『左ききのエレン』は僕が学校・会社で「負け続けた」からこそ生まれた | 漫画家 かっぴー

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かっぴーさんがWeb漫画『フェイスブックポリス』を公開したのは2015年9月のこと。その半年後には勤めていたWeb制作会社から独立し、今では数多くの連載を抱える売れっ子漫画家に。代表作である『左ききのエレン』は集英社のWeb漫画誌『ジャンプ+』でリメイク連載され、また『SNSポリスのSNS入門』のアニメ化も2018年に控えています。今や飛ぶ鳥落とす勢いのかっぴーさんですが、「これまでは負け続けてきた人生だった」と過去を振り返ります。それと同時に、「負けがあったからこそ自分の進むべき道が見えてきた」とも。そんなかっぴーさんのシゴト観について伺いました。

【プロフィール】かっぴー
漫画家。1985年神奈川県生まれ。2015年9月、『フェイスブックポリス』をWebサイトへ公開し、大きな反響を呼んでネットデビュー。以降、『SNSポリスのSNS入門』『おしゃ家ソムリエおしゃ子』『おしゃれキングビート!』『裸の王様Vアパレル店員』『左ききのエレン』などWEBメディアで多数の連載を担当する。現在は『週刊SPA!』『FINEBOYS』『SPUR』などの雑誌で連載を抱えるほか、『少年ジャンプ+(プラス)』で『左ききのエレン』がリメイク連載中。2017年12月4日に単行本1巻が発売される。

かっぴー/左ききのエレン①12月4日発売 (@nora_ito) | Twitter

小・中学生時代に味わった敗北
漫画家への道を一度諦めた

かっぴーさんが初めて漫画家に憧れを抱いたのは小学生の頃。クラスでも絵がうまいと評判だったそうです。しかし、ある一人の女の子の登場で状況は一変します。

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「”アヤシム”ってあだ名の女の子がいたんですけど、めちゃくちゃ絵が上手だったんです。しかも、自分は『ドラゴンボール』のキャラクターである孫悟空とかセルばかり書いていたのに、彼女はオリジナルのキャラクターを書いていて。そこで悟ったんですよね、自分は特別に絵がうまいわけじゃないってことを」

それでもしばらくは細々と絵を描き続けていたというかっぴーさん。しかし、中学生のときに完全に夢を打ち砕かれる出来事が起こりました。

「高校受験をするために通うことになった塾でアヤシムに再会したんです。それで『アヤシムは漫画家になるんでしょ?』って尋ねたら、『なるわけないじゃん』って半笑いで言われて。しかも、絵はもう描いてないっていうんです。僕はてっきり彼女が漫画家になるとばかり思っていたのですごいショックで。それと同時に、彼女のように才能があっても選択しないのに自分なんかがなれるわけないっていう気持ちにもなったんです」

こうして漫画家になることを諦めた少年時代のかっぴーさんは、高校に進学すると同時に自分の活躍できる領域を探すようになります。

「『左ききのエレン』に“加藤さゆり”というすごく打算的な女性が登場するんですけど、まさにそういう一面が顔を出してきて、自分の武器になりそうなものを考えるんです。それでまずいけると思ったのが国語、次に思い浮かんだのが美術でした。そんな折、高校の先生から『広告代理店のデザイナーとかいいんじゃない?』って言われて。その言葉を真に受けて美大に進学しました」

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美大生時代に味わった新たな敗北
ジェネラリストとして生きていくことを決意

こうして美大生となったかっぴーさんですが、画力的にもデザインで他の学生には勝てないと自覚。そこで新たな武器として企画力を磨くことにしたそうです。

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「僕はスペシャリストかジェネラリストかで言ったら完全に後者。だから、突出した才能を持つ人たちを動かす立場になろうと思ったんです。だから、美大に入ってからは1年生の頃から4年生の企画を手伝ったりと精力的に活動しましたね。中でも完成度が高かったなと思うのは、音大生と美大生の連鎖反応をテーマにした『チェーンリアクション』という展覧会。音大生が奏でた音楽から着想を得て美大生が作品を制作し、その作品から音大生がインスピレーションを受けて音楽を紡ぎ出す。その繰り返しの中で生まれたものを発表したのですが、大きな反響を呼び、自分の目指す方向が間違ってなかったなと思いました」

大学時代を企画の鬼のごとく過ごしたかっぴーさん。その経験が実を結び、見事に広告代理店のデザイナー職を勝ち取ります。しかし、そこでは思い描いたような成功はなかったとか。

「広告代理店のデザイナーってものすごいスペシャリストなんですよ。だから、次第についていけなくなってしまったんです。もともとデザインすることが苦手だったから企画力で勝負したいと思っていましたし。でも、自分の実力を示す場はほとんどありませんでした。あるとき、けっこう大きなコンペを僕のアイデアでとることができて、これでもっと企画の仕事ができると思ったんです。でも、『こういうことはまぐれでもあるから』と言われて結局何も変わらず。そのときに悟ったんです。職能ごとに求められることは決まっていて、そこで成果を出さないとその他のことを頑張っても認められないんだなって」

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広告代理店でも成功はつかめず、Web制作会社へ転職
ほどなく漫画家としての転機が訪れる

その後、かっぴーさんは約6年勤めた広告代理店を退職し、2014年にWeb制作会社へ。プランナーとして活躍していこうと決意を新たにした矢先、Webサイトで発表した漫画が大きな話題に。入社からわずか1年で独立を決意し、少年時代に憧れていた漫画家への道を再び歩み始めます。

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「今の時代って、インターネットのおかげできちんと順序を踏まなくても何かきっかけがあれば発見してもらえるんですよね。しかも素人がいきなりプロの世界に足を踏み入れることができる。だから、僕のようにコピー用紙の裏に漫画を描いていたような人間でも活躍できるんです」

しかし、どうして会社員を続けながら漫画を描くという選択をしなかったのでしょうか?

「普通だったら辞めないですよね。あの頃は現在のように話題作があったわけでもないですし。いろんな人に『なんでその状態で会社をやめられるの?』って聞かれました。でも、当時は自分ならできるって確信していたんです。具体的な根拠があったわけではないんですけれど。今だから思うのは、人に言われて気づくんじゃ遅いんですよね。何に興味があって、どのように変化しているのかは自分で気づかないといけない。ギャク漫画からストーリー漫画へと舵を切ったときも『急に真面目な漫画を描いてどうしたの?』っていう感じのリアクションをする読者が多かったんですけど、自分は絶対にこっちだと思ってやってましたから」

事実、Webサイトcakes(ケイクス)で連載していた『左ききのエレン』は、各方面から大きな反響を呼び、ついには『ジャンプ+』でのリメイクの話も持ち上がりました。しかし、あえてすぐには飛びつかなかったそうです。

「これはどんな仕事でも同じだと思うんですけれど、一回の熱狂で終わるか、ファンを獲得できるかの違いは、最後まで完走できるだけの忍耐と継続力があるかだと思うんです。最近はWebサイトで発表した漫画が漫画誌でリメイクされることも多くなっているんですけれど、アイデアが枯渇して途中で逃げ出す人もいたりする。そうなってしまったら、作品を生み出すことがこれから先つらくなってしまうと思ったんです。だから、僕は『左ききのエレン』をきちんとWeb漫画として完結させたいと思いました。その間はジャンプ編集部に待ってもらいながら」

漫画家としてスペシャリストの道へ

紆余曲折を経て漫画家になったかっぴーさんが、これまでの経験から得たことは何なのでしょうか?

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「僕は真っ当に戦うのが苦手な人間。一人のマンパワーでは十分な能力も発揮できません。だからこそ、自分が何なら勝てるのかを常に考えながら生きてきました。でも、何もない状態からジェネラリストになっても大きな影響力を持てない。そのことを広告代理店時代に学んだので、今は漫画の分野でスペシャリストになりたいと思っています。たとえ負け続けていても、たとえ才能がなくても、勝算があると思うのであれば自分の力を信じて挑み続けることが大切なんですよね」

かっぴーさんのシゴト観まとめ

  • 自分が何なら他人に勝てるのかを常に考える
  • 進むべき道は、他人に見出されるものではなく、自分で作っていくもの
  • ジェネラリストになりたいのなら、まずスペシャリストを目指せ

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文:村上広大 写真:下屋敷和文

編集:鈴木健介

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