【大先輩の仕事伝】ギターひと筋40年、「現代の名工」の仕事観。「いつだって『また“いち”から』」(後編)

定年を迎える年をとうに過ぎても働き続け、仕事人生を降りようとしない「大先輩」たち。彼らのキャリアを振り返ることで、見えてくるものが、きっとある。「働く」ってなんだろう。「向いてる仕事」ってなんだろう。「やりがい」ってなんだろう。その答えを教えてくれるはずだ。

今回は手工ギターひと筋40年の伊藤敏彦さん(67歳)にお話を伺いました。その「後編」です。

【大先輩の仕事伝】ギターひと筋40年、「現代の名工」の仕事観。「いつだって『また“いち”から』」(前編) – FRETTY

「銭にはならない」仕事も会社に認めさせた

手工ギターは、ピラミッドの頂点です。ヤマハが年間60万本のギターを作っていた時代に、手工ギターは最盛期でも300本ぐらいしか作れませんでした。一本最低でも30万を超える最高級品、材料も選び抜いているから、もっと作れと言われても作れない。しかし役職がつくようになると上の人に言われました。「伊藤さんのところはいつも赤字だね」。そもそも手工ギターは利益を追求できるものでもないんですよ。材料は選び抜いて全部手作り、それで儲けろといったら手を省けということ?というになります。そんなの、僕はいやだ。

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そしたら、また上司に直訴ですよ。手工ギターの部署を、試作室にしてくれと。生産もする、海外工場の技術支援もします、だけど何より最高級のギターで「ヤマハのブランドを輝かせる」部署にしたい、といいました。これにOKが出たものですから、いよいよ職人根性丸出しです。いいものを作るために手間暇をかけていいと会社に認められたんですから、これはもう、徹底的に追究しました。

例えば、材料はぜんぶ、木の繊維にそってまっすぐ切る「正目」でそろえる。斜めに目が入ってる木があれば、一度ナタで割って、正目につくりなおす。こんなこと、業者さんにも頼めませんから、自分でやるわけです。そんなことやってたら銭にはなりません。手工ギター受注生産だったことも、余計に手が抜けない理由でした。プロ、セミプロの音楽家がわざわざ工房までやってきて「伊藤さん、1本お願いします」と握手をして帰っていくんです。ギターが完成して受け取りにきたときに「伊藤さん、気に入りました」とまた握手してくれたらいいのですが、「なんだ、こんなの」と言われたらどうしよう、そう考えてしまいます。だから神経使うんです。大量生産のギターにはないプレッシャーがありましたね。なおさら、いいと思うものは全部取り入れないでは、いられなかった。

その頃の僕は40代。職人としての一番の働き盛りを「なんでもやっていい」環境で過ごせたことは、めちゃくちゃ幸せでした。ただ、わがまま放題、好き勝手ばかりでやってきたわけではないんです。2007年に、厚生労働省から「現代の名工」に選んでもらいましたが、あれだって欲しいといって無理で、推薦してくれる誰かがいないともらえないものなんです。人間、好かれていないと何もできないと思います。その点、僕はぶっきらぼうですが、トゲにはならない良さがあるんですね(笑)。「あいつまた言ってるぞ」といって、聞いてもらえる。そうでなければ、部署を試作室にしろだとか、わがままも言えませんでした。

頂点の見えない世界、「終わり」がない

定年後もこうしてギターを作りつづけているのは、この世界に到達点がないからです。40年かけて、到達点がない、ということがわかったというべきでしょうか。さっきもいったように、木には1つとして同じ材質のものがない。1つ最高のギターができたからといって、次も最高のギターができるとは限らない。いつまでも頂点が見えないんですよ。自分はまだギター作りを極めてないし、極めたい、だからこの歳になってもやってるんです。

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こんな話があります。僕は、ヤマハのなかでは、現場のトップに立ちました。ヤマハのなかにはそういう「現場のトップ」の人間があつまる親睦会があるのです。「来世は何になりたい?」と聞かれて、すぐに、ギターづくりに決まっていると答えたら、驚かれました。もしかしたら、頂点が見えない世界というのは楽器ならではなのかもしれません。ギターは、弾いていると音がよくなる楽器。食べ物みたいに新鮮さが売りになるものではない。逆に、古くなって木が乾燥してからが、ピーク。それも、弾き手によっても音が変わってくる……。どこまでいっても終わりがありません

「いいものを作りたい」、その一念でここまできた

定年後は、完全に自分1人の仕事です。組み立ても塗装もぜんぶ1人でやるので、製作ペースは年に3本程度。どこまでもこだわることができます。今は生活をかかっているわけではないですし、価格も抑えめ。材料が買える程度の利益が出ればいいんです。僕がしたいのは、ひたすら、音の追究です。最近は、クラシックギターの製造法を応用したフォークギターに取り組んでいます。これもまた手間暇がかかるんですが、いい音が出るのは、間違いない。だったら、挑戦しないわけにはいきません。

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僕は「いいものを作りたい」の一念でここまできましたが、ほかにもいろんな働き方があると思います。会社員だって、会社のなかでトップを目指す人と、家庭を優先する人、どちらもいる。僕は、ギター作りの世界でトップを目指すというだけ。自分に特別な才能があるとは思いません。ノーベル賞をとろうというなら、才能も関係するかもしれませんが、才能があるからといって続けられるというものでもないと思うのです。ただ、向いていたんでしょうね。苦労なんて、何にも思い出せない。何しろハマっていたから、苦労も苦労とは思わない。それが必要だと思ったら、なんでもやるというだけ。それができるということが、向いているということなんでしょう。

【大先輩の仕事伝】ギターひと筋40年、「現代の名工」の仕事観。「いつだって『また“いち”から』」(前編) – FRETTY

取材・文 東雄介

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