「正しい日本語」なんて存在しない。デジタル全盛時代を戦う『広辞苑』の意外な戦略

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なぜ紙の辞典はなくてはならない?『広辞苑』の中の人に聞いてみる

「日本語の規範」といわれる国語辞典の代表格『広辞苑』(岩波書店)。1955(昭和30)年5月の初版発行から60年がたち、還暦を迎えた。今や辞典は片手でさくさく使えるスマホアプリとなり、デジタル全盛の時代にその形を変えて定着しつつある。

そんな中、来るべき第七版の発行に向けて地道な編さん作業を続けているのが、広辞苑をつくる岩波書店辞典編集部だ。副部長の平木靖成さんに素朴な疑問をぶつけてみた。「なぜ紙の辞典はなくならないのでしょうか?」

その答えから見えてきたのは、気が遠くなるような編さん作業に携わる人々の思いと、広辞苑が世の中に発信する「意外なメッセージ」だった。

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プロフィール

平木 靖成氏

株式会社岩波書店 辞典編集部副部長。1992(平成4)年入社、翌93年より辞典編集部に配属となり、以来『広辞苑』をはじめとした辞典編集・発行に携わり続けている。広辞苑の編集には1998年11月発行の第五版より参加。

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「そもそも“デジタルと戦おう”とは思っていません」

平木さんはそう話し始めた。辞典編集部でのキャリアは22年。1998年発行の第五版から広辞苑の編さんに携わり、ネット社会へと変わっていく時代とともに広辞苑をつくってきた。

「この時代、確かに紙の辞典だけではなかなか採算はとれません。書籍や雑誌の多くはどうしてもデジタル媒体を同時に起ち上げるなどの試みを進めていく必要があります。そんな状況の中でも広辞苑は紙に力を入れられる、ありがたい環境だと思っています

新版が発行されればマスコミで話題となるその知名度から、広辞苑は紙の辞典をデジタルとともに重視している。他社が発行する国語辞典はデジタル版の利便性追求に大きく舵を切ったものもあるが、広辞苑はそうしなかった。

「だからといって、デジタルと競合しているわけでもありません。実名で編集責任を明確にしている“辞典”という形態であれば、デジタルも紙もコンテンツとしては同じです。これらは、膨大な情報量を集め続けるネットとは違う世界観を目指していると思います

基本的には情報量の制限がなく、必要に応じていくらでも説明にかかる文字数を増やしていくことができるネット。スマホ一つあれば、いつでもどこでも膨大な情報にアクセスできるが、膨大な情報量を理解しきることは難しい。

それに対して辞典は物理的な制約から、数十字で一つひとつの項目を説明しきるコンパクトさが要求される。そこに辞典がなければ情報をたどれないが、短い文章に要約されているからこそ素早く意味を理解できるのだ。

広辞苑の編さん作業は、そんな辞典ならではの価値を最大限に発揮するための工程であるという。

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辞典づくりは「終わりのない作業」

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辞典に収められる各項目は、それぞれの対象分野に精通した専門家によって執筆される。それらの原稿がすべて集まっても、辞典の完成まではまだ半分程度の進捗なのだとか。もう半分の工程を平木さんは「縦糸と横糸を織る作業」と表現する。一つひとつの項目が無数の縦糸だとすれば、項目同士の意味合いをつなげるのが横糸だ。

「たとえば、“バイオリン”には“ヴァイオリン”という表記法もあります。辞典の中でヴァイオリンの項目を『バイオリンを参照』とした場合、たどり着くべきバイオリンの項目が間違いなく存在しているかを確認しなければなりません」

歴史上の人物を紹介する際にも、横糸を紡ぐ作業が重要になる。豊臣秀吉の項目に「織田信長を倒した明智光秀を討った」と記述する必要があるか? という確認。光秀の項目内で「信長を倒した」と説明があれば、秀吉の項目でわざわざそれを記載する必要はなくなる。

