リクナビNEXTジャーナル

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100社を超える企業のブランディングを手掛けた男が語る、不変の信念とは

1990年代「ブランド」といえば、それは一部の高級なファッションブランドのことでした。そんな時代に、いち早くブランディングの必要性を感じ、株式会社エフインクを27歳で立ち上げたのが、現在(2017年)代表取締役を務める萩原房史。以来続けてきた企業も社会もハッピーにする真のブランディングに迫ります。

※本記事は、「PR Table」より転載・改編したものです。

つくって終わり、では何かが足りない。本当のブランドづくりはなんだ?

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「何億円もかけて、企業理念やシンボルをつくって、そこでゴール……。それは、なんだか違う」__。

この疑問が、株式会社エフインクの代表取締役 萩原房史の起業のきっかけでした。

1980年代後半、大学を卒業した萩原は、コーポレートアイデンティティをコンサルティングする会社にアートディレクターとして入社。企業理念を構築し、その理念を表すシンボルマークや名刺などCIを築くシステムづくりに携わっていました。

時はCIブーム。大手では、ミノルタやブリジストン、NTT、JRが一斉にシンボルデザインを新たに構築。企業側のニーズがどんどん増えるなか、サポートできる会社が数社しかないうえに、CIは1業種1社が基本。ひとつのプロジェクトの予算が10億円というのも日本では普通でした。

萩原「そんな環境で仕事をしていたし責任を与えられたから、まぁ死ぬように忙しい。朝8時に出社して翌朝3時に退社するような生活。学びも多かったしノウハウも身についたので、それもよかったんですが(笑)。でも、ふとある疑問を感じたんです」

疑問は、労働環境ではなく仕事の“本質”でした。

萩原「何億円もかけて企業の理念をつくり、新しいシンボルなど会社の顔立ちを整えれば、経営は自ずとよくなっていきます。しかし、その発表がある意味ゴールになっていた。でも本来は、そこがスタートではないかと思ったんです。メーカーなら良質な商品開発だったり、小売業なら一つひとつの店舗の空間づくりを展開したり、育てることではじめてブランドになる。だから、僕自身は、つくって終わりではなく、その先のフォローまでやっていきたい。そんな会社をつくりたいという想いが、ふつふつと生まれてきたんです」

20代半ばの萩原は、さっそく起業の準備にとりかかりました。

「ブランド?何を言っているの?」お客様の問いにこたえ続けた四半世紀

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まず、取り組んだのはプロダクトや空間を知ることでした。商品開発や店舗、建築についても、自分自身が知らなければディレクションもプロデュースもできない。ちょうど知人に声をかけられ、建築の設計など空間デザインも手がける会社の設立に参加しました。それが1989年。「もちろん、いずれ自分の会社をつくりたいと伝えていた」という萩原は、その1年後、1990年にエフインクを起業しました。

萩原「創業当時は“ブランディング”という言葉はほとんどなかったと思います。本屋で見つけたブランディングについて書かれた新書に、僕がCIをやっていたころに感じていた矛盾が書かれていました。それを読んではじめて、僕のやろうとしていることはこの“ブランディング”ということなんだと思った(笑)それが1991年でした」

それ以来、萩原は“ブランディング”の重要性をお客様に伝えることに注力。しかし、ブランドとは大手企業のもので、自分たちには関係ないという会社も多かったり、取り組んだとしても新しいロゴをつくって終わりだったり……。ブランディング自体が、どんなことを指しているのか、その概念を理解してもらうことに時間がかりました。

萩原「ようやく10年くらい前から、会社規模が小さくても、自分たちのブランディングをして社内に浸透させ、社会に存在意義を伝える。そしてその価値を多様な表現や手法を使って体験を与える。それがブランディングだと認識される方が増えてきたような気がします。さらにいえば、最近ではその必要性を感じている方が多くなってきた」

萩原はこう分析します。ブランドは時代によって変化している。昔、CIブームのころは、企業を統一するための考え方やスタイルを浸透させていくという意識だったのに対し、いまのブランドはお客様に体感してもらうために、さまざまなサービスや機会を提供すること。要するに、解はひとつではないということです。

「成功するまでいっしょにやる。でないとブランディングではないでしょう?

萩原は「ブランディングはすべてオーダーメイド。ひとつとして同じものはない」と断言します。

エフインクが、企業のブランディングをサポートするとき、その方法はふたつ。トップダウン型とボトムアップ型です。トップダウン型は、すでにトップが問題意識と漠然とした解決の方向性、ビジョンを持っているとき。トップインタビューを行ない、ブランディングのために必要なものを一緒につくり上げ、経営陣から会社全体へと浸透させていきます。ユニークなのはボトムアップ型です。

萩原「ボトムアップ型は、どんな方向性があるのか、社員の方とワークショップを繰り返しながら集合知をまとめ上げていきます。これをやりたいという会社が、実はいま多い」

ワークショップは、社内横断的に色々な部署から参加者を募ります。ケースによりますが、4時間くらいのセッションを10回前後行ない、自社の強みなどを共有。理念やビジョンを協議します。ワークショップメンバーには、社長も新入社員もいる場合があるので、みんな同じ立場で意見がいえるよう楽しく進行できることを萩原は常に意識しています。

萩原「ここを楽しくやれると、ブランド自体がキラキラしたものになっていきます。つくるプロセスが楽しくて、つくっているメンバーも楽しくないと、それこそ誰も魅力を感じないブランドになってしまいますから」


実際ワークショップを楽しんだメンバーたちは、プロジェクトが完了すると、ブランドの語り部として活躍します。とはいえ、このようなワークショップは最後にきちんとまとまるのか?失敗しないのか?そこが問題です。しかし、萩原は「失敗は非常に少ない」といいきります。

萩原 「失敗がまずないのは、僕らが諦めずに成功するまでやりきるからです(笑)。基本的にお客様にご満足いただくまで、僕らはやる。そうじゃないとブランディングではないと思っているんです」

必ず成功させる。それがエフインクのブランドなのです。

ブランディングを通して、よりよい社会をつくっていく

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エフインクの強みは何か。そう問われたら、やはりあらゆる意味での“知”の集積だと萩原は考えています。

萩原「僕らは小さな会社だけど、ブランディングを専門として27年間(2017年現在)やってきた会社は世の中に数少ないと思います。あったとしてもそれはCIから継続した企業の累積です。ブランディングという言葉のないころから、それを考え抜いてさまざまな企業のサポートをしてきたから、すべてが僕らの学びになっています」

ブランディングという性質上、扱う企業の業種に限りはありません。さまざまな業界の知見が溜まっていきます。たとえば、凝り固まった不動産業界の常識を変えるために、美容業界のノウハウ活かしてみようという発想をも生み出します。つまり案件を重ねるごとに“強み”は増えていくのです。

さらに、萩原が「エフインクのもうひとつの強み」と自負するのは、エフインクのスタッフそのものです。

萩原「うちのスタッフの基本的なスタンスと姿勢が素晴らしい。プランナーでないからプランニングはわからない、デザイナーでないからデザインはわからない。そういう人はひとりもいません。ブランディングこそ一人ひとりが横断的にものごとを考えられる、そんなスキルが必要なんです」

そして、萩原は、自分たちの活動をこう捉えています。

萩原「僕たちは、お客様から依頼されて、多くのカスタマーに価値提供するためのブランディングを手伝います。その価値提供が成功すれば、企業もハッピーだし、カスタマー、つまり社会もハッピーになる。そして、そのクリエイティブに携わった僕たちもハッピーです。まさに、僕らがやっている活動は、ブランディングを通して、より良い社会をつくっていくことだと思っています」

1990年に創業し、2020年には30周年を迎えるエフインク。その節目に新たなスタートをきりたいと萩原はいま構想を練っています。しかし、「より良い社会をつくる」という信念は、どんなに新しくなり続けても不変。これこそが、エフインク自身のブランドの核心なのです。

会社説明会では語られない“ストーリー“が集まる場所「PR Table

ヒット商品“ゾンビスナック”のヒントは、身近な声にあった!意識したのは「弱者の戦略」――株式会社MNH取締役 小澤尚弘さんの仕事論

“ゾンビスナック”や“天狗の鼻かりんとう”のヒット商品を出している、ソーシャルベンチャーの株式会社MNH。地域課題解決に取り組みながら、ヒット商品を生み出す底力はどこからくるのか? 取締役の小澤尚弘さんにお話を聞いてきました。

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小澤尚弘さん

1983年生まれ。専門学校卒業後、2002年からNPO法人チェロ・コンサートコミュニティー(ガスパール・カサド国際チェロ・コンクール事務局)で事務局業務に携わる。2010年11月、地域資源を活かした商品の企画・製造・販売事業を行う株式会社MNHに入社。2011年、同社の取締役に就任し、「オレキエッテ」「ゾンビスナック」など、業界のスキマをついた売れる商品で、地域資源の活用・課題の解決を図っている。

株式会社MNHhttp://mnhhappy.com/)地域資源と課題を、「お金」と「雇用」に変えるのをモットーにしているソーシャルビジネスの会社。

良いことをしているのに、稼げない――NPOの壁

――前職のNPO法人チェロ・コンサートコミュニティーでの事務局の仕事は、どんなことをしていたのですか。

NPO理事同士の社内調整、寄付をくださる方と支援する方との資金調整、コンクール運営にかかわる文化財団と市役所との調整など、あらゆるコーディネート業務です。学生ボランティアでもやっていた時を含めると、10年間ぐらいやっていました。NPOは、利益を上げることが目的ではないため、団体として活動を通してお金を稼ごうとはしません。また、助成金や寄付金で運営しますから、関係者が多くなります。ですから、3年に1回行うコンサートのために、長期的に多方面の関係者と良好な関係を保ったまま事業を進めることは、非常に困難なことなんです。 

 

――長い期間をかけて多様な人と仕事を進めるのは、苦労もありましたよね。

そうですね。どうしても運営に限界があり、人を雇うこともできずに、本来やるべき活動もどんどん尻すぼみになっていました。それに、組織内の調整が大変で、物事を進めるのが難しい。理事が20名近くいて、何かを決めるためには8割以上の賛同が必要で、1回の会議のために、1週間かけて社内調整や根回しをすることもありました。外部団体との調整もあり、それらに忙殺されて本来やるべき仕事が進まないこともありました。

閉塞感を感じ始めた矢先、仕事上でつながりのあった信用金庫の人から、不意にMNHの社長(現在の会長)を紹介されたんです。MNHはソーシャルビジネス(ビジネスを手段として社会課題を解決する)に取り組む会社。NPOの1つの進化系として、「ソーシャルビジネスは、すごく面白いカタチだな」と思っていたので興味を持ちました。

 

――不意の紹介がきっかけで、転職することになったのですね。不安はありませんでしたか。

仕事を通して信頼を持てていた人からの紹介だったので、不安はありませんでした。それに、子どもの頃から僕は、年長者から言われたことは素直に実行するタイプで、そうしたことでうまくいった体験をいくつもしていました。「まずは頭でっかちにならずに、素直に聞こう」と思ったんです。

また、今までのコーディネーター業務経験も生かせる仕事でしたし、MNHのミッションでもある社会課題解決のために「自分たちで稼ぐ」ということが、魅力に感じました。NPOで従事する人間からすると、とても衝撃的で、抱いていた閉塞感を打ち破る言葉で転職を決意しました。

 

ソーシャルビジネスで稼ぐための戦略

――MNHに転職してみてどうでしたか?

入社した当時、会社も創業から2年ほどで、社員は1人で、パート社員と会長を入れてもわずか4人でした。でも、「自分たちで稼ぐことと、ゼロから組織を作り上げていくこと」に面白みを感じました。MNHでは、会長の方針で創業当初から、「長期計画、売上予算を持たない経営」を行っています。通常、NPO組織は予算と計画を立て、報告と決算を行うのが常識となっているので、それを聞いたときは衝撃の事実でしたよ。

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▲デスクで話す小澤さんと社員。商品のアイディアは、こうしたフランクな雰囲気の雑談から生まれています。

 

――衝撃的な事実を、小澤さんはどう思いましたか?

