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「どん底」から脱出するために、僕が意識したこと――俳優・宮川一朗太氏の仕事論

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みやかわ・いちろうた

1966年3月25日生まれ。 東京都出身。武蔵中学校・高等学校卒業。早稲田大学第一文学部中退。高校在学中に、東京芸術学院の第1期生に。1973年、森田芳光監督の映画『家族ゲーム』でデビュー、日本アカデミー賞優秀新人賞を受賞した。その後、ヒット作品に欠かせない名バイプレイヤーとしてのポジションを確立。1991年から2006年まで、競馬番組「ドリーム競馬」の総合キャスターを務めた。

 

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俳優デビューは、映画「家族ゲーム」。


いきなり主役で、日本アカデミー賞新人賞を
受賞するという、
華々しいスタートだった。

俳優になろうと決めたのは、
武蔵中学、在学中のこと。
有名大学に数多く合格者を出す、
都内屈指の進学校だ。

 

俳優を目指すも、オーディション10連敗の日々

 そう、わたし中学までは優秀だったんですよ(笑)。武蔵中学の同級生は、国会議員、官僚、医者、会計士、すごい連中ばっかりです。俳優になろうと思ったのは中2ぐらい。男子校でしたから「女の子がいないなあ」と思っていて。ちょうど流行りだしていた学園ものドラマをみると、かわいい女の子がたくさん出演していました。じゃあ役者になっちゃえばいいんだって。下心です、最初は。

 

 高1のとき、東京芸術学院という劇団の一期生になりました。同じ一期生でも年齢はバラバラで、多分僕は一番若かった。見たことのない世界でした。稽古が終わってからみんなでご飯食べに行って、お酒を飲んでいるお兄さんやお姉さんの話に耳を傾ける。僕は未成年だからジュースですけど、一足先に社会に出た気がしました。でもオーディションは落ちまくったんです。軽く10連敗はしました。最終選考まで残ったこともあるんですが、僕ともう1人、というところまで候補が絞られてから落ちると、ガッカリするんですよね。「あいつには勝ったと思ったのに、自分の何が悪かったんだろう?」と。理由がわからないだけに、人生が終わった感じがして。

 高2の夏には「いい加減、受験勉強しろ」と親にも言われました。でもなんだか得体のしれない自信があって、もう少しでなんとかなりそうな気がしたんです。「じゃあ、あとはお前がなんとかしろ」と親に言われて、それからは実家が経営している店の皿洗いをして、自分で劇団の月謝を払いました。

 

 「家族ゲーム」のオーディションの話がきたのは、高2の10月です。そのころは森田芳光監督の名前も知らなかったし、「家族ゲーム」というタイトルもパッとしないなと思っていて、僕のなかでは全く期待してなかったんです。松田優作さん主演というのも、後になって聞いた話ですし。「どうでもいいや」と思って受けたのが、逆によかったのかもしれません。ほかのオーディション参加者がものすごい自己アピールをしている隣で、「ぼくは特技とか何にもないです」と投げやりに答えてた。そのやる気のない感じが役にぴったりで、森田監督の印象に残ったらしいんです。人生、何が幸いするか、わからないですね。

何度落ち込んでも、 自惚れるよりはマシ

 最初の仕事が『家族ゲーム』だったことも幸運でした。松田優作さん、由紀さおりさん、伊丹十三さんと名優ぞろい。現場ではフィルムが回る音がしずかに響いていて、特に笑わせようというシーンもない。で、優作さんじゃないですか。下手すると殴られるという噂を聞いていたので(笑)、とにかく緊張感を持ってやることを学びました。最初から楽な現場に入ってたら、俳優という仕事を舐めていたかもしれないですね。

 優作さんから教わった金言があります。当時の映画はフィルム撮影だったから、何日か分のフィルムをまとめてスタッフみんなで見る「ラッシュ」という作業をするんです。僕、自分のお芝居に愕然としちゃって。初めて観た自分のお芝居はものすごい下手くそで。ひどく落ち込んじゃったんです。それでドヨーンとしていたら優作さんが「お前、元気ねえじゃねえか」とやってきた。僕、正直に言ったんです。「自分が下手すぎて、落ち込んでいる」と。優作さんは「それでいいんだ」と言った。「天狗になるより、いいじゃないか」。優作さんがそう言うと格好いいでしょう。その言葉に救われました。

 社会に出て、壁にぶち当たって、落ち込む。それは辛いことだけど、みんな同じなんですよね。優作さんがそう言ってくれたことは、今でも僕の支えになっています。「何度落ち込んでも、自惚れるよりマシ」。そう自分に言い聞かせると、「何が悪かったんだろう、今度はこうしてみよう、ああしてみよう」と、前向きな気持ちになれます。その言葉のおかげで、自分の芝居に満足しないでいられる、止まらないでいられるんです。

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名バイプレイヤーとしての
地位を確立する一方、
競馬番組のキャスターを務めるなど、
仕事の幅を広げていった宮川氏。

順調そうに見える俳優人生だったが、
仕事が激減した時期もあったという。

 

仕事を失って初めて、 自分に魅力がないと気がついた

 91年から競馬番組のキャスターを務めるんですよ。関西で週1回の生放送。競馬が好きだったというのもあるんですけど、ちょうど結婚して2人の子どもができたので、「レギュラー番組がある」という安定をとっちゃったんです。それでも役者の仕事は一杯くるだろうという油断もあった。ところが、長くて5年ぐらいだと思っていた番組が15年続きましてね。その間、毎週末、京都か大阪に通っていると、ドラマのロケにはなかなか行けないんです。それが僕の“しくじり”です。星の数ほど仕事を断ることになってしまった。

 実は『家族ゲーム』が終わった後、すぐにテレビドラマの仕事が次々入ったりして、順風満帆だったんですよ。それで「これはなんとかなる」と自惚れちゃったんですね。自惚れはいけないってあれほど自分に言っておきながら、です。ちょうど結婚したこともあって、人気がガクッと落ちましたし、そこに競馬のレギュラー番組が入って、役者の仕事がどんどん少なくなっていきました

 でもね、しばらくの間は事務所のせいにしちゃってたんですよ。自分には魅力があるのに、なんで売り込んでくれないんだろう、なんでもっといい仕事を取ってきてくれないんだろう、と。直接、事務所に言うことはなかったんですけど、30歳前後からずっと思っていました。

 

 30代も後半になって、ほんとに仕事が入ってこなくなったどん底のとき、やっと気がついたんです。マネージャーも仕事をとるために一生懸命頑張ってくれてる。なのに、仕事がとれない。「そうか、俺に魅力がないからだ」って。そこからですよね。本気になれたのは。

 例えば休みの日は、自分のためになることをしようと思いました。ジムで体を鍛えたり、映画やお芝居を時間がある限りたくさん観にいったりと、役者として成長するために時間を使う。スポーツ選手って、呼ばれたらすぐ行けるようにいつも鍛えていますよね。役者も、いつ声がかかってもいいように自分を高めておくべきなんです。仕事相手のことを調べるのも、魅力づくりのひとつですよ。いただいた台本に監督さんや役者さんの名前があったら、僕の名前と並べてネット検索するんです。そうすると現場でも、「お久しぶりです、あの番組以来ですね」とちゃんとあいさつできるじゃないですか。共演者の誕生日を調べることもあります。「もうすぐ誕生日ですね」なんて話しかけたりね。そうやって話のとっかかりを作るんです。どんな仕事も同じだと思うけど、コミュニケーションがとても大事。ギスギスした空気からは、いいものは生まれませんから。

どん底からの脱出は、 「身近な人に信頼してもらうこと」から

 事務所の人たちには、「どんな仕事でも一生懸命やりますから、とって来てください」とお願いしていました。新人のような気持ちでありとあらゆる仕事に取り組みましたよ。一番身近にいる事務所の人たち、僕をサポートしてくれる人たちから信頼される人間になりたかった。事務所には、タレントを売り込んでくださる人がたくさんいます。でも彼らが売り込みにいくとき、「宮川に任せれば、ある程度いい仕事になるぞ」と僕の名前を思い浮かべてもらわないといけない。だから、どんな仕事でもやりました。

 そうやって、少しずつ仕事が増えていったときにきたのが、テレビドラマ『半沢直樹』の江島副支店長の役。最後のチャンスかもしれないと思って、全身全霊でやりました。半沢役の堺雅人さんをイジメる役でしたから、役作りのために、楽屋でも堺さんには話しかけませんでした。堺さんがあいさつをしてくれても、黙っていて。そのことを打ち上げで謝ったら、あの笑顔で「いいです、いいです」と言ってくれましたけど。

 実はこの前身は『JIN-仁』というドラマにあったんです。ドラマの中で、内野聖陽さんが坂本龍馬役で、僕は同じ土佐藩だけど龍馬と対立していた後藤象二郎の役。内野さん、僕と楽屋で口を聞かなかったんです。僕があいさつしてもそっけない。あんまりしゃべらない人なのかな?と思っていたら、ドラマが終わったあとに彼は謝ってきました。「なあなあの空気を作りたくなかったんです。でも先輩に対して失礼なことをして、申し訳ありませんでした」と。

 『半沢直樹』で僕がしたことは、このときの内野さんの真似なんですよ。僕はそれまで、撮影は撮影できちんと取り組むけど、チームワークも大切にするのが当たり前だと思ってた。でも内野さんは現場から離れても演技をしていた。ガーンときましたね。そこまで突き詰めるのが本当の役者かもしれない。僕はそれを『半沢直樹』に活かしたんです。収録が終わって、改めて思いましたよ。年下だろうが後輩だろうが教わることはいっぱいある。いいと思ったことはガンガン取り入れなきゃ、学ばなきゃって。今は、子役からでも学びますよ(笑)。

自分を信じるけど、自分を過信しない。 両軸を持つことが大事

 ダメな時期がずっと続いていたとき、「でも、必ず、もう一度自分の時代がくる」って、自分に言い聞かせてたんですよ。オーディションに落ち続けていたときも、役者の仕事をなくしてしまったときも、「大丈夫だ、大丈夫だ」ってね。好きなことをお金にしたいと思っても、なかなかうまくはいきません。何回も挫折すると思います。でも、そこで自分を信じて、自分を励ましてやるんです。そうすれば、何度落ちても大丈夫(笑)。

 同時に「自分は足りないんだ」と知ることも大切だと思います。僕は茶道をやっていて、「知足(ちそく)」という禅語を教わりました。足るを知る、今が十分幸せなんだ、という教えです。でも僕の場合は「知“不”足(ちふそく)」、自分の魅力は足りてないんだ、ということを知るところから始まりました。好きなことでやっていきたいと思っている人は、自分の力を過信するきらいがあります。もし壁にぶつかったら、「自分には足りないところがあるのかもしれない」と疑ってみたほうがいい。そしたら、もっと勉強しなくちゃと素直に思えるじゃないですか。自分を信じて頑張るのは車でいう後輪、これは人生の原動力みたいなもの。知不足は前輪、人生をコントロールするもの。この2つが揃ってこそ、うまく行き始める。僕はそう思います。

 

※リクナビNEXT 2017年8月9日「プロ論」記事より転載

EDIT 牛島モカ WRITING 東雄介 DESIGN マグスター PHOTO 星野泰孝

東大→マッキンゼーのパンツ屋社長が勧める「はみ出す生き方」とは

東京大学卒業後、マッキンゼー、レアジョブ、ライフネット生命を経て、現在メンズアンダーウェアブランド「TOOT」の社長を務める枡野恵也さん。

2年前の取材で桝野さんは、この一見すると一貫性のない職歴を振り返り、「キャリアは人生におけるグリコのおまけのようなもの。徹底的にやりたいことをやり、楽しみ尽くしたい」という独自のキャリア観を語ってくれました

そんな枡野さんはこのほど、自分が進むべき道を見つけるためのノウハウをまとめた著書『人生をはみ出す技術』(日経BP社)を出版、話題を集めています。自身の経験を交えながら、人生をはみ出し、自分らしく働くことがこの時代を生き抜く術だと説きます。
今回はその中から、枡野さんの「キャリアに関する考え方」の一部を抜粋し、ご紹介します。

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自分の「目標」を重視しつつも、「ご縁」も大切にする

枡野さんは、キャリアの築き方について「大きく2つの考え方がある」としている。
一つは、最終的な「目標」を決めて、そこから逆算してキャリアを積み上げていくという考え方。もう一つは、「ご縁」を大切にして、その都度自分が面白そうだと思った仕事を選択していくという考え方だ。

ただ、「どちらの考え方にも一長一短がある」とのこと。前者の場合は、目標がはっきり決まっていても時間とともにやりたいことが変わってくることもあり、その場合はどう軌道修正するかが問題になる。後者の場合は、行き当たりばったりの側面があるので、それまで自分が培ってきたスキルが活かせない支離滅裂なキャリアになる恐れがある。

枡野さんは、この2つの考え方をハイブリッドにした「第3の道」を勧めている。

「目標」から逆算して、どんなスキルを身に着けるべきかを考えるものの、その「目標」自体は大まかにしておく。それにプラスして、「ご縁」も重視して選択肢を検討する…という方法だ。

枡野さん自身、学生時代から「国際的に活躍したい」「社会の問題を解決したい」という大まかな目標を持ち続けているが、転職を含めた偶然の出会いが「パンツブランドの社長」という仕事に導いてくれた…と振り返る。

マッキンゼーでは国際的な舞台での問題解決の仕事に携わることができ、その経験から「世のなかを動かすのはビジネスだ」と気づいて、オンライン英会話サービスを手掛けるレアジョブに転身。法人事業を立ち上げ1年で黒字化させた。その後、転職したライフネット生命では、海外展開の検討段階から携わることができ、「目標につながる部分が大いにあった」とのこと。

そして、これらの経験があったからこそ「TOOT」との出会いにつながったという。TOOTとの出会いは、「ご縁」。自分が「できること」と「求められること」が一致したから、経営後継者として声がかかったのだと実感しているという。

枡野流・ご縁のつかみ取り方とは?

