仕事も「好き嫌い」はハッキリして良い|ネットニュース編集者 中川淳一郎さん

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さまざまなシーンで活躍しているビジネスパーソンや著名人に、ファミコンにまつわる思い出から今につながる仕事の哲学や人生観についてうかがっていく本連載「思い出のファミコン – The Human Side –」。

今回ご登場いただくのは、ネットニュース編集者の中川淳一郎さん。『NEWSポストセブン』をはじめ、さまざまなウェブ媒体の運営に携わるほか、その知見を生かしてのメディア出演や執筆活動、またイベント登壇も数多く抱えるハードワーカーでもある。現在の多彩で多忙な活動を支える裏には、ファミコンで遊んだ少年時代の経験が脈打っているようだ――

中川淳一郎さん
1973年東京都出身。一橋大学卒業後、博報堂に入社。同社ではCC局に配属され企業のPR業務に関わる。2001年に退社後はフリーライターとして、さまざまな雑誌やネットメディアのライターおよび編集業を経て、ネットニュース編集者の先駆けとなる。現場のリアルな視点からのネット評論にはファンも多く、著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社)、『ネットのバカ』(新潮社)『ネットは基本、クソメディア』(KADOKAWA)などがある。

好きなゲームはナムコ系。「プロが来たな!」と思った

―― まずはファミコンを買った当時の思い出についてきかせてください。

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ファミコンを買ってもらったのはたしか1984年、小学5年生のときでした。まだ『スーパーマリオブラザーズ』が登場していなくて、ファミコンが大ヒットする少し前だったのですが、実家の近所にできた新しい商業施設のおもちゃ屋が、開店セールでファミコン本体を10,800円で売ってたんですよ。(※定価14,800円)ちょうどまわりの友だちがファミコンを持ち始めた頃だったこともあり、絶好のタイミングで買うことができました。

そのとき一緒に買ったカセットは『マリオブラザーズ』です。『ドンキーコング』『ポパイ』『ベースボール』など任天堂の初期のカセットではよく遊んだのですが、自分としてはナムコのゲームのほうが好みでしたね。ナムコは『ギャラクシアン』をはじめ、ゲーセンのタイトルをどんどん移植してきましたし、ファミコンに参入してきたときには「プロが来たな!」と思いましたから。あと発売前に『ギャラクシアン』の広告が週刊少年ジャンプに載っていて、平賀源内が「ついにこの時代が来たか」「エレキテルもびっくり」みたいなことを言ってるコピーが付いたイラストだったんですけど、あれは今でも印象に残ってます。

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―― 中高時代はご家族の転勤でアメリカに住んでいたそうですが。

1987年、中学2年生の頃からです。私はアメリカにはファミコンを持って行かなかったんですが、同時期に現地に住んでいた日本人の友人が持っていたので、その彼の家に入り浸って遊んでいましたね。

住んでいたのがアメリカの田舎町で、たいした娯楽もないし、最初はロクに英語もできないから、日本人の友だちと付き合うしかなく、必然的にファミコンで遊ぶしかなかったんです。そのときに一番ハマっていたのが『ファミスタ’88』で、友だち4人で毎日夜までずっと遊んでいました。きちんとそれぞれ打率も記録に残して、ほんと熱心でしたね。

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『三国志』と『ファミスタ』で記憶力が鍛えられた

―― ファミコンをやっていたことで、身に付いたスキルってありますか?

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記憶力のトレーニングになっていたと思います。『ファミスタ』みたいに能力値のあるゲームがすごく好きで、とくに『三國志』はたとえば武将の名前を見た瞬間にその人物の武力や知力がわかるくらいやりこみました。アメリカに住んでいたから攻略本のたぐいがなく、やりながら覚えていくしかなかったという面もありますね。

三国志はアメリカで日本語の活字がない中、本来は読まなかったであろう父親の吉川英治三国志を読んでやたら登場人物が多いところにかなりのめり込んでいました。そんな三国志のキャラが使い倒せるゲームとして発売されたわけだから、これはほんと嬉しかったですね。

―― ファミコンの経験が、人格形成にも影響していますか?

今の仕事に通じるところでは、「人に頼ればいい」ということを覚えましたね。ファミコンも自分で買えるカセットには経済的にも限界があるから、いろんな友だちの家に遊びに行ったり貸し借りしたりしたらいい、人気ソフトの発売日にわざわざ自分が行列に並ばなくたって、買ったやつのところに行けばいい。人に頼ることでたくさんのゲームで遊ぶことができたわけじゃないですか。

今いろいろな仕事をやっていますけど、依頼は全部受けるんです。何でかというと、どんな仕事であれ、もし自分ができなくても、たぶんできる人や詳しい人はいるんだろうなっていうのが分かっているから、その人と一緒にやればいい。人に頼っていいっていうのは、きっとファミコンから学んだ気がします。

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あとは好き嫌いを明確に考えるようになったかな。ファミコンはメーカーでの好き嫌いがけっこうあって、ナムコとかカプコンとか、玩具メーカーじゃないゲームメーカーのソフトはえこひいきしてまいした。その延長で、人間でも「こいつ嫌いだ」って決めつけて、付き合わないと決めるとどんどん縁を切っちゃうところがありますね。

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今のビジネス界は「ファミコン世代」が牽引している

―― ビジネスにおいて、ファミコン経験が役にたつことってありますか?

私たちの世代ってテレビもみんな同じ番組を見ていて、ゲームも大抵同じものをやっていて、同じ漫画を読んでいたんですね。今ようやく40代になって、自分たちの世代のビジネスパーソンがいろんなところで実権を握りつつあるようになってきたわけですけど、同世代の人間で集まると、「あるある話」がたくさんできるんですよ。ファミコンの話題もそのひとつですね。そういった共通の話題があることで、仕事上の人間関係において役立つところは多いかなと思います。

でも嫌いなのは、定番ネタをいつまでも言い続けるやつ。たとえば『スペランカー』の主人公が弱すぎるとかね、そんな当たり前の話は言わなくていいんですよ。「クソゲーといえば『たけしの挑戦状』だよね!」……などもあるある過ぎてダメです。言い古されたことは言わなくていいんじゃないかなって思いますね。ただね、それもひとつの様式美なんだろうなぁ……。

当時はインターネットもないのに全国の子どもたちが学校で同じことを話題にしてたわけなんですよね。『スペランカー』の主人公が弱いなんて、同世代なら誰でもわかるじゃないですか。影響力的にはネットよりすごいですよね。

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―― 今でも名作ゲームを長く遊ばれているそうですね。

ファミスタはずっとニンテンドーDSで遊んでいますね。先ほど言ったように能力値のあるゲームが大好きなので、選手をどんどん成長させていける要素があるところが気に入っています。あとドラクエシリーズでは、モンスターが仲間になる『ドラクエ6』は今でもスーファミでやっています。レベルアップを極めるのもいいんですけど、醍醐味はモンスター集め。「キラーマシン2」が仲間になったときも感激しましたけど、この前はついに「ランプのまおう」を仲間にしたんですよ! 20年近く遊び続けてやっとですから、あれは最高に興奮しました。

スマホゲームでガチャに興じるのはリスクが高いですけど、「ランプのまおう」を仲間にするのにお金はいらないですからね。無駄なのは時間だけ(笑)。そんなわけで、ゲームを通じてリスクに対する向き合い方も学びました。ゲームに関しては慎重ですし、冒険もしないですよ。ただ粛々とやり続けることは苦になりません。

取材・文:深田洋介
1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。
http://famicom.memorial/

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