会長は「創業したばかりでは、商品がどれだけ売れるかなど読めないのだから、売上予算は意味がない。読めるのは、経費の予算だけ。売れる商品かどうかをとことん考え抜いた方がいい」と言っていました。それを聞いて「そうか、それならそれでやってみよう」と、素直に受け止めていました。とは言っても、実際に自分自身がそのことを「なるほど」と体感できるようになったのは、2016年頃からですね。

 

――どんなことで、体感できたのでしょう? 

去年販売を開始した《ゾンビスナック》がはねたとき(=ものが売れ始めた瞬間)でした。初め、ゾンビスナックは小売店ではなかなか置いてもらえず、あるつながりでたまたまサービスエリアに置いてもらったところ話題になり、その時から売れ始めたんです。バイヤーは、いろんなところでアンテナを張ってみているからでしょうね。商売なんて、やってみないとわからないもんですよ。

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▲ゾンビスナック(左から焼肉味、コンソメ味、のりしお味)

 

――《ゾンビスナック》は、見た目から話題性がありますよね。他にも、アイディア勝負でユニークな商品を作り続けていますが、大手メーカーがひしめく製菓業界で、MNHはいかにして勝負をしているのでしょうか。

「商売なんて、やってみないとわからない」と言えど、もちろん無計画にやっているわけではありません。ただ、大手メーカーが得意とするマーケティングは、当社ではしません。資金力も宣伝力もない当社が、大手と同じことをやっても勝てるわけがないですから。僕たちは“弱者が勝てる戦略”をとっています。 

(1)小ロットからの販売から始める

まずは小ロットで売り場に出して、損失を抑えます。まずは出してみて、お客さんの反応をみてみることで次の展開につながります。

(2)大規模な消費者アンケートはとらず、購入者からの感想や女性の好みを傾聴する

大手は予算が潤沢にありますし、上司や関係する部門を説得のためにさまざまなエビデンスをそろえる必要があるので、大規模な消費者アンケートを実施します。しかし我々はアンケートをしません。その大きな理由は「顧客が潜在的に求めているものは、アンケートなどの数字には出てこない」と考えているから。その代わり、商品を買いそうだと思う人に、商品についての感想をとことん聞きます。また、女性は流行に敏感なので、周囲の女性の好みにも耳を傾けます。

(3)売り場に足を運ぶ

顧客のふりをしながら、手に取っているお客さんの反応を見ています。彼らの反応や会話の中には、「はねる」ヒントがあります。とにかく現場を大事にするんです。

 

――「現場を重視する、小さく試してみる」といったスタンスで、売れ筋を探しているんですね。 

 

壁を乗り越える時に、これまでに取り組んだ経験が生かされる!

――“弱者が勝てる戦略をもってヒット商品を生み出し成功していますが、小澤さんにとっての仕事での「壁」はありますか。 

企画を実現させることが、一番の壁です。10個企画を出したら、2個実現できればいい方。実現させるのにまずすることは、企画の商品を作ってくれるメーカーを探すこと。そのためには、担当者と接点をつくり、試作の依頼まで持ち込み、取引を実現させなければいけません。この、商品を世に出す手前の段階が、一番難しいです。

 

――その壁は、どうやって突破しているのですか? 

NPOでやってきた交渉力が役立に立っています。NPOの事務局で話し相手との交渉のためにやっていた調整や根回しは、今の仕事と本質的には変わりません。違いは、今はビジネスとして利害がはっきりしているので、スッキリとした交渉ができます。また、強い信頼関係をもつことも有効です。

 

――信頼関係を築くために、どんな工夫をしているのですか? 

一言で言えば、雑談力ですね。初対面で、どれだけ相手に話をしてもらえるかが一番大事で、そのための引き出しを準備しておくことです。例えば、地方出身の人と会うときは、その県内の市町村と特産品を事前にチェックしています。出身を聞いて「○○が有名ですよね」と言えれば、会話のきっかけになります。また、交渉相手とカラオケに行くのなら、歌いたい曲が被らないよう、世代などに配慮して選曲するなどをしています。「気持ちよくなってもらうためには?」と考え、いかに相手の気持ちと合わせていくかが、話してもらえるための鍵になります。実はこれも、NPO時代での調整業務で得たものです(笑)

 

――相手に喜んでもらうためにどうしたら良いかを、良く研究されるのですね。その真摯(しんし)な姿勢が、信頼につながっていくのでしょうね。

 

好きな言葉で信条にしていること――“一所懸命”と“弁証法”

――仕事をする上で、大切にしていることは何ですか? 

僕は、いわゆる「一生懸命」という言葉の語源となっている、“一所懸命”という言葉が好きです。1つのことを、それがたとえ自分の好きなことじゃなくても、与えられたことはしっかりやる。そうすれば、次の道が見えてくる。目の前のやるべきことをすっ飛ばして、好きなことだけしようとしても、うまくはいかないものです。それに、一所懸命していると、誰かが必ず見ていてくれてくれるものです。転職のきっかけをつくってくれた信用金庫の人も、そんなところを評価してくれ紹介してくれたのだと思います。

 

――一所懸命にする事で、次の仕事につながっていくのですね。最後に、仕事で悩み事ができた時の解決法を教えてもらえますか。 

そんな時ヒントになるのは、僕の好きな考え方の“弁証法”です。机上の勉強では、例えば、1+1=2というように、解答がある問題を解いていますよね。でも、仕事や社会では、解決できない問題の方が多くあります。しかも「正しさ」は人それぞれ違うのに、対立したときでもどうにかしなきゃいけないんです。だから、何か共通点を見つけて、「新しい正しさをつくる」――それが『弁証法』です。ですから、「なぜ相手が自分と違う意見を持つのか?」を考えると良いと思います。どっちの意見も組み入れて、どっちも納得できる答えを導き出す。そうすることで解決していけるのではないかな。

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▲「周りが楽しそうにしているのを、はたで見ているのが好き」と笑顔で話す小澤さん

文:Loco共感編集部 原田真里

1円たりとも無駄な出費は許さない! | JAL再生を手がけた経営再建のプロ・オリバーさん(2)

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倒産してしまったり、倒産の危機に瀕しても不死鳥のように蘇る会社は少なからず存在します。その裏には必ずといっていいほど企業再生を専門とする仕事人の姿があります。そんな数々の企業を蘇らせてきたオリバーさんに、企業再生の仕事について語っていただく当連載。前回はJAL再建の話や、企業再生支援機構で東北の水産加工会社・A社の支援を決める過程、初年度からA社を黒字化にしたことなどをうかがいました。今回はいかにしてA社を黒字化に導いたのか、その具体的手法を語っていただきました。

オリバー・ボルツァー
1979年ドイツ・ミュンヘン生まれ。1984年日本に移住、インターナショナルスクールに入学。高校時代にスラッシュドット・ジャパン(現・スラド)の管理人に。卒業後はドイツ国立ミュンヘン大学情報学部へ入学。大学院を卒業後は戦略系コンサルティングファームなどを経て、2010年1月、32歳の時に企業再生支援機構に転籍出向。JALや水産加工会社再生を手がける。その後、投資ファンドでスカイマークの買収などに関わった後、2016年、実家の会社「SKWイーストアジア株式会社」にオーナー兼CFOに就任。

基本方針を決めて再生計画に沿って進める

──A社の経営の立て直しは具体的にどのように進めていったのですか?

まずはA社がもっている事業的資産を元に、基本方針を決めて、事業再生計画を立てます。基本方針は工場を集約して商品数を減らし、ブランド力を生かしてマーケティングと営業をしっかり行うといった内容でした。そのために必要となる資金は機構から出資します。あとは何をいつまでにやるかという事業再生計画に沿って、現場に入って実行していきます。言い出しっぺが言うだけじゃなくて、言った通りに最後まで自分でやりきるということです。

 

──現場にはどういう立場で入ったのですか?

A社には2011年10月頃に、事実上の副社長という立場で入りました。ちなみに新しい社長は、再建の資金を共同出資してもらった地元の優良企業から出向していただきました。経験豊富で非常に高い経営手腕をもつ方で、地域のためにA社は潰してはいけないという熱い思いをもっていました。その方には主に管理の方を、実際の再生の実務は私が担当しました。

 

──オリバーさんの勤務形態はどのようなものだったのでしょうか?

とにかく機構としても徹底して経費削減を行う必要があったため、安いビジネスホテル暮らしの生活でした。月曜日の始発の東京駅6時28分発の新幹線に乗って10時に東北某市のA社に到着。そこから5日間仕事をして金曜日のA社最寄り駅発の東京行き最終の20時30分の新幹線で帰るという具合です。その方がウィークリーマンションを借りるよりも安かったのです。

長靴を履いて自ら現場へ

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──具体的な業務について教えてください。

そもそも現場での仕事を理解していないと事業改善もへったくれもないので、新入社員が最初の研修でやるような、包丁を持って魚を切るところからスタートしました。また、朝5時に港に行って、せりの様子を見学していました。私は水産加工業の経験はないので、もちろん魚の目利きなどはできません。でも、目利きに失敗した結果増える、廃棄する魚の数や取り引き先からのクレームの数を測ることはできる。つまり、目利き力がなくても結果は測れるので、それによって今日工場でさばいた魚が昨日よりいいのか悪いのかを把握することは可能になり、数値目標を作ることができます。このように水産加工に関しては素人の私でも現状の良し悪しが判断できる仕組みを必死で考えていました。

現状把握のため、徹底的に数値を取ることは工場でも行っていました。毎日オリバーという名前入りの誰よりもでかい白いゴム長靴を履いて、ストップウォッチを持って工場に入り、生産性を測っていました。計測していたことは、1分間で生産できる商品数や、捨てられたゴミの量など。工場では長らくいろいろな業務を行っているのですが、現状を正しく把握しなければ、そのやり方の良し悪し、また、先月に比べてよくなっているのか悪くなっているのかがわかりません。それを判断するための指標を作るために計測から始めたわけです。

また、現場にはみんなが気づいていない宝が埋まっているはずだから、それを発掘しようという気概もありました。

営業マンと一緒に取引先をめぐり頭を下げる

──そのほかに実際に実施した改善・改革は?

1つはこれまでの取り引きを全部見直して、赤字の取り引きをやめたことです。でも最初は難しかったですよ。社員に「赤字の商売はやめましょう」と言っても「昔からこうやってきたからこれでいいんだ」とか「断れないからこうやるしかないんだ」という説明になっていない答えが多かった。「断ったら何が困るんですか?」と聞いたら「この取引先との商売がなくなる」と。「赤字ならなくなっても困らないじゃないですか」と反論すると、「この店に商品が置けなくなってお客さんが困る」と。でも「赤字商売を続けて会社自体がなくなったら商品が買える店がなくなって、より多くのお客さんが困るでしょう」と、とことん理屈で反論しました。

そうやって赤字取り引きをやめさせることにしたのですが、私自身も営業マンと一緒にひたすら取り引き先の会社へ行って、頭を下げて、卸値の値上げをお願いしました。「実は10年やってきてずっと赤字だったんです。もうこれ以上は耐えられないので値上げを了承していただけないのであれば、取り引きは中止させていただきます」と言うと、「ええ! 何でもっと早く言ってくれなかったの。その商品、大好きだし、そういうことなら値上げもしょうがないね」と多くの取り引き先は理解してくれました。しかし、やはり値上げは無理という会社もあって、そういう会社とは取り引きを停止しました。

 

──そもそもなぜ、ずっと赤字の商売を続けていたのでしょうか?

