ライバルたちが手を取り合い「収益拡大」と「後継者育成」を実現 震災で壊滅した七ヶ浜の海苔養殖業が、協業化によって復活を果たす
宮城県漁業協同組合 七ヶ浜支所ライバルたちが手を取り合い「収益拡大」と「後継者育成」を実現 震災で壊滅した七ヶ浜の海苔養殖業が、協業化によって復活を果たす
宮城県漁業協同組合 七ヶ浜支所日本三景の一つである松島の南に位置し、伝統的に海苔養殖業が盛んな七ヶ浜町(宮城県宮城郡)。東日本大震災から10年を迎える2021年現在、七ヶ浜の海苔は「親潮一番」としてブランド化され、皇室に献上される海苔としても高い知名度を誇り、全国からの注文を受け付けている。この活況を生み出す原動力となっているのは、七ヶ浜の海苔養殖を受け継ぐ漁師たちによる「協業」だ。しかしこの協力体制の実現は、地域が壊滅的な被害を受けた震災直後はもちろんのこと、震災前の段階でも予想し得ないものだったという。
「漁業者は一人ひとりが事業主であり、それぞれ自分なりのやり方を通してきたんですよ。食品加工の考え方一つで、海苔の仕上がりは良くも悪くも変わってきます。10人いれば10通り、『俺には俺の作り方がある』というこだわりのぶつかり合い。まさにライバル同士だったわけです」
自身も海苔漁師であり、震災後に宮城県漁業協同組合・七ヶ浜支所の運営委員長として協業化を推進した寺沢 春彦さん(現・同漁業組合 代表理事組合長)はそう話す。
七ヶ浜はその名の通り、地域にある七つの浜を総称した地名だ。戦後間もない頃から七つの小さな漁協があり、合併して県漁業組合の支所の一つとなったが、昔と変わらず地元意識は非常に強い。それぞれの海苔漁師は家族経営で秘伝の技術を受け継ぎ、限られた予算の中で自前の加工設備を持ち、操業を続けてきた。一方では高齢化が進み後継者確保が長年の課題でもあった。
そんな七ヶ浜に、地震と津波が襲いかかった。
「多くの海苔漁師は自宅も加工設備も流され、壊滅状態となってしまいました。個人レベルでの自力復旧はとても考えられない状況でした」(寺沢さん)
震災前の段階から、七ヶ浜支所は「海苔漁師のグループ化」を呼びかけていた。個人事業では設備投資にも後継者育成にも限界があるのは明白だったからだ。しかし海苔漁師たちはなかなか首を縦に振らなかった。七ヶ浜支所で課長を務める鈴木 洋さんは「それぞれに家業の歴史と誇りがあり、グループで協業するメリットに目を向けてもらうのは難しかった」と当時を振り返る。
しかし震災によって大きく事情が変わった。加工施設を一から再建するには、個人単位でも1億円をくだらない予算が必要となる。「食べていくため、生きていくためには協業するしかないな」。そんな本音を鈴木さんに吐露する海苔漁師が日増しに増えていったという。
とはいえ、長年にわたりそれぞれのやり方を貫いてきた海苔漁師同士が協業するのは簡単ではなかった。
「海苔の生産では、加工施設における湿度管理が重要です。そのために窓を開けて空気を入れ替えるのですが、窓の開け閉めの頻度一つとっても考え方はまるで違うんです。『俺は閉める』『いや、俺は開ける』と。グループ化したとはいえ、会社になるわけではなく社長もいません。衝突が起きることもしばしばありました」(鈴木さん)
一口に海苔養殖といっても、その過程は単純ではない。毎年8月ごろになると海に設置した海苔網に種付けを行い、秋の終わりまで育てる。11月に収穫期を迎えた後は、陸上にある加工施設の乾燥棟でじっくりと乾燥させる。細かく裁断し、消費者に馴染み深い「板海苔」の形で商品化されるのは翌年の3月だ。
七ヶ浜では、こうした過程を分担することで協業化を実現した。自宅の近い海苔漁師同士でグループを作り、各グループの中でそれぞれの得意領域と不得意領域を共有。グループ内で最も経験の長い人、熟練した人が工場の製品化を担い、他の過程は一人ひとりの得意領域を生かして「海苔を育てる人」「海苔を洗浄する人」「工場で機械を動かす人」といった形で担当を決めた。
「例えば窓の開け締めについては、現在は機械オペレーターを務める人に任せています。協業化したからこそ、こだわりとこだわりのぶつかりを避けられたのだと思います」(鈴木さん)
結果は少しずつ表れていく。かつては分散していたノウハウが共有されたことで品質が向上し、七ヶ浜の海苔は震災前よりも高単価で取り引きされ、「親潮一番」などのブランド化につながっていった。それぞれの海苔漁師の手元に残る現金が増え、一人ひとりが徐々に「復興」を感じられるようになっていった。
現在の七ヶ浜には、かつては見られなかった光景がもう一つある。次世代を担う若手の存在だ。海苔漁師見習いとして働く25歳の小池 勇輝さんもその一人。山形県に生まれ育ち、海苔養殖業に出会うまで七ヶ浜とは縁がなかったというが、「今では海の仕事の魅力をさらに若い人へも伝えていきたいと思うようになった」と話す。
宮城県内の大学に進学した小池さんは卒業後も山形に帰ることなく、半年ほどはさまざまなアルバイトをしながら暮らしていた。短期のアルバイトで「漁師の仕事」があることを知ったのはそのころだった。
「最初は『短期だから』と軽い気持ちでやってみたんです。ところが実際に海に出ると解放的な気持ちになり、案外自分に向いているのかもしれないと感じました。『周りの同級生のようにスーツを着て働きたくはない』という、ちょっとひねくれた思いもありました」(小池さん)
海の仕事に興味を持った小池さんは、2018年に参加した就職フェアで宮城県漁業協同組合と出会う。七ヶ浜で操業する海苔漁師を紹介してもらい、現在の親方のもとで働くことを選んだ。
秋から春先にかけての海苔養殖の繁忙期には、朝の4時から網の仕事をして、午後は加工施設の乾燥棟で働く。閑散期には素潜り漁でアワビを獲る。
「実際にやってみると、思っていた以上に自分の時間を確保できることが分かりました。繁忙期は忙しくて寒くて大変ですが、それ以外の時期は落ち着いていて、まとまった休みを取ることもできるんですよ」(小池さん)
海苔漁師を自分の道として見定め、七ヶ浜に移住した小池さんには大きな転機も訪れた。この地で結婚し、子どもを儲けたのだ。
「今では七ヶ浜が第二の故郷であり、地元だと思っています。僕を引っ張り上げてくれた親方を目指して成長したいですね。僕のように外部からやってきて独立している人の先例もあります。いずれは僕自身も一人の親方として、七ヶ浜の海苔養殖を盛り上げていきたいと考えています」(小池さん)
現在までの変化を振り返って、協業化を推進した寺沢さんは「生産者としては良いことずくめだった。結果的には七ヶ浜の海苔漁師みんなが納得しているのではないか」と手応えを語る。
かつては個人所有だった設備も今では一緒に使う。経費が抑えられ、手元に残るお金は増えた。協業することによって一人あたりの生産量は落ちているが、品質向上によって単価が高まり、海苔漁師の収入はおしなべて増加した。
協業化がもたらしたのは業績面の効果だけではない。作業を分担することで、決して楽だとは言えない海苔養殖の仕事でも一人あたりの負担は軽減された。かつては65歳にもなれば引退するのが海苔漁師の常識だったが、現在では「70歳を過ぎても続けられそう」と考える人が増えている。
そして、小池さんのように若い人材が外部から流入するようにもなった。
「若い人が来てくれるのは本当にうれしいですね。七ヶ浜に限らず、三陸の漁場は震災以降、人口減少がさらに進んでいますから。七ヶ浜は海苔養殖だけでも100年近い歴史があり、私も親からたくさん教わって受け継いできました。しかし後継者がいなければ、その伝統を引き継ぐことはできません。国や自治体は財政面での補助をしてくれていますが、人がいなければ漁業は継続できないんです」(寺沢さん)
他の土地から漁業に参入して、この地に根付いてくれる人が増えれば、七ヶ浜町そのものが活性化していくはず。やる気のある人にはどんどん来てほしい――。寺沢さんはそう期待を寄せる。
「昔の海苔漁師は『七ヶ浜は俺たちの浜だ。よそ者は来るな』という意識を持っていました。でも今は、そんなことはまったく考えていないんですよ。七ヶ浜にはまだまだチャンスがあります。ゼロから海苔養殖業を立ち上げるには網を買ったり船を買ったりと大きな投資が必要ですが、協業を前提とした七ヶ浜には基盤が整っている。体一つでやってきても迎え入れられる環境なので、興味があればぜひ七ヶ浜へ足を運んでほしいと思っています」(寺沢さん)
収益拡大と後継者育成。同様の課題を抱えるのは漁業だけではないはずだ。震災を契機に七ヶ浜が成し遂げた変化は、日本中の一次産業事業者が参考にすべき好事例と言えるのではないだろうか。
(WRITING:多田慎介)
※ 本ページの情報は全て表彰式当時の情報となります。
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