各項目の原稿を確認するだけでなく、項目同士のつながりも考えていくという膨大な作業。直近の第六版には約24万項目が収められているが、これを十数名の編集部員でやり遂げた。

しかし、横糸をすべて織り終えてもまだ辞典は完成しない。世の中に広まり始めたばかりの新語については、「日本語として定着していくか」を見極めなければならず、すぐに収録することができないからだ。改訂版が出来上がった段階で、次の版に向けた課題が積み上がっているような状態。終わりのない辞典づくりの作業を、平木さんは「歯がゆい気持ちになることもある」と打ち明ける。

「滑舌」も「スマホ」もなかった

新語の収録秘話には、世の中の移り変わりが色濃く反映されている。

2008年に発行された第六版では、「滑舌(かつぜつ)」が新録された。もともとは、アナウンサーや芸能人など話し言葉を専門とする人々の間で使われていた「業界用語」だ。第五版が出た1998年の段階でも候補として挙げられていたが、収録は見送っていたという。その後の10年間、テレビ番組や日常生活で多用されるようになり、定着した日本語として収録された。

その第六版に収録されていない言葉を探すと、たかだか7年前なのに時代を感じてしまう。たとえば「クールビズ」。当時はだらしなく見えるほどラフな商品も登場していた。クールビズという言葉と概念が本格的に浸透していったのは、東日本大震災を経て節電意識が高まってからだ。

今では日常のコミュニケーションに大きな影響を与える「ツイッター」や「スマホ」も、第六版には収録されなかった。ツイッターのサービス開始は2006年、アメリカでiPhoneが発売されたのは2007年。一部の新し物好きな人たちが飛びついていたイノベーションが、わずか数年で世界を変えた。

平木さんは「あくまでも現段階での個人的な考えとして」と前置きしつつ、ツイッターやスマホを第七版に収録したいと話す。他にも、ここ数年で旅行だけでなく日常的に広く使われるようになった「キャリーバッグ」や、交通機関を中心に爆発的に普及した「ICカード」「チャージ」といった項目への語義の追加を検討しているという。実際に収められるかどうかは編集部や有識者間での議論を待たなければならないが、広辞苑に収められていても違和感のない言葉ばかりだ。

広辞苑は「新しい表現を生み出すためのツール」

こうして世に送り出される広辞苑。書店へ卸すために営業して、新聞紙面に広告を出して……という昔ながらの販促活動に変わりはない。一方で、「紙の辞典を使う意義を広く伝えていきたい」と平木さんは話す。

教育という面では、効率だけを求めていてはいけないと思います。辞典を引けば、目的だった言葉の隣にある項目も知ることができる。まったく知らなかった情報をインプットでき、語彙力は確実に磨かれていきます」

確かに、ネットがどれだけ便利になっても、言葉を知らなければ検索を使いこなせない。大量の情報を理解するためのリテラシーだって追い付かないかもしれない。

辞典編集部にはしばしば、職場見学のために中高生が訪ねて来る。そんなとき平木さんは決まって「言葉の正しい意味なんてないんだよ」と語りかける。意外そうな顔をする子どもたちも多い。これは、一つひとつの言葉の意味を過去から現在までの変遷とともに紹介する、広辞苑編集者ならではのメッセージだ。

「時代が変われば言葉も変わるし、新語も増えて行く。辞典に切り取られた今現在の日本語をたくさん知って、新しい表現を生み出すためのツールにしてほしいですね」

平木さんは今後、中高生たちと直接話せるような場に出向き、辞典の価値を伝えたいと考えているそうだ。言葉の意味を柔軟にとらえることができ、語彙力の豊富な子どもたちを増やしていくための活動。そうした場に、3000ページを超す風格と存在感で寄り添ってくれることこそ、広辞苑の本当の価値なのかもしれない。

第七版の発行がいつになるかは未定。2010年代中に発行されるとして、さらにその次の第八版が出るのはおそらく2030年近くになる。どんな世の中になっているのか想像しきれないが……「広辞苑はなくならないでしょうね」と平木さんは結んだ。

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文・多田慎介

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