多くの窮境に陥る会社というのは売り上げ至上主義で、経営が苦しくなればなるほど利益を上げるのではなく、とにかく日銭を稼ぐことが至上目的になるのです。そんなことを続けていたら経営が立ち行かなくなるのは当然なので、立派な利益を取れるまで卸値を上げて、赤字の取り引きは全部やめると宣言したわけです。

売り上げ至上主義の営業からは「売り上げが下がる!」と猛反発を食らいました。しかし、大事なのは利益であって、利益を得られない売り上げなど意味がないと説明し、それまで営業内で毎日の売り上げと利益を共有していたのですが、一時的にですが利益のみにしました。これにも猛反発を食らったのですが、根気よく説明することで徐々に売り上げよりも利益が大事だということをわからせたのです。

支出を1円単位ですべてチェック

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もう1つは経費の全面的な見直し、いわゆるコストカットです。何となく昔から買っているもの、例えば誰も読んでいない新聞の購読など、無駄な出費が多すぎたので、徹底的にカットしていきました。損益がある程度合っている会社は多少の無駄は必要だし、無駄を省く手間を考えるとデメリットの方が多くなることもありますが、倒産寸前の会社の場合、徹底した経費削減をやらないと死んじゃうわけですから。A社も一度リセットすることで機構から新しい資金が注入されるのですが、それを使い果たしたら追加でお金は入ってきません。短い期間内に自力で生きていけるようにならないといけないので、無駄な経費の全面的カットを実行したというわけです。

また、出費の稟議も1円から全部確認して、不要なものは通しませんでした。売り上げ高100億円までの製造業の会社なら、やろうと思えば1人で全部チェックできるんですよ。これができるのは私のような外から来た人間だけ。しかも私は機構という最大株主から来た、全面的な権限をもった副社長。やろうと思ったことは何でもできるわけです。

と言っても、必要な物でも買わないとか、質を落として我慢しろというわけではなく、本当に不要なものは買わないとか、同じような物をより安く買うというレベルです。それで十分なんですよ。

例えるなら、最初は持ち上げただけでドバドバ水が落ちるタオルという状態でしたが、最後の方は絞っても絞ってもなかなか水が出てこないような状態にまで無駄の削減ができました。

攻めの改革も矢継ぎ早に

──利益を上げるための改革という意味ではどのようなことをしたのですか?

事業内容は同じままで赤字を減らし、経費を削減するだけではいつか限界が来ます。なので、新しく前向きなことも仕込まなければなりません。そこでただ魚を切って売るだけではなく、新しい商品を開発して、商品数を増やしました。

新商品の開発に関しては、ただ作れるものを作って売るのではなく、売れるものを考えて、もしくは探してきて作るというやり方に変えました。成功体験があるがゆえに昔のやり方にとらわれるわけですが、そこから離れて、発想の転換を促したということです。

また、利益率を伸ばすため、営業面での改革も必須でした。いい商品を作ったら、利益が出るように売らなければいけません。そのために営業は非常に重要なポジションでした。売り方も、従来の売れて当然みたいな売り方ではなく、全国を飛び回って現地バイヤーと直接顔を合わせて売り込んでいくというスタイルに変えました。そのために営業マンの新規採用も行いました。

その時、業界の昔ながらの慣習にとらわれずゼロから一緒に新しい会社を作るような気持ちで働いてほしかったので、あえて異業種から採用することにしました。

──異業種から、ましてや地方勤務となると採用に苦労したのでは?

そうですね。当然ながら採用広告を出しても、あえて地方、しかも歴史ある水産加工メーカーに入ろうという方は中々いませんでした。たとえ私生活で地方移住に興味があっても、仕事上では旧来のやり方や地元のしがらみが多くて、せっかくの自分の実力を発揮できず、仕事がおもしろくないだろうという懸念を抱いてしまうからです。そのため、転職を考える大多数の人はそもそも、地方勤務が選択肢にすらなってないと思います。

そこで、転職エージェントからプロフィールの合う候補者に積極的に声をかけていただくことで、彼らが当初考えてもいなかった業界へのUターン・Iターンを含めた転職を実現いただきました。

その代表格がYさんです。これまでカラオケ店の店長やホテルのマネージャーなどを経験してきた営業とマーケティングのプロで、面接時にこれまでやってきたことや実績を聞いた結果、必ずA社の再生に貢献してくれると確信したので、ぜひ幹部として来ていただきたいと伝えると、ぜひやってみたいと答えてくれました。この会社をゼロから再生してやるという気概のある人だったので、神奈川県からA社のある東北に移住。入社後は最初から営業部隊の切り込み隊長として先頭に立って現場を率いて、営業、販促、新商品の開発、マーケティングなど、すべてガラッと変えて、利益拡大に大いに貢献してくれたのです。

Yさん以外にも、水産業界出身者以外の各職種のプロを採用しました。特に幹部としてA社に来ていただいた方には、しがらみに囚われずに徹底的に仕事を遂行するようにお願いしました。実際に現場で矢面に立ち、長年勤めている従業員からの反発をモロに受けるのは彼らですので、その耐性はどうしても必要になりますが、理屈が通るものである限り、経営サイドとして徹底的にバックアップしました。彼らの視点や経験は非常に新鮮で貴重でしたね。各自がいた会社で行っていたやり方を提案していただき、いいと思ったものはどんどん取り入れました。結果が出ると、会社も末端まで大きく変わりました。当時採用した多くの方が、私がいなくなった数年後の今もA社で活躍してキャリアを磨かれています。

オーナー経営者の企業でも、変化を起こすべく外から経験と実績をもつ優秀な人をせっかく採用したものの、オーナーが古参の社員に中途半端に配慮するため実力を発揮できず、新しく入社した人も元からいた社員も不幸になる例が多いと思います。

情報共有とフィードバックでモチベーションアップ

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もう1つ、実施した重要な改善策は情報の共有化です。経営がうまくいってない多くの会社は業績を社員に伝えません。赤字とは、仕入れ値や自分たちの人件費も含めてコストの方が売り上げよりも多くなることですよね。そうなるのは、お客様が商品やサービスの価値を認めてくれないからです。その結果として会社は消えてなくなる。その大原則を社員に意識させることが重要です。

そして自分のやったことが会社の経営にどれだけのインパクトをもつのかを知ることが大事で、同じ仕事をやるのでもフィードバックがあるのとないのとではモチベーションが全然違うと思うんですよね。自分が一所懸命働いた結果を知ることができれば当事者意識がもて、モチベーションがアップします。また、赤字部門は改善しなければいけないし、黒字部門は伸ばさなければいけません。このような理由から、会社の業績を社員に対してオープンにしたのです。

例えば工場にも歩留まりや当日の出来高など、業績に直結する指標があります。その毎月の結果を工場の入り口に張り出しました。例えば歩留まりがよかったらニコチャンマークを貼ったりしました。そのうちニコチャンマークに愛称がついて、「今月は○○くん笑ってたわね」とか「○○くん泣かせちゃったわね」という会話が工場内で生まれました。社員1人ひとりのモチベーションが上がっただけでなく、雰囲気もいい方向に変わったわけです。

“嫁ぎ先”を見つけて“縁談”をまとめる

──その結果初年度で黒字化を達成できたわけですね。経営的に軌道に乗った後は?

機構としての企業再生のゴールは、再び自分で稼げる力を身につけた会社を、今後さらに育てていける“嫁ぎ先”を見つけて引き継ぐことです。その嫁ぎ先は、機構と共同出資をしていた地元の優良企業に委ねることに決まりました。スタートから2年半が経過した2013年の夏頃でした。

この段階で私のミッションも終了し、東京に戻りました。通常の企業再生のスケジュールは、1年目で再生の土台を作って、2年目で将来の種を仕込んで、3年目で花開き、4年目で育ち、5年目で嫁ぎ先を見つける……というのが基本です。5年かけずに3年目で嫁ぎ先を見つけられたので、理想通り順調に終わりました。

その会社は今でも地元で元気に操業していますよ。地元の同業種の会社の中でも調子がいい方だと聞いています。その会社の商品を東京で見かけることも増えましたしね。

【つづく】
見事A社の再生を成し遂げたオリバーさん。しかしそれまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。その時、オリバーさんはどのような思いで仕事に取り組んでいたのでしょうか。次回(2月27日掲載予定)は再生に至るまでの数々の試練、事業再生という仕事にかける思いについて語っていただきます。

文:山下久猛 撮影:守谷美峰

 

 

沈没寸前の日本の医療業界を変えたい!――脳外科医からベンチャー経営者に転身した「代表取締役医師」の決断とは?

 医師たちが作るオンライン医療事典「MEDLEY」や医療機関の遠隔診療を実現するオンライン診療アプリ「CLINICS」、医療介護分野に特化した求人サイト「ジョブメドレー」、介護施設の口コミサイト「介護のほんね」などを運営するベンチャー企業、メドレー。「医療ヘルスケア分野の課題を解決する」を企業理念に、さまざまな医療関連サービスを展開している。

 同社に2015年にジョインした「代表取締役医師」の豊田剛一郎さんは、東大医学部を経て脳神経外科医として勤務、その後米国留学を経てマッキンゼーに勤めた経験を持つ。なぜ彼は医師からベンチャー経営者へと転身したのか。その理由を詳しく聞いた。

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株式会社メドレー 代表取締役医師

豊田剛一郎さん

1984年生まれ、東京大学医学部卒業。初期臨床研修後、NTT東日本関東病院脳神経外科に勤務。2012年に米国留学し、米国医師資格を取得。その頃、日本の医療の将来に対する危機感を抱き、医療を変革するために現場を離れることを決意。2013年に帰国し、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。2年間ヘルスケア企業へのコンサルティングなどに携わった後、2015年2月に株式会社メドレーに共同代表として参画。

寝る暇もないほど忙しい現場で、医療の課題を目の当たりにする

 高校時代に脳に関する書籍を読み、「脳という臓器をもっと知りたい」と思ったことから、脳神経外科医を目指して医学部に入学した豊田さん。研修医時代は、徒歩1分の寮に帰る暇もないほど忙しく、週2回は当直、36時間連続勤務は当たり前という過酷な日々を送っていた。

「忙しいけれど成長できるタイプの病院を研修先に選んだので、激務は覚悟の上でした。確かに身体的には辛かったですが、患者さんと直接触れ合うことができ、ありがとうの言葉ももらうことができるので、とてもやりがいがありましたね。自分の仕事には意味があると、日々感じることができました」

 ただ、現場で働く中でさまざまな問題が見えてきたという。

 日本の医療業界が直面している課題は深刻だ。現在の医療費は、実に40兆円超。厚生労働省によると、2025年には50兆円を超える見込みにある。超高齢化社会の進行により、2060年には2.5人に1人が65歳以上、4人に1人が75歳以上になる見通しであり、このまま何も手を打たなければ、早晩医療制度が破たんするのは確実だ。

 一方で、医療業界は慢性的な人手不足にある。人口1000人当たりの医師の数は、OECD(経済協力開発機構)加盟30カ国のうち、日本は27位と最下層レベル。日本の人口ピラミッドを考えると、今後大幅に医師の数が増えることは見込めない。

「実際、現場は常に人手が足りず、目が回るような忙しさでした。これは私の勤務先や脳神経外科に限ったことではなく、あらゆる病院、あらゆる科において同じ。その中、『医師や医療従事者の良心や善意』に頼って現場を回している状態なのです。でもこんな仕組みの持続可能性は極めて低い。このままではダメだと現場で働く医師はみんな気づいているのに、何もできず見て見ぬふりをしているのが現状。医師に現状を変える余裕などなく、目の前の患者さんが最優先になってしまうので仕方のないことだとは思いますが、このままでは『日本の医療』という大きな船と共にみんな沈んでしまうのではないか…という強い危機感を抱きました」

 

患者側の「医療リテラシーの低さ」にも危機感

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 患者側の「医療リテラシー」の低さにも課題感を覚えた。例えば、以前から問題視されている「コンビニ受診」。休日や夜間などの救急外来に、緊急ではない軽症の患者が訪れることを指すが、「患者さんが悪いわけではなく、知らないだけ」と豊田さんは言う。

「研修医時代、このような患者に遭遇すると、『単なる風邪なのに、何でこんな夜間に救急で来るんだろう。明日の外来に来るべきなのに』と思っていました。でも、患者さんの立場から見れば、『軽症の場合は、救急外来は避けたほうがいい』なんて誰からも教えてもらっていないし、自身の症状が救急の範囲内なのか範囲外なのか、判断できないというケースもあります。患者さんだって、医師を困らせようと思って夜中に来ているわけではありません。救急外来は何のためにあるのかを広く知らしめる工夫や、症状について相談できるしくみを作らないと、いくらコンビニ受診を問題視したからと言って状況が変わることはありません。患者さん側に知識を持っていただくことで、医療に対する意識も変えていかないと、いつまで経っても現状は変わらないと確信しました」

 

