えていくんです。

ただ、やっぱり限界はありました。当時は、新人に仕事を任せない風潮にあったんです。先輩のなかには、後輩に仕事を教えると自分の仕事がなくなってしまうと考える人もいて。フライパンに残ったソースの味見すらせてもらえなかったり。僕はこういうのが、すごく嫌でね。いずれは自分の店を持ちたいとも思っていましたから、思い切って外国に飛び出してみようと。外国なら、どこでも良かった。もちろん言葉なんてできない。でも料理の世界では技術があればなんとかなるんですよ。

そして、オーストラリアで人生観が変わるんです。先輩たちはどんどん教えてくれる。なぜなら後輩が育てば、自分たちがラクできるから。もっと上の仕事ができるから。人に教える文化があり、しかもみんな人生をエンジョイしている。無理しない。余裕を持つ。仕事を楽しむ…。でも、決して怠けているわけではない。余裕があるからいい仕事ができる。楽しいから斬新な発想が出てくるんですよ。

それからです。余裕を持って楽しもうと思うようになったのは。常に80%でいく。残り20%は自分のために使う。これは今もスタッフみんなに言っています。プレッシャーをかけて仕事をしても、いいことなんてない。萎縮するだけ。手も動かない。挑戦もできない。もちろん一生懸命やることは大事です。でも、料理しかしない料理バカになっちゃダメ。肩に力を入れない。好きな趣味を持つ。アバウトに生きる(笑)。これが、独自のいい仕事を生むんです。

帰国後も、このスタンスを貫きました。独立してからも100%は目指しませんでした。100人中20人、料理を気に入らないお客様がいてもしょうがない。支持してくださっている80人を大切にしよう、と。全員から支持を得ようとするから無理が出るし、苦しくなる。もちろん、100%を目指す生き方もある。でも、僕は違った。いつも余裕を持ちたいと思った。お客様だけが楽しい、おいしい、だけじゃなくて、スタッフのみんなも楽しい店にしたかった。「ここのスタッフはいつも楽しそうにしていますね」と言われるのが、一番嬉しかったんです。


こうして人気店を作り上げた坂井氏を
一躍有名にしたのが、94年から出演した
フジテレビの料理対決番組『料理の鉄人』だ。
フレンチの鉄人は、
数々の名勝負を繰り広げた。

お店では、あえて「鉄人」について触れなかった

最初は嫌だったんですよ(笑)。でも、フジテレビの方が毎晩のように店に見えるし、出演を勧めてくれる料理人もいて。それであるとき出張から戻ったら、赤い鉄人のコスチュームができ上がっていたんです(笑)。当初は4カ月だけ出演する予定だったので、まぁいいか、と思ったら、これが半年延び、半年延び、結局6年間にもなった。

でも、勝ち負けのある番組ですからね。負けたら悔しいし、やっぱり勉強するんです。あの年になって、勉強をさせてもらったことは、今となっては財産。とても、感謝していますね。

勝負の食材はいつわかるんですか、とよく聞かれますが、これが本番の2分前にならないと知らされなかったんです。だから、本当にその場でなんとかするしかなかった。しかも、4、5品を6皿ずつ作るわけですから、合計で20皿以上。それを1時間で作るなんて、完璧にできるはずがない。だから逆に開き直りましてね。どうせ完璧にできないんだから、楽しんじゃおうと。実際、楽しんでいました(笑)。

ただ、高視聴率番組でしたから、注意しなければならなかったのが、お店。僕は当初から、スタッフの全員に言っていました。何事もなかったように、普段通りに仕事をしてほしい、と。写真もグッズも一切、飾らない。予約も増やしすぎないように上限を決めていました。もし、鉄人のことを何か聞かれても、よくわからないふりをする。こういうときにこそ、店の真価が問われると思ったんですね。

実は人間は、いいと思える状況のときほど、考えないといけないんです。悪くなってからなら、誰だって考える。でも、いいときほど自分の足元をしっかり見て、やるべきことを考えないと。原点に立ち返らないといけない。

常に仕事を楽しもうとしていましたが、僕にも苦しい時代があった。人間やっぱりプロセスがあるんです。いきなりいいところには行けない。そしてこのプロセスの途上にいるときは、つらさを感じることもある。だから大事なのが、目標を持つことです。自分が何のために頑張っているのかがわかれば、つらさを力に転化できる。

僕がお勧めしているのは、10年スパンで、なりたい姿を想像することです。30歳のとき、40歳のとき、50歳のとき、どんな自分になっていたいのか。では、そのために何が足りないのか。何でもいいんですよ。年収1000万円でもいいし、ベンツに乗る、でもいい。その姿があれば、今、つらいなんて言っている場合ではない、クヨクヨしている場合ではないとわかる。そして今の大変さが、その姿に向かうための楽しさに変わるんです。意外にみんな、10年先のイメージを持っていない。ぜひ、やってみてほしいと思います。

EDIT
高嶋千帆子
WRITING
上阪徹
DESIGN
マグスター
PHOTO
栗原克己

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