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前述したキャリアの築き方のうち、「目標」から逆算してキャリアを積み上げていくという方法は比較的真似しやすいが、「ご縁」を大切にするという部分は、「ご縁なんてどうやって築いていいかわからない」と感じる人が多いだろう。

そこで枡野さんは本書の中で、自身の経験をもとにした「ご縁をつかみ取る方法」を指南している。 

●外側にアンテナを張る

自分が普段、仕事をしている範囲の「外側」にアンテナを張り、自分が興味を持てそうなものがないかを探すといい。面白そうなものが引っ掛かったら、それにとりあえず首を突っ込んでみる。仕事とは直接関係がなさそうでも、後から自分のキャリアにつながっていく可能性がある。

枡野さんはレアジョブ勤務時代、海外での社会貢献活動に興味を持ったことをきっかけとして、貧困問題の解決に取り組むNPOにプロボノとして参加。その活動を通して知り合ったのが、ライフネット生命現社長の岩瀬大輔氏。岩瀬氏とアフリカに視察に行くなど行動を共にする中で、「一緒に働かないか」と声を掛けられた。「NPOの活動は本業ではないが、それを通じて次の本業となる会社に出会えた」という。 

●選択肢を並べてリスク・リターンを検証する

一度きりの人生なのだから、自分がやりたいことに思い切って挑戦することは大切。ただ、だからといってリスクばかりが高く、リターンが小さい仕事は、やはり避けたほうが無難だという。

「TOOTの社長に」と声がかかった時、枡野さんはほかに数社からオファーを受けていた。そこで各オファーについて、会社の倒産、業績低迷による給与低下、得られるスキルが偏っていて思うように成長できないなどといった「リスク」と、給与などの待遇、働きやすさなどの環境面、やりがいや社会的意義などといった「リターン」を分析。

その結果、TOOTは「すでに経営は軌道に乗っており、固定ファンもいる。そのブランドをさらに飛躍させる役割を担うというのは“ミドルリスク・ミドルリターン”だ」と判断し、TOOT社長への転身を決断した。

多くの人は、今いる場所を「ローリスク・ローリターン」と捉えがちだが、現在は、どんな大企業でも安泰ではないし、知らないうちに「その会社以外では通用しない人材になってしまうリスク」がある。しかし、自分で起業するのはまさに「ハイリスク・ハイリターン」であり、誰もがチャレンジできるものではない。

その点、「ミドルリスク・ミドルリターン」の選択肢はチャレンジングであり、かつリスクもある程度抑えられる魅力的な環境といえる。20代のうちに仕事を通じて意識して経営のスキルを身につけ、30代で優良な中小企業の後継者になるのもライフプランとして面白いと、枡野さんは勧めている。 

●ときに「流れ」に身を任せる

選択肢を並べてリスク・リターンを検証した時に、「この選択肢は先がどうなるか見えないけれども、面白いことになりそうな気もする…」と悩む場合もあるだろう。そんなときは思い切って「流れ」に身を任せるのも、いいご縁をつかむ方法だという。もし流れに乗って選択した結果、「自分に向いていなかった」と気づいたとしても、次はもっと自分にフィットした環境を選べばいいだけ。そして「飛び込んだからこそ、見える世界がある」という。

枡野さんにとって「TOOT」は、まさに「思い切って飛び込まないと分からない世界」だった。グローバル化を進めることで、ブランドを飛躍させたいと考え飛び込んだが、TOOTならではの立体裁断による高いフィット感は、職人による高度な縫製技術によるものだと気付き、「始めに手がけたのは、業務委託先だった工場をM&Aで自社工場にすること」だったという。需要に供給を追いつかせるためには、量産体制を整えなければならないが、TOOTのフィット感はベテランの職人による高度な縫製技術によるもの。時間をかけて人を増やし、製品に愛着を持ちながら丁寧に製品を作れる人材を育てる必要があると気付いたという。

「入社前は、ここまでモノづくりに深く入り込むと思わなかった」という枡野さん。飛び込んでみたことで、予想していなかった新たなスキルや視点が養われたのだ。

「ベスポジパンツ」社長の「はみ出すススメ」に刺激を得よう

独自の立体裁断で、どんな人が履いても「ベスポジ」に収まることで有名な「TOOT」。その社長が指南する「はみ出すススメ」は、今後のキャリアに悩む人たちにとって大きな刺激になりそうです。

ここで紹介した枡野さんならではの「ご縁のつかみ取り方」は一部であり、本書ではさらにさまざまな方法が紹介されています。また、異色ともいえる自身のキャリアの変遷や、キャリアを自分らしく生きぬく方法、「はみ出す生き方」が求められている理由など、自身の経験を交えながら解説しています。「このままこの仕事を続けていていいのだろうか」「上司や先輩を見ていても自分の将来がイメージできない」などとモヤモヤを抱えながら働いている人は、手に取ってみてはいかがでしょうか?

 

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参考書籍:『人生をはみ出す技術』/枡野恵也/日経BP社

 

EDIT&WRITING:伊藤理子 

サボってる人間に「伸び悩んでる」なんて言う資格はない――勝率9割の“プロギャンブラー”のぶき氏がこの仕事を選んだワケ

大学卒業後、ギャンブラーとして15年間、世界をさすらいながら生きてきた男がいる。

勝率は神の領域と言われる9割。出入り禁止となったカジノは数知れず。そんな破天荒な人生を生きる男の名はプロギャンブラー・のぶき。ギャンブルで勝ち続けるために必要な思考力、決断力、行動力はそのまま仕事や人生で成功するために必要不可欠な要素だ。事実、のぶきさんの元には様々な企業や学校、団体から就職や転職、ビジネスをテーマとした講演依頼が殺到している。今回は自らの人生を振り返りつつ、そこから得た、仕事や人生で勝ち抜くためのメソッドや人生の岐路に立った時の後悔しないための選択法などをたっぷり語っていただいた。

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のぶき(本名:新井 乃武喜)

1971年、東京都出身。大学卒業後、25歳の時にプロギャンブラーを目指して単身アメリカへ渡り、修行を開始。2年後、無敵のプロギャンブラーとなりラスベガスをはじめとする世界中のカジノを周遊。ギャンブルの世界では神の領域とされる「勝率9割」を達成。ギャンブルだけで生活し続け、15年間で世界6周、今まで訪れた国は82ヵ国におよぶ。現在の主な活動はプロギャンブラー人生で得た経験や生き様を伝える講演や、『日刊SPA!』や『Lifehacker』での記事執筆、メディア出演など。著書に『勝率9割の選択』(総合法令出版)、『ギャンブルだけで世界6周』(幻冬舎)がある。

前回は、のぶきさん自身がギャンブル人生から得た「仕事や人生で勝つためのメソッド」について伺った。最終回となる今回は「人生の岐路に立った時の選択法や“伸び悩み”からの脱却法、転職に対する考え方など、後悔しない人生を送るための重要な方法」について最後まで熱く語っていただきます。

人生の岐路に立った時の選択法

──のぶきさんが人生を懸けて取り組んでいたギャンブルは選択の競技だと思うのですが、人生も選択の連続ですよね。特に就職、転職、結婚など人生の重要な岐路に立った時、正しい方を選択するためにはどうすればいいのでしょうか?

僕は人生の大きな岐路に立った場合、「人生選択表」を作るようにしています。作り方はこうです。例えば転職先の会社をA社にするかB社にするかで迷った時は、それぞれの会社に入るメリット・デメリットを主観と客観の両方の視点から時間をかけて全部書き出すんです。デメリットは逆側のメリットへ書き移します。例えば、B社のデメリットはA社のメリットへ書き移します。

新しいメリット・デメリットが書き出せなくなったら、今度はそれぞれに5点満点で点数をつけていきます。この時、自分の人生なので必ず主観でつけてください。他人がA社のここはすごくいいと言っても、自分にメリットは感じなければ0点。逆もしかりで、他人がメリットに感じない点でも自分が最高だと思ったら5点をつけます。そんな感じで点数をつけていってトータルの点数を出して、得点が高いほうの会社を選ぶんです。迷っている場合、点差はわずかです。だから、迷うのです。脳内でなんとなく考えるのではなく、可視化し客観的視点も含め、すべてを洗い出すことが成功への第一歩。自分の決断に対する自信を生み出すことで、入社後に壁が現れても、あの時あれだけ考え抜いてベストな選択と判断したのだからと後悔することはないし、頑張れるんです。

“伸び悩み”からの脱却法

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──伸び悩んでるというか成長の実感が得られずに悩んでいるビジネスマンに対してアドバイスをお願いします。

毎日頑張っているなら、必ず成長しています。わずかずつ成長しているのを実感するのは難しいだけのことです。気にしないでください。それでも、伸び悩んでいると思うのなら、休日含めてここ最近の自分の生活を振り返って1時間単位ですべての行動を書き出してみてください。おそらくスマホでゲームをしているとかテレビをぼんやり見ている時間があるはずです。そういう人はそりゃ伸び悩んで当然ですよ。サボってる人間が伸び悩んでるなどと言う資格はないです。そのサボってる時間に自分を高めることはいくらでもできます。常に成長している人は1分単位で時間を無駄にせず、目に見えないところで成長するための努力をしているんです。

僕自身も伸び悩むということはなかったのですが、ギャンブラーを15年間やめられなかった理由の1つは日々、成長を感じられたからです。前にもお話しましたが、例えば勝った後にもかかわらず何かミスがあったはずだと毎日1人反省会を行ったり、昨日の自分に勝つためには、もっと上に行くためにはどうすればいいかを常に考えて、実践していました。それをきっちりできるかできないかで次の伸びが変わってくるんです。それができればさらに上へ、2位以下が追随できないところまで行けるんです。

僕は日本に帰って来てからは講演やトークを数多くやり、TEDxにも登壇できましたが、すべてのご依頼に対し、やれることは全部やったと言い切れます。目標達成のために大事なのはこの「やりきる」ということに尽きます。自分も楽しいし、ベストを尽くしてるからみんなが喜んでくれる。そうすれば次に繋がるんです。

“運の波”などない

──ギャンブルでも人生でも仕事でも成功するには運が必要だとよく言われます。よく今は運気が悪いけどこれからよくなるとか、今いい運の波が来てるとか言いますが、実際のところ、“運の波”というのは存在したり、感じることはできるのですか?

これははっきり言った方がいいと思うのですが、人生でもビジネスでも将来の運の波は絶対に読めません。あるのは過去の波だけで、瞬間ごとにリセットされます。未来予知が不可能なのと同じで、この先幸運なことが起こるとか不運なことが来るなんてことは誰にも一切わかりません。両方起こりえます。ゆえに「今いい波来てるな」ということもありえません。「今いい波が来てた」という過去の話なだけです。

そもそもいい運気という発想自体が間違っています。それは占い師などの運ビジネスの世界です。運というものは、宝くじを例に考えると理解しやすいと考えています。運の波を読める人がいたら、宝くじを確実に当てるプロが存在することになり、宝くじというビジネスが崩壊します。僕は世界50カ国以上で宝くじを見てきたけれど、そんなプロの噂すら聞いたことがありません。

僕は運という不確定要素と15年間一緒に翻弄されてきたので、誰よりも運を悟れたと自負していますが、運を排除して論理的思考だけで勝ちに行くのが本当のプロなんです。

──でもなんとなくこうした方がいいと直感的に思ってそうしたらうまくいった、みたいなこともありませんか?

直感には2種類あります。理論がついてる場合とつかない場合です。勝負の時ビビッと降りてきて、通常のセオリーからは外れた手で勝つということもたくさんありました。その後、他のプロに「なんでノブはあのときあのプレイをしたの?」と延々質問攻めにされたのですが、勝負の時は直感だから全然考えてなかったのに、「これこれこうでこうした」と論理的な説明が口からペラペラと出てくるんです。勝負では一瞬のひらめきなんだけど、ちゃんと理論がついてるんですよね。僕自身も話しながら、「そういう理論でそういう判断してたんだ」と驚くくらいです。

これって、僕らが自覚してないところで自分の脳みそが今までの経験に基づいて、自分のためにベストの答えをはじき出して、ひらめきという形で与えてくれているということなんです。だから直感や閃きが降りてきた時は、他人へ論理的に説明できると再確認できれば、セオリーや常識には反していても従うべきです。逆に理論がつかない直感には従わないでください。その選択はギャンブルと化しますから。

1つの仕事にしがみつくな

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──のぶきさんはブラックジャックを極めた後、ポーカーを1から覚えて再び勝率9割にまで極めています。ビジネスに例えると同じ業界でも違う職種に転職して、またすごい結果を出せたという感じだと思います。やはり1つの仕事にしがみつかない方がいいのでしょうか。

僕の場合で言うと、前にもお話しましたが、ブラックジャックを極めて勝率10割になったので、行く先々のカジノで出入り禁止になりました。稼げるのは年間で3ヵ月のみになってしまい、残りの9ヵ月はやることがなくなってしまった。ギャンブルで得られるものがお金しかなくなって本気になれなくなった。そんな人生つまらない。仕事って金のためだけにやるものじゃないですからね。だから自分のやりたいことではお金が稼げなくなった場合、また、どうしても今の仕事が嫌だという場合、自分がやりたいことがほかにあるなら、恐れずにキャリアをリセットしてまた新たに一からスタートすべきだと考えています。

特に20代後半になると仕事の視野が広がるおかげで、ほかにやりたいことがたくさん出てくるでしょう。そんな時はこれまで身につけたスキルが活用できなくても問題ないのでやりたい世界に飛び込むべきです。大事なのはこれなら本気になれるとか今より没頭できると思えるかどうか。そう思えるならスキルなんてすぐ身につけることができます。僕もポーカープロを目指すと宣言した時、ルールの詳細すら知らなかったし、ブラックジャックで習得したスキルはほとんど使えなかったのですが、本気でトライしたのでポーカーの世界でも神の領域といわれる勝率9割まで到達できたんです。

転職をいたずらに勧めるわけじゃないですが、行きたい世界が見えてるなら、また、この会社に入社したのは失敗だったなと思ったら、自分に合う会社や仕事に出会うまで何度でも転職すべきと考えています。周りから転職しすぎだと言われても、自分に合う仕事にどんどん近づいていると感じるなら恐れずにどんどん動いてほしい。動かないと自分のすべてを賭けられるような仕事には出会えないと思うんです。

また、身軽に動けない人の特徴として固定観念に縛られているという点が挙げられます。情勢がどんどん変化しているのに、僕はこんな性格だからとかどうせ僕には無理だとか思っていると、おもしろそうなチャンスが来た時にすぐつかむことができません。だから固定観念は捨てて、とりあえず自分の心が動けばトライしてみるんです。ダメだったらまた転職すればいいだけだから。

己を知ることが一番大事ですよね。今の仕事や会社が嫌だったり、現状よりもさらにいい条件の会社があるのならその会社に転職すればいいだけの話。でもそれをしていないなら、実は今の会社が自分に合ったベストな会社だということです。心のどこかで、嫌なことはあるけど今の会社が自分には合ってるということが本人にもわかっているはずです。他人の芝が青く見えることも、多くの仕事に不満はつきものとも、頭では理解しているということです。本当に今の仕事が嫌なら、抜け出すために必死で頑張ってますから。

一方で、転職せずにその会社にい続けるというのもありです。1つの仕事をずっと続けるのも武器になりますからね。自分に合った仕事やニーズは絶対どこかにあります。重要なのは、自分の心の声に真剣に耳を方向け、それに従うこと。脳みそは一所懸命考えてくださっているので(笑)。

究極の夢はボランティア政治家

──政治家になりたいという夢は今も持ち続けているんですか?