視野を広げアイディアをつかむため、マッキンゼーへの転身を決意

 以前から、アメリカで脳神経外科の勉強に打ち込みたいという思いを持っており、医師になって4年目に留学することが決まっていたが、ちょうどその頃尊敬する上司に医療に対する課題感を訴えたところ、「マッキンゼーとか受けてみたら?僕が今30歳だったら、マッキンゼーに行くな」と言われたという。「この時初めて、医療現場を離れるという選択肢に気づいた」と豊田さんは振り返る。

 結果、予定通りアメリカに留学し、猛勉強して米国医師資格を取得するとともに小児脳の研究に従事。そして1年後に帰国し、マッキンゼーの門を叩いた。「マッキンゼーにいけば、日本の医療の未来につながる何かができるのではないか」と考えたからだ。

 マッキンゼーに入社するということは、医師を辞めるということ。ずっと目指してきた道を離れることに、躊躇はなかったのだろうか。

「医師を辞めることでキャリアがリセットされるとか、せっかく歩んだ道を後戻りしているなどとは一切考えませんでした。医師という目標に向かって真っすぐ突き進んできましたが、視点を変えて、樹形図のように広がっている可能性のうちの一つに、道を切り変えただけだと思っています。医師を続けながら改革をするという道もあったかとは思いますが、中から変えるのは時間がかかるし、現状を何とか変えたいという熱い志を持った医師はすでにたくさんいらっしゃる。だから私は外に出て、『医療を救う医者になる』ことを決意しました

 

医療を変えるために「自分の名前」で勝負する

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 マッキンゼーでは、主に医療やヘルスケアに関する企業のコンサルティングを担当。初めは、KPIという言葉すらわからず、医師とコンサルタントの仕事の進め方の違いにも大いに驚いたというが、クライアントと連携を取りながらメンバーを巻き込み、課題解決に向かってプロジェクトを進めていく楽しさや、日々得られる成長実感に興奮し、仕事にどんどんのめり込んだ。

「しかし1年が経ったころ、『自分のやりたかったのはこれだっけ?』と、はたと気づいたんです。仕事を通じて視野が広がり、医療現場では見えなかった課題解決の糸口が見えるようになったり、何か機会に出会えるのではないかと期待していましたが、1年経って、難しいかもしれないと思うようになりました」

 医療を救うという本来の目的を達成するためには、自分自身で動かなければならなさそうだ。起業か、それともNPOか…と考えていた時、声をかけてくれたのが、メドレーの創業者であり代表取締役社長の瀧口浩平さんだった。

 当時メドレーは、医療介護分野に特化した求人サイト「ジョブメドレー」を手掛けていた。以前、身内のがん治療を体験した瀧口さんは、「もっとさまざまな治療方法を理解してから選べばよかった」と深く後悔。「もっと患者がしっかりと知識をつけて医療に関わらなければならないのではないか」という課題感をもとに、医療分野の課題を解決する目的でメドレーを立ち上げたものの、専門家でない立場で医療に深く踏み込むことは難しいと、人材分野のみの事業展開に留まっていた。

「瀧口との出会いは、小学校のころに通っていた学習塾。かれこれ知り合ってから20年以上経ちますが、頻繁にコミュニケーションを取るようになったのはFacebookで再開した2011年ごろから。何度か飲みに行って、日本の医療に対する課題を共有していました。そんな瀧口から『患者さんにダイレクトに届くようなサービスを展開していくためには、医師の力が必要。その中でもぜひ豊田に来てほしい』と言われました。マッキンゼーにはもう少しいようと思っていたので悩みましたが、『豊田が持っている医療に対する危機感と熱い想いを、立ち上がってしっかりと世のなかに伝えるべきだ』『豊田には自分の名前で勝負してほしい』といわれ、心が揺さぶられたのです」

当時、豊田さんは30歳。それまで自分が表に出て何かを率いたことはなく、名前で勝負した経験もなかった。でも、瀧口さんの言葉を機に、「誰が医療を変えるのか。その“誰が”に自分がなろう。そのためには、恐れず自分の名前で勝負をしよう」と決意したという。

 

オンライン診療が普及拡大するための「いいうねり」を生み出す

 2015年2月に「代表取締役医師」として入社して、丸3年。その間、豊田さんは精力的にビジネス拡大に取り組んだ。

 入社が決まってすぐ取り組んだのは、オンライン医療事典「MEDLEY」。医師としての自らの知識をもとに、一人でコンテンツを作り上げ、カットオーバー後に有志を募って項目を増やしていった。現在は月間で数百万PVのサービスに成長した。

 「先生が言っていたことがわからなかったけれど、『MEDLEY』を見て理解できるようになったとか、自分が受ける手術の内容を理解することができたなど、多数の声をいただいています。これだけ多くの方にご活用いただき、身が引き締まる思い。このサービスで医療を知り、医療と向き合う力を得ていただければ嬉しいですね」

 2016年2月にスタートしたオンライン診療アプリ「CLINICS」は、スマートフォンやPCから、医師の診療を受けられるサービス。Webを通じて予約からビデオチャットでの診察、決済や薬・処方箋の配送までが可能となる。2018年度の診療報酬改定で遠隔診療の評価を新たに設けることを示すなど、政府も普及に向けて動き出しており、本格的な 広がりが見込まれている。

「オンライン診療は厚生労働省が2015年に“全国で広く実施して良い”という解釈を明示したことから普及が始まりました。でも、どの医療機関も使いやすいシステムをベンチャーが広めたことで、普及スピードは加速しました。そして全国でさまざまな診療事例が生まれた結果、診療報酬のルールも変わる動きにまで発展した。今回の動きは、遠隔診療の初期から当社や遠隔診療に共鳴してくれた医療機関が頑張って来なかったら起こらなかった“うねり”だと自負しています。波が立ちづらかった医療分野に、これからもいいうねりを起こしていきたいと気持ちを新たにしています」

 医療を変えるという壮大な目標のもと、次は何を実現したいと考えているのか?

「やるべきことはたくさんありますが、まずは目の前の課題を一つずつ解決していくことに注力したい。医療と患者さんが交わる場所に、インターネットサービスを加えることで、今よりもっと“患者主体の医療”が実現できるし、医療従事者の負担も減るはず。このような世界をこの手で実現したいと考えています」

 

面白い仕事を得たければ、目の前の仕事に一生懸命取り組み、成果を上げること

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 自身の居場所を大きく変える決断を繰り返し、目標に向かって突き進んできた豊田さん。その時々の、目の前の仕事に一生懸命に取り組んできたからこそ、次の道が見えるようになり、チャンスにも乗ることができた…と話す。

「今の環境が不満だと嘆いたり、もっとほかに向いているものがあるのではと悩んだりする人がいるようですが、自ら成長しないことには、新しいチャンスなんて絶対に巡って来ないと私は思います。いいポジションに就きたい、面白い仕事に関わりたいと思うならば、たとえ『向いていない、つまらない』と思っていても、まずは目の前の仕事に一心不乱に取り組んでみること。 そして恐れずに、一歩踏み出してみる。努力して結果を残せば、その後の選択肢はぐんと増えるはずですし、『選択する権利』を得ることもできます。悩む暇があったら、動くこと。これに尽きます」

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▲1月に発売された豊田さんの著書『脳外科医からベンチャー経営者へ ぼくらの未来をつくる仕事』(かんき出版)

EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:刑部友康

あなたや上司はどっちのタイプ?CEO型とCOO型をミルフィーユにせよ|革命を起こすチームの作り方【後編】

さまざまな人材が入り混じる組織で成果を出すには、どんな点に注意すればよいのか。前編では、NECソリューションイノベータ株式会社 イノベーション戦略本部長 八尋美徳さんが考える「CEO(最高経営責任者)型」と「COO(最高執行責任者)型」を紹介しました。引き続き、ハッカソンなどのファシリテーターで活躍する羽渕彰博(ハブチン)さんを聞き手に、その効果と応用方法をうかがいます。

CEO型とCOO型、互いに「不向きな作業」を避ける

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ハブチンさん 前回は、ビジョンを描くのが得意な「CEO型」人材と、プランをきちんと実行するのが得意な「COO型」人材が存在すると教えていただきました。

八尋さん 決まったことを作るだけだったらCOO型の人に設計を任せればいいんですが、何をするかわからない、IT以外の領域でも人やモノをつなげる作業が要るとなると、やはりCEO型が求められます。コネクタ、プロデューサー的な役割の人がいるから大きく改革できるんです。ただし、CEO型の人に「細かい実行プランを立てて、マネジメントもよろしく」と任せるといろいろと漏れが出てきますね。

ハブチンさん だからCOO型の人と組み合わせて、チームにすればいいと。

八尋さん ええ、日本企業にはCOO型人材のほうが多いと思います。プロジェクトマネジメントを学ぶときは「きちんと作る」ことが重視されて、新規事業を創出するよりプランをサポートするスキルが上げられます。COO型の活躍によって既存のプロジェクトがしっかり回っているケースはどの企業にもあるでしょう。ただ、彼らに「新しい発想でビジネスを起こせ、積極的に人をつなげ」と任せても良い結果は得られないと思います。やはり適性と仕事内容が合っていないからです。

ハブチンさん 僕は一人が両方を兼ね備えていないといけないと思っていたので、とてもつらいときがありました。独立したらなおさら「全部自分でやらなきゃいけない」と考えていて。

八尋さん きれいに二分されるわけではないんですが、人はだいたいどちらかの傾向を持っていると思います。私は30年以上九州でいろんなプロジェクトに携わり、数多くのチームを見てきました。その中で「あの人はここが足りない」「この部分はいい」と分析していくと、どうもみんなCEO型とCOO型に分けられるんです。

CEO型の人は細かく管理せず、自由に動いてもらったほうがパフォーマンスが上がる。COO型の人に対しては、実行決定プランのマネジメントに注力してもらったほうが良い結果が出る。この2タイプを組み合わせれば、チームとしてどんどん成長していくのだとわかりました。

ハブチンさん 僕も外からサポートしてくれる人を探して組むようにしたら、新しいプロジェクトがどんどん進むようになりました。面白いのは大きな規模の組織に限らず、僕のような数名の組織でもすぐ応用できるところですよね。

八尋さん 大切なのは、お互いのタイプを理解してリスペクトすることです。COO型からCEO型を見たとき「またあんな大きな話をして」と批判的に見るより「類い稀な発想をする面白い人なんだな」と捉える。逆にCEO型からCOO型を見たときは「いつも細かいことを言われる」と思うのではなく「実現可能な工程に落とし込んでくれる」と捉える。チームの中で相手の役割分担が理解できると、そのプロジェクトはスムーズに進みます。

ハブチンさん 今はCEO型の人が持てはやされて、スポットライトが当たることも多いですよね。でもCOO型にも大切な役割がある。

自分は、上司や部下とミルフィーユになっているか

八尋さん 組織やメンバーの方針によって、成長には2通りあると思うんです。1つは、COO型の延長でも地道に進めた先に大きく伸びるもの。いわゆる「改善」の延長に「改革」があったケースで、多くの企業が実践し実績もあります。もう1つは、CEO型が外からいろんな刺激を受けて、新しいモデルを見つけるもの。CEO型とCOO型、どちらも主導になり得ます。私たちも両方の可能性を模索しながら新規事業の種をまいているところです。

ハブチンさん 自分がどちらのタイプか知るのは大切そうですね。

八尋さん そうですね。「こういうタイプと組まないと進まない」というのは、理解すると仕事がはかどるでしょうね。組織長や社長の立場にある人は、意識しているかどうかわかりませんが自分と反対のタイプを側に置いていると思いますよ。CEO型の人は部下にCOO型の人をつけていたり、COO型の人はCEO型の人と組んでいたり。

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ハブチンさん 自分の上司がどちらなのかも知ったほうがいいですね。「ちゃんとマネジメントしてほしい」という不満があったとしても、実は上司がCEO型だと理解したら納得するかもしれません。だったら自分がCOO型に徹してフォローしたほうがうまくいく。

八尋さん CEO型がCOO型も行うようなマイクロマネジメントまで始めると、誰も刃向かえなくなって言われた通りにやるモデルに落ちると思います。それは部下が成長しにくいし、CEO型の良さを減少してしまいますよね。逆にCOO型が上司だと、細かい実行はできたとしてもベースを広げて展開するのが難しいでしょう。自分がCEO型ならフォローすればいいし、COO型なら別のところからCEO型を見つけて一緒に考えられるようにすればいい。

