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懐かしの“アレ”がエンジニアの原点だ! Vol.11 精密な完成度を誇った タミヤ『ラジコン』の魅力
自動車、航空機、戦車、船舶などさまざまなラジコンがある。その操縦・改造に燃えたエンジニアも少なくないはずだ。中でも有名メーカーであるタミヤRCへの思いに迫ってみたい。
(取材・文/金沢桃子 総研スタッフ/山田モーキン) 作成日:06.02.01
座談会テーマ:タミヤのラジコンがエンジニアにどのような影響を与えたか?
 ラジコンに夢中になったことのある3人のエンジニアに集まってもらい、座談会を開いた。
今回も30〜40代の幅広い世代から、それぞれの、ラジコンに対する熱い思いを語ってもらった。
タミヤとは?
1953年に建築資材の販売から模型専業メーカーとなったタミヤ。プラスチックモデル販売としては後発の会社であったが、パンサー戦車(※1)で初ヒット。プラモデルにモーターを搭載し、よく走る、組み立てやすい、説明文が丁寧と好評を得る。金型にも力を入れ、初心者にも作りやすく、完成度の高い製品でトップメーカーに躍り出た。
タミヤの星のマークは有名。
ラジコンに熱中したエンジニア3人のプロフィール
矢田さん 荒川さん 大塚さん
矢田さん(仮名・39歳)
ITコンサルタント
荒川さん(仮名・44歳)
セキュリティ機器の
セールスエンジニア
大塚さん(仮名・32歳)
サービスマニュアルの作成
まずはラジコンとの出合いについて教えてください。
大塚:
小学校の5、6年生のころです。小さいころから車が好きで、ミニカーで遊んでいました。そもそも動くものが好きだったのですが、ラジコンは自分で組み立てて操作できるのがたまらなかったですね。
荒川:
ラジコンより前にUコン(※2)をしていました。それが小学校2、3年生くらいだったかな。エンジンものへの憧れがありまして、会社員になって同僚を誘って、社内にクラブを作って、周波数を割り当てて、ラジコンを始めました。ラジコンってひとりでやってもつまらないので、クラブを作る前は買ってなかったですね。
矢田:
父がプラモデルとか好きだったんですよ。家族総出で戦艦大和を塗らされたりしました(笑)。父がピーナッツバギー(※3)を買ってきたのが、最初ですね。小5のときにタミヤがモーターでラジコンを出し始めたんですよ。車を出して、その後戦車を出した。自分で最初に買ったのはランボルギーニのチーター(※4)です。サスペンションが細かくできていましたね。
いちばん記憶に残っているラジコンは何ですか?
荒川:
最初に買ったラジコンは京商(※5)スティンガー(※6)でしたが、クラブを作ったときに買ったEZシリーズ(※7)が印象的です。EZシリーズの飛行機は骨組みから作るのではなく、胴体と羽が既に付いているんですよ。飛行機が、自分の操作するものが空に上がる楽しさは格別でした。地上を走る車はリモコンを離しても止まるだけですが、飛行機はリモコンを離したら空中で止まって落ちちゃう。地上に降りるまで緊張感が抜けないものでした。
ただ、記憶に残っている理由が、草むらに落として見つけられなかったからなんですよね(苦笑)。みんなで日没まで探したのですが、結局見つかりませんでした。
大塚:
最初に買ってもらったタミヤのグラスホッパー(※8)ですね。改造後、ポリカーボネート(※9)ホーネット(※10)になってしまいましたが。部屋で動かしてみたのですが、速くて、壁にぶつかるわ、親に怒られるわで(笑)。でも、自分で操作できる楽しみをとことん味わうことができましたね。
矢田:
うちも団地だったので、エンジンがうるさいからダムとか山のほうで走らせました。印象に残っているのはタミヤの1/12セリカ(※11)。小学校のころ、スーパーカーブームだったんですよ。車体がポリカーボネート……真空パックみたいなやつになってしまう前のですね。細かいディテールがよかった。
タミヤのラジコンの印象は覚えていますか?
大塚:
「ラジコンといったらタミヤ」でしたよね。当時はタミヤのラジコンのテレビ番組とかもあったし。タミヤしかないなって感じでしたね。カタログとかを見ても自分の好みの形とか性能はタミヤで。タイヤとかモーターとかチューニングのカスタマイズの商品の数も多かった。
矢田:
精度がぜんぜん違うんですよ。ほかと比較しても、タミヤはずば抜けて細かく作っていてグレードがすごいなと。作り込んであるという印象がありますね。ディテールが細かく、こだわりがある。プラモデルのポルシェを作るのに、本物のポルシェを買ってバラしたと聞いたことがあります。本当にそれがわかるくらい、一つひとつのパーツが細かいし、完成度が高かったです。
荒川:
タミヤが参入する前のラジコンは、店のオヤジに必要な部品を見繕ってもらわないと、できなかったんですよ。でも、タミヤはそれを全部パッケージにして売り出した。それで作れば、ちゃんと動くというものを。それまでは自分で組み合わせてやって、結局動かない、何かが足りないということが多くて、ラジコンは知識のない人はできないものだった。でもタミヤはそれを見ていて、セットで売り出すようにした。ラジコンメーカーとしては後発だけど、業界の常識を覆すモーター(※12)を付けたり、初心者に優しい説明書にしたり、価格も抑えめで、それに、バリエーションが多かった。
カスタマイズのきっかけは?
大塚:
普通なものにちょっと飽きたっていうのがありますね(笑)。あと雑誌とか、友達との会話で速くなる知識を入れて、自分で考えて交換をしてみて、「おー、速くなった」とかやってました。オフロードを走らせていたので、ノーマルタイヤだとグリップしないんで、スパイクタイヤに替えて。タイヤを替えるだけで操作感が違いますね。後はモーターとか。ちょっとした調整不良でちゃんと走らなかったりということがあるんで、それがまた面白い。改造だけじゃダメで、トータル的なバランスが必要でした。
矢田:
タイヤがいろんな種類があって、タミヤもこだわっていて、ダンロップのタイヤ(※13)をそのまま作ってたりとか。走るためにはスポンジタイヤとか、そういう実際の車では使わないような材質のが出てきたり。軽量化の話ですと、当時、シャーシがジュラルミンの板(※14)だったんですよね。電気ドリルで穴開けて。バンパーも同じように穴開けて。軽量化は重要視していました。気持ち速くなったかなーってだけなんですけど、ここまで軽くしたんだぞ、すごいだろうというのがありましたね。
荒川:
バッテリーとかモーターにこだわってました。バッテリーの一つひとつの充電と放電の特性を測って、その特性がそろってるバッテリーにしたほうがパワーが出るし。それこそ、7.2ボルト(※15)っていう、マグロのお刺し身くらいの大きさのがあるんですが、好きな人はそれをばらして、中は充電池なんですけど、一個一個確認して、いちばん特性のそろった、パワーの出そうな組み合わせに組みなおすんですよ。
大塚:
(カスタマイズの理由は)友達と走らせるんで、自分の腕もあるんですけど、一番速く走らせたいというのがありますよね。あとは見た目のかっこよさ。自分の個性が出るような。パーツを変えると、実際、ボディーなんかが軽くなりますから、速くなるというのもあります。材質とか形状とかでいろいろ変わりますね。
荒川:
ただ、速くするのだけが目的じゃないんです。作業をやってるのが楽しいんですよ。結果としてどうだったかっていうのは二の次で。仲間とやるのが楽しいんで、あんまりガンガン自分ひとりでいじって、ってのでもないですね。
タミヤを中心とした、ラジコンに熱中した経験が今の仕事にどのように影響していますか?
大塚:
実際に分解して見てみるというのはラジコンの影響ですね。前はメカニックをしていたんですよ。仮に壊れても何で壊れたのかを追究したりとか。また、自分でいじる楽しみをラジコンで覚えましたね。
矢田:
ラジコンがきっかけで、無線とか電気系に興味をもって、電気科にいきました。今、ITの仕事をしてるのは、そこでコンピュータに接したからですね。一番最初にエンジニア志向になったきっかけがラジコンですね。電気のほうにいったのもラジコンが理由です。そうじゃなかったら機械のほうにいってたと思いますね。また、分析することの楽しさも知りましたね。
荒川:
カスタマイズでいろいろと学びました。カスタマイズするための部品を買ってきて、作るっていうのがあるんですが、その手前の段階に、買ってきたものを組み立てて、でき上がって、それですぐ動かそうと思うと案外動かない。これ以上したら壊れちゃうとか動かないとか、限界を知っているのが重要な要素。感覚的に手がそういうのを覚えている。また、ラジコンのおかげで会社になじめた、人間関係ができたというのがありますね。電波法などの知識もつきました。
あなたにとって「ラジコン」とは?
大塚:
手に職をつけるための経験ですね。ラジコンのおかげで器用になりました。今まで仕事をしてきたメカニック製品の組み立て、分解が得意になったのは、本当にラジコンがきっかけです。
荒川:
模型の頂点。ものを作るときの強度や、接着剤の選び方といった基礎が、感覚的に身についたのがラジコンです。そしてそれが今の業務にも役立っていると思います。
矢田:
生業を決めたきっかけですね。ものを作るということの楽しさ、分析をするということの楽しさを教えてくれた。ラジコンがなければエンジニアにはなってなかったと思います。
パンサー戦車(※1)
1942年にソビエトのT-34戦車に対抗できる戦車として開発されたドイツ軍の戦車で、第二次大戦中最も優秀な中型戦車。
人気イラストレーター小松崎茂氏に箱絵を描いてもらい、説明図と文を田宮俊作社長本人が手がけ、タミヤが社運をかけて出した。競技会で抜群の速さを誇り、人気を博した。
タミヤ初の大ヒットであり、プラモデルメーカータミヤ誕生の立役者である。