もちろんです。本気です。そこしかないです、僕の夢は。そのためだけに日本に残ってるし、これまでのTEDxへの登壇もトークも本の出版もその夢の実現の手段にすぎません。

──どのような政治家を目指しているのですか?

村でも国でも外国でもどこでもいいです。自分を支持してくださった土地を圧倒的に素敵な場所にするだけです。あとは自分の人生の選択権がない子ども自身が幸せを感じられるために行動したいという思いもあります。

もっと言うと、政治をボランティアでやりたいんです。そんな政治家がいたら信じれるので。ボランティア政治家が究極の夢ですね。お金は必要最低限あるだけで十分に幸せですから。

──いつまでに政治家になるとか今後のスケジュールは立ててますか?

期限は設けていません。期限を設けると逆にスローダウンすることがあるので、目標へ向かうために1つひとつリストアップしたことをやっていくだけですね。

今も人生を賭けた勝負の真っ最中

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日本に帰ってきて4年半、ギャンブルは全くしていないので、よく勝負師として現役を引退したと思われがちなのですが、僕としては世界を旅しながらギャンブルをやっていた時よりも勝負をしている感覚なんですよ。僕というコンテンツを日本に賭けてます。つまり、僕というコンテンツを日本のスパイスとして受け入れられるかどうかの勝負なんですよ。それは政治家になるのも含めてです。

僕が単なる「作家」とか「旅人」とかの肩書ならどこでも簡単に受け入れられますが、尖った勝負にはなりません。でも「プロギャンブラー」という肩書だったら何をするにしても難しいんです。例えば一般企業での講演や小学校での授業などはものすごく難しい。プロギャンブラーが日本で認識されるのってギャンブルで勝つことよりも難しい。よほど社員や子どもたちにとって有益なものをもっていると認められないと使ってくれません。だからこそこの勝負はすごく楽しいんです。あえて難しい道を選ぶ方がおもしろい。だから今も勝負の真っ最中なんです。

文:山下久猛 撮影:守谷美峰

「今の仕事、何となく違う…」という違和感は、本気で探りにいけ――59年ぶり日本一・立教大学野球部溝口監督のキャリア論

今年、59年ぶりに大学野球の頂点に輝いた立教大学野球部。日本一が決まったその瞬間、神宮球場の宙に舞った溝口智成監督は、“脱サラ監督”として数多くのメディアから注目されている。

現役引退後、一度は野球から離れることを決意。実際15年近くも優秀な会社員として過ごしていたが、なぜまた野球の世界に戻ることになったのか?新米監督としてどのように選手たちと向き合い、日本一のチームに育て上げたのか?そこには長年キャリア開発に携わった溝口監督ならではの、人材育成に対する哲学があった。

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溝口智成(みぞぐち・ともなり)

1967年生まれ、神奈川県出身。湘南高校を経て、1987年立教大学野球部に入部。ポジションは一塁手。89、90年の東京六大学秋季リーグでは優勝を経験、ベストナインにも選出された。卒業後は硬式野球部設立直後のリクルートに入社し、社会人野球で約6年間プレー。97年に引退してからは、主にキャリア開発にかかわる業務についていた。しかし2014年、退職して母校である立教大学野球部監督に就任。4年目の今年、チームは59年ぶりの日本一の栄冠に輝いた。

初めての“野球のない生活”で、改めて野球の魅力を実感

―まずはご自身の野球歴を教えてください。

野球を始めたのは小学2年生から。立教大学野球部時代はキャプテンを務め、2回の秋季リーグ優勝も経験しました。大学卒業後は、前年に硬式野球部が創設されたばかりのリクルートに入社。「仕事をしながら、本気で都市対抗野球部を目指す」という目標に魅かれて入社を決めました。

―どんなチームでしたか?

新しいチームならではの苦労がありましたね。大学野球でそれなりに活躍した選手が集まっていたので実力はあったのですが、組織としての方向性が固まっていなかったためチームとしてのまとまりがなく、最後に全員が一体となって勝ちを取りに行くような戦い方ができなかった。2年目からはキャプテンになり、その後選手兼任コーチにもなりましたが、どうしてもうまくいかない……。大好きな野球なのにグラウンドに行くのが憂鬱なときもあって、辛い時期でした。

―それで現役引退を考えたのですか。

ちょうど肉体的に故障が増えたこともあって、自分から仕事に戻らせてくださいと言いました。コーチとして残らないかとも言われましたが、今の状態で残るのも違うような気がして、すっぱり野球から離れることにしました。

―最初の配属は財務だったそうですね。

希望を訊かれたのですが、それまで野球しかしてなかったので、わからないからお任せしますと言ったら、まさかの財務(笑)。厳しい先輩にゴリゴリしごかれましたが、自分から言い出したことですし、新入社員のつもりで、社会人のイロハから勉強しました。

―3年で営業に異動。これも自分から希望したとか。

3年経って財務の仕事の方も少しはできるようになったんですが……やっぱりどこかで野球に比べてしまうんですね。どんなに仕事をしていても、喜びがない。手応えというか、やりがいというか……。これがやりたい仕事なのかという違和感がぬぐえなかった。それと、リクルートにいるからには一度は営業をしなきゃということで、希望して営業に移ったんです。

もちろん今回も自分から言い出したことですから一生懸命やりました。でもやっぱり喜びがないんです。この仕事を一生続けていくイメージも持てず、こんな気持ちで仕事していていいのか、もう少しやりがいを持って仕事しないと申し訳ないという気さえして……。確かに成績は良かったし、何度か社内表彰もされましたが、精神的には苦しかったですね。

―仕事と野球、何がそんなに違ったんでしょう?

単純に、野球より好きなものがなかったということだと思います。勝つために努力して、それが花開いた瞬間の涙が出るほどの震えとか、魂が揺さぶられる感じ。それが野球にはあって、仕事にはなかったということですね。

―野球に近い世界に転職しようと考えたことはなかったのですか?

ありますが、実は野球って、プロでもない限りあまりお金にならないんです。そもそも求人がほとんどありません。実際にどこかで監督の実績を積んだ人ならともかく、教員免許も持ってない、監督経験もない人間に声がかかるほど甘い世界ではないですから。

―野球の世界には戻れない。でも仕事のやりがいも感じられない。それでどうしたのですか?

もうちょっと個人の「ありがとう」に触れられる仕事の方がいいかもしれないと考え、キャリアカウンセラーの資格を取りました。ちょうどキャリアアドバイザーの社内公募があったので応募して、やってみたら確かに面白かったですね。その後、研修トレーナーの勉強もして、2回ほど実際に企業研修もしました。その直後に監督になったんです。

―せっかくトレーナーデビューしたのに、辞めちゃったんですね。

実はトレーナーデビューの前に監督の話があり、一部の人にはもう「せっかく養成していただいたのに申し訳ありません」と言いながらのデビューだったんです。ただ、これで最後という開き直りがあったせいか、すごく良い研修ができたし、自分でも初めて仕事に手ごたえを感じられたのを覚えています。

新米監督デビュー――チームに溶け込もうと手探り状態

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―母校の野球部監督の話は、いつごろ、どのように来たのですか?

話があったのは2013年10月です。実は僕がキャリアカウンセラーの資格を取ったのにはもうひとつ理由があります。現役を退いてしばらくしてから十数年間、ボランティアで野球部の学生の就活支援をしており、それでちゃんと資格を取っておきたかったんです。監督としては未経験ですが、そういう貢献も評価されて候補に挙がったようです。

―トレーナーとして初めてやりがいが持てたのに、監督就任の要請。悩みませんでしたか?

実は悩んでないんです。もちろん親や家族は心配しましたが、僕の中では監督になれる喜び以外何もなくて。なにしろ、たとえば酒飲み話で「明日死ぬと言われたら何をしたい?」と言われたら、いつも「母校の監督」と答えていたくらいですから。むしろこのチャンスを逃すものかと(笑)。着任よりも先にすでに練習に参加していました。

―新人監督として、どのようにチームに溶け込んで行ったのですか。

それはもう手探りです。就活の手伝いをしていたとはいえ、野球の現場からは15年くらいも離れていましたから。ただ、僕は現役時代に2回リーグ優勝しているので、そのときの経験を思い出しながらチームに入っていったという感じです。

―監督の時代と今とでは、学生の気質もずいぶん変わったのではありませんか?

それはもう驚きましたよ(笑)!表面上は仲がいいんですが、同じチームにいながら、互いに深く関与したがらない感じでしたね。自分から積極的に「もっとこうしようぜ」と提案することも、あまりなかったですね。

例えば、こんなことがありました。寮の裏に自転車置き場があるんですが、みんなメチャクチャな並べ方をしていたんです。そこで監督になってすぐに寮長を呼んできちんと並べろと言ったら、素直に「わかりました」と。でも次の日見たら、まったく直っていない。そこでもう一度寮長を呼んで、ちゃんと全員に伝えたか尋ねたら、「はい、メーリングリストで回しました」。伝えていることは伝えているけど、本当にそれで伝わるのかって話です。

―今年の立教大学野球部は、部員数191名とか。それだけの大所帯を率いるのは、こういった状況の中でかなり大変ですね。

そうですね。元々は大変でしたが、今は部員がかなり自発的に動いていますので、昔ほどではありません。

―大学野球の監督って、どんな立場なんでしょうか?聞いていると、企業の社長ともプロジェクトを率いるリーダーとも、ちょっと違う感じが…

うーん…学校の先生が一番近い気がします。僕としては、選手たちには野球の技術以上に、社会に出る前に、ハキハキ挨拶するとかスリッパや自転車をきちんと並べるといった、人としての振る舞い方や考え方を身につけて欲しい。だから指導の中で野球の技術を教えるのは2割くらい。8割はそういう生活面や考え方を教えている感じでしょうか。プロや社会人野球と違って、大学野球のミッションは優勝ではない。もちろんプレッシャーはありますが(笑)、それよりも立教大学野球部員として、きちんと卒業していって欲しい。やはり学校の先生だと思います。

研修トレーナーとして学んだ大切なこと――「人はみんな成長したいと思っている」

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―会社員時代の経験が役立ったことはありますか?

やはり研修トレーナーをやったことは大きいですね。トレーナーを経験して学んだ一番大きなことは、「どんな人も、最終的に、成長したいと思っている」ということです。研修に来いている人って一律じゃないですよね。会社の命令で渋々の人もいれば、意欲満々の人もいる。選手も同じです。やる気のないのもいれば、言っても聞かないのもいる。でもみんなどこかで、成長したい、前に進みたいと思っている。誰もがそういう存在だという前提でいれば、「今はあんな風に言っているけど、どこかで成長する時期が来る」と思える。選手と接するとき、大いに役立っています。

―そして4年目にして、18年ぶりの東京六大学春季リーグ優勝、さらに59年ぶりの大学野球日本一。チームとしてどのような変化や成長があったのでしょうか?

僕がずっとイメージしていたのは、チームとしての一体感がある野球。さきほども言ったように、僕が学生時代に優勝を経験したときのチームのイメージです。過去の経験からわかっていたのは、どんなに個人の技術が高くても、最後の最後に勝ちを掴みに行くためには、プラスアルファの力、すなわちチーム力が必要だということ。そこで今年は「戮力同心」というスローガンを掲げました。

―りくりょくどうしん。聞き慣れない言葉ですね。

心を合わせて協力する、という意味です。実は今年の冒頭に宣言したんです。「新人監督の任期は4年。最後の年にあたり、今年のチームで必要と思うことを強い気持ちでやっていくから、お前たちも覚悟してくれ」と。そして一体感を表わすスローガンを選んで来いと言ったところ、彼らが選んできたのがこの言葉です。

―一体感を大切にした結果、実際に優勝できた。選手たちには大きな経験ですね。

彼らにとっては一生の宝物になると思います。ただ、来年も同じように戮力同心でうまくいくとは限らないのが難しいところですね。学年によって本当に気質が違いますから。その場に集まった顔触れを見て、すばやく気質や傾向を把握して研修を進めるトレーナーと、そこも似ているかもしれません。

ただ、以前と違うのは、実際に一体感を大切にしたチーム作りで実績を上げることができたので、次からはどんなに個性の強い選手が集まっても、チーム力が大切だと指導することができる。僕にとっても貴重な経験になりました。

前に踏み出して失敗しても、それは「良い失敗」。きっと次につながる

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―監督はビジネスマンとしてのキャリアから野球の世界に戻りましたが、新しいチャレンジをためらっている人にアドバイスするとしたら?