ハブチンさん システム開発の現場だとCOO型のリーダーにCOO型のマネージャーがついているような気がしますが、どうですか。

八尋さん きちんと作るのをミッションにしている組織はCOO型にCOO型を重ねている場合がありますね。ただ下から見たら、直属上司の細かさともう1つ上の上司の細かさの二重の細かさによって、何も通らないかもしれません。これでは組織が疲弊するので、やはり意識してCEO型とCOO型を混在させたほうがいいと考えます。私はこれを「ミルフィーユ型組織」と呼んでいるんですが。

ハブチンさん CEO型にCOO型を重ねるのがミルフィーユなんですね。考えてみると、このミルフィーユはいろんな場所にありますね。部署のチーム内それぞれにCEO型とCOO型がいるのと同時に、部署自体は旗振り役のCEO型本部長と実行するCOO型メンバーで構成されています。会社の組織で考えたら「イノベーション戦略本部」自体が社内でCEO的な役割を持っていますよね。

八尋さん その役割分担をみんなが認識し合っていれば、組織はうまくいくと思うんですよ。1つの人や組織にCEO型COO型両方を求めるようなことをすると、どちらかが足りないことに対して不満も起こるし、フォローにも漏れが出てしまいます。

ハブチンさん チームリーダーでも組織長でも、編成するときは「いかにミルフィーユを作るか」を考えるといいですね。

八尋さん お客様で一番印象的なのが福井県鯖江市なんですが、ここはCEO型とCOO型のミルフィーユが非常にうまく作られている組織でした。

鯖江市は2015年、民間企業社員を職員に迎えて地域課題をともに解決する「コーポレートフェローシップ」を募集、弊社が選ばれて3カ月間スタッフを派遣しました。ここの市長さんは典型的なCEO型で、どんどん新しいビジョンを出して取り組む方です。それが単なる大風呂敷で終わらないのは、そばに調整力に長けたCOO型の情報統括官がいらっしゃったからでした。それに加えてCTO(最高技術責任者)を担う地元ベンチャー企業の専門家がついていて、お互いに役割がわかって意見をぶつけ合うんです。これも、ベースになる地元愛やお互いのリスペクトがあったから実現できているんでしょうね。

ハブチンさん そうか、ただスキルがある人を連れてくるんじゃダメなんですね。目標を共有して、自分事で考えて動いてくれる人だから信頼するし、つながることができる。

八尋さん 私たちの目標は「社会課題解決で地域が活性化すること」です。これを大きな軸にするとみんなのベクトルが合うのではないかと考えて動いています。

ハブチンさん 1社だけ儲かるのではなく、みんなが儲かる。お客さんというよりパートナーかもしれないですよね。そのために「CEO型とCOO型のミルフィーユで組織を作る」のはとても有効だと思います。今日は詳しく聞けてよかったです、ありがとうございました!

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インタビュー・文:丘村 奈央子  撮影:竹内けい子

 

マネジメントに疑問を抱いて転職したのに、自分も同じことをしていたという事実に気づく~株式会社Emotion Tech代表取締役 今西良光さん【20代の不格好経験】

今、ビジネスシーンで輝いている20代、30代のリーダーたち。そんな彼らにも、大きな失敗をして苦しんだり、壁にぶつかってもがいたりした経験があり、それらを乗り越えたからこそ、今のキャリアがあるのです。この連載記事は、彼らの「失敗談」をリレー形式でご紹介。どんな失敗経験が、どのような糧になったのか、インタビューします。

リレー第26回:株式会社Emotion Tech 代表取締役 今西良光さん 

株式会社リフカム 代表取締役 清水巧さんよりご紹介)

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新卒で大手電機メーカーに入社、官公庁向けIT基幹システムの営業を4年間担当する。2010年ファーストリテイリングに転職し、ユニクロ店舗のマネジメント業務を経験。その後、早稲田大学ビジネススクールを経て、2013年3月に株式会社wizpra(現・株式会社Emotion Tech)を創業、代表取締役に就任。

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<同社のサービス「Emotion Tech」>

NPS(ネット・プロモーター・スコア)などの「感情データ」をもとに、カスタマーエクスペリエンス(顧客体験)の分析・改善・マネジメント支援を行うクラウドサービス。独自の感情データ解析技術を用いた効果的な施策支援が支持され、200社を超える企業で導入されている。

すべての人がイキイキ働ける世の中を作りたい!との思いに突き動かされる

 当社では、顧客のロイヤルティを数値化するマーケティング指標「NPS」を用いた顧客ロイヤルティ向上を支援するサービス「Emotion Tech」、従業員モチベーション、エンゲージメント向上を支援する「Employee Tech」を展開しています。このビジネスに挑戦しようと思ったのは、就職した会社で抱いた「マネジメントに対する課題」がきっかけ。「すべての人がイキイキ働ける世の中を作りたい」という思いに突き動かされ、今に至ります。

 しかし、今日に至るまでにはさまざまな失敗がありました。中でも大きかったのは、理想のマネジメントをしようと志高く入社したファーストリテイリングでの失敗。今思い返しても、反省してもし切れないほどショックな出来事でしたが、あの失敗が今の自分を作ってくれたと思っています。

新卒入社した会社で、組織の在り方やマネジメント方法に疑問を抱く

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 大学卒業後に入社したのは、大手電機メーカー。官公庁向けIT基幹システムの営業に、約4年間携わりました。

 ニーズ自体は非常に高く、営業としてやりがいも成長実感も得ることができましたが、同時に組織の在り方やマネジメント方法に、疑問を感じるようにもなりました。自分の同期や後輩が上司のハードマネジメントや高い目標設定に耐え切れず、うつや胃潰瘍などで体を壊してしまうことが続出したのです。

 社員がイキイキ働き、そのパワーを最大限発揮することが、会社の原動力となり、業績につながります。会社や上司は、そのための器を作るべきなのに、それができていないと感じました。もっと上司がきちんと彼らと向き合い、適切なケアができていれば事態は防げていたはず。「なぜ組織や上司は、現状を改革しようとしないのだろう?自分が上司だったら、絶対にこんなマネジメントはしないのに!」と憤りを覚えるようになりました。

 しかし、当時の自分の力では、この大組織を変えることはできない。ならば、早くマネジメントを経験できる環境に移って、力をつけようと考え、転職を決意。ファーストリテイリングの幹部候補募集に手を挙げ、「ユニクロ」の店舗マネジメント業務に就きました。

理想のマネジメントを実現するはずが…スタッフから猛抗議を受け反省

 入社当初は、「ようやく私が理想とするマネジメントができる。スタッフとコミュニケーションを取り、いい店をこの手で作り上げるんだ!」と意欲に燃えていました。しかし…徐々に業務量の多さに流され、理想のマネジメントをしている「つもり」になっていたようです。

 ユニクロでは、3カ月に1度、アルバイトスタッフの昇給機会があります。担当する店舗には、半年前に同時に入社したAさんとBさんがいたのですが、ある時私はAさんだけを昇給させ、Bさんの昇給は見送りました。

 Aさんは、朝出社したとき、休憩室に入ってくるとき、いつも明るい笑顔で元気な挨拶を欠かしませんでした。従業員にこれだけ笑顔で元気に挨拶ができるということは、お客様にも笑顔で接しているだろうと高く評価しました。一方のBさんは、あまり快活なタイプではなく、笑顔も足りない印象。目立った「良さ」を感じることができなかったため、昇給させませんでした。

 しかし…そのジャッジを下した後、Bさんから猛抗議を受けてしまったんです。
「なぜAさんは昇級して、私は昇級しないのですか。普段私がお客様にどう接しているのか、知っていますか?今西さんは私のことを全然見ていない!」――Bさんに涙ながらに訴えられ、大きなショックを受けました。

 実際、やるべき業務をこなし切れず、スタッフ一人ひとりとコミュニケーションを取る時間が捻出できていませんでした。また、スタッフが店舗でどのような接客をしているのか、お客様にどう向き合っているのか、見ることもできていませんでした。

 他のスタッフに確認したところ、「Bさんに服を選んでほしい」「Bさんに接客してほしい」という固定客を何人も持っている、素晴らしいスタッフだということがわかりました。ニーズの本質をとらえるのがうまく、お客様の要望を聞いて的確に商品の提案を行い、高い支持を集めているとのこと。

 そんな姿を全く見ていなかった自分に、愕然としましたね。理想のマネジメントを実行するためにここに来たのに、全くできていないどころか、前職で私が批判していたことと全く同じことをしている自分に気づかされ、ものすごく落ち込みました。

 志高くマネジメントに臨もうとしていた自分でも、目の前の仕事に翻弄されてしまう。もっとメンバーと向き合いたいのに、実現できていないことに悩んでいるマネジメント層も多いのではないかと思いました。この課題を解決するには、個人が頑張るのではなく、何か仕組みを作って世の中から変える必要があると痛感。この出来事を機に、真剣に起業を考えるようになりました。

「まずはやってみる」精神で起業し、試行錯誤しながらブラッシュアップ

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 とはいえ、「仕組み」について何のアイディアもなければ、そもそもの起業ノウハウもなかったので、まずは起業について勉強しようと考え、会社を辞めて早稲田大学ビジネススクールに入学。アントレプレナーの専門家のもとで勉強すれば、経営知識が身に付き、何らかの道が見えてくると思ったのです。

 結論から言えば、とても貴重であり、勉強になった2年間でした。今の会社の共同経営者のほか、ビジネスを支えてくれる仲間にもたくさん出会えました。ただ、師事した先生から学んだのは起業ノウハウや高尚な経営のフレームワークなどではなく、一貫して「まずはやってみろ」という精神(笑)。ノウハウを学んだところで、その通りに行くはずはない。まずはやってみないことには何も始まらないし、やってみてこそ見えてくるものがある…との教えでした。初めは「それでうまくいくのかな…」と思いましたが、今思えば先生の教えは正しかった。振り返ってみれば、わからないながらも、教え通りに一歩踏み出してみたら、それがいつのまにか今につながった…という印象です。

 

 始めに発案したのは、社内コミュニケーションツールとして従業員同士が互いを褒め合うアプリ。しかし、アプリ開発の知識も経験もないので、ビジネススクールづてに紹介してもらった早稲田の理工学部の学生や、ユニクロ時代の学生アルバイトだった東工大生の友達などを巻き込んで、見よう見まねで開発にこぎつけました。

 アイディアの元となったのは、ユニクロが行っていた「サンクスカード」。同僚の働きを見て、いいと感じたことをカードに書き、それを貼り出すというアナログなものですが、これを活用してCS(顧客満足度)ランキングで上位になっている店舗があったのです。これをアプリ化することで、一般企業にも応用できれば、従業員のモチベーションが上がり、イキイキ働ける環境が作れると考えたのですが、なかなか普及しませんでした。

 企業の話を聞いてみると、「着眼はいいと思うけれど、費用対効果が見えないし、従業員同士のコミュニケーションが業績につながるのか未知数」との意見が聞かれました。そして、併せて寄せられたのが、「ES(従業員満足度)が重要なのはわかるが、まずはCSを可視化したい」との声。まずはこの声に応えようと考え、さまざまな手法を検討。そのなかで「NPS」に出会い、2014年8月に顧客満足度可視化サービス「Emotion Tech」の提供を実現しました。

 そして、1年ほど前から、「ESの可視化はできないの?」という問い合わせが舞い込むようになりました。それに対応したのが「Employee Tech」ですが、これこそ元々やりたかった「世の中を変える仕組み」づくり。ずっと抱き続けてきた、「すべての人がイキイキと働ける世の中」を作る第一歩を踏み出すことができて、とても嬉しく思っています。

 ESは、CSと密接につながり、業績に大きな影響を及ぼします。従業員がイキイキ働ける環境を整備すれば、それがCS、そして企業の成長につながる――この流れを、1社でも多くの企業において作り出していきたいと考えています。

一歩でも踏み出してみれば、何かヒントが見えてくる

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 何度となく失敗と反省、そしてチャレンジを繰り返した結果、今日まで来ましたが、振り返ってみて改めて思うのは、「まずはやってみる」ことの大切さです。

