「東京国税局」に13年間勤めた私が“フリーライター”になったワケ

東京国税局に13年間勤めたのち、一念発起して2017年7月からフリーのライターとして活動を開始された小林義崇さん。どんなきっかけで、東京国税局での仕事を離れフリーのライターとして活動をしようと考えるようになったのでしょうか?また、フリーとして活動をするにあたり、奥様やご両親の反応はどのようなものだったのでしょうか?

小林さんのキャリアの選択を通じて、「私たちは何のために働くのか」「どのようにキャリアを選択するのか」について、考えられればと思います。全2回の本連載、第1回目の今回は「フリーライターになる決意をした理由」についてです。

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小林 義崇(こばやし よしたか)

1981年生まれ、福岡県北九州市出身。埼玉県八潮市在住のフリーライター。西南学院大学商学部卒。

2004年に東京国税局の国税専門官として採用。以後、都内の税務署、東京国税局、東京国税不服審判所において、相続税の調査や所得税の確定申告対応、不服審査業務等に従事する。2014年に上阪徹氏による「ブックライター塾」第1期を受講したことを機に、ライターを目指すことに。2017年7月、東京国税局を辞職し、ライターとして開業。

はじめまして。私、フリーライターの小林義崇と申します。

2017年の7月11日にライターとして独立、その前日までの約13年間を東京国税局の職員として勤務していました。今回は、私が東京国税局を辞め、ライターになるまでに経験した葛藤や不安、そして独立を決断するまでの約4年にわたるプロセスをお話ししたいと思います。

きっかけは不意にできた「ひとりきりの時間」

振り返ると、独立に至るまでには、いくつもの転機がありました。そもそものはじまりは2013年の8月。独立から4年前のことです。

8月は例年、1週間程度の夏季休暇を取れるので、私か妻の実家に子ども連れで帰省していたんですが、たまたま業務スケジュールの都合で、2013年の8月は帰省ができませんでした。

結局、妻子だけで帰省。私だけが自宅に残ることに。突然、「ひとりだけの時間」ができたわけです。たしか10日程度だったと思います。

結婚されている方はわかると思いますが、家族をもつとなかなか自分だけの時間がなくなりますよね。それが、突然時間ができたものですから、「今のうちに何かやらなきゃ!」という気持ちになったんです。正直ちょっとワクワクしてしまって(笑)。

当時の状況を振り返ると、仕事や日常生活にはとりたてて不満やトラブルもなかったのですが、変わり映えしない毎日に、正直マンネリを感じていました。だからこそ急にできた一人の時間に、これまでやったことのないことをしたいと強く考えたんです。

何か面白いことはないかと、都内のイベントを調べます。探してみると色んなイベントが毎日のように開催されているんですね。何となく面白そうと感じたイベントに申し込みました。それが、2件のビジネスコンテストと、ビジネススクールの無料体験授業でした。

知らない世界に触れ、「公務員以外の世界」がはじめて見えた

最初に参加したのは、Startup Weekend Tokyo(以下「SWT」)というビジネスコンテスト。金曜の夜から日曜日までの約3日間でチームを組みビジネスプランを作って、プレゼンの内容を競うというものです。

金曜日の夜、仕事を終えた私は、少しドキドキしながら渋谷ヒカリエにある会場に行きました。そこには私と同世代か、もう少し若い方が大勢いて立ち話をしています。私もその輪の中に入ってみることに。「東京国税局の職員」と話すとやはり驚かれてしまい、「場違いだったかな……」と最初は思いました。

それまでの私は、異業種の方と知り合う機会はほとんどありませんでした。公務員には守秘義務があり外部の方とは仕事の話もできませんから、どうしても人間関係が職場のなかに収まりがちなんですよね。

SWTでは、最初こそ自分が浮いているような気がしていましたが、だんだんと場の雰囲気に慣れ、楽しめるようになってきました。知らない世界の仕事をされている方と話をするのは、非常に刺激的でしたから。

SWTでは、参加者がビジネスのアイデアについてピッチ(短いプレゼン)をして、アイデアに共感した人たちとチームを組むことになります。私は、「空き地を有効に活用するビジネスをしたい」という方のチームに入れてもらいました。

それからの3日間は、本当に楽しかった。はじめて行く街で不動産会社を巡って空き地についてリサーチしたり、歩いている人に話しかけてアンケートを取ったり。最終日のプレゼンでは2位という結果。その後の打ち上げでは盛り上がりました。すべての体験が刺激的だったんです。