僕にとっての野球のように、寝食を忘れるほどやりたいことがあるんだったら、自分を信じて踏み出すしかないですよ。まして20代、30代だったら心配することなんてない。経済的な不安があっても、一生懸命やっていれば応援団もついてきて、きっとなんとかなります。

―でも会社員時代の監督のように、「なんとなく今の仕事は違う」と、漠然とした違和感を抱えている人もいると思うのですが。

大切なのは、その違和感を本気で見つけに行くことじゃないでしょうか。僕自身は、仕事を移るのに自分の意志を反映しなかったことは一度もないんです。現役を引退した時もそうだし、財務から営業に移ったときも、キャリアアドバイザーになったときもそう。そんなとき自分を動かすエンジンになったのは、思い返すといつも「違和感」だった。そしてどんな仕事にも一生懸命取り組みましたが、常に自分が喜びとするものとのギャップがあったから、じゃあ今度はこっちでやろうと動いてみた。最後の研修トレーナーでやっと手ごたえが感じられたので、監督就任の話がなかったら、たぶんそのままトレーナーをしていたと思います。

―それでも、新しく踏み出してみたその先で失敗するかもしれないという不安はあります。やっぱりあのままでいればよかったと、後悔するのが怖い……。

失敗には「良い失敗」と「悪い失敗」があると思うんです。今回、日本一になりましたが、実は難しいのはこの先だと思っているんです。東京六大学は、春秋連覇がとても難しい。それくらい力が拮抗しているんです。だから今、選手には「そこを抜けるためにはレベルアップが必要」と言っています。チーム力も個人の力も、春より格段にアップしたと、外から見てわかるくらいでないと連覇はできない。そのためには、一歩前に出ろ。今までは待って取っていたボールを、一歩前に出て取れ。それで失敗しても、踏み出そうという意図がわかればそれは「良い失敗」。むしろ失敗を恐れて今まで通りのプレーを続けようとする方が「悪い失敗」だ、と。

―自分から掴みに行った結果の失敗は、いい失敗。

そう思いますね。僕自身も、違和感を感じて財務から営業に行ったのに、結局違和感はなくならなかったのだから、失敗だったという見方もできます。でも失敗したと下を向くのではなく、常に新しいチャレンジで違和感を拭い去ろうとしてきたから、今の自分があるのだと思います。

―それでは最後の質問です。母校の監督になって後悔した瞬間はありますか?

まったくないですね(笑)!そりゃあ、苦しかったことはあります。個人の実力はあるのに、チーム力がないばかりに最後に脆さが出て、結局勝利を掴めなかったということもあった。とにかくガマンするしかなくて、そういう苦しさはありました。でも、監督になったことに対する後悔はまったくありません。朝から晩までグラウンドにいても疲れないし、休みが欲しいと思ったこともない。人生最高の仕事に就けたと思っています(笑)。

取材・文/小野千賀子 写真/新井谷武廣 

デキるビジネスメールが書けそうな文豪は誰?『もしそば』著者に聞いた

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もし村上春樹が、もし太宰治が、もし小沢健二が。そんな「if」を詰め込んだ『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社)がまさかまさかの10万部超えの大ヒット! 著者の神田桂一氏と菊池良氏に、100パターンにおよぶ文豪たちの文体を研究・分析し尽くしたことで、きっと見えてきたであろう「ビジネス文書の必勝法」を聞きました。

【プロフィール】
神田桂一 (写真右)
1978年生まれ。ライター・編集者。
一般企業に勤めたのち、週刊誌『FLASH』記者、ドワンゴ「ニコニコニュース」編集部などを等を経てフリーに。
宇宙のポッケ@『もしそば』4刷10万部! (@MacBookAirbot) | Twitter

菊池良 (写真左)
1987年生まれ。ライター・Web編集者。
学生時代に公開したWebサイト「世界一即戦力な男」がヒットし、書籍化、Webドラマ化される。
菊池良BOT⚡「もしそば」重版出来 (@kossetsu) | Twitter

 

自分の文体を持つことで個性が際立ってくる

-- 今回の著書では文豪100人分の書き方を50ずつ分担して模写したそうですが、その作業を通してわかったことはありますか?

神田 最終的に感じたのは、村上春樹は偉大だってことですね。あの文体の強度というか、オリジナリティは本当にすごいなと思いました。一時期、自分の文体が村上春樹みたいになってしまったことがあって。そういう感染力もあるっていう。名曲のフレーズって耳にずっと残ってるじゃないですか。あの感覚に近いんですよ。だからこそ、幅広い層に支持されているのだと感じました。

菊池 僕は、この本を書いてから自分の文体が消えました。Twitterも迷走していて、「俺」という字をひらがなの「おれ」にしてみたり、いろいろ試行錯誤してるんですけど、どれもしっくりこなくて悩んでます。

-- 文体迷子になってしまったんですね(笑)。

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菊池 そういえば、この本のPRで高橋みなみさんのラジオに出演したんですけど、『リーダー論』(講談社AKB48新書)を参考に高橋みなみさんの文体模写もしたんです。そしたら今回の100パターンとはまた違った個性があって、奥が深いなと。やっぱり個性が際立ってる人って、文体も特徴的なんですよね。

 

-- 個性と文体は表裏一体なところがあると。

菊池 この本に入っている文豪たちもそうなんですけど、文体が立っていると普通のことを述べていても内容が際立つんですよね。モデルの滝沢カレンさんのInstagramなんかも、内容は「収録がありました」ってことだけなんですけど、文体が独特だから注目されますし。

 

-- 他の人より一歩抜け出すとしたら、自分の文体を見つけてみるところからはじめてみるのもいいかもしれないってことですよね。

菊池 そうですね。自分の文体を持ってTwitterでつぶやきまくったりしたら、仕事が舞いこんでくるかもしれないですよ。某暇な女子大生みたいに(笑)。

神田 今の時代って企業に勤めている人でも、他人とちょっとでも違うことをやっていかないと生き残っていけないと思うんですよ。だから、オリジナルの文体を持つことで個性を際立たせたらいいんじゃないですかね。

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菊池 例えばビジネスメールって最初と最後の文言がだいたい決まってるじゃないですか。「お世話になっております。~よろしくお願いします。」みたいな。そういうところから変えてみたらいいと思いますよ。

神田 「お世話になっております~」の代わりに「こんにちは~」にするだけでも、個性でますよね。

菊池 普通はしない言い回しをされると気になるんですよね。だから、逆にへりくだった感じのメールは付き合いにくい印象を持たせてしまうと思います。「愚行を犯し~」みたいな感じで来られると、こちらもどうすればいいかわからなくなってしまうし。

神田 自分を下げてこられるのは、逆にやりにくくて嫌ですね。あと、個人的には「様」はひらがなにしてる方が柔らかい印象がしていいです。もしくは「さん」にするとか。

 

-- 漢字が多いと、それだけで硬い印象になりますからね。

神田 硬い文章の人は関係も続かないことが多い気がします。

菊池 こちらも相手のテンションに合わせないといけないですからね。

神田 僕は目上の人にメールするときにもあまりかしこまらないです。「~しちゃいました」みたいなけっこう軽いノリのときもありますし。その方が懐に入りやすいと思っていて。

 

-- 最近はメッセンジャー機能も充実してきているので、チャットに近い感じでやり取りする方が楽なんですかね。

神田 あと、肝心なところで村上春樹風の比喩表現を使ってみたらどうですかね。例えば「謝肉祭の季節を迎えたピサの斜塔みたいに前向きで、しっかりした勃起」とか「春の熊くらい好きだよ」みたいなウィットに富んだ一節を盛り込んでみたり。全然ビジネス関係ないですけど(笑)

菊池 メールってまさに文体模写だと思うんですよ。いろんな人のメールを見ながらどんどん真似するといいと思います。

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まだ企画書フォーマットで消耗してるの?

-- 今回の著書は、文体模写のおもしろさもさるところながら、企画自体に大きな魅力があると思いました。神田さんは下北沢の本屋「B&B」でイベントを企画したりしてますし、菊池さんはこれまでにも「了解しました・承知しました問題」をはじめ、ネットで盛り上がる話題を提供しています。

神田 でも、実際に通る企画って10個出したら2個くらいですよ。

菊池 僕も毎回「これはバズる」と思ってツイートしてるのですが、大体10リツイートくらいで終わるんですよね(笑)。3ヶ月に1回くらい5,000とか10,000とかいくくらいで。

神田 だから、企画は投げ続けるしかないんですよ。

 

-- では、良いアイデアを出すために取り組んでることはありますか?

神田 僕は旅行ですね。ハイパーメディアクリエイターの高城剛さんが「アイデアと移動距離は比例する」っていう名言を残しているんですけど、環境を変えることで発想も変わるんですよ。同じことを考えても違うアイデアが浮かんできたりするんです。だから、2ヶ月に1回くらいのペースで行くようにしています。

菊池 僕はよく歩くようにしてますね。アイデアを紙に書いた後に持ち歩いてると、さらに良いアイデアが浮かんできたりするんですよ。だから、月に1回か2回は1日中歩いてますね。

 

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-- そうして浮かんだアイデアを企画書にまとめるときに意識することはありますか?

菊池 あまり企画書にまとめないですね。口頭で伝えて「それ、いいね!」ってすぐにならないものって、大体おもしろくないので。

神田 僕もフォーマットは気にしないです。昔、週刊誌の編集部に在籍していたことがあったんですけど、企画会議が毎週あって、そこに企画を3本必ず出さないといけなかったんです。時にはフエルトペンでチラシの裏に箇条書きにするくらいでしたし。それでもおもしろければ企画は通るので。

 

-- 「一枚のスライドに伝えたいことはひとつだけ」みたいなことはやらないんですね。

菊池 企画ってロジカルにおもしろく組み立てることもできますけど、実際に動かしたらイマイチってことも多いと思うんですよ。パっと説明した瞬間に盛り上がらない案は弱いと思うんですよね。

神田 少なくとも僕たちの勝負している世界では中身がいかにおもしろいかで評価されますから。あんまりフォーマットを気にする必要はないと思うんですよね。業界によっては美しい企画書を作ることが評価されるのかもしれないですけれど。あとは、さっきも言ったんですけど、ひたすら投げること。そうすると、いつか何か引っかかるので。僕はその行動力だけで生きてきたようなものですから。

デキるビジネスメールを書けそうな文豪は?

-ところで、文豪たちの中でビジネスメールを書かせたら光りそうな人は誰かいますか?

神田 うーん、いるかな。やっぱり村上春樹かな。誰かいる?

菊池 村上龍さんですね。『eメールの達人になる』って本も出してますし。あとは星野源さんはおもしろいメールを書きそうですね。

神田 星野源ね。確かにのらりくらりと上司のお願いとかかわしそう(笑)。

菊池 ただ、やっぱり文豪はビジネスメールもクセがすごそう。

神田 文豪って普通の人と感性が違うから文体も個性的なわけで、そういう意味では焼きそばの作り方と同じように、光るビジネスメールを書く気がしますけどね。

 

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『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』
宝島
神田桂一、菊池良
1,058 円(税込)

【取材協力】
ヴィレッジヴァンガード下北沢店
東京都世田谷区北沢2-10-15 マルシェ下北沢1F
03-3460-6145
10:00~24:00(年中無休)

下北沢ケージ
東京都世田谷区北沢2-6-2

取材・文:村上広大 撮影:今井裕治

>> 「仕事が速い人」が実践する10のルール | 石黒謙吾

「想定外」という言葉に逃げるのは“プロ失格”だ――勝率9割の“プロギャンブラー”のぶき氏がこの仕事を選んだワケ

大学卒業後、ギャンブラーとして15年間、世界をさすらいながら生きてきた男がいる。

勝率は神の領域と言われる9割。出入り禁止となったカジノは数知れず。そんな破天荒な人生を生きる男の名はプロギャンブラー・のぶき。ギャンブルで勝ち続けるために必要な思考力、決断力、行動力はそのまま仕事や人生で成功するために必要不可欠な要素だ。事実、のぶきさんの元には様々な企業や学校、団体から就職や転職、ビジネスをテーマとした講演依頼が殺到している。今回は自らの人生を振り返りつつ、そこから得た、仕事や人生で勝ち抜くためのメソッドや人生の岐路に立った時の後悔しないための選択法などをたっぷり語っていただいた。

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のぶき(本名:新井 乃武喜)

1971年、東京都出身。大学卒業後、25歳の時にプロギャンブラーを目指して単身アメリカへ渡り、修行を開始。2年後、無敵のプロギャンブラーとなりラスベガスをはじめとする世界中のカジノを周遊。ギャンブルの世界では神の領域とされる「勝率9割」を達成。ギャンブルだけで生活し続け、15年間で世界6周、今まで訪れた国は82ヵ国におよぶ。現在の主な活動はプロギャンブラー人生で得た経験や生き様を伝える講演や、『日刊SPA!』や『Lifehacker』での記事執筆、メディア出演など。著書に『勝率9割の選択』(総合法令出版)、『ギャンブルだけで世界6周』(幻冬舎)がある。

前回は、のぶきさんにはこれまでのギャンブル人生から得た、一般的なビジネスパーソンでも今日からでも人生や仕事に活かせそうな助言をたくさんいただきました。今回は仕事選びで大切なことや目標達成の極意、壁の乗り越え方など、仕事や人生で勝つための具体的なメソッドをさらに語っていただきます。

後悔しない仕事の選び方

──ここからはのぶきさんが15年のプロギャンブラー経験を通じて得たことで、一般的なビジネスマンが仕事や人生で成功するために役立つことを教えてください。のぶきさんにとって仕事とはどういうものですか? 

仕事ってお金のためじゃなくて、幸せに生きるためにするものだと考えています。自分のためじゃなくて、もっと世の中のためになることをやりたい。もう自分のための楽しいことは全部やりきったので。

──仕事選びという観点で大切にしてきたことは?