 アイディアが浮かんだら、まずは作ってみる。知識やスキルが足りなかったら、無理やりにでも周りを巻き込んでみる。立ち上げたアプリが軌道に乗らなかったら、企業の声を聞いて別の方法を考えてみる…というように、模索しながらも前に進んでいるうちに、徐々にアイディアがブラッシュアップされ、企業にご支持いただけるサービスが生まれ、ずっとやりたかったESサービスも始めることができました。諦めたら、そこで終わりだけれど、諦めずに少しでも前に進んでみれば、何とかなるものだ…と学びました。

 もし気になること、興味を持っていること、問題意識を持っていることがあったら、まずは行動してみるのが良いのではないかと思います。実現する方法がわからなくても、一歩でも動いてみれば、何かのヒントが見えてくるはずです。そして結果的にそれがうまくいかなかったとしても、自分の気持ちに素直に従った結果なのだから後悔はないし、後で振り返った時、今につながる「糧」になっていると思います。

 

EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:平山諭 

「初年度で黒字化」が必達目標! | JAL再生を手がけた経営再建のプロ・オリバーさん(1)

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倒産──経営者にとっても、社員にとっても、取り引き先にとってもこれほど嫌な言葉はないでしょう。しかし、倒産してもすべての会社が消滅してしまうわけではありません。中には不死鳥のように蘇り、以前と同じか、それ以上に元気に経営を継続している会社も少なからず存在します。その裏には企業再生を専門とする仕事人がいることをご存知でしょうか。しかし、その詳しい業務内容を知る人はあまりいません。そこで、経営破綻に追い込まれた数々の企業を蘇らせてきた企業再生のプロであるオリバー・ボルツァーさんに企業再生という仕事についてお話をうかがいました。

全3回の初回は、JALでの経験と支援を決定する「3つのハードル」について語っていただきます。

オリバー・ボルツァー
1979年ドイツ・ミュンヘン生まれ。1984年日本に移住、インターナショナルスクールに入学。大学時代にスラッシュドット・ジャパン(現・スラド)の管理人に。卒業後はドイツ国立ミュンヘン大学情報学部へ入学。大学院を卒業後は戦略系コンサルティングファームなどを経て、2010年1月、31歳の時に企業再生支援機構に移籍。JALや水産加工会社再生を手がける。その後、投資ファンドでスカイマークの買収などに関わった後、2016年、実家の会社「SKWイーストアジア株式会社」にオーナー兼CFOに就任。

数々の企業の再生を経験

──オリバーさんはこれまで数々の企業再生を手掛けてきたそうですね。

はい。私は大学卒業後、外資系の戦略系コンサルティングファームに入社して、経営危機に陥った食品メーカーの立て直しの案件に携わりました。外部のコンサルタントとして外からアドバイスをするのではなく、基本的にその会社に入って、実務として立て直し業務を行いました。その結果、担当した食品メーカーを再生しました。仕事はとても泥臭いものでしたが、やりがいも大きく、世の中にこういう仕事があるんだと感動したのを覚えてますね。この案件で企業再生という仕事にハマってしまいました。

2社目はM&Aを手がけるコンサルティングファームに転職して、そこでも同じような企業再生の仕事をしていました。その時、転機となる出来事が起こりました。「企業再生支援機構」(当時・現「地域経済活性化支援機構」以下、機構)の設立です。機構は、2009年10月に地域経済を支える中小企業の事業の再生・活性化支援を目的に、国の認可法人として設立された株式会社です。その機構から、数十人規模で企業建て直しのプロフェッショナルが必要だということで声がかかりました。

業務内容を聞いた時、中小企業の経営再建を当事者として主体的に、しかも調査から改善策の実施、そして買収先の決定、引き渡しまで一気通貫でできるということに心を惹かれました。また、機構には会計士、弁護士、コンサルタント、M&A経験者、事業会社の経営経験者などその道のプロフェッショナルがたくさん集まってくるという点にも大きな魅力を感じ、2010年1月、32歳の時に機構に移籍することにしたのです。

JALの再生に関わる

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──どんな再生案件に携わったのですか?

まず、JALの再生チームに配属となり、入社初日にJALの本社に行ったのを覚えています。それから管財人室の一員としてJALに常駐し、約2年半、稲盛和夫さんの下で全体の方針の制作、日々の改善策の実行、決済案件のチェック、事業戦略の練り直しなどを行いました。

その後、機構本社に戻って、次の支援企業の検討をした結果、東北の水産加工会社(A社)を支援することに決定しました。といっても元々1社ではなく、東日本大震災の影響で経営が瀕死の状態に陥った3つの水産加工会社を1つに統合して再生させるという案件でした。

支援決定の3つのハードル

──他にも支援を希望する企業はたくさんあると思うのですが、最終的に支援する企業はどのような経緯を経て決まるのですか?

支援決定に至るまでには3つのハードルがあります。
1つ目は中立・公正な立場で、対象企業の「資産と事業性の査定(デューデリジェンス)」を行います。その結果を元に、この企業は経営のやり方を変えることによって再生しうるのかどうかを検討します。その時、最大のポイントになるのが再生を可能とするダイヤの原石、つまり強い商品力や高い技術力の有無。それをもう一度磨くことによって企業が再び光り輝けるかどうかが第一で、これがないと何をしてもどうにもなりません。前述の3社の場合、地域を代表する水産加工品の基盤を築いた企業でした。ブランド力が非常に強く、味もおいしく、作り方のノウハウがある。つまり武器となる商品を作り出せる強い事業性がありました。

また、3社は多くの従業員を雇っていた地元の中核産業でした。これが潰れたら地元経済に与えるインパクトが非常に大きい。さらに地元食材を利用した加工技術は、地元一次産業の活性化に貢献していました。ゆえに、この事業性は社会的意義もあると判断できました。

2つ目は「利害関係者の同意」です。経営が傾いた会社は金融機関などに多額の借金をしています。金融機関が債権を放棄することに同意しなければ潰れてしまいます。そのために金融機関に対して債権放棄の要請をしたり、難しい場合は放棄後の残額を買い取ったりして調整します。この3社に対しては、地元の産官民一体となって応援していて、金融機関の支援の姿勢も明確でした。

3つ目が「経営陣の処遇」です。まず、会社の借金を免除する経営陣には責任を取って原則、辞任してもらうことになります。いかなる理由があったにせよ、会社の経営が傾いたのは経営者の責任ですから。その同意も必要となります。また、ほとんどの場合、オーナー経営者は会社の借り入れの連帯保証人になっています。当然銀行が会社の借金を免除すれば、連帯保証人である経営者に返済を迫りに行きます。銀行も借金を免除する手前、取れるところから取らないと自分の株主に対する責任を果たせないからです。そうなると、ほとんどの場合、経営者は破産に追い込まれます。ですので、こういった私的整理になる場合、オーナー経営者はオーナーでもなくなるし経営者でもなくなるし、私財もほぼ投げ打つことになります。「私」を投げ打ってでも会社の事業、ブランド、そして従業員をなるべく多く残すという経営者の覚悟が必要とされるのです。これができない経営者が多いんですよ。

しかしこの点でも水産加工会社の経営者たちは一族で長年守ってきたブランドが消滅してしまうのは忍びない、自分たちはどうなってもいいから、このブランドの水産加工品を作り、売るという事業と、なるべく多くの社員を守りたいという熱い思い、覚悟がありました。この3つがそろったので、支援することになったというわけです。

必達目標は「初年度で黒字化」

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──A社の再生にのぞむ際は、どのような気持ちだったのですか?

「1年目での黒字化」が必達目標でした。それくらいの気概で取り組まなければとても企業再生などできないのです。そもそも機構は時限組織なので、限られた期限以内で結果を出さなければなりません。A社の場合は3~5年でした。2、3年赤字のままなどとんでもないわけです。最終的な結果は責任者として負うことになります。また、失敗すると企業再生のプロとしての能力を問われ、この先同じ仕事をするのが難しくなります。そういう意味で非常に重いプレッシャーを感じていました。ただ、逆に言うと、絶対に失敗できないからこそ、絶対に再生できるという自信がないとやらないですね。

機構が企業再生を行うにあたり、最初に対象企業に投資するお金は国のお金、すなわち「国民の血税」です。経費だって自分たちの人件費含めてかなりかかります。もし失敗したら、全部パーになり、さらに血税投入という事態になります。それだけは一国民としても一プロフェッショナルとしても絶対に避けなければならない。1円たりとも焦げ付かせないぞ、絶対に耳を揃えて投資回収するんだという気概で臨みました。結果から先にお話すると、初年度で黒字化を達成できました。

 

──すごいですね。よく初年度で黒字化を達成できましたね。

いろいろと苦労も多かったのですが、黒字化できてよかったです。
業績が伸びてくると私も社員も俄然楽しくなるし、明るくなるし、仕事のモチベーションも上がります。私の方針・指示に対して気持ちの上では納得も同意はしていない社員も、利益が上がったり、黒字になってくるとこのやり方は正しいと腹に落ちて、仕事が楽しいと感じるようになります。理屈がわかると納得はついてくる。だから大事なのは気持ちの納得じゃなくて理屈の納得なんです。心の奥底では変わっていない人もいたかもしれませんが、行動は明らかに変わりましたね。

こうなると本当に会社って変わるんですね。今回もはっきりと変わったとわかるターニングポイントがありました。それは初年度の終わり頃に金一封を出せた時です。A社で働いていた人は何年も売り上げが下がり続け、赤字が続き、儲からないのが当たり前になっている。もちろんボーナスだって何年ももらっていない。そんな状況の中、少ないながらも一時金が出たとなると社員のみなさんはものすごく喜び、モチベーションが上がり、社内に活気が満ち溢れ、さらに業績が上がりました。なので、理想的な流れは単月黒字→連続黒字→ボーナス支給です。逆に言うと、儲からないのが当たり前という社員のマインドをいかに変えるかが、企業再生を成功させるための重要なポイントの1つになるわけです。

──その後は?

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2年目以降も安定して黒字が出せるようになり、利益も伸びていきました。その頃にはみなさんどんどん自分で仕事を進められるようになっていたので、私自身が手を動かさなければならない業務も段々減りました。最後の方は進捗管理が主な仕事になり、会社に行くのも週に3回ほどでよくなりました。理想的な形ですよね。再生案件にプロとして関わる場合は必ず期限付き、最後はいなくなるということを大前提として会社に入るので。逆に2年も3年も経っても私自身が動かなければならない状況というのは非常にまずいのです。【次回へつづく】

 

初年度からA社を黒字化に導いたオリバーさん。
具体的にどのような施策を施したのでしょうか。次回(2月13日更新予定)をお楽しみに。

 文:山下久猛 撮影:守谷美峰

 

シゴト脳を鍛える!現在もプレイ可能な伝説のゲーム9選

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さまざまなシーンで活躍しているビジネスパーソンや著名人に、ファミコンにまつわる思い出から今につながる仕事の哲学や人生観についてうかがっていく「思い出のファミコン - The Human Side -」。

連載ではこれまでに、ネット界隈のキーパーソンやジャーナリスト、経済評論家にお笑い芸人など、10名の方にお話を伺ってきた。育った地域や年代は各人各様ながら、ファミコンで遊んだ思い出話を紐解いていくと、じつはそのときの体験が脈々と今の仕事観や信条の礎になっていることがわかった。

そこで今回は、「シゴト脳を鍛えられる」という観点からビジネスシーンに役立つ要素をもった作品を、筆者の独断と偏見で9作ピックアップしてみた。現在でも任天堂のゲーム機でダウンロードプレイできるものや、スマホでプレイできるものもあるので、ぜひお試しいただきたい。

(1)『バルーンファイト』 任天堂 1985年1月22日発売

風船を身につけたプレイヤーを操りながら、画面内の敵たちの風船を割り、ステージをクリアをしていくゲーム。Aボタンを押すと一度だけ羽ばたき、Bボタンを押し続けると連続で羽ばたくことができて、独特の浮遊感を体感できることが特徴。ささいなコントロールミスであっさり敵に風船を割られたり、華麗な流れ技で敵の風船を割って一気にクリアすることもできる。

