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技術を学んだエンジニアたちがピアノをつくる ピアノ、バイオリン、フルート、ホルン……音楽シーンでは、さまざまなアコースティック楽器が使われている。これらはシンセサイザーのような電子楽器と異なり、楽器に精通した職人が仕様を決定、製作を手がける……というのが一般的なイメージで、工業技術とは縁遠い世界に見えるが、実際はさにあらず。現代においては、さまざまな分野のテクノロジーが楽器開発や製造を支えている。 100年以上の歴史をもつ総合楽器メーカー、ヤマハは全長2.7mのフルコンサートグランドピアノ「CFVS」などの高品位なピアノ開発で知られる、世界有数のピアノビルダーでもある。そのピアノ開発を支えているのは、楽器づくりを通じて長年培った経験から生み出されたテクノロジーだ。 「ピアノの開発には、さまざまな技術が関係しています。ピアノのボディや響板などをつくるための木については、木材物理学、木材加工学、木材力学などが関連してきます。ピアノ線を張る金属鋳造フレームをつくるためには鋳造工学を知らなければなりませんし、接着剤や塗料、ピアノづくりの新材料研究では高分子化学などの化学分野の研究が欠かせません。また、楽器ですから当然振動工学や音響工学は関係しますし、場合によっては音響心理学まで考察する場合もあります。ヤマハのピアノ開発陣は、それらの技術のエキスパートで構成されたエンジニア集団なのです」 主力グランドピアノ「Cシリーズ」をはじめ、多くのグランドピアノ、アップライトピアノの開発にかかわってきたピアノ事業部商品開発部マネージャーの松木温氏は語る。ヤマハピアノの品質の高さは世界で定評があるが、そのピアノの開発部門に配属されるのは、もともとピアノ技術とは関係ない、大学や高専などでごく普通の工学を学んできた人材がほとんどであるという。 |
ピアノに関するすべてのことはヤマハで覚えた 「ピアノ開発・製造の技術というのは極めて特殊な世界でして、一般的な機械工学などとは相当に異なっています。学校で楽器づくりを学んできましたという人などいない。ゆえに、研究開発に関する一般的なプロセスを知っている人材を入れて、ピアノ設計に関するすべてのことは入ってから学ぶという形になります」 松木氏自身、大学で専攻していたのは振動工学。音=振動であるため楽器に関係がないわけではないが、ピアノの機構やつくり方についてはほとんど知らないままヤマハに入社。スキルはすべてその後に身につけたという。 「極端に言えば、モノづくりの素養がある人であれば誰でも飛び込めるのがピアノ開発の世界。音楽が好きであるならなおいい」 もっとも、実際によいピアノをつくるのは簡単ではない。ピアノの評価基準としてもっとも重要なのは「音のよし悪し」である。が、ピアノの音がよいか悪いかということには明確な基準があるわけではない。演奏者によって音の好みは千差万別であり、またどのような曲を弾くかということでも、よい音の定義は刻々変化する。 また、こうした多様なニーズに1台のピアノで応えるのは事実上不可能で、細部の音色のチューニングは調律技術者の手にゆだねられることになる。 「では、ピアノエンジニアはベースとなるヤマハサウンドをどう定義しているかということですが、実は明確に『コレだ』というものはないんです。個々のモデルの開発過程で、このピアノをどのようにつくればより素晴らしいと思える音になるのかということを皆で徹底的に考え、その積み重ねの結果出来上がる音が、しいて言えばヤマハサウンドになると思っています」 多彩なテクノロジーが支えるピアノ開発 ヤマハの開発部門では多様なテクノロジーを駆使して、こうした音の改良を行っている。別掲の「響板の変形・応力分布解析」画面の写真はその一例。ピアノの底の部分には、バイオリンの函体のようにピアノ線の振動を大きく増幅するための板が付いている。ピアノ線は一本一本が強烈なテンションで張られており、その力を合計するとグランドピアノ1台あたりでおよそ20tにもなる。その一部を薄い柾目板を継いでつくられた響板が支えているのだ。 多大なストレスがかかる響板にどのような力がかかり、どのように変形するかは、かつては職人の勘と経験で察知していたが、現在ではこのように細かく力学的に解析することで、より的確な設計が可能となった。ほか、ピアノを鳴らすと、ピアノのどこからどのような振動が発生して、全体の音をつくっているのかということを分析する技術など、多様な解析技術やCAEもピアノづくりには欠かせない存在となっている。近い将来、東海地方でも最速クラスのコンピュータを導入し、こうした設計支援技術にさらに磨きをかけるという。 ピアノづくりで特殊なのは、これらテクノロジーの使われ方だ。例えば、自動車では省燃費、静粛性、電子レンジでは出力や高機能……と、普通の機械工業における製品開発では目標性能が明確に設定されているのが普通。そういう世界では、理にかなったテクノロジーの積み上げによっていいモノづくりに近づくことができる。 「それに対してピアノづくりの世界では、工学を突き詰めていってもそれだけでいいモノをつくることはできません。私たちにとって工学とは、一流のピアノがなぜ素晴らしいのかということについての理由を探ったり、よいといわれる天然素材の特性を徹底的に追求したりといったことを知るためのもの。楽器の世界では工学は本当の意味での手段なのです」 |
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今後はプレミアムピアノに本格的に挑戦 |
ヤマハは今、ピアノづくりに関するスタンスを見つめ直し、ヤマハならではのアイデンティティをつくり上げることに力を入れているという。廉価なピアノづくりでは中国のパールリバー社をはじめとする新興国の勢力が台頭してきており、もはやローエンドモデル市場での薄利多売に未来はない。 「私たちは世界一の練習用ピアノメーカーでいようとは毛頭思っていません。世界で本当に愛されるピアノメーカーになりたいのです。プレミアムピアノの分野では、欧米の老舗ピアノビルダーに対して、われわれは常にチャレンジャーのつもりで、いっそうのレベルアップを果たしていきたいと思っています」 2年前、松木氏は高級アップライトピアノ「SU7」の開発に携わった。このピアノはこれまでヤマハが長年踏襲してきたという響板の作り方を見直し、音の響き、広がりをよりよくするため、これまでとは異なる手法を採用している。今後、他のモデルについてもこうした新しい試みを積極的に行っていくという。 ピアノ線が張られ、木と金属でできたピアノのスタイルは、時代を経ても大きな変化はないように見える。が、その中身は着実に進化を遂げており、今後もさまざまな試みがなされていくであろう。その進化の実現には、テクノロジーが大きく貢献しているのである。 アートを支援するエンジニアという生き方は、「大変ですが、とてもやりがいがあります。この世界に入ってよかった。音楽が好きな人にとっては、やってみる価値が大いにある仕事だと思いますよ」。 |
アコースティック楽器の市場はピークであった1980年頃から大きく縮小したが、近年は中国市場でピアノの需要が「つくれば売れる」と言われるほど急伸するなど、世界的に復調傾向を示し始めている。アコースティック楽器といえば、ピアノをはじめギター、フルートやトランペットなどの管楽器、バイオリンなどの弦楽器、ドラムスなどの打楽器などと品目も多種多様。それぞれの分野でエンジニアニーズが存在している。求人数は多くはないが、リクナビNEXTでは「楽器」、あるいは自分が手がけてみたい楽器の名称をキーワードに検索をかけると、求人情報をゲットすることができる。 また、楽器メーカーはエンジニアを自社のサイトで直接公募しているケースが多く、企業サイトを見てみるのも転職先を探すうえでは有効な手段だ。 転職のさいに求められるのはスキルよりもセンス。事例研究のヤマハピアノがそうであったように、アコースティック楽器は一般的な機械工学や音響学などとは相当異なるテクノロジーをベースにつくられているケースが多い。ゆえに、前職が何であれ、そのスキルがそのまま通用するということはあまりなく、むしろシミュレーション→設計→試作→検証……といったモノづくりのプロセスの中での、センスが重視される傾向にある。 もちろん楽器開発と親和性の高いスキルは存在する。アコースティック楽器の多くは木材や金属を使用してつくられるため、木材材料、金属材料全般の知識は役に立つ。特に近年は楽器に使える良質木が世界的に枯渇気味であることから、家具会社や建材メーカーなどで低質材の有効活用法や、代替材料の探索などに役立つ木質材料学の知識があると、転職には有利だろう。 また、音を扱う仕事であることから、オーディオメーカーなどで音響工学に関するノウハウを蓄えた人なども転職のハードルは比較的低いものと思われる。 なお、最近は自動演奏ピアノやサイレントピアノ(鍵盤にセンサーを仕込み、夜などには電子ピアノとしてヘッドホンを使用して練習できるピアノ)、サイレントバイオリンなど、アコースティックと電子のハイブリッド楽器も登場している。このジャンルでは回路設計技術者、センサー技術者、ソフトウェアのプログラマなどにも転職の門戸が開かれている。 何より大切なのはアコースティック楽器が好きだというモチベーション、というより情熱だ。世界的なアーティストを技術で支えるエンジニアは、めったにいない。 |
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