僕は大学時代、就職活動がスタートするずっと前から就職についてめちゃくちゃ考えてました。仕事って人生の6割の時間を使います。仕事の時間がハッピーなら人生の6割がハッピーになるし、つらく苦しい時間なら人生はハッピーから遠のきます。だから自分にとってそれをするのが楽しいと思えること、本当に有意義だと思えること、本気で自分のすべてを懸けられること、休みたくないことを仕事にしたいと思いました。

職業としてプロギャンブラーを目指すと決意した時も(※詳しくは第1回参照)、それが本当に正しいのか否か、みんなからいろんな反対意見を言われた時に全部覆せるくらいのセオリーを構築できるまで考え抜きました。だからこそ修行時代、発狂寸前になっても頑張れたし、実際にプロギャンブラーになった後、15年間も続けられたんです。また、大学生向けの就活がテーマのトークイベントにもよく出演依頼が来るのですが、その場でも自信をもって仕事について語れるんです。

大学を卒業したら必ず社会に出て仕事をしなきゃいけないのはわかりきってるわけだから、自分はどんな仕事がしたいのか、どんな働き方がベストなのかを考えるべきです。つまり大学4年間は社会に出てからの人生をプランニングする時期。多くの就活生はそこまで考えておらず、就活時期になるととりあえず就活しなきゃと思って他の人がしてることを何となくしてしまう。就活時期になってから就職のことについて考え始めても遅いんです。だから就職してこんなはずじゃなかったと思ってすぐ辞めてしまう。かなり前から新卒で就職後、3年で辞める人が3割もいることが問題視されていますが、その大きな理由はここにあると思います。ちゃんと自分の人生をプランニングできてないから。

だからまずは自分がどうなりたいのかをイメージして、そのためにはどういう仕事をすればいいかを落とし込んでいくんです。プロギャンブラーになることを決意した時の話でも触れましたが、僕はボランティアや政治の世界に行きたいからギャンブルの世界に入った。世界を知ることができるし、自分自身も今より絶対強くなると思ったから本気でトライできたし、狂いそうになる一歩手前までトライし続けられたわけです。

この“本気”というのも1つの重要なキーワードですね。ギャンブルは世界中の人と勝負ができます。そのせめぎあい、ピリピリ感が楽しかったから本気になれました。どんな仕事でも長く続けて結果を出すためには、自分が本気になれるかどうかが大事。だから逆から言うと、これなら自分は本気になれると思える仕事を考え続ければいいのです。

目標達成の極意

──のぶきさんは日本に帰国後も本を出版したり、TEDxに出たり、小学校で授業をしたりと目標として掲げたことを着実に達成しています。目標達成の極意を教えてください。

20代や有能な人に多いミスは、複数の目標を掲げすぎて優先順位を決められていないことです。あれもやりたい、これもやりたいでは、この瞬間に何をするのがベストか定まらず、どれもたいしたレベルに到達できません。

『現在の自分の目標は、いったい何なのか?』を自分ときっちり会話し、メインの目標を決断することです。目標を本気で探しに行く気持ちも必要で、それがないと見落としてしまいます。でもいったんメインの目標を確立することさえできれば、どんな仕事でも成功の可能性が高まります。

──そのメインの目標はどうやって見つけて決断すればいいのでしょうか。

まず、自分ですべての選択肢を書き出してリスト化し、可視化するんです。人生のその瞬間においては常に1つのことしか選択できないので、その中から今のベストは何かを選びます。ベターではダメです。ベターを選ぶとベターな結果にしかならないからです。それではビジネスにしろギャンブルにしろ、勝てないし成功できません。だから常にベストな選択を積み重ねていく。『今のベストは何か?』を考えて、行動していく。これが僕の15年間のギャンブル人生の中で得た一番大事な学びでした。

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▲『今ベストは何か?』を意識してやるべきことを細かく書き出している

マネーラインとプロライン

もう1つ、夢や仕事で成功するためのコツをお伝えします。それは「マネーラインとプロライン」という2つのラインで、目標達成への道のりを3段階にわけるんです。目標達成までのゴールが遠すぎると、達成する前に挫折の可能性が高まってしまうので。

マネーラインとは、自分の夢や仕事で1円を作りだせるラインのことです。すでに誰かがあなたが目標としていることでお金を生み出せているなら、自分もお金と時間を惜しまずトライし続ければいつかはお金を生み出せます。ただマネーラインは、どれくらいの努力を積み重ねれば越えられるかはわからないし、目では見えません。僕のギャンブルの場合は、確実に勝てる最初の1円を作るのがとても大変で、集中しまくって取り組んだにもかかわらず2年かかりましたから。

一方、プロラインとは、自分の夢や仕事で生活費を稼ぎだせるラインのことです。例えば起業する場合などは、その仕事で自分の生活費以上を稼ぐ必要があります。さらに言うと夢や起業にトライする時は、プロラインを下げる事が重要です。例えば1ヵ月の生活費が12万円の人と25万円の人では、前者の方がトライできる期間は倍に増え、成功する可能性が僕の肌感覚だと4倍くらい増えます。だから起業で成功したいならプロラインを下げて、まずはプロラインを越えるまで没頭しまくることをお勧めします。晴れてプロラインを越せることができてから遊びましょう。

マネーラインとプロラインを越すために必要なのは実力です。実力は「量×質」で作られます。量とは、起きているすべての時間をそれに費やしてくことで、満点になります。質とは大きくわけて2種類あり、「実行対象」と「集中力」です。「実行対象」とは、何をすれば目標達成できるのかという“すべきことリスト”を作り、そのリストから、「今のベストは何か」を選び出し実行すること。「集中力」とは、その各作業へ集中できる環境を考えて身を置き、自分の集中力を引き出すことです。きっちり実力を積み上げ続ければ、目標達成しまくれる自分になれますから。

壁の乗り越え方

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──ビジネスでも困難なプロジェクトに挑戦する時、最初は頑張ればできると思っていても、途中で大きな壁にぶつかると、やっぱり自分には無理だった、挑戦すること自体が間違っていたという考えが浮かんで、そのままあきらめて挫折してしまうことがあります。のぶきさんは発狂一歩手前までいってもあきらめずにプロギャンブラーになれました。困難な壁にぶつかった時にあきらめないでやり通せるのはなぜなのでしょうか。

途中で壁にぶち当たった時に下す判断は正しいものとは言えません。メンタルが弱くなって気持ちがぶれているからです。だからそういう時は冷静にそのプロジェクトへ入る前の自分はどんな思いだったか、どんな設定を決めたかを思い出します。そうすると再び壁に立ち向かう闘志が湧いてきて、最終的には乗り越えられるんです。だから最初の設定がものすごく大事なんですよね。

──設定って具体的にはどうすればいいのでしょうか。

「ここまではやる」ということを期間でもいいし状況でもいいのでなるべく具体的に決めるんです。「やりきったと思えるまではやる」でもいいです。

僕は最初に設定する時、これらのことをブログやメモなどへ書き込むようにしています。挫けそうになった時はそれを見るんです。するとこの時こう思ってたなと初心に帰れて、まだ最初の設定までやってない、もうちょっと頑張ろうって思えるんです。

僕の場合もラスベガスに渡って、いくら修練を積んでも勝てる活路が見つからなかった時は、やっぱりプロギャンブラーなんて無理だったのかなと弱気の虫が顔をのぞかせたこともありました。そもそもギャンブルなんてやったこともないし好きでもない。プロギャンブラーなんて僕の常識でも絶対違うと思ったし、みんなも反対してたじゃないかと。でも初心に帰ったら、いや、僕はまだまだ限界までやりきってないからギブアップなんてできない。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という井上雄彦さんの人気マンガ『スラムダンク』の安西先生のお言葉が浮かんできて、それを心の支えに頑張りました。

僕がプロギャンブラーという職業を選んだのは、「自分自身を強くするため」という動機も大きい。プロギャンブラーはなるのも大変ですが、なってからも厳しかった。次々と高い壁が目の前に立ちはだかり、本当に乗り越えられるだろうかと不安に思ったことも何度もありました。けれどその都度、プロギャンブラーを目指した時の自分に立ち返って、この壁を乗り越えたらまた1つ僕は強くなれると思ったから頑張れたんです。

壁が高ければ高いほど、本気で乗り越えに行かなければ次の自分は作れません。かさぶたや骨折と同じで、現状の自分の器を壊すことで、メンタル、人間性、考え方、決断力、行動力などが強化されて、一回り大きな器になれる。だから壁は自分自身が成長できるきっかけでもあるんです。なので壁が来たら自分が成長できるチャンスが来たと喜んでほしいですね。

──では壁を打ち砕くためには具体的にどうすればいいのでしょうか。

何をすれば目の前に立ちはだかる壁を打ち砕けるのかを真剣に考え、あらゆる方法をリスト化して、1つずつ本気で実践していくんです。それをきっちりやれればいつかは打ち砕けるし、ほしいものを次々と手に入れられると考えています。

壁にぶち当たった時、最初に決めた『あきらめる設定』に達していないんだったら全力で、もがくんです。そうすれば可能性は1日0.1%ずつでも必ず上がっていく。常に小さくてもいいから向上できることをこなし続けていると、勝率はだんだん上がっていきます。僕が神の領域と言われる勝率9割のレベルにまで到達できたのは、多くの人が些細なことだと感じる改善点すらきっちりとこなして、積み上げ続けただけのことです。

また、最近では世の中へ自分の遺作と考え、ベストな舞台としてTEDxを見出しました。TEDxで話すことを第一目標に設定し、命を賭けて実現させると決めました。そのためにやるべきことを100個以上リストアップして全部やりました。でも、そこまでやってもTEDxのオーディションに落ち続けたんです。それが壁だったわけですが、それでもあきらめようとは全く思いませんでした。最初に設定していたあきらめるラインまで全然届いていなかったからです。そもそもギャンブラーがTEDxに出られないのは当然ですから。でも可能性は0ではない。まだ何か足らないんだと思い、さらにやるべきことを書き出してトライし続けました。次の1分1秒を何に使うのがベストかを考えて、無駄なことは一切しませんでした。去年(2016年)の8月は1秒も休んでないと言い切れます。その結果、TEDxYouth@Tokyoでスピーチすることができたんです。まさに夢の舞台でした。それ以降、立て続けにTEDxへ登壇させてもらっています。

でも正直、壁を打ち砕けるかはどうでもいいんです。

──どういうことですか?

大事なのは本気で打ち砕こうとする気持ちがあるかどうかなんです。本当にベストを尽くしたのなら、打ち砕けなくてもいい。自分でベストを尽くしたと胸を張って言えるのなら、そのやりきった自信によって次のステージへたどりつけますから。それに、ギャンブルでも仕事でも運という要素は多分にありますからね。

つまり、壁というのは自分にとって乗り越える価値があるかないかの話で、ないと判断すればあきらめて全然OKです。他人からどうしてそんなことでへこたれるんだと言われても、自分がこれ以上頑張ったら鬱になりそうだと判断したら、絶対にへこたれるべきです。逆に、他人からこのままやってたら鬱になるよと言われても、自分が挑む価値があると思うなら壁にヘッドバットを繰り返すだけ。自分の額から血が流れ出しますが、頭が割れる一歩手前までやる。そこまでやらずに逃げることを考えるなら最初からやるなと思います。勝負って、本気で勝つという気持ちがあるからこそ挑むわけで、最初から負けるかも、できないかもと思うくらいなら最初からやるなって考えています。

──これまでにやったことのない、自分にはちょっと厳しいかもと思うような難易度の高い仕事が来た時はどうすればいいでしょうか。

自分には厳しいかもと思うレベルなら、トライをお勧めします。少しでもやってみたい気持ちがあれば、なおさらです。厳しいと思うのは逆に言うと「やれる」と脳みそが判断しているということなので、チャレンジするべきです。厳しい環境に入らなければ、成長は難しいですから。

逆に「無理」と感じる難易度は、無理な可能性が高すぎるので、トライするタイミングではないと判断します。脳はあなたのためだけに、スーパーコンピューターのごとく、正解を直感として導き出すことが多いですから。

僕もプロギャンブラーに本当になれるかどうかはわからなかったけれど、なれる“かも”と思った時点でなれる可能性が生まれる。そこに全力で突っ込んだおかげで今、思考力、精神力、行動力など、1つひとつが最強に近づいているという自信があるんです。

想定外のことが起こった時の対処法

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──ギャンブルでもビジネスでも突然のアクシデントに見舞われたり、いわゆる「想定外」のことが起こることもよくあると思うのですが、そんな時の対処法について教えてください。

僕がこれまでの経験から作った格言の1つに「勝ちにこだわるな、勝つ準備にこだわれ」というのがあるのですが、時間と労力をかけて準備をきっちりやることです。

──確かにのぶきさんはいきなりカジノへ行かず、研究やシミュレーションをものすごくやってますよね。建築業界には「段取り八分」という言葉もありますが、まさにそんな感じですね。

いやいや、僕の場合は“八分”どころか“十分”です。そのくらい準備は大事なんです。僕の勝負のポリシーの1つに「扉を開ける前に勝負を決めよ」というのがあります。ブラックジャックの勝負をしていた時はいつも100万円を持ってカジノへ行って6時間勝負をしていました。カジノの扉を開ける前から、勝負を終えてカジノから出る時の所持金を予想できるのがプロです。例えば100万円持っていたら、最終的に137万円から89万円の間になっていることがわかりきっています。だから途中で運が悪くて所持金が仮に80万へ下がったとしても、運は統計とともに戻って6時間後には今より勝てているのがわかりきっているから、ぶれずに勝負できるんです。

僕は想定外という言葉へ逃げるのはプロ失格だと考えています。すべてのことを想定内に入れておくんです。どんなことでも0.1%くらいは想定していないことが起きるとあらかじめ想定しておけば、いつ想定外のことが起こったとしても、どう凌ぐかが勝負どころだと思って最高のパフォーマンスを発揮できるんです。言い方を変えると、人間の脳みそはあらゆることが起こる可能性があると思っていると、それが起こった時に対処法を考え出します。

逆に想定外を言い訳にする人は、想定外のことが起こった時、ありえないことが起こったとギブアップしちゃう。そうすると脳みそは考えてくれなくなって、パニクっちゃう。もちろん最高のパフォーマンスを発揮することなんてできるはずがありません。

だからそういう意味でも行動する前に「こうなったらこうしよう」という設定をきっちり決めておくことが大事なんですよ。これは想定外と言い訳するすべての人へ伝えたいですね。

・就活時期に就職のことを考えても遅すぎる

・本気になれるかどうかを重視せよ

・目標の優先順位をつけるべし

・すべての選択肢を書き出して可視化せよ

・今のベストは何かを考え、行動せよ

・壁にぶち当たったら最初の“設定”に戻るべし

・勝ちにこだわるな、勝つ準備にこだわれ

・“想定外”を作るべからず

 などなど、今回も今日からでも使える、仕事や人生で勝つための具体的なメソッドをたっぷり語っていただきました。いよいよ次回最終回では人生の岐路に立った時の選択法や“伸び悩み”からの脱却法、転職に対する考え方など、後悔しない人生を送るための超重要な方法を熱く語っていただきます。乞う、ご期待!