そのときに感じていたのが、「知らない世界を体験することの楽しさ」でした。はじめての人と出会い、新しい体験をする――そんなことが自分の人生を豊かにしてくれると実感したんです。

そのときでした。私がはじめて「公務員以外の可能性」について考えはじめたのは。

ビジネススクールに入ったものの「起業じゃない」と気づいてしまう

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SWTの後、もうひとつビジネスコンテストに参加し、「起業」という働き方に興味をもった私は、「社会起業大学」というビジネススクールに通うことになります。試しに参加した無料体験授業から、「ここで学べば、SWTで感じたようなワクワクするような働き方が見つかるのではないか」と思ったからです。

起業なのか転職なのか現状維持なのか。その時点ではまったく方向性は見えていませんでした。当時の私は32歳。世間でよくいわれていた「35歳の壁」が迫っており、少し焦る気持ちもあったんだと思います。とにかく「何かきっかけを掴みたい」と、漠然と思っていました。

実際、社会起業大学では将来につながるきっかけを掴むことができました。ただしそれは、スクール入学当初には思いもよらない方向だったわけですが……。

社会起業大学では、具体的なビジネスの方法論について学ぶ前に、「本当にやりたいことは何か」ということを考えるカリキュラムがあります。過去の原体験を振り返ったり、周りの方々とディスカッションしたりして、自分の根本にある想いを探っていくんです。

そのとき私が思い至ったのが、文章を読んだり書くことが好きだった過去。私は子どもの頃からインドア派で、小説や漫画を読んだり、ゲームをしたり、ときには物語を考えたり。そんなことが好きでした。

自分のコアとなる過去を振り返ることはできた。だけどこれをどう仕事につなげるのか?「文章を書くこと」を仕事にする職業とは?そのとき私が思いついた唯一の職業は、「作家」でした。

それから混迷の時期に入ります……。というのも、「ビジネススクールに通いながら作家を目指す」という訳のわからない状態でしたから(笑)。ビジネスプランシートに無理やり作家になるための行動プランを落としてみたりもしましたが、どうしても作家として食べていくイメージが持てません。「創作」と「ビジネス」、「夢」と「現実」の折り合いをつけられなかったんです。

迷いのなか、ある本との出会いが状況を変えてくれました。

ライターの上阪徹氏による「職業、ブックライター。」というビジネス書です。社会起業大学に通う途中の書店で、見つけ、白地に黒文字だけというシンプルな表紙に目を引かれ、パラパラと立ち読みをしてから購入してみました。

読んでみると、インタビューなどの取材によって書籍をつくる「ブックライター」という仕事があるとのこと。私はもともとビジネス書も好んで読んでいましたから、そんな書籍を作る仕事があるんだと知り、はじめてライターという仕事に興味をもちました。

ライターなら、それまでうまくつなげることのできなかった、「文章を書く」ことと「生計を立てる」ことが両立できるかもしれない。しかも、SWTで感じたような、知らない世界に触れる喜びを得られるじゃないか、と。

右も左もわからない「ライター」の世界に片足の先っぽを踏み入れる

「職業、ブックライター」を読んでから、ふと、著者の上阪徹氏に感想を伝えたいという気持ちが湧いてきました。そこで試しにFacebookで名前を検索してみたところ、ご本人がヒット。すかさず本を読んだ感想お送りしたんです。今思えばずいぶん思い切ったことをしました(笑)。

すぐにご本人からお返事をいただき、「これから本気でブックライターを目指す人に向けて、『ブックライター塾』を開く予定」と教えていただきました。そこで、これも何かの縁だと思い、2014年4月から6月までを、ブックライター塾の1期生として受講することになりました。

塾の受講生は、すでにプロのライターをされている方もいて、公務員はやはり私だけ。ついていけるのかと不安もありましたが、なんとか休まずに通い、ライターとしての心構えや具体的な方法論を学ぶことができました。

毎回出される課題に取り組むうち、自分の強みも見えてきます。読者に響く面白い文章を書くには経験が不足していますが、「相手から必要な情報を引き出すこと」や「集めた情報を論理的に整理する」ことについては、税務職員として培ったスキルで戦えることに気がつきました。税金や投資など、マネージャンルを扱うライターにニーズがあることも感じました。

何よりも大きな影響があったのは、上阪氏のほか、受講生のライターの方と多く知り合うことができたことです。それまで「架空の存在」だったライターの方と人間関係を作ることができたんです。彼らからライター業の話を聞くことで、「ライターとして働く自分」を、よりリアルに想像できるようになりました。とはいえ、さすがに塾を卒業してすぐにライターになるほどの確信は持てませんでしたが。

