【20代の不格好経験】3年サイクルで仕事環境を変え、その都度失敗と挫折を繰り返してきた~株式会社ソラコム代表取締役社長 玉川憲さん

今、ビジネスシーンで輝いている20代、30代のリーダーたち。そんな彼らにも、大きな失敗をして苦しんだり、壁にぶつかってもがいたりした経験があり、それらを乗り越えたからこそ、今のキャリアがあるのです。この連載記事は、そんな「失敗談」をリレー形式でご紹介。どんな失敗経験が、どのような糧になったのか、インタビューします。

リレー第20回:株式会社ソラコム代表取締役社長 玉川憲さん

株式会社ファームノート代表取締役 小林晋也さんよりご紹介)

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(プロフィール)
1976年大阪府生まれ。東京大学工学系大学院機械情報工学科修了後、日本IBM基礎研究所に入社。途中、米国カーネギーメロン大学MBA(経営学修士)修了、同大学MSE(ソフトウェア工学修士)修了。2010年にアマゾンデータサービスジャパンにエバンジェリストとして入社、AWS日本市場の立ち上げを技術統括として牽引。2015年株式会社ソラコムを創業、IoT通信プラットフォーム「SORACOM」を展開する。Forbes JAPAN「日本の起業家ランキング2016」特別賞受賞。『IoTプラットフォーム SORACOM入門』『Amazon Web Services クラウドデザインパターン 設計ガイド』『同 実装ガイド』他、著作翻訳多数。

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▲「SORACOM」は、IoT(Internet of Things)に最適なモバイル通信(3G/LTE)を、リーズナブルに、セキュアに、プログラマブルに提供するIoT通信プラットフォーム。データ通信SIM「SORACOM Air」は、Amazon.co.jpで1枚から購入でき、従量課金でリーズナブルと評判。企業の規模を問わず始めやすい「SORACOM」は、サービス開始1年で、約3000を超える企業に利用されている。 SORACOM企業サイト

ソフトウェア志望だったのに…ハードウェア部門でひたすらハンダ付けする日々

 大学院終了後、2000年に日本IBM基礎研究所に就職して以降、3年ぐらいのサイクルで環境をがらりと変え続けてきました。自分から望んで変えた時も、変えざるを得なかった時もありますが、その都度新しい環境で失敗と挫折、そして気づきと学びを繰り返してきました。

 2015年に独立し、現在モバイル通信とクラウド一体型のIoT向け通信プラットフォーム「SORACOM」を展開していますが、それまでのさまざまな挫折経験が、全て今につながっていると実感しています。

 初めに「失敗したな…」と思ったのは、日本IBM基礎研究所でハードウェア部門に配属されたとき。大学院でバーチャルリアリティの研究に没頭し、ソフトウェアテクノロジーに無限の可能性を感じていたので、当然ソフトウェア部門に配属されると思っていたんです。なのに、いきなりハンダごてを手渡されて、ハンダ付けをやれと言われ…「こんなことをやるために、ここに来たわけじゃない!」と所長に直訴しました。

 すると、「まずは3年間やってみろ。やってみないことには、何もわからないのだから」と、丁寧に諭されまして(笑)。根が単純なので、「言われてみれば、そりゃそうだな」と。何らかの成果を出したうえで言うべきことだったと考え直しました。

 結果的に、ハードウェアの研究部門ではとても貴重な経験をさせていただきました。腕時計型のウェアラブルコンピュータの研究開発に携わったのですが、やってみるとこれがとても面白い。チームメンバーは5人と少数精鋭で、皆スーパーエンジニアばかり。毎日刺激を受けながら研究に没頭することができました。

 ところが、3年が経った頃、急に研究予算が縮小となり、プロジェクトは途中で閉じることに。一生懸命打ち込んできたものがいきなりとん挫し、大きなショックを受けましたね。そして、今までこの分野だけに取り組んできただけに、研究者としても路頭に迷う羽目に。入社4年目の、大きな挫折でした。

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入社4年目に「常務の補佐役」を経験、激務でヘトヘトの日々

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 そんな私を不憫に思ったのか、上司がチャンスをくれました。ソフトウェア事業担当の常務だった堀田一芙さんの補佐役として、私を送り込んでくれたんです。研究者なのに、そんな異動アリですか!?と驚きましたが、「役員の補佐」という立場は当時、若手社員対象の教育プログラムのようなもので、半年間の期間限定。マーケットやビジネスについての知見を増やしてほしいという上司の思いもわかっていたので、どうにか踏ん張り切れました。

 ただ、当時は本当に辛かったですね。常務に四六時中ついて回るため、朝は7時前に出勤し、夜は会食をこなして遅くに帰る日々。若い自分のほうがへとへとで、「常務ってこんなに忙しいものなのか…」と驚かされました。

 常務のスケジュールを把握し、社外向けのプレゼン用資料を作るのも私の仕事。初めはプレゼン資料ひとつまともに作れず何度も突っ返されましたが、プレゼンに同行したり、重要なミーティングに出席したりと、数多くの貴重な経験をさせてもらい、経営陣ならではの目線をおぼろげながら理解できるようになりました。当時常務に言われた「技術と真剣に向き合うだけでなく、人とも向き合う経験を積んだほうがいい」との言葉は強く胸に残り、以後、常に意識するようになりましたね。

 任務終了後、研究所に戻るはずだったのですが、今度は自ら別の道を選びます。米IBMが買収したRational Softwareの、日本法人の統合プロジェクトに飛び込んだのです。