次回(最終回)は8月10日(木)掲載予定です。

【連載】「勝率9割の“プロギャンブラー”のぶき氏がこの仕事を選んだワケ」(全5回)

文:山下久猛 撮影:守谷美峰

「仕事が速い人」が実践する10のルール | 石黒謙吾

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著述家であり書籍のプロデュース&編集も行う石黒謙吾さん。25年間でプロデュース&編集した書籍は220冊以上。同時に、自著の執筆も50冊以上を手掛けています。「仕込み中」の案件を含めると進行中の企画は、約80作。煩雑な連絡業務と、集中力を要する執筆作業、調整と段取り勝負の編集作業をどのように超速処理しているのか聞きました。

<プロフィール>
石黒謙吾(いしぐろ・けんご)
1961年金沢市生まれ。著述家・編集者・分類王。著書に、映画化された『盲導犬クイールの一生』(文藝春秋)のほか、『決断できる人は2択で考える』(星海社新書)など多数。プロデュース・編集した書籍は、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(神田桂一、菊池良/宝島社)、『負け美女』(犬山紙子/マガジンハウス)など、幅広いジャンルで250冊を超える。石黒謙吾 (@ishiguro_kengo) | Twitter

 

――「書籍のプロデュース&編集」とは、どのようなお仕事ですか?

「この人面白い!」と思う著者候補を見つけ、書籍の企画を立て出版社に持ち込んでいます。ここまでがプロデューサーとしての仕事です。企画が通れば、著者への原稿ディレクション(作成指示や修正指示)や、イラストレーターやカメラマン、デザイナーとの打ち合わせ、タイトル付けなどのすべての編集と進行を行います。

同業のフリー編集者と大きく違うのは、「著者や企画がかっちり決まっている案件の請負仕事はやらない」ことです。本を作るなら自分で考えた企画や、「面白い!」と思った著者やネタで勝負をしたいんですよ。

――最近プロデュースされた作品だと『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(神田桂一、菊池良/宝島社)が、発売2カ月で7万部のヒットになっていますね。

作ったわれわれも驚いています(笑)。もちろんヒットすればうれしいんですが、実は、今回の本に限らず、企画を考えるときには「ヒットする本を作ろう」とは考えてないんですよ。むしろ、まだあまり知られていないニッチな世界観を世に知らしめる仕事が好きなので、いつも企画が通るか通らないかのギリギリのところでやっています。

石黒流 仕事の管理方法10のルール

――仕事の管理はどうされているのですか?

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1冊の本が完成するまでに、メールだけでも少ないときで1000通ぐらいやりとりします。デザインやイラストなどが複雑な場合、数千通になることもよくあります。
仕込み中の企画を含めると、80作近い案件が同時進行しているので、毎日100~200件はメールが来ます。加えて、日々の膨大な業務作業があるので、仕事のやり方はいくつか明確にルールを決めています。

【ルール1】 オンオフをはっきりさせ、仕事時間にメリハリをつける

まず仕事する時間を「朝10時~夜10時まで。土曜日は草野球をやるので完全にオフ」と決めています。日々の時間は多少前後に食い込むこともありますが、「夜、ビールを飲んでリラックスする時間」を必ず持ちたいので、だらだらと遅くまでは仕事しません。

仕事が終わったら、メールもスマホも一切見ない。そもそも仕事のメールはスマホに転送していません。ノートパソコンも持っていないので、メールチェックも原稿執筆も基本はすべて仕事場(自宅)で行います。出張などでメールチェックができないときには、直近でやり取りする可能性がある人全員に不在期間を知らせておけば、特に問題はありません。急ぎならケータイにかけてくれますし。

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【ルール2】 仕事の連絡はメールに集約し、案件ごとにフォルダに仕分ける

仕事のやり取りはすべてメールに集約しています。FacebookやTwitterから問い合わせや連絡が来ることもありますが、仕事絡みの連絡は必ずメールに送りなおしてもらうようお願いします。とにかく数が多いので、あちこち見に行かなければいかない状態は、とても非効率だからです。一元化しないと処理・記憶しきれません。

メールは案件ごとにフォルダを作り、「返信が終われば、フォルダに格納していく」を徹底しています。受信ボックスに残っているメールは、次に僕が何かアクションを起こすべきだということ。まあ、古いやつだと3年前のメールが残っていたりしますが(苦笑)。

【ルール3】 「未処理件数」をとにかく減らす

朝パソコンを立ち上げたら、まずは簡単に処理できるものから順番に片づけます。目を通さず捨てるメルマガ、さっとだけ目を通して捨てるメルマガ、レスがいらない確認メール、一言だけ返信すれば終わるメールなどを仕分け終えてから、原稿確認のような時間のかかる作業に取り掛かります。

毎日、何百通とメールが来るので、重要な案件から先に手を付けていては、いつまでたっても数が減りません。連絡をくれた相手を待たせたくないので、レスポンスのスピードはかなり重視しています。

【ルール4】 「お互いの時間」を節約するために電話を活用

最近、「電話は相手の時間を奪う」という風潮がありますが、電話はうまく使えばお互いの時間を節約できます。それに、何でもかんでもメールで済ませようとする人ほど、すぐに打ち合わせをしたがると体感しています。

「とりあえず打ち合わせしましょう」と、何の準備もしないで会うことほど時間の無駄なことはありません。必要な書類を作成し、事前に確認し合ったたうえで、電話すれば5分で済むことも、打ち合わせだと往復時間も入れて、最低3時間かかってしまう。

僕は原稿のディレクション(作成指示や訂正指示)は、90%以上電話で行います。メールでは時間的に不可能でもありますが、なによりニュアンスが伝わらない。中途半端にしか伝わらない状態だと、相手に何度も書き直させることになり、迷惑をかけてしまいます。

場合によってはアポイントの調整だって、その場で電話したほうが、お互いに早いこともある。一方的に電話を「悪者」にせず、電話とメール、対面の使い分けをしっかり考えればいい。

【ルール5】 外出の予定はできるだけまとめる

外出は必要不可欠なものだけに絞り、週のうち2、3日は外出せずに自宅で集中できるようにアポイントを先手先手で調整します。
メールの返信などの細かい作業は、スキマ時間でもできますが、原稿執筆や編集作業はある程度固まって集中しないとできない。出る日と出ない日を極力ハッキリ分けます。

【ルール6】1秒を惜しんで効率化を図る

仕事の時間はあっという間に過ぎるので、時間は1秒だって惜しい。自宅内の作業環境や、手順は徹底的に無駄を排除しています。一度、デスクに座ればプリンターやスキャナーは座ったままで手が届く場所に配置。資料はデジタルデータでもアナログでもすべてフォルダごとに分けて整理し、必要なときに必要な情報がさっと取り出せるようにしています。原稿やカバーのデザイン、ラフ案などは、関係者全員で共有するDropboxに保存すれば、いちいちメールに添付したり圧縮したりする手間が省けます。

よく「メールやファイルを分類するのは手間だ」と言われることもありますが、僕からすれば、探す手間と時間のほうがよほど惜しい。進行中の案件なのに、いちいち検索しないと、必要なデータにたどり着かないなんて、すごく非効率です。

【ルール7】 健康管理を怠らない

身体を壊して仕事ができなくなると、一気にすべてが滞るので健康管理には気を使っています。朝8時に起きて、30分犬の散歩。朝食には青汁や熊笹パウダー、春ウコンパウダー、しじみ習慣など10種類を3分で一気に摂取して、さらに野菜と海産物中心の具沢山な雑炊を食べます。たんぱく質とビタミンをたくさん摂るよう意識しています。

週に一度は整体、隔週で耳つぼ、足つぼのマッサージに行き、体をケアします。運動は毎日夜に行うストレッチと毎週末の野球ぐらいですが、移動時にはエスカレーターを使わない、階段は一段飛ばしで歩く、などのマイルールを決めています。

【ルール8】 仕事に「集中力」はいらない

「集中しないと仕事ができない」と甘いことを言っている余裕はありません。気がつけば集中していた、という時間はありますが、いちいち「集中しよう」「集中しなきゃ」と考える時間すらもったいない。むしろ「集中しないでも仕事ができる力」が大切。パソコンの立ち上げと同時に仕事スイッチを入れています。

【ルール9】 頭を空っぽにする時間をできるだけ作る

パソコンは空き容量が少なくなると正常に機能しませんよね。これは人間の脳みそも同じだと思います。だらだら仕事をしないのも、スマホで仕事をしないのも、「頭を空っぽにする時間」が欲しいからです。調べればすぐにわかることなど、覚えなくていいことは一切覚えようとしません。

頭を空っぽにすると、新しい企画や考えていた本のタイトル案などがふっと思い浮かぶことが多いですね。それが本の入稿前や執筆の〆切に追われているときなどは、なかなか出てこない。これは「自分の企画でメシを食う」と決めている僕には死活問題なのです。

【ルール10】 「自分の頭で考える」

僕はビジネス書の類は、一切読みません。日々の仕事のスタイルは、すべて自分で考えて、試して「こうやったほうがいい」と思うやり方を定着させています。ライフハックのような、誰かがすでにノウハウ化したことには一切興味がない、というか、自分で作るほうがよっぽど面白いですよ。

もっといえば、「ルールは自分の頭で考えないと馬鹿になる」と思っています。野球選手のダルビッシュが以前、「『練習は嘘をつかない』というけれど、頭を使わない練習は普通に嘘をつく」という趣旨の発言をしましたが、その通りだと思います。

自分で考える癖をつけておかないと、人が考えたノウハウの上澄みをすくうだけしかできなくなりますよね。自分にフィットしたノウハウを考えられるのは自分だけなのですから。

まとめ~分類脳を鍛えよう

<ルールまとめ>

  1. オンオフをはっきりさせ、仕事時間にメリハリをつける
  2. 仕事の連絡はメールに集約し、案件ごとにフォルダに仕分ける
  3. 「未処理件数」をとにかく減らす
  4. 「お互いの時間」を節約するために電話を活用
  5. 外出の予定はできるだけまとめる
  6. 1秒を惜しんで効率化を図る
  7. 健康管理を怠らない
  8. 仕事に「集中力」はいらない
  9. 頭を空っぽにする時間をできるだけ作る
  10. 「自分の頭で考える」

何ごとも俯瞰して、分類し、抽出、定着させるクセを身につけることが大切だと思います。例えば、何かに対して自分が「好き・嫌い」と感じる違いを考えてみる。映画でもドラマでも小説でも、自分が好きなことなら何でもいいです。

例えば、電車の中できれいな女性がいたら、ルックスに限定して点数をつけてみる。70点と80点の違いは何か。その微妙な違いを考えることは、とてもいい思考訓練です。「何となく好き」というのでは、脳みその持ち腐れです。

【参考】

f:id:kensukesuzuki:20170728125406j:plain石黒謙吾さん 著書
分類脳で地アタマが良くなる
(KADOKAWA/角川マガジンズ)

石黒さんの普段の頭の使い方が分かる一冊。普段、無意識に行っている「分類」を意識的に行うことの大切さと、その具体的な方法を紹介します。仕事のスピードを上げたい人、発想力・企画力を高めたい人におすすめです。

取材・文:玉寄麻衣、撮影・編集:鈴木健介

 

 

将来が不安なら、どこでも稼げる「スキル」を身につければいい――勝率9割の“プロギャンブラー”のぶき氏がこの仕事を選んだワケ

大学卒業後、ギャンブラーとして15年間、世界をさすらいながら生きてきた男がいる。

勝率は神の領域と言われる9割。出入り禁止となったカジノは数知れず。そんな破天荒な人生を生きる男の名はプロギャンブラー・のぶき。ギャンブルで勝ち続けるために必要な思考力、決断力、行動力はそのまま仕事や人生で成功するために必要不可欠な要素だ。事実、のぶきさんの元には様々な企業や学校、団体から就職や転職、ビジネスをテーマとした講演依頼が殺到している。今回は自らの人生を振り返りつつ、そこから得た、仕事や人生で勝ち抜くためのメソッドや人生の岐路に立った時の後悔しないための選択法などをたっぷり語っていただいた。

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のぶき(本名:新井 乃武喜)

1971年、東京都出身。大学卒業後、25歳の時にプロギャンブラーを目指して単身アメリカへ渡り、修行を開始。2年後、無敵のプロギャンブラーとなりラスベガスをはじめとする世界中のカジノを周遊。ギャンブルの世界では神の領域とされる「勝率9割」を達成。ギャンブルだけで生活し続け、15年間で世界6周、今まで訪れた国は82ヵ国におよぶ。現在の主な活動はプロギャンブラー人生で得た経験や生き様を伝える講演や、『日刊SPA!』や『Lifehacker』での記事執筆、メディア出演など。著書に『勝率9割の選択』(総合法令出版)、『ギャンブルだけで世界6周』(幻冬舎)がある。

前回は、友人の反対を振り切り単身アメリカに渡っての修業時代を中心に語っていただきました。今回は、現在の活動と仕事をする上で大切にしていることについて語っていただきます。

金なんて正直どうでもいい

──下世話な話で恐縮なのですが、プロギャンブラーとして相当稼いでいたんですよね? 日本に帰ってきた時、貯金はいくらくらいあったのですか?