Uコン(※2)
エンジン付き模型飛行機。エンジンを手で始動し、2本のワイヤーを使って直接操縦する。ラジコンの前身であり、高嶺の花といわれたラジコンに比べ、Uコンのほうが安かった。自分の周りをぐるぐる回すだけでなく、背面飛行や宙返りなどの曲芸飛行もできる。大きなエンジン音がするため、とても迫力があった。

ピーナッツバギー(※3)
1976年6月に発売された京商のバギーカー。電動ではなく、小型のエンジンが付いた本格的なバギーカーで、エンジン音に迫力があり、エンジン臭も強かった。

ランボルギーニのチーター(※4)
スーパーカーを製作したイタリアの自動車メーカーで、当時、カウンタックなど近未来的なデザインで、日本に「スーパーカーブーム」を起こした。ランボルギーニのラジコンは多数出ていたが、タミヤからチーターの1/12モデルのものが発売されていた。現在、復刻されていないため、オークションなどで高値となっている。

京商(※5)
1963年に設立された東京に本社を置く模型メーカー。1970年よりラジコンカーの販売を始め、世界でKYOSHO WORLD CUPを開催している。イベントを立ち上げ、それに合わせた物を販売するというビジネスモデルをする会社。2006年6月には人型ロボットキットも発売する予定。

スティンガー(※6)
地対空ミサイルの名前であるが、ここでは、京商が発売していたベルト駆動タイプのフルタイム四駆のこと。同名のアレックスレーシングデザインのシャフトドライブツーリングカーも有名。

EZシリーズ(※7)
OK模型が発売している準完成飛行機のシリーズ。EZ工法と呼ばれていて、飛行機の翼も胴体もすでに完成した状態で売られており、少し組み立てるだけで飛行機が完成する。割高だが、簡単に作れて、ゆがみが少なく、製作日数がかからず、すぐに飛ばせるという利点がある。

グラスホッパー(※8)
1984年5月にタミヤが発売した革新的なラジコンカー。当時1万円以上したものを7400円という低価格で売り、軽量かつシンプルで、ねじれやずれに対する高い弾性をもつABS樹脂製バスタブシャーシが用いられ、マブチ製の「RS380」モーターが後部に搭載された。他社のものに比べて小型だったが、総重量が軽いため、走行性も悪くなく、モーターの交換も可能だった。