自分の意志で動かしているにもかかわらず、思うようにコントロールしきれないあたりは、さしずめ組織に生きる会社員のようなもどかしさにも置き換えられる。忍耐力養成に。

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(ニンテンドー3DSおよびWii Uのバーチャルコンソールでダウンロードしてプレイ可)

(2)『レッキングクルー』 任天堂 1985年6月18日発売

おなじみマリオが解体屋として、手持ちのハンマーや設置されたダイナマイトを使いながら、ステージ内の壁をひたすら壊していくゲーム。壁を壊す順番を事前に考えながら進める必要があり、もし順番を間違えてしまうとすべての壁を壊しきれず手詰まりになってしまうこともある。さらにブラッキーという敵キャラがおせっかいで勝手に壁を壊してしまい、こちらのプランが崩れてしまうこともイラっとさせる要素だ。

まずは全体を見通し、どうすれば効率よく進めていけるかプラン立てて、障害となる敵をうまく回避しながらクリアを目指す、というのは仕事を進めていく基本所作でもあろう。計画性を鍛えるのに。
(ニンテンドー3DSおよびWii Uのバーチャルコンソールでダウンロードしてプレイ可)

(3)『バトルシティー』 ナムコ 1985年9月9日発売

プレイヤーは自らの戦車を動かし、次々と表れる敵軍の戦車を全滅させることでステージクリアをしていく画面固定型のシューティングゲーム。自軍の司令部が攻撃を受けるとゲームオーバーとなるため、ただ攻めるだけでなく、守りを考えながら行動しなければいけない。ステージが進むとさまざまな特性を持った敵戦車が出現し、トリッキーな地形も相まって、攻撃に夢中になっているとあっさり司令部を攻略されてしまうことがままある。

とくにこのゲームは二人同時プレイでその真価を発揮する。それぞれの役割分担と連携を考えて、敵を倒すという目標に突き進むことは、おそらくビジネスにおけるコンビネーション感覚を鍛えてくれるだろう。

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(ニンテンドー3DSおよびWii Uのバーチャルコンソールでダウンロードしてプレイ可)

(4)『スペランカー』 アイレム 1985年12月7日発売

洞窟の中を冒険する探検家を操作して、さまざまなアイテムを取りながら、最下層にある秘宝の山をめざすアクションゲーム。わずかな高さから落下しただけでミス判定となるシビアさは有名で、このひ弱さが転じて、故障がちなスポーツ選手の怪我を指して「スペる」というネットスラングにもなっているほど。

慎重かつ大胆にプレイヤーを操作しないとクリアは難しく、ミス判定の厳しさや高難度のゲーム性から印象深い作品としてあげられることも多く、ジャーナリストの津田大介さんも思い出のゲームとしてピックアップされていた。クリアを目指して諦めずに挑戦欲をかきたてるあたり、ビジネスマインドにおける大切な意識を植え付けてくれる。

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スペランカー公式サイトからiOSおよびAndroid向けスマホアプリとしてプレイ可)

(5)『バイナリィランド』 ハドソン 1985年12月19日発売

鏡の迷宮に閉じこめられたペンギンのグリンとマロンを操作してゴールを目指していくアクションゲーム。中央で二分割された画面の下から、左右対称な動きをするグリンとマロンを操作して、画面上にある檻に入ったハートを同時のタイミングで触れさせたらステージクリアとなる。二分割された左右の画面は障害物の配置が異なる上、ランダムな動きをする敵キャラクターや、プレイヤーの動きを止めるクモの巣の存在がパズル的要素を強めている。

左右対称な動きをするグリンとマロンを同時に操作するというのがこのゲームのキモであり、日常のビジネスシーンではあまり意識することのないような右脳左脳を同時に刺激してくれるような体験ができる。

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(ニンテンドーWiiおよびニンテンドー3DSのバーチャルコンソールでダウンロードしてプレイ可)

(6)『ファミリーサーキット』 ナムコ 1988年1月6日発売

F1を頂点としたカーレースをモチーフにしたレースゲーム。最上位のスーパーAのカテゴリーでは、往年の名ドライバーであるアイルトン・セナやアラン・プロスト、中島悟を想起させるライバルたちと全16戦のレースを戦うことになる。ターボのブースト圧やギヤ比といったセッティングや、実際のレースではピットイン戦略が必要になるなど、現実のカフォーミュラカーさながらの要素がしっかりデフォルメされている。他車との接触という概念はないものの、コース外の障害物に高速で衝突するとクラッシュする独特の当たり判定も斬新であった。

最高速を重視したセッティングで、コースではギリギリ限界のコーナーどり、連続し続ける緊張感のなか、ひとつのミスもなく周回を重ねないと最上位カテゴリーでの勝利は難しい。このゲームを極めることで、きっとルーチン業務の効率化とそれに耐えるタフさが身につくことだろう。

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(7)『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』 エニックス 1988年2月10日発売

おなじみの名作RPGシリーズの3作目。発売日には長蛇の行列ができたり、抱き合わせ販売や品切れで買えなかった少年たちによる恐喝・窃盗事件が起きるなど、社会現象として大きくマスコミをにぎわせたエポックメイキングな作品である。
ゲームとしては、勇者以外の仲間を自由にパーティ編成できたり、戦士、魔法使い、商人、遊び人などの職業システムが取り入れられ、ダーマの神殿において別の職業に転職できるなど、過去2作よりさらに自分好みの楽しみ方ができるようになったことが特徴。

ファミコン世代にとっては「転職」という選択肢の存在や、キャリアアップの概念を意識づけてくれた点で意義深いと言えよう。
(iOSおよびAndroid向けのドラゴンクエスト ポータルアプリからダウンロードしてリメイク版をプレイ可)

(8)『信長の野望・全国版』 光栄 1988年3月18日発売

現在も続く「信長の野望」シリーズの原点となる名作。プレイヤーは戦国大名の一人となって、内政にはげみ軍備を整え合戦を仕掛け、天下統一を目指す歴史シミュレーションゲーム。

まずは好きな戦国大名でプレイするのもよし、出身地の大名を選んで思い入れをもって進めるのもいいが、あえて弱小大名を選択して始めることで、逆境から成り上がっていくプレイをおすすめしたい。起業マインドを高めるにはうってつけのゲームといえる。
iOSおよびAndroid向けスマホアプリとしてリメイク版をプレイ可)

(9)『桃太郎電鉄』 ハドソン 1988年12月2日発売

こちらも現在まで続く人気シリーズだが、基本的なゲームシステムやルールは、じつは次作『スーパー桃太郎電鉄』がベースになっている。ただし、サイコロを振って鉄道で日本中を巡り、所持金を増やして物件を購入して、最終的に総資産を競うゲームという点では一致している。

物件駅から日本各地の産業や名産品を学べることはもちろん、天災や「スリの銀次」といった不測のアクシデント、また貧乏神のなすりつけ合いといった理不尽なイベントをこなしながら収益を拡大していくさまは、より現実のビジネスに近い感覚をプレイヤーは味わえるだろう。

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桃太郎電鉄公式サイトからiOS向けの『桃太郎電鉄 JAPAN+』がダウンロードしてプレイできるほか、各ゲーム機で遊べるシリーズ一覧が確認できる)

文:深田洋介
1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。
http://famicom.memorial/

 

4回の勤務先倒産。波乱があったからこそ見えた“自分の道”ーーシンデレラシューズ・松本社長「痛い靴ゼロへの挑戦」《下》

靴メーカー勤務などを経て、働く女性の悩みの種である“痛い靴”をなくそうと起業、アナログなフィッティングと最新のITを組み合わせた独自のアプローチで課題解決を目指している松本久美さん。インタビュー最終回では、松本さんが今日まで続けてきた挑戦の数々と、お手本のない“自分の道”を切り開くためのヒントを聞きました。(《中》編はこちら

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【プロフィール】

松本 久美(まつもと・くみ)

1977年大阪市生まれ。大阪モード学園ファッションデザイン学科卒業後、地場の靴メーカーに就職。デザインや生産管理などに通算13年間携わる。この間に勤務先が4回倒産するなど不安定だった業界に限界を感じてIT企業の営業職に転じ、その後知人らの起業に触発されて「靴」をテーマにした事業での独立を決意する。大手企業による起業支援プログラムに選ばれた2015年、東京で「株式会社シンデレラ」を設立して代表取締役に。「シンデレラシューズ」の名称でフィッティングサロンを開くかたわら、ITの活用で靴と人のマッチングを効率化するサービスの開発を進めている。

オンラインショップ担当でITに目覚める

-ファッションデザインを学んでいた学生時代の靴好きが高じて、卒業後すぐ靴メーカーへ就職されたとのこと。当時は珍しい進路だったそうですね。

はい。そもそも靴メーカーからの求人がなく、自分で調べた会社に「働きたい」と手紙を書いて採用してもらいました。1990年代半ば、当時は三原康裕さん(ファッションブランド「ミハラヤスヒロ」のデザイナー)が靴のインディーズブランドを立ち上げて、新たな試みとして注目されていました。通っていた学校でも靴に関する学科はまだなく、私はデザイン系の学校から靴づくりの世界に進んだ、はしりの世代にあたります。

それから靴のデザイナーとして通算7年、作り手として6年ほど働き、デザイン画や型紙を起こすところから縫製、仕上げ、生産管理、営業まで一通りを経験しました。1ミリ単位でこだわり抜いたデザインの靴がバイヤーの目に留まり、著名なセレクトショップに置いてもらったこともあります。

 

-何でもできる10年選手なら、社内でもリーダー格になりそうですね。

実は、靴作りに携わっていた13年間のうちに、私は勤務先の倒産を4度経験していますレディースシューズのメーカーはスニーカーなどと違い、世界的なブランドでも企業規模がそれほど大きくありません。特に日本の場合は歴史的な経緯もあって、従業員が10人に満たないような家族経営のメーカーがほとんどを占めています。景気のいいとき・悪いときの差が激しく、ある朝出社したら社長一家の姿がなく、前日まで工場にあった機械が全部消えていたこともありました。“夜逃げ”ですね。

ずっと生活が安定しない状況で疲労感もつのり、30歳を過ぎたところで「靴から離れよう」と決めました。それから2年半ほどは外回りの営業職として、通信会社がアプリで提供するサービスの加盟店開拓をしていました。まったく畑違いの世界をあえて選んだのは、靴業界にいたころオンラインショップを任され、ウェブサイトを修正する費用の高さに驚いたことがきっかけです。漠然とですが「これからはIT関係のビジネスが分かっていないと怖い」と感じていたんですね。

波乱から生まれた独立志向。業界を離れて見えたアイデア

-起業はいつごろ考えだしたのですか。

靴メーカーにいたときから「会社の都合で仕事を失いたくない、独立したい」という思いはありました。ただ「靴を作る・売る」という手持ちのスキルでそのまま開業しようとすると仕入れや設備投資の費用が大きくなるので、リスクを考えると踏み切れませんでした。

いつかは会社を興すつもりだったので、通信会社で働きだしたときも正社員ではなく派遣社員を選び、プライベートではスタイリストの依頼を受けたり、料理を教えたりしていました。でもこうした副業は、私にはあまり面白くなかった。好きなことを選んだはずなのに、実際にやってみるとワクワクしなかったんです。

そこでいろいろ調べてみたところ、団体や企業、自治体などが開くさまざまなビジネスコンテストやハッカソンがあると分かり、試しに行ってみると、起業という同じ志を持つ友人ができました。また周囲の知人の中には、将来の「ユニコーン」と目されるような、急成長中のスタートアップに転職する人もいました。彼らを見ていて「得意分野とITを組み合わせれば大きなチャンスがつかめる」と気づき、もう一度考えてみたのですが、私が本当に好きなのは、やっぱり「靴」でした。

靴を作る立場から離れ、純粋に履く側に戻ったことで、初めて得られた実感もありました。ヒールの高い靴で長時間歩く外回りを続けているうちに「みんな、これほどつらい思いをしているのか」「痛みから解放されれば、もっと靴を楽しめるようになるはず」という思いが強くなっていたのです。

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 【写真】フィッティングサービスを行う一方、元デザイナーとして自身の靴にもこだわりが。取材当日に履いていたパンプスも、チェック柄入りのスエード地をあしらった珍しいタイプ