 当時同社は、ソフトウェア開発プロセスにおいて先頭を走っていたので、どうしても現場が見てみたくなった。「これ以上、研究から離れないほうがいい」と皆に止められましたが、若気の至りで飛び込んでしまいました。ここでは顧客向けのコンサルティングやトレーニングコーチ、技術営業などを担当。どれも未経験の仕事でしたし、「ソフトウェアのプロ集団」の中で揉まれまくりましたが、新しい仕事を一から学ぶいい機会を得ました。

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MBA留学中、なぜかエンジニアリングの修士も同時並行。勉強に追われ睡眠3時間の日々

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 実はこのころから、留学したいという気持ちがどんどん強まっていきました。研究所時代からうすうす気づいていたことですが、英語ができないとグローバルなITの世界では活躍できないと、Rational Softwareの仕事を通じて痛感したんです。

 そこで猛勉強をして米国カーネギーメロン大学のMBAコースに留学。それなりに英語はできるつもりだったのですが、教授が言っていることがまるで理解できない。質問されても、当然ながら答えられない。「両手を後ろ手に縛られて、ボコボコに殴られる」感覚を味わい、落ち込む日が続きました。

 それでも必死で食らいつき、どうにか1年ほど経って授業にも少し慣れたころ、無謀な挑戦をすることに。「せっかくテクノロジーに強い大学に来たのだから…」と、ソフトウェアエンジニアリングの修士にも申し込んでしまったんです。その時は熱意に燃えていたのですが、授業が始まってから大後悔。2つのコースの予習、復習、宿題に追われて睡眠を取るのもままならないという毎日が始まりました。

 IBM基礎研究所時代に結婚し、妻もこの留学に同行していたのですが、この頃ちょうど長男が誕生。2つのコースの勉強に、子育てというミッションまで加わりました。アメリカは、父親が子育てに参加するのが当たり前。朦朧としながら子育てのためのプログラムに参加したり、息子をお風呂に入れたりしていましたね。

 今振り返っても、人生最大の激務期間でした。しかし、MBAの知識に加えてソフトウェア工学の真髄に触れることができたし、英語力も身に付いた。そして何より、どんなハードワークにだって耐えられる体力と精神力が養われましたね。今、どんなに忙しくても、「いや、あの時に比べたら、全然楽だ」って思えるんです(笑)。

失敗と挫折、気づきを繰り返してきたからこそ、今この場所にたどり着けた

 帰国後は、Rational Softwareに戻り、アジャイル開発のためのツールの立ち上げに従事。商品の価値を理解していただくためのエバンジェリスト活動や、バズワードを使った販促活動にもかかわりました。それを通じて対外的な活動が多くなり、AWS(Amazon Web Services)立ち上げを担うエバンジェリストとして声を掛けられたんです。留学中にAWSを知り、AWSのクラウドの便利さに衝撃を受けていたので、事業立ち上げに関われることが嬉しかったですね。

 日本のITはそれまで、言うなれば日本刀のような「日本独自の技術」で戦ってきたから、ガラパゴスなものになりがちでしたが、AWSというすごい「黒船テクノロジー」を使って、もっとたくさんの企業、人に新しいビジネスにチャレンジしてほしいという一心で、日本での普及拡大に努めてきました。実際、AWSの普及でビジネス立ち上げのハードルは劇的に下がったと思っています。そして今度は、IoTの分野でより多くの人にビジネスをしていただきたいと思うようになり、IoTに不可欠な通信を柔軟かつセキュアに提供するプラットフォーム「SORACOM」を立ち上げたんです。

 ――と、ここまで一気に自分の過去を語り尽くしましたが、当時はバラバラだと思われた経験が、今になって振り返ってみたら、一本の道としてつながっていた…という感じ。そして、それぞれのステージで挫折や失敗を経験し、悩み苦しんだからこそ、今この場所にたどり着けたのだと実感しています。

 今まで経験した職場の上司や同僚が多数、ソラコムに関わってくれているのも嬉しいですね。IBM基礎研究所時代、Rational Software時代、AWS時代の先輩や同僚たちが今一緒に働いてくれていますし、補佐役としてお世話になったIBM堀田常務には今、当社の顧問になっていただいています。悩み、苦しみながらも目の前のことに全力で取り組んできたからこそ、上司や同僚の信頼が得られ、「あいつの会社ならば手伝いたい」と思ってもらえたんじゃないかなと思っています。

成長のためには、「身の丈に合ったリスク」を少しずつ取り続ければいい

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 今の若い方々は大きな変化を怖がる人が多いようですが、私は「変化しないほうがリスク」だと思っています。世の中は刻一刻と変化しています。特にITの分野は、ついこの間まで当たり前だったものが、今は当たり前じゃないというほど変化が速い。その事実に、実は皆さん気づいているはず。目を背けるのではなく目を見開き、変化を見続けなければ、ビジネスパーソンとして生き残れない時代になっていると思います。

 そもそも「リスク」とは、危険という意味だけではなく、経営学的には「振れ幅が大きいこと」も指します。つまり、悪い結果に振れることもあれば、いい結果に振れることもある、ということ。そして、大きな成果を挙げたいと望むならば、リスクを取って「いい方向に振る」必要があります。

 キャリアがスタートしたばかりの新人時代は、スキルも経験も浅いから、リスク許容度が低いのは当然です。振り返れば、私もそうでした。ただ、3年、5年、10年とキャリアを積むうちに、徐々に「取れるリスク」が大きくなっていくはず。私が「起業」という大きなリスクを取れたのは、まさに今までのさまざまな経験や人との信頼関係が自信となり、自分に蓄積されてきたからです。

 変化を怖がらず、自身の許容度に合わせて、少しずつでいいから「身の丈に合ったリスク」を取り続けること。そうすれば、また次のステップで、さらに大きなリスクが取れるようになっています。この繰り返しが、ビジネスパーソンとして成長し続けるための基本行動だと思いますよ。

EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:平山諭

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