




高校在学中から吉本興業に入り、
ザ・ぼんちのおさむ氏に弟子入り。
後に明石家さんま氏に才能を見出され、
多くの一発ギャグで超売れっ子になった。

初恋の女の子の死で、人としゃべれるようになった
僕は小学校2年生まで、ほとんどしゃべらない子どもだったんです。友達とも話さないし、遊ばない。一人でずっと遊んでる少年で。
学校に行っても、成績は一番下。母親が心配して、病院に連れて行こうか、と考えたらしいんですが、祖母がこう言ったんです。「上から見たらドベやけど、下から見たら一番やないか」って(笑)。それで病院に行かずにすんだ。
でも、当時唯一しゃべれる女の子がいたんです。彼女だけが、僕を遊びの輪の中に入れてくれて。僕の初恋の人です。ところが、この女の子が、夏休みに病気で亡くなってしまうんです。彼女の机の上には花が生けられました。僕はいつもこっそり花の水を換えてたんですが、それを教室のみんなに知られたくなかった。照れくさかったから。それを誤魔化したくて、無理してでも、みんなにしゃべりかけるようになったんです。
そのうち、掃除の時間に、「透明の雑巾」とか言って、手で廊下を拭いたりしたら、みんなが笑ってくれて。それで人に笑ってもらう快感を知ったんです。
高校3年のとき、知り合いを通じて、吉本興業の舞台裏の仕事を始めました。
幕引きしたり、大道具、小道具のお手伝いをしたり。でも、僕はキャラが強かったので、3カ月くらいで、ある番組のプロデューサーに声をかけられました。番組に出演してみないか、と。
1幕目と2幕目の間に一人で出て笑わせるんですが、僕は「飢えたニワトリの鳴き声をします」と、放送禁止用語を言うてしまいましてね。これでは放映できないし、プロデューサーはカンカンだったんですが、楽屋では大爆笑になったらしくて。それで、楽屋で人気者になって、先輩にかわいがってもらうようになったんです。
さんまさんと出会ったのも、そのころです。初めて東京に連れて行ってくれたのも、さんまさん。僕はずっと、東京はすごいとこやな、あんなとこに行ってみたかったんやと思ってました。さんまさんは弟子を取らない人でしたが、こう言うてくださって。先輩の弟子をやって、何年か務めて、そのままのお前やったら東京に連れて行ってやる、と。それで、(「ザ・ぼんち」の)おさむさんの弟子になって頑張ったら、さんまさんから、運転手になるか、と言うてもらったんです。
ただ、僕には運転免許がなかった(笑)。そしたら、2週間で免許が取れる合宿制の自動車教習所があるから行ってこいって、さんまさんが言ってくれて。でも1カ月たっても戻れない。筆記が通らないんですよ、漢字読めないから(笑)。試験落ちるたびに、お金を送ってもらって。免許の費用もかかりますが、生活費もかかります。結局、免許取るまで半年かかりました(笑)。さんまさんには、車がもう1台買えたわ、と言われました。
さんまさんに教わったのは、嘘をついたらアカンということです。さんまさんは、ようウソついてんねんけど(笑)。腑に落ちんなぁと思ったんですけど、ウソついたら怒られるし。でも、そのほかは自由にやらせてもらいましたね。
それからしばらくして「やってる、やってる」のギャグができました。そしたら、一気に仕事が増えて。忙しなったら、もう運転手はええ、とさんまさんに言われて。それにしても忙しかったです。自分がどこに立ってるかも、ようわからんような状態で。とにかく仕事をこなす日々でした。



転機は芸能人の描いた絵をオークション
するというテレビ番組の企画に参加したこと。
このとき描いた絵に対し、芸術家の
岡本太郎氏がメッセージをくれたのである。

次々に湧いてくるアイディアを出すので精一杯
絵で覚えてるのは、小学校の写生で、みんなが工場とか描いてるときに、僕は雲を見て象の頭を描いてたことです。友達は、「また大西がヘンなもん描いてる」とか言うんですが、先生はそれでいい、と言ってくれて。でも、美術の成績もあきませんでしたけど(笑)。通信簿をもらうと、「またマラソン?」って、親によう言われてましたね。イチニ、イチニ、と(笑)。
だから、絵がうまいと思ったこともないし、今でも才能があるなんて思ってないです。ただ、岡本太郎先生がくれたメッセージがどうにも気になって。「キャンバスからはみ出せ」と。これは、どういう意味なんやろと思ってると、絵のアイディアがどんどん湧いてきたんです。それでテレビの仕事をしながら、家で絵を描き始めて。
でも、忙しい合間にやっていても、絵の具が乾いてしまって、同じ色が出せない。しかも、テレビタレントの「陽」と絵を描く「陰」の切り替えが大変で。それで、絵に集中したいと思うようになって。
引退なんて思い切ったことすんなぁと言われましたけど、僕はなんとも思ってなかったです。自由な時間が持てるわけやし。お金のことは考えませんでした。そんなもんより、楽しいほうが大事やし。若かったし、独身やったから、できたことかもしれないですけどね。
今も追いかけてるのは、岡本先生のメッセージなんです。話す機会がなく亡くなられてしまったので、自分で探るしかないと思って、試行錯誤をずっと続けてきました。自己流やから、本当は絵の勉強もしたほうがいいのかもしれませんが、それよりもやりたいことが次々にわき出てくるんです。それを出すので精一杯で。絵を習うより出したいんですよ。「キャンバスからはみ出せ」の意味を早く知りたいんですね。
描いてて、苦しいとか、つらいとか、全くないですね。食事と睡眠とちょっとの遊びさえあれば、ずっと描いてます。昼夜逆転して、ぐるっと回って元に戻ることも多いです。
クライアントのいる仕事もありますが、そういうときは、要望をきちんと聞いて描きます。修正してほしいと言われたら、すぐします。相手の嫌なもんを提供してもしゃあないですから。やっぱり喜んでほしいですから。人に楽しんでほしいという意味では、お笑いのときと、感覚は同じなんです。
画家になれたのは、出会いときっかけと運やと思ってます。努力じゃないです。たくさんの人と出会い、たくさんの人と話し、その中で僕はこうしたいんや、と思うものを見つけることができた。これをずっとやってたらええんや、というものを見つけたら、それだけでもう成功やと思うんです。
僕がサラリーマンやってたら、ホンマに邪魔やと思いますよ(笑)。でも僕は、自分に合う場所を見つけることができた。自分に合う場所は、みんな絶対にあると思います。


ジミー大西著
「キャンバスからはみ出せ」という岡本太郎氏のメッセージの意味を追求するために、世界を放浪し体現した計93点を掲載した画集(集英社刊)。作品は、絵画は言うまでもなくオブジェやモニュメントに始まり、天然ガスタンカーに貼られた世界最大級のグラフィックアートにも及ぶ。「15年で初めての画集ですが、次は僕がおじいちゃんにならないと出ないかも(笑)」とジミー氏。画集出版記念に「ジミー大西 夢のかけら展 -色彩の渦と創造の軌跡-」が、銀座三越(2008年9月3日〜9月15日)を皮切りに、新潟、広島、千葉、名古屋、高松、札幌、仙台、福岡、松山、池袋、名古屋星が丘と、全国12会場で順次開催。
- EDIT
- 高嶋千帆子
- WRITING
- 上阪徹
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 栗原克己


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