ブックライター塾の卒業後間もなく仕事のうえでも変化がありました。人事異動です。

それまでの残業の多い部署を離れ、定時で帰ることのできる部署に変わりました。じっくり考える時間ができたんです。その部署には、2~3年はいる予定だったので、この部署にいる間に、ライターになるのか、公務員として残るのかを決めなければ、と思いました。

ここまで、さんざん迷いながら来たのですが、やはり、迷ったままでいるのは想像以上に苦しいもの。ライターであれ、公務員であれ、どちらかにはっきり決めてしまおう。そして一旦決めたら、選ばなかった道は振り返らずに突き進んでいきたい、そう思っていました。

おそらく、一般的にはこういう状況のとき、ひとまず副業でライターをしながら独立できるかどうかを探っていくのでしょう。しかし公務員の私には、それができませんでした。ルール上、副業が許されないからです。

そういった意味で、2015年から2016年の前半にかけては、動くに動けず、精神的には苦しい時期でした。友人にお酒を飲みながら話を聞いてもらったり、ときには元国税職員のご夫婦が開かれているカフェに相談に行ったり。そうして気持ちを紛らわしながらも、クヨクヨした気持ちで過ごしていました。

そんな私に、再び転機が訪れます。

退職1年前に、次々と仕事の依頼がくる

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2016年8月、Facebookで知人がイベント情報をシェアしているのを見つけました。「企業の魅力を伝えるストーリーテリングとライターの役割」というテーマで、登壇者の方が対談するというもの。興味があり参加することにしました。

対談では、企業PRにストーリーテリングを用いて共感を呼ぶ手法など、ライターの仕事の可能性を感じさせる話が聞けました。イベント後、登壇者の方にご挨拶をさせていただいたうえで、後日イベントの感想をブログにまとめてお知らせしたところ、「ライターとしてうちで一緒にやりませんか」とのお話をいただいたんです。

何も実績のない自分に依頼していただいたことが、とても嬉しかったですね。それから、副業にならないように注意しつつ、その会社の取材に同行させていただいたり、記事をトライアルで書いてみてフィードバックをいただいたり、ライターの仕事を体験する機会をいただきました。

そんな自分の活動や思いをFacebookで発信したところ、他にも「退職したら仕事をお願いしたい」という話を複数いただきました。いただいたご依頼や励ましの声から、自分に対する信頼や期待を感じ、「自分はライターとしてやっていこう」と決断します。

それから間も無くです。9月に入って退職の意思を上司に伝えました。その後しばらくは退職希望を撤回可能としてご配慮をいただいていたのですが、最終的に自分の意思を通しました。2017年7月の人事異動期を機に、13年3か月勤めた東京国税局を辞職。私は35歳になっていました。

迷いながらも行動を続けることの意味

ライターとして独立してからまだ日が浅いですが、当初想像していたよりも仕事は順調です。新たなお仕事の依頼を多くいただき、AIやVRのような最先端のビジネスから、美味しい紅茶の淹れ方、新築物件のお宅訪問レポートのような身近なものまで、幅広く取材し記事を書いています。

取材で感じた「面白い!」「ためになった!」という気持ちを文章に整理して、多くの人に届ける仕事に、なんともいえない充実感を感じています。もちろん、収入はまだ前職にはおよびませんが、いずれは超えられる自信もあります。

さまざまなお仕事をさせていただき、いずれは書籍を手がけたり、自分の著書を出すようなライターになりたいと思い描いています。

こうして独立するまでの4年間を振り返ると、私が決してライターという仕事に向かって一直線に進んできたわけではないと分かると思います。むしろ、気持ちが定まらずクヨクヨと迷いながら、流されるようにしてここまで来たというのが実感です。でも、すべてのプロセスに意味があったと思っています。

過去の私のように、現状に漠然とした違和感があるという方は少なくないのかもしれませんが、確固たる目標を定め、突き進める方ばかりではありません。そんなとき、私は自分の経験から、小さな行動をしてみることをお勧めします。

ひとつの小さな行動は、必ずその先の何かにつながっていきます。この繰り返しのなかで、気づくこともあるでしょう。その気持ちにしたがって、少しずつ方向性を定めていけばいいのです。

そんな行動の先に、今は思いもよらないような風景が開けているのだと思います。

文:小林義崇

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