-3年前に設立した会社で、靴のフィッティングサロンと、ITを使った「バーチャルシューフィッティング」の開発という2つの事業(〈中〉参照)を始めた背景に、そうした事情があったのですね。「やりたいこと」と「ビジネス」の間で悩むことはなかったですか。

ビジネスとして成り立つかどうかは、たいていやってみないと分からないのですが、基本的に「自分がいちばん居心地よく感じる条件」で仕事をするようにしています。そのほうが力を出せることもありますが、私が居心地のよくないところで無理をしていたら、付き合う周りの人たちやお客さまも、きっとしんどいだろうと思うからです。

起業支援プログラムで賞をいただいたのを機に、経営に詳しい方とお話しすることも増えて「こうすればもっと儲かる」というアドバイスもよく受けます(笑)。ただ、どれほどよいチャンスに見えても、心底納得できないことには手を出さないようにしています。

「心がザワザワする選択」は避ける

-求人のない職場を開拓するところから始まり、職種や業界も変えながらご自身でキャリアを築いてこられました。後悔のない決断をするために心がけていることはありますか。

普段から「ひとり会議」を重ねて、深く考える習慣を持つようにしています。

ひとり会議というのは、何かやりたいことを思いついたり、イヤなことがあったりしたときに、その気持ちをまずノートに書き出し、奥底にある自分の本心や、本当にやりたいことを確かめる作業です。「書くなりしゃべるなり、いったん外に出さないと自分の気持ちは分からない」という話を高校時代に聞いて、それからずっとひとり会議専用のノートを持っています。

 

-ノートに、気になることを書き出すのですね。

ええ。例えば転職。「今と違う会社に移りたい」として、まずその気持ちをはっきり書く。「環境が変わるのが怖い」とか「給与が下がるんじゃないか」とか、きっといろんな不安もありますよね。それも書きます。家賃も払えないくらい落ち込むリスクがあるならその回避策もまとめるし、逆に現在の給与が高いとしても「いまの場所に居続けたとき10年、20年でどういうことが起こるのか」を書きます。

先々のリスクも挙げた上で「どっち行きたいの、私」と問いかければ、本当に好きな道を感情で選ぶことができます。私はもともと不安を感じやすい性格ではあるのですが、メリットが高いほうではなく、本当に好きなほうに行く選択を繰り返して現在に至ります。選んだ道の途中で失敗したこともありますが、後悔はまったくないですね。

大事なのは、たとえ客観的な条件がどれほどよくても、好きではない道や「心がザワザワする選択」を絶対に選ばないことだと思います。

 

-「いつでも好きな道を選ぶ」と覚悟していれば、思わぬ展開も楽しめそうです。

そうですね。私が起業したとき掲げた「痛い靴をなくす」というミッションをこれから追い求めていく中で、それを実現する具体的な事業の中身は、どんどん別なものに変わっていくような気がしています。事業が変わり、周囲の環境が変わり、見える風景が変われば、それに合わせて別な夢が生まれるのも自然なこと。好きなことをずっと突き詰めていった先で、もし最初のミッションとは別なことをするようになったとしても、気にすることはないのかなって。そう思います。

 

 撮影協力:31VENTURES Clipニホンバシ

WRITING/PHOTO:相馬大輔  

 

「何をしているかわからない人」がたくさんいる。それが大事なワケ|革命を起こすチームの作り方【前編】

職場の悩みで上位になるのが「人間関係」。どんな仕事でも一人では進めるのは難しく、常に社内外の人たちと良い関係を保っていかなければいけません。個性豊かなメンバーをまとめるとなったら、その苦労もひとしおのはず。でもNECソリューションイノベータ株式会社 イノベーション戦略本部長 八尋美徳さんは「どんな現場でも人の組み合わせを工夫することが重要」といいます。

ハッカソン(一定期間集中してプログラムやサービスの開発を行うイベント)の運営で「場の一体感を作る仕事」をしている羽渕彰博(ハブチン)さんは、八尋さんのチームのマネジメント法を知って「これはみんなが使える!」と思い、今回詳しく聞いてみることにしました。これまでの組織論とは違う新しい“チームの作り方”について、2回に分けて紹介します。

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八尋美徳さん(右)
1963年福岡県生まれ。1985年九州日本電気ソフトウェア株式会社に入社、地元企業や自治体と一緒にIT関連のオープンソリューションを提案、実施。事業企画部や生産革新推進室などを経験したのち、2014年に自社を含めたNEC子会社7社がNECソリューションイノベータ株式会社として統合。2016年4月にイノベーション戦略本部長となると同時に東京本社勤務に。社会課題を解決できる新ビジネスを創出するため、部門を率いている。

羽渕彰博(ハブチン)さん(左)
1986年大阪府生まれ。2008年パソナキャリア入社後は自社新規事業立ち上げに従事しつつ、アイディアを短時間で具現化する「アイディアソン・ハッカソン」のファシリテーターとしても活躍。2016年4月に独立し株式会社オムスビを設立した。復興庁が取り組む「共創力で進む東北プロジェクト」にも参加し、人と人をつなぐ活動に注力している。

イノベーションで、環境変化に耐える力をつける

ハブチンさん 八尋さんとは、復興庁が中心に行っている「共創力で進む東北プロジェクト」のイベントでご縁ができました。いろんな人がアイディアを出し合ってオープンにイノベーションを起こすアイディアソンやハッカソンに僕が参加して。

八尋さん 弊社が事務局になっているので、そのときが初めてでしたね。以前から「ハッカソン芸人」という面白い人がいるとは聞いていて、お会いして「ああ、この領域を仕事にする人がいるんだ」と感心したんですよ。

ハブチンさん ありがとうございます。ちゃんとお話ししたのが飲み会だったと思うんですけど、そのとき八尋さんが話してくださったマネジメントの内容がめっちゃ面白かったんです。

組織には必ず「ビジョンを描く人」と「形にまとめる人」がいて、それを「CEO(最高経営責任者)っぽい人」と「COO(最高執行責任者)っぽい人」と定義する。一人が両方の性質を担うより、役割分担を意識してチームとして組ませたほうが成長できるんだといわれた。その発想にすごく感銘を受けました。みんな頑張って両方をやろうとするじゃないですか。でもそうじゃないよ、と。

八尋さん 自分にとっては特別な話とは思っていなくて、今回のインタビューの依頼は少しびっくりしました。

ハブチンさん 八尋さんの名刺を見ると会社名にも「イノベータ」があるし、役職名は「イノベーション戦略本部長」です。部下の方々もイベントでご一緒するんですけど、皆さんパワフルで個性が強い。その中で「こうやってチーム作りをするといい」というご自分の解答を持っていらっしゃることにとても興味を持ったんです。イノベーションというと意味が非常に広いのですが、会社ではどんなミッションがあるんですか。

八尋さん 新事業・ビジネスの創出を狙って組織を作っています。当部とは別に、イノベーションラボラトリというR&Dの組織もあって、ここで基礎研究などを行い、生まれた技術を使って新しい事業につなげていく。私たち「NECソリューションイノベータ」は“社会課題解決のために何ができるか”を常に考えて実践する企業なんです。

もちろん技術軸からイノベーションを起こす方法もありますし、ITが届かなかったところにITを持ち込んで新しいマーケットを創出するほか、配車サービスの「Uber」や民泊の「Airbnb」のように新しい発想をモデル化することも仕事です。その一環として、ハブチンさんと出会ったハッカソンや全国のイベントがあります。

ハブチンさん 今までは仕様通りに作る受託だったのが、お客様と対話しながら新しいモデルを作るほうへシフトしているんですね。たしかに僕が参加するイベントでも情報システム業界が変わり始めているのを感じます。

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八尋さん ずっと同質のところにいると環境変化に耐えられなくなる。そこで変えなきゃいけないというのが「イノベーション」の一つの意味だと思います。ずっと受託型のままでは世の中の流れが変わったとき切り替えるのは難しいでしょう。切り替えるとしても、今までの延長である「改善」はできても画期的な「改革」は難しい。

社内で革命を起こす一番の方法は同質の中に異質を入れることだと思います。異質とぶつかって新しい考えや発想が生まれ、今までにないような環境変化への耐性ができる。企業の場合は、既存の技術や方法と創出した新しい技術や方法を組み合わせて、初めて多様性が持てると思うんですよ。新しいものだけで成長するのではなく、既存と組み合わせることでも変わることはできます。

異質を意識して混ぜる、社外からでも構わない

ハブチンさん 僕はそこで必要な「異質」として呼ばれているわけですね。業界未経験の僕がインフラや銀行のワークショップに行く理由はそこにあると。

八尋さん そうですね。本当はそれが企業の中でできればいいんです。でも企業だとみんな同じ軸を持った同心円を目指して、ある人は「大きい」、ある人は「小さい」という比較になりがちです。できれば小さくても違う場所に軸を持った円を混ぜて、それを含んだ大きなフィールドで考えられる環境にしたい。「あの人は何をしているかわからない」という人がたくさんいるとフィールドは一気に広がります。今は社外からハブチンさんのように異質な円を取り込みつつ、社内でも既存に囚われず違う軸を持てる人材を育てている段階です。

ハブチンさん 最初に出た「CEO型」「COO型」でいうと「CEO型」の人を増やしたいということですか。以前お会いした八尋さんの部下の方についても、皆さんフットワークが軽くてめっちゃ驚きます。失礼なんですが「ずっと外に出ていて、社内からは何をしているかわからないだろうな」と思うことがよくあります。

八尋さん 特に共創や地方創生関連活動の場面では、そういう人材が活躍できるように、とは意識しています。私たちの組織はまだ何をしているのか知られていない部分もあって、まず課題解決につながる人たちとのネットワーキングを先に行う必要があると思っています。物売りではなくて一緒に解決したいと思っていることを伝え、信頼関係を築いて初めて「それなら私たちにはこんな技術があります」と提案できるからです。でもひょっとしたら、自社技術でなくても別の良いツールを組み合わせて課題解決ができるかもしれません。その発想も含めて社内外で旗を振ることができるCEO型の人材は非常に重要です。

ハブチンさん 外でどんどん機会を作って信頼関係を築くCEO型人材は、八尋さんが社内で探し出されたんですか。それとも異動で来た方を育てられたのか。

八尋さん 見つけた、かもしれないですね。社内でこういう人がいるらしいと聞いて「やってみないか」と声をかけました。受託型の仕事だと、組織の中で「あの人はいつも言いっぱなしだ」とか「いつも大きな話をする」という評価があると「一緒に仕事をするのはちょっと」と思われてしまいます。その評価のために、せっかく能力があるのに重要な仕事を任されない人材がいる。でもネットワーキング活動なら後々の組み立てより「誰と何をするか、そのために誰と話すか」に対してセンスと行動力があるタイプが生きます。

実際に当部門で活躍しているメンバーは、ブルドーザーのようにいろんなところへ行って人脈を広げて、キュレーションしながらコラボを考えることをやってくれます。彼らはCEO型であってCOO型ではありません。だから「あなたがそう言ったんだからちゃんと実現しなさい」というのを任せようとすると、うまく回らなくなる。組織では「その人に任せるとあとが大変」という表現でくすぶってしまう。

ハブチンさん そこで、チームにプランを実行できるCOO型の人材が必要なんですね。

八尋さん そうなんですよ。旗を振ってビジョンを立ち上げた人をサポートして、きちんとマネジメントできる人も必要。CEO型とCOO型は、お互いを補う存在として一緒に活動してもらえばいいんです。

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ハブチンさん 僕、それを聞いてすごくホッとしたんですよね。たぶん僕はCEO型なんですけど、仕事ではCOO型の作業もしなきゃいけない。でも「これは得意な人に任せて一緒にやればいいんだ」とわかってから気持ちが楽になったんです。分業してからはパフォーマンスが良くなって、苦手な作業も効率化できました。これって大小に関わらずどんな組織でも応用できるじゃないですか。だから八尋さんのこの話はぜひみんなに知ってほしいと思ったんです。

 

イノベーションには多様な人材の混ざり合いが不可欠。集まったメンバーを組織としてまとめるには「CEO型」と「COO型」の役割分担がコツだといいます。後編では異なる役割を意識させた組織の効果と、マインドの保ち方、職場への応用方法をお聞きします。

インタビュー・文:丘村 奈央子  撮影:竹内けい子