「守り」の時代だからこそ、流されてはいけない――マイケル・ジャクソンのバックダンサー/ユーコ・スミダ・ジャクソンの仕事論

ユーコ・スミダ・ジャクソン──職業・ダンサー。

今は亡きポップ界のスーパースター、マイケル・ジャクソンのバックダンサーとして起用された唯一無二の日本人。1992年にスタートした『デンジャラス・ワールド・ツアー』に帯同した彼女の足跡は、『JACKSON~マイケル・ジャクソンと踊った唯一の日本人ダンサーの物語』に綴られているが、今一度そのサクセスストーリーを振り返ってみたい。

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<プロフィール>

ユーコ・スミダ・ジャクソン

1966年熊本県生まれ。高校卒業後はダンスのレッスンに明け暮れ、ダンス講師の薦めで『劇団四季』に入団したもののわずか1年で退団。24歳で単身渡米。LAを起点にさまざまなオーディションに挑み、アーティストのPV撮影に参加した。25歳のときマイケル・ジャクソンの『デンジャラス・ツアー』のダンサーに抜擢。亡き夫はモータウンレコードのCEOを務めたジョージ・ジャクソン氏。

バブルは「攻め」の時代。時代に恵まれて新しいことにチャレンジできた

──なぜ、この世界に飛び込み、そして成功を為しえたのか、と問うとユーコさんは、しばらく考えてゆっくりと語り出した。

最初から固い決意があったわけではないんですが、小学校5年生のころからなんとなく「ダンサーになりたい」と考えていました。そのころからバレエを始めたのですが、私が目指したいのはバレエダンサーではなくダンサー、もっといえばモヤモヤとしたイメージの中に漠然とした形でエンタテインメントに関わる仕事というものが芽生えてきたのです。通っていたバレエ学校も当時としては珍しくジャズやファンクを採り入れた先進的なところ。それまでの習い事は最初のうちこそ夢中になるのにすぐ飽きてしまったんですが、ダンスだけは違っていました。

ダンスといってもいろいろなスタイルがありますが、夢に見ていたのはそのどれとも違う。言葉にするのは難しいのですが、まずは世界をダンスで周る、世界で認められるダンサーになる!という目標しかなく、高校時代はダンスをやめていましたが、上京してからはひたすらレッスンの毎日でした。その後、映像にかかわるエンタテインメントの仕事に関わりたいという、まだ当時はつかみどころのない漠然としたイメージでしたね。映画『フェーム』を観たときの感覚が鮮明に残っていて、「あ、こんな感じ」という気持ちが生じたのですが、具体的にそれが何なのかわからないまま、ただひたすら踊っていたのです。

想像している理想の形にたどり着くまで、どんなことをすればいいのか、どれが近道なのか見当がつかない。ただ、時代は──幸か不幸か──バブルに向かっている真っ最中。東京にはいくつもダンススタジオがあって、海外から講師を招いているところはまだ少数しかありませんでした。今のようにダンスで身を立てる方法が確立していたわけではありませんが、新しいことにチャレンジする、いや、してもいいという空気がそこかしこに漂っていたのはありがたかったと思います。

バブル景気がいいことだったのかどうか判断しにくいのですが、攻めと守りがあるとしたら「攻め」の時代だったことはまぎれもない事実。時代の空気がそうなのだから、個人のレベルでも攻めることが当たり前。ここ十数年は日本経済もずっと低迷していますし、「守り」の姿勢が普通になってしまった。だから、その中であえて「攻め」を選択するのは生半可なことではないと思います。そういう意味では私は運がよかったのでしょうね。時代に恵まれていたんだと思います。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

単身アメリカ修行。孤独でも、私にはダンスという武器があった

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──ユーコさんの物腰は柔らかい。と同時に底知れぬタフさが垣間見える。だが、その余裕すら感じさせる強さは、アメリカ修行中の逆境の中で身につけたものなのかもしれない。

英語は完全に独学です。専門的に習ったことはありません。海外から来ているダンスの先生たちと会話していたので、これならいけると単純に思ってた。でも、向こうに行ったら全然ダメだと気づかされた(笑)。まともに買い物もできないんですよ。夕食を買いに行って「英語で話してよ!」といわれて落ち込んだこともあります。しばらくは、値段がわかっているミネラルウォーターとバナナ、それからスコーンしか食べていませんでした。