ポリカーボネート(※9)
合成樹脂の一種。軽く、耐衝撃性・耐熱性・不燃性・通電性が優れており、透明度も高く、ほかの合成樹脂より優れているため、ラジコンカーのボディー以外にも、医療機器や家電製品、ほ乳瓶や食器などさまざまなものに使われている。

ホーネット(※10)
1984年10月に発売され、2WDオフロードカーブームを生み出したグラスホッパーの上級モデル。リアサスペンションが変わり、オイルダンパー装着となり、ロール方向の動きも可能になった。ボディー材質がポリカーボネート製になり、540モーターが搭載された。1万円以下という安さだけでなく、軽さとギア比があいまってほかとは比べものにならない速さを誇り、タミヤのロングセラーモデルとなった。現在も復刻版が発売されている。

1/12セリカ(※11)
タミヤが発売していたトヨタのセリカ。1/12以外にもいろいろな大きさや種類がある。セリカLBターボGr.5などが有名。

業界の常識を覆すモーター(※12)
乾電池で動くモーターである。それまで、乾電池で動かす模型といえば、飛行機か船の模型で、RCカーはエンジン動力だったため、エンジン臭と、大きなエンジン音があり、街中で走らせることが困難だったが、このモーターの導入により、一変した。
1982年にタミヤがミニ四駆を発売して世界的な大ヒットとなったが、それよりはるか以前、プラモデルにモーターが搭載されたときからマブチモーターが、「乾電池で動くモーター」という動力源を供給していた。

ダンロップのタイヤ(※13)
イギリスのタイヤメーカー。モータースポーツ用のタイヤを開発しており、ル・マン24時間耐久レースなど有名レースに出場する車のタイヤなどに使われている。

シャーシがジュラルミンの板(※14)
シャーシとは、自動車の車台・ボディー・エンジンなどを取り付ける土台となる部分。タミヤの場合は、一般的なツーリングカー用、コンパクトなMシャーシ、メカニカルな構成のF1などがあり、昔の素材はジュラルミン製だった。

7.2ボルト(※15)
RCカーに使用される最も一般的な大きさのバッテリー。

白熱!タミヤ「ラジコン」座談会を終えて
従来の概念を覆す、タミヤ「ラジコン」のディテールの精密さや完成度の高さに魅了され、そこから改造・分解の楽しさを十分に堪能してきた今回のエンジニアたち。
そしてメカニック的な面白さ・やりがいを求め続けた結果として、今のエンジニアとしての仕事や生き方に大きく影響していることが今回も証明された。
そんなタミヤ「ラジコン」もまた、エンジニアにとってひとつの原点と呼べる。
コラム:RC開発一筋のエンジニアが語る、タミヤ「ラジコン」のこだわり
今回、タミヤに入社以来、ラジコンの設計開発に情熱を注いできたエンジニアの方に、開発の舞台裏から、タミヤラジコン開発のこだわりについて、お伺いした。
・ラジコンとの出合い

そもそも私がラジコンの魅力に目覚めたキッカケになったのは、今から30年ほど前にタミヤが出した、初めての本格的電動ラジコンカー「ポルシェ934」でした。
特に衝撃的だったのは、「デファレンシャルギア」。
デファレンシャルギアとは、カーブをスムーズに走行するための重要なパーツで、一本のアクスルシャフト上で成立させるのは、当時としては非常に画期的な技術だったんです。
雑誌に載っていた宣伝写真を眺めるだけではよくわからなかったのですが、実機の、アクスルシャフトが貫通してフリーに回転する右側ベベルギヤとホイールを見て、「これを開発した人は天才だ!」って感動しました(笑)。
それから趣味として長くラジコンにはまり、その流れでタミヤに入ったんです。

・ラジコン開発ならではの苦労とやりがい

タミヤに入社後は、シャーシから駆動系、サスペンションにいたる、ラジコン車体設計の担当をすることになったんですが、ラジコン開発ならではの難しさというと、「すべてのパーツを機能的にバランスよく配置する」ことがまず挙げられます。
とにかくあの小さな個体の中に、モーター・バッテリー・サスペンション・ステアリング機構・タイヤetc……という、大きさも違えば重さも違うあらゆるパーツを、ただ置けばよいというのではなