平安京エイリアン(※5)
1980年に電気音響株式会社が発売した、平安京に侵入したエイリアンを、穴を掘って落として埋めて殲滅するというゲーム。1979年に東京大学の理論科学グループが開発して話題となった。BASICで作られており、ゲームボーイやSFCなどにも移植されている。
パックマン(※6)
1980年にナムコが発売した黄色い丸形のパックマンがモンスターを避けながら、迷路にあるエサを食べつくすゲーム。北米をはじめ世界中でリリースされ、世界的に知られている日本産ゲームのひとつ。2005年には「最も成功した業務用ゲーム機」として『ギネス・ワールド・レコーズ』の認定を受けた。
インベーダー(※7)
1978年にタイトーが「スペースインベーダー」を発売し、攻撃を仕掛けてくる敵キャラクターを移動砲台である自機で撃つというこれらのシューティングゲームは、総じてインベーダーゲームと呼ばれた。ゲームセンターや喫茶店などにあったが、当時は「ゲームセンターは不良のたまり場」という考えがあったので、子供はなかなか行けなかった。
X1(※8)
1982年にシャープが発売したパソコンのシリーズ。「いま、コンピュータと映像のクロスオーバー! 世界初パソコンテレビ」と銘打ち、AV機能に優れ、デザインもスタイリッシュで、初代機からローズレッド、スノーホワイト、メタリックシルバーという華やかな色がそろっていた。1984年X1turboシリーズが、1986年にはX1turboZシリーズが発売されている。
グラディウス(※9)
1985年にコナミから発売された横スクロールシューティングゲーム。超時空戦闘機ビックバイパーを操り、バクテリアン軍団と戦う。全7ステージの無限ループ。グラフィックが美しく、東野美紀氏による音楽も評価が高く、その人気の高さゆえに、多数の続編、移植版がリリースされた。
I/O(※10)
1976年より工学社が発行しているコンピュータ雑誌。日本初のマイコン雑誌で、アスキーの創業者・西和彦氏も創刊にかかわっている。現在も自作派のためのパソコン情報誌として発刊されている。
ロードランナー(※11)
1983年にブローダーバンド社が発売、ハドソンがファミリーコンピュータ用に移植したアクションパズルゲーム。主人公は穴を掘るためのレーザーガンを駆使し、ステージ内にある金塊を敵に捕まらずに回収し、脱出する。
音楽のコーナー(※12)
1986年から『ベーマガ』はメーカーの許可を得て、ゲーム音楽をパソコンで鳴らすプログラムや楽譜が掲載されるようになった。1986年4月号のザ・ビデオゲーム・ミュージック・コレクション「スペースハリアー」が初回。投稿プログラムにもゲーム音楽が載るようになり、短期集中講座で「ミュージック・プログラム・マスター大作戦」といったものも連載された。
YMO(※13)
イエロー・マジック・オーケストラ。1978年結成。キーボードの坂本龍一、ベースの細野晴臣、ドラム・ボーカルの高橋幸宏で1983年に散開した。一般的に「テクノ」のジャンルに分類されるが、シンセサイザーを使い、自動演奏を使うという彼らの新しい音楽はDTMをする人たちに大きな影響を与えた。
88(※14)
1981年にNECが発売したPC-8801のこと。 PC-8001の上位機種で、富士通のFM-7、シャープのX1と並び、8bit御三家と言われていた。1982年に16bitパソコンであるPC-9800シリーズが発売されると、ホビーマシンとして使われるようになり、1985年に発売されたPC-8801mkIISRでその地位を確立させた。
マシン語講座(※15)
1986年に「短期集中連載:これでマシン語がわかる」があり、その後、1987年3月号から11月号まで「ファミコン・マシン語教室」という連載があった。第一回「2進数、16進数とは?」から始まり、最終回「スクロール・プログラムで学ぶ応用編」までファミコン・ユーザ向けに企画された。
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