それほど持ってなかったですよ(笑)。今もですが。余裕があるのはあんまり好きじゃないんですよ。お金のない危機感が日々の自分を猛ダッシュさせるので。原稿でいうところの締切効果みたいなものです。お金があるほど、目標に向かって突っ走るのが難しくなるものです。だからギャンブルで儲けたお金はすべて自己投資へ遣っていました。外国語の勉強や、旅先をガイドできるレベルまで把握するためには、お金と時間がかかります。そもそも世界を巡るための交通費や宿泊費などに結構お金がかかりますし、その他は例えば芸術や食など、一流のものを体験することに遣ってましたね。一流のものを知ることも世界を知るためには必要不可欠ですから。

──では15年間でギャンブルで稼いだ総額はいくらなんですか?

それもわかりません。いくら稼いだか計算なんてしないんですよ。そこに意味はないので。トータルの数値が気になるのはお金にコントロールされすぎなんです。そもそもお金って自分が生きていく上で必要な分だけ稼げればいいわけじゃないですか。

──でも自分がどれくらい稼いでるかとか、どのくらい貯金があるかとか、把握してないと不安になりませんか?

それはですね、自分にとって本当に必要な金額がわかってないから不安になるんですよ。僕はそれがわかっていて、月々稼ぐべき額を把握しているから全然不安になりません。月の生活費に必要なお金を稼ぐためにするのが仕事です。それ以上を稼いでも、銀行口座に数字が増えるだけ。確かにそれを見たら安心はするでしょうが、金を稼ぐ目的が必要以上の安心感を得るためとなってしまいます。それに意味があるとは僕にはとても思えません。確かに僕は会社員ではないので収入は不安定です。でもありがたいことにご依頼はたくさんいただくし、その気になればどこの会社でも結果を出す自信があります。かかわったボランティアのプロジェクトは、土下座してでも、1分を作るために走ってでも、成功させていますから。そして、本当にお金がなくなったら20万円持ってラスベガスに戻ればいいだけの話ですからね。それで一生暮らせます。まずカジノへ行って1ヵ月で20万を35万にします。生活費を10万として、残りの25万を元手に次の1ヵ月でまた15万勝って40万に、みたく確実にどんどん増やせていけるので不安は全くないんですよ。将来のお金に不安を感じているのであれば、いつでもお金をつくれるスキルを身につけるべきです。お金がなくて不安だと言っている暇あったら、本気で不安解消のために動けばいいだけのことです。

──確かにこれで絶対稼げるという武器となるスキルをもっておけば安心ですよね。

その通りです。今はいつ会社をクビになるかわからない時代ですし、会社や国だって潰れる可能性がある時代です。もしそうなった時に自分は果たして生き残れるかを真剣に考えてほしいですね。自分の強みやこれから身につけるべき新しいスキルをリストアップして次に何をすればいいかを決めるんです。そうすれば何があっても、世界のどこでも生きていける自信をもてるようになります。

TEDxへの登壇が実現

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──現在は日本でどんな仕事をしているのですか?

講演やトークイベントがメインの仕事ですね。昨年は念願だったTEDxへの登壇や小・中学校での授業などが実現しました。トークのテーマは就職、転職、生き方、働き方、目標達成の方法も含め、多岐に渡ります。年間1000人以上に話しています。あとはWebメディアで連載を3本持っています。僕はギャンブルも旅も15年やって両方極めた自信があるんです。人生はギャンブルや旅と同じだと考えているので、ギャンブルや旅を極めたことで幸せな人生を送るためのメソッドを提示できる。自分が伝えられる内容は必ず誰かの人生や仕事の役に立つという自信があります。

また、ビジネスもギャンブルと似てるんですよね。ギャンブルと同じで必ず勝てるビジネスも負けるビジネスもありません。だからこそみんな勝負に出るわけですよね。その勝負に勝てる確率をいかに上げるかということなど、これまでのプロギャンブラーとしての経験で得たことを伝えているんです。

でも僕、ギャンブラーですよ?それなのにビジネス系の媒体に連載するとかTEDxに登壇するとか小学校で授業するとかって普通、ありえないじゃないですか。15年間、プロギャンブラーとして世界を回って勝負した経験、その中で培ったものって、まんま人生や仕事に応用できるんです。だからこそ、トークにしても連載にしても、次々とオファーが来るのだと思います。たとえ、ギャンブルのような一般的にはマイナスなイメージの対象だろうが、没頭しまくって極めてみるんです。それが、他の人がもっていない、自分だけのコンテンツとなります。マイナスなイメージのことに半端にトライするとマイナスで終えるので、徹底的にトライすることの重要性を知りました。

──仕事をする上で大切にしていることは?

勝負の世界で生き残るためには、毎日、その日の自分を振り返って、反省点を見つけ出し、改善していくことがとても大事です。“昨日の自分に勝てる自分を作れ”って、よく伝えてます。これはビジネスでも同じだと考えています。

ギャンブルから離れている今でも、同じことをやっています。講演会やトークイベントの後、必ず振り返りを行っているんですが、某証券会社で講演をした後、反省すべき点、改善点などを書き出して、その会社に送りました。すると、「これまで何百人という人に講演してもらったけどこんなことをしてくれた人はあなたが初めてで、さらに勉強になりました」と感謝されました。でも僕自身もその振り返りは勉強になるんです。この、自分にとってもクライアントにとっても有益になるwin-winの関係を築くことが、僕の仕事のスタンスの1つです。そうすればまた次の依頼が来る確率は上げられますからね。

そもそも依頼してくれた相手が10を望んでいたとして、10しか与えられなかったら、それはプロの仕事とはいえません。『恩は倍返し』が僕のモットーです。なので僕は常にいただく報酬の2倍分である20のパフォーマンスを発揮することを目指しています。クライアントさんに全部伝わらなかったとしても、15は伝わっているかと思っています。すると、クライアントさんもトークイベントに参加してくれた方もみんなが喜んでくださる。

──依頼者が望むクオリティの倍を目指すってすごいですね。

自分がその世界で生き残っていくためには他のライバルと同じことをしててもダメなんですよね。必ずいただく報酬以上のものを返す。それがプロ意識です。そうするとクライアントは感動して、また依頼してくれる。大勢いるライバルの中から頭一つ抜けられる。好条件でかつおもしろい仕事の話しか来なくなるんです。

もう1つは、常に余裕を作っておくことも心掛けています。忙しい中でも常にベストを尽くして、締め切りよりも少しでも早めに終わらせて体を空けておくと、おもしろい話が来た時にすぐ受けられるからです。常に期限ギリギリでこなしていく人はそれができないし、仕事って1度断ったら2度と依頼が来なくなることも多いですからね。これらのスタンスのおかげで常に仕事のオファーをいただけているのだと思います。

──では今はいいけど仕事が途切れたらどうしようという不安もないんですね。

全然ないですね。さっきも言いましたが、仮にもし仕事が途切れてもまたラスベガスに戻ればいいだけの話ですから。いろんな依頼を毎週いただいていることに感謝し、日本に残ってるだけです。

それと何より、僕のトークを聞いてくれた人に喜んでもらえるのがうれしいんですよね。トークを聞いた1年後くらいに「のぶきさんの話を聞いて転職したんだけど、今最高です。ありがとうございました」というお礼のメールをくれたりするんですね。これが心の底からうれしい。生きててよかったと思えるほどに。こういうメールをいただくと、僕のコンテンツを伝えるべきだし、何より人に伝えるのが好きだから、今度はトークで勝負しようと思ったわけです。

やっぱり人から求められたり感謝されるというのはものすごいモチベーションになります。自分のことだけを考えたら正直、旅しながらギャンブルしてる方が何倍も稼げるし、楽で楽しいんですよ。でもギャンブル人生で得られる満足度が10点満点だとしたら、今のトークも9.9点くらい楽しいんです。トークを聞いてくれた人が喜んでくださるので、その足りない点数を満たしてくれます。ギャンブラーにとって、難攻不落に思われていたTEDxや小学校で話すことにチャレンジするのもすごくやりがいがあるし。

──ではギャンブラーを引退したという気持ちは全然ないんですか?

ないです。誰からもご依頼が来なくなったら、明日にはラスベガスに戻ってます。

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・貯金残高なんて気にするな

・どこでも稼げるスキルを身につけろ

・昨日の自分に勝てる自分を作るために振り返りをしろ

・依頼してくれた人が望んでいるものに少しでもいいからプラスして返せ

・締め切りよりも少しでもいいから早く終わらせて常に体を空けておけ

などなど、今回、のぶきさんにはこれまでのギャンブル人生から得た、一般的なビジネスパーソンでも今日からでも人生や仕事に活かせそうな助言をたくさんいただきました。次回第4回はいよいよ仕事選びで大切なことや目標達成の極意、壁の乗り越え方など、仕事や人生で勝つための具体的なメソッドをさらにたっぷり語っていただきます。乞う、ご期待!

【第4回】「想定外」という言葉に逃げるのは“プロ失格”だ――勝率9割の“プロギャンブラー”のぶき氏がこの仕事を選んだワケに続く

【連載】「勝率9割の“プロギャンブラー”のぶき氏がこの仕事を選んだワケ」(全5回)

文:山下久猛 撮影:守谷美峰

高橋名人 | ミスを恐れず仕事を楽しむべし!ファミコンのように

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さまざまなシーンで活躍しているビジネスパーソンや著名人に、ファミコンにまつわる思い出から今につながる仕事の哲学や人生観についてうかがっていく本連載「思い出のファミコン - The Human Side -」。

これまではファミコンを少年時代にプレイヤーとして親しんだ方々にエピソードをきいてきたが、今回ご登場いただくのは、当時の子どもたちを熱狂の渦に巻き込み、カリスマ的な人気で一世を風靡した「高橋名人」。ファミコンブームを創り出したビジネスの当事者のひとりとして、またゲームメーカー「ハドソン」の社員・高橋利幸氏として、当時を振り返っていただきつつ、今を生きるかつてのファミコン少年たちへのメッセージをいただいた――

イケイケで働いたファミコンブーム黎明期

―― 高橋名人(以下「名人」)がハドソンに入社されたのはファミコン発売前の1982年だそうですね。当初はどのようなお仕事をされていたのですか?

私自身は文系なんで、それまでプログラムの勉強なんかしたこと無かったんです。だから独学で勉強をしました。ハドソンは当時パソコンゲームを手がけていましたから、パソコンの機種毎で方言のように異なるプログラム言語を解読して、移植作業を手伝うくらいのことまではやっていました。小さな会社でしたから販売営業もしていましたよ。

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その後、ハドソン初のファミコンカセットである『ナッツ&ミルク』と『ロードランナー』が1984年の7月に発売されるのですが、そのタイミングに合わせるように宣伝部へ異動になりました。でもそのとき最初に与えられた仕事は、「『ファミリーベーシック』の攻略本を書いてくれ」というもので、ファミコンと関わるようになったのは、もう少し後です。

―― 『ナッツ&ミルク』と『ロードランナー』は、任天堂以外のいわゆる“サードパーティー”から発売された初めてのゲームでもありましたよね。

そうなんです。当初は任天堂さんとしてもサードパーティーというのは頭になかったようで、ゲームソフトはすべて任天堂ファーストブランドでした。外部委託で作ったとしても、任天堂が発売するっていう形。じつはファミコン初期の『F1レース』とか『ピンボール』あたりはHAL研究所が作っていたんですよ。

ただ、ハドソンがやりたかったのは、ハドソンの名前で自社開発ゲームを発売したい、というもの。それならロイヤリティとかもなく、自社で利益構造を決められる。ただし、カセットを生産する工場のライン取りだったり、販売網や宣伝だったり、っていう一切をすべて自社で固めないといけなかったから、ハードルはかなり高かったんです。

販路開拓のために問屋さんへ足を運ぶことも我々自身がやるしかなかったですから。任天堂さんからは「こういう流通がある」っていう情報は教えてもらえるんですけど、「話を通しておくから」っていうところまではない(苦笑)。だから自分たちでイチから話をつけに行くしかなかった。あの頃は営業の専務と私の二人だけで、それこそ全国で売り込みにまわりました。

―― 結果的に『ロードランナー』は100万本以上が売れる大ヒットになりました。

ただね、もう生産が追い付かなくてね……品切れになったら次を出荷するまで、「なんで作るのに3ヵ月もかかるんだ!」って感じの苦情の電話が毎日くるわけです。とにかく出せば売れるけど、売れるのは嬉しいけど、「もっと早く作ってくれ!」ってこっちももどかしくって。最初の出荷から3日で品切れでしたからね、たしか。

ただ、『ロードランナー』の大成功で、社内の雰囲気はとてもよかった。当時はバブル絶頂期でしたし、まあとにかくイケイケでしたよ。とにかく売れるものは売って、盛り上げるものは盛り上げて、失敗することは考えず、前に突き進むだけ!と。

仕事で大切なのは「小さな失敗」をたくさん経験すること

―― そんな社内の上昇気流のなか、名人ブームがやってきます。

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100万本以上売れるファミコンカセットが次々に出てきた1984年から、「スーパーマリオ」が発売された1985年にかけて、TVや雑誌等のマスコミでもファミコンの話題が登場するようになってきて、CMも打つようになりました。しかし、それまで世間はファミコンというのをよくわかっていなくて、単なるオモチャのひとつくらいの認識でしかなかったんです。「じゃあ、誰がファミコンについて語れるんだ?」ってなった時に、たまたま私が「名人」として活動し始めていたので……一極集中ですよね。

―― 一躍ファミコン界のアイコンになったわけですね。当時はかなりのハードワーキングだったとか。

そうですね。でもイケイケな雰囲気のなかの忙しさだったし、若かったのでなんとかこなせていましたね。「ファミコン名人」の第一人者としての自負もありましたし、何をやれば失敗なのかもわかってなかったです。怖いもの知らずの状態でしたね。

当時のゲームイベントで一番大事にしていたのは、じつは「成功させること」ではなくて、「事故を起こさないこと」でした。そのためには「小さい失敗」っていうのを数多くして、改善していくってことが大事なんです。イベントだけではなくてどんな仕事でもそうですよね。

例えば、何かマニュアルを作る場合にしても、文字校正で「ここは直していたはずなのに直ってない!」とか、印刷後だとアウトじゃないですか。でも印刷前だったら、間違いの一つや二つだったらちょっと怒られて終わり。そのちっちゃい「怒られ」があるから、次はこうしてみよう、二回読み直してみようとか、ミスをしないように工夫していきますよね。

最初から大きい仕事を失敗しないでできる方が珍しいんですよ。だから20代や30代前半くらいまでのビジネスパーソンは、数多くの失敗を経験させてもらう、そのチャンスっていうのは若い時にしかないわけですから。50歳にもなってまだ小さい失敗してんのかってなると、バカにされちゃいますからね。新しい仕事だったら別ですけど。

失敗イコール自分の経験値ですよ。それは人に教えられても、自分でやるにしても、失敗というのは必ずついてくるものなので、それを糧にして、次に変な失敗はしないようにするっていうのを経験するだけで、すごい成長になると思いますね。

ファミコンに燃えたあの感覚は、仕事でも活かせる

――今の若い世代について、名人はどのように見ていますか?

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今どきの子たちは、「失敗するのが恥ずかしいと思っている」ところがありますよね。最初からミスしないことがわかっている仕事しかしなかったら、上司には褒められるでしょうけど、社会人としての成長は小さいと思うんです。

一方で、無茶なオーダーというか、自分で抱えきれないと思った仕事はちゃんと断りましょう、ということも大事です。基本的に若い頃は、できそうだったらなんでも受けていいんですよ。ただ、受け入れ過ぎてしまった時に、自分だけでなく周りにも迷惑かけたり、会社にも迷惑が出たりする。それをオーバーして、「全部やります!やります!」だと、きっとどっかで破綻しちゃうので、自分のキャパシティを超えちゃったなと思ったら、そこははっきり「できません」と言うべきですね。

―― 少年時代をファミコンで遊んでた世代は、名人が名人だったときの年齢を超えて、すでに社会でも中堅どころになっています。彼らに向けてメッセージをいただけますか?

子どもの時にファミコンに熱狂していた時間、その瞬間に燃えていた心っていうのはおそらく絶対に忘れないと思うんです。仕事を楽しくするには、そういう心を自分の中にもう一回見出す…というより、どうしたら周りの人がそういう状態になるのかを考えると良いと思いますね。

とくに30代40代は、役職名はそれぞれだと思いますが、社内でもディレクターとかプロデューサーの立場になっているわけで、あんまり変な仕事でなければ、社内でも新しいことを通しやすいと思うんです。こんなことをやったら、「あの時の俺みたいにみんなが熱狂してくれるんじゃないか」っていうのを目標にしてみると良いと思います。

自分が体験した心が燃え上がる感覚は、ぜったい他の人にも与えられるはずなんですよね。もちろん誰でもできるわけではないけど、与えられる可能性はみんなにある、ということは忘れないでほしいです。

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取材・文:深田洋介
1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。
http://famicom.memorial/

撮影・編集:鈴木健介

会社に矛盾を感じたら、「課長」になって変えればいい――経済学者・水野和夫氏インタビュー

水野和夫氏写真1

みずの・かずお

1953年、愛知県生まれ。 埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了(博士、経済学)。早稲田大学大学院修士課程経済研究科修了後、八千代証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)入社。三菱UFJ証券チーフエコノミストを経て、2010年に退社。同年、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)。11年、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)。2012年に退官。現在は法政大学法学部教授(現代日本経済論)。主な著作に『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)など。

 

水野和夫氏写真2

今は世界経済の転換期にあると説いた
『資本主義の終焉と歴史の危機』は
28万部のベストセラーとなった。


そんな水野氏の、キャリアの転機とは。
 

 

「なぜそうなるんだろう?」だけを、ずっと考えてきた

基本的に私は「何もやりたくない、楽をしよう」という人間なんです(笑)。でも、「なぜそうなるんだろう?」ということだけは、一貫して考えてきました。バブルが弾けた後からは特にそうです。

1980年代に証券会社に入社して債券市場を調査する部署に配属された当時は、上司から命じられるまま、資料を作っていました。今、振り返れば、バブルを煽るような内容です。ただ、渦中にいるときには、今の状況が順調な経済発展なのか、バブルなのかを判定するのは難しい。弾けた後にようやく「あれはバブルだったんだ」とわかるんです。

でも、バブルが弾けたあとには、がっかりしました。自分の仕事って何だったんだ、世の中のためにならなかったんじゃないか、と。

ただそこで、「どうしてバブルであるとわからなかったんだろう」ということを考えるようになったわけです。当時は「日本の国土を売れば、アメリカが4つ買える」と言われた時代。冷静に考えるとそんなことありえないのに、「どうしてみんなそれを信じたんだろう?」とね。2001年に誕生した小泉純一郎内閣のもとで「骨太の方針」という名の成長戦略が毎年打ち出され、2012年代になると、今度は小泉内閣の新自由主義路線を継承した安倍内閣が「アベノミクス」と称する成長戦略を打ち出し、日銀は消費者物価指数を2%上昇させる、と言った。バブル教から「成長さえすればなんとかなる」という成長教に置き換わっただけなのに、またみんなが信じようとしました。しかし、成長は全く実現できない。そこでもやっぱり、「なぜなんだろう」と考えるわけです。

 

私がやってきたのは、この「なぜなんだ?」だけなんですよ。でもそれが自分の仕事を作ってきました。新著『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』では、「より遠く、より早く、より合理的に」を行動原理とした近代システムが限界に達していることを書きました。「中心」である欧米諸国は、途上国などの「周辺」から富を蒐集(しゅうしゅう)することで資本を増やしてきた。グローバリゼーションは、そのための手段です。

しかし、蒐集の対象となる地理的なフロンティアは、もはやなくなりました。新しいフロンティアを求めてアメリカは「電子・金融空間」を作り出し、世界中からウォール街にマネーを蒐集しましたが、これもリーマン・ショックによって崩壊しました。

これからは成長信仰を捨て、「より近くに、よりゆっくり、より寛容に」という価値観を育てていくしかないんです。「より近くに、よりゆっくり、より寛容に」とは、例えば、グローバル化ではなくローカル化、広い太平洋をまたいだ経済活動を推進するTPPよりも近隣の東アジア諸国との関係を密にする、といったことです。これから先は、無理やり成長をしようとすると損害が生まれる時代です。企業も、このキーワードを軸にゆっくり動いていくでしょう。

 

水野和夫氏写真3

時代は徐々に
「より近くに、よりゆっくり、
より寛容に」変わっていくと
水野氏は言う。


では、若い世代が生き残るためには、
何に注力したらいいのか。

会社の矛盾をたくさん感じたら、課長になって変えればいい

とはいっても、すぐに「より近くに、よりゆっくり、より寛容に」の時代がやってくるというものではありません。わかるのは、これから時間をかけて、世の中が変わっていくだろう、ということだけ。

だから、若い人がどうやって生きたらいいかというと、「なるようになる」としか答えられないんです。私自身も、ずっと、そう考えてきました。就職したのは26歳の時ですが、将来どうなるんだろうなんて考えたこともない。30年あまり勤めた証券会社を辞めたのも、ある日、突然、知人から「内閣府で働かないか」という誘いの電話をもらい、「これは断れない」と即決しました。大学で教えるようになった時も、内閣府での仕事が終わって何もしないでいたら、大学に教員募集があるから願書を出してみたらと教えてくれた人がいたんです。

 

アダム・スミスの「神の見えざる手」ではありませんが、人生には「見えざる手」に任せるしかないときがある。もっと主体的に生きていくほうが真っ当だという人もいるかもしれませんが、私はそうじゃない。その場その場で、進むべき道を選択するしかないと思っているんです。「キャリアデザイン」なんて言葉もありますが、思い描いたようになるはずがない。

今、指導している学生たちにも「なるようになるよ」といっています。いい会社に入りたい、こんな仕事がしたいと思い描いても、現実社会では辞令1つで自分がやりたくない仕事もやらないといけなくなります。自分のやりたい仕事をずっと続けられる人なんて、100人に1人もいないでしょう。むしろ、「これは嫌だな」と思っていた仕事が、やってみたら面白い、ということも普通にある。私がエコノミストになったのも、証券会社に入社して経済調査部に配属されて、それから一度も異動の辞令がなかったというだけのことですよ。

 

どんな仕事に対しても面白いと感じるためのコツは「なぜなんだろう」です。疑問を持つことをやめないでいたら、どこにいても面白く仕事ができるんです。

それと、課長になるまでは我慢しろ、とはいいたいですね。それまでは面従腹背で構わない。その間に、課長になったら何がしたいか、を考え続けておく。

平社員のころにそのように考えているかどうかで、課長になった後が決まる。会社の矛盾をたくさん知ることができるのは平社員のときだから、その矛盾を課長になったときにどう解決するのかを考えるチャンスなのです。

そうした会社の矛盾というのは、今、自分が勤めている会社だけが抱えているのではなくて、転職しても同じでしょう。課長になればなんでも好きなことができます。課長は実戦部隊を持っていますから、部長よりも具体的なことが提案できるし、現場を動かす力がある。仕事はいちばん大変ですけどね、下からは突き上げられ、上からは「まだか」と急かされる。でも振り返ってみると、自分も課長のときが一番やりたいことができて、面白かったんです。私は「課長になったら無駄な仕事はなくそう」と思っていました。もともとデータベースの作り方が属人的で「このデータが欲しい」と思ったらいちいち人に頼まないといけなかった。でも、その人にもいろいろ仕事があるのに、邪魔すると悪いでしょう。自分も納得いくまで仕事をしたいから、このデータはここにいけば全部手に入る、という仕組みつくりをしました。

企業にも世の中にも理不尽なことがたくさんある。それも「なぜだろう」と考えてみることが大切です。国の成長戦略はうまくいかず、それでも企業は利潤を求めて、生産性を上げろ、といっている。それがおかしいということに、若い人は気づいているんじゃないですか。だったら、自分が課長になって、それを変えたらいいんです。

困難な時代を生き抜くヒントは「古典」にある

もちろん、立ち止まって悩むこともあるかもしれません。その時、過去の読書量が効いてきます。読書というのは「実験ノート」と同じだと私は思っています。研究室で実験のできる理科系と違って、人文系は社会を相手に実験することはできないとよく言われますが、人類の歴史こそが社会実験の繰り返し。それも失敗の繰り返しです。理想の社会はかつて一度も実現していません。

その失敗した実験の記録が、書物の形で残ったものが、いわゆる「古典」です。古典は過去の困難な時代を命がけで生きた先人が、より良い時代を築いてほしいと後世の人に託したメッセージです。これから直面するだろう事態に対して、何も用意していなければ右往左往するだけですが、こうした過去の実験ノートを頭にインプットしておけば、対処の仕方がわかるというものです。

例えば、バルザックの『ゴリオ爺さん』には、フランス革命のあとの生き方が描かれている。デュマの『椿姫』の主人公も、困難な時代のなかで自分の信念を貫きました。現代も困難に直面しているんでしょうけど、フランス革命当時に若い人が直面した困難さのほうが、大変だったと思うんです。そういうものを読んでおけば、天と地がひっくり返ろうが、まあなんとかなると思える。古典とは、それだけ長いあいだ、多くの人に支持されてきた、ということ。若いうちにたくさん、古典を読んでほしいですね。

今の勝ち組がずっと勝ち組であることはない

繰り返しますが、「より遠く、より早く、より合理的に」という行動原理はすぐにはなくならない。個々人の競争においても「より遠く、より早く、より合理的に」動いた者が勝ち組だと周囲からみなされ、本人もそうだと思っています。

でもね、そういう時代遅れの行動原理は「明治維新のときのチョンマゲ」だと思っておけばいい。そして、自分は維新をする側、時代を変える側だと信じたほうがいい。今の勝ち組がずっと勝ち組だなんて、あり得ないこと。いつの時代も、改革は負け組から起こります。明治維新は、江戸から見れば田舎侍の薩摩・長州藩が牽引した。私は16世紀に地動説を唱えたコペルニクスから近代が生まれたと考えているのですが、彼もローマから見れば辺境のポーランド人です。今は、時勢はガラガラと変わっていくとき。トランプ大統領だって勝ち組のように見えますが、最初から勝ち組だったわけじゃない。負け組の人が頑張って勝ち組になったとしても、世の中がひっくり返って、また負け組になるかもしれません。だから、あまりあせらず、その時がくるまで、高みの見物をしていればいいと思いますね。

『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』 水野和夫著

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富の集中、格差の拡大。資本主義も民主主義も限界を露呈している今、生き残るのは「閉じた帝国」だけである。米トランプ政権誕生も、英EU離脱表明も、こうした世界の大転換を象徴していると水野氏は説く。成長戦略を掲げながらも、その実現を果たせないでいる日本もまた、大きな岐路に立たされている。キーワードは「より遠く、より速く、より合理的に」から「より近く、よりゆっくり、より寛容に」。今後の日本の行く先を考える上でも、時代にあった働き方を知る上でも、ビジネスパーソン必読の書。

集英社新書。

 

※リクナビNEXT 2017年6月21日「プロ論」記事より転載

EDIT 高嶋ちほ子 WRITING 東雄介 DESIGN マグスター PHOTO 栗原克己