今にして思えば、ダンスとは文字通り身体を使った表現であって、コミュニケーションそのものなんです。だから、ダンサー同士では通じていたんだろうと思います。

でも、渡米した頃は、アパート滞在費、食事代をセーブし、可能な限りレッスンを受ける毎日でした。当時の語学力の自分ではダメだと、同時期にNY留学していた日本人仲間とは距離を置いていたこともあり、これ以上ないぐらいの孤独。でも、それは自分で選んだことですから、受け入れるしかない。耐えられた、というか孤独を当たり前だと認識することができたのは、やはりダンスという武器があったからです。勝負するものがあるのとないのとでは大違いです。

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「異色」を実感し、自信につながった

──レッスンでは、超一流の女性振付師から彼女だけが糾弾されたことがあるという。本来だったら彼女が蹴落とされて喜んでもおかしくないライバルたちから気遣われるぐらいの激しさだった。後になって振付師に「自分のどこがいけなかったのか」と尋ねると、笑いながら「良くも悪くも目立っていたから」と告げられたそうだ。この出来事は彼女自身が自分の「異色」を実感するきっかけであり、マイケルに選ばれるのは自分に違いないという自信の根拠になったとユーコさん。

でもね、それって「どんなときでも明るく前向きに頑張る」というのとはちょっと違うんです。そりゃあ、周囲には弱いところを見せられない。だって、私のいた世界はそういうものだから。

ただ、アパートに帰ってひとりになると、亡くなった母に会いたいと涙したことは数え切れません。それだけじゃなくて、今やってる活動が本当に正しいのか、これでいいのかと自問する毎日でした。そもそも自分がショービジネスに向いているのかすらわからない。

あるとき、ふと気づいたんです。たしかに周囲の人たちには元気なところを見せていたけれど、たったひとりのときぐらい、自分に嘘をつかないようにしようって。元気なフリをしたって元気になれるわけじゃないんだって。とにかく、いろんなことを考えた方がいいんだとわかったんです。

──何の後ろ盾もない状態で、単身アメリカに渡り、彼女も自覚している「異色」を武器に戦ってきた。「戦う」といっても、彼女のライバルの一部がそうしたように、特定の個人と戦うわけではない。打たれようとする「出る杭」は反撃に転じるのではなく、さらに突出することによって一層輝きを増していった。マイケルが彼女を選ぶのは必然だったし、プリンスもまた彼女を欲した。マドンナのツアーを始め、ジャネット・ジャクソン、ジェームス・ブラウンなどオファーは次々と舞い込んだ。

誰かに評価されたから自信が持てる、というのは違うんです。自信とは文字通り、自分を信じることであって、自分とは他の誰でもないでしょう? だから誰かと比べられるわけではないのです。もちろん、いつも自信満々ってわけではなくて、それを失うこともあります。そういうときは、まずそれ自体を受け入れ、何をすれば補えるかを力まず考えてみる。自分を見つめるといったってそんなにたいしたことじゃない。好きか嫌いか、良いか悪いかを流されずにじっくり考えるだけ。

マイケルがすごかったのは、普通の人が「これでOK」と認めるレベルのずっと上を見つめていて、それをショーに携わるみんなが目指すようにしてくれるところでした。それはもうすごいエネルギーだし、マイケルのツアーで感じたマイケルのファン、観客の熱気も自分を色んな意味で成長させてくれました。

ジャッジを他人に任せてはいけない

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──現在のユーコ・スミダ・ジャクソンは、ダンサーとしての一線を退いたが、ダンスの世界の前線にいることは間違いない。様々なダンスをベースに編み出したエクササイズ、アウェークニングを広めると同時に、義務教育の中で取り入れられたダンスの普及にも携わっている。

私が目指したときとは違って、たくさんのコンテストが開催されるようになりました。その意味では今の子は恵まれているともいえるのですが、コンテストの上位に食い込むことを目指すようになった結果、ジャッジを他人に委ねる傾向が強まったことは心配です。他人の決めたゴールにたどり着いたあと、どうするのか?すごい仕事をゲットした、じゃあその先は?だから流されちゃダメ。アメリカでも日本でも、自分はたったひとりしかいないんだから、誰かに決めてもらうのではなくて、自分を信じることが大切です。攻めの時代は「やる」しかなかったけれど、守りの時代と言われる中、つい、「やらされる」ことも多いかもしれない。こんな時代だからこそ、自分を見失ってはいけない。流されないで、いつも自分自身の頭で考え続けることが必要だと思います。

【参考図書】
『JACKSON(ジャクソン) マイケル・ジャクソンと踊った唯一の日本人ダンサーの物語』

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著者:ユーコ・スミダ・ジャクソン著 (ダンサー)
税込価格:1,620円(本体価格1,500円)
内容:「ユーコ、ここは観客の視線をキミに集めてくれ!」――日本人でただ一人、マイケルとステージで踊った女性ダンサーによる奇跡の物語。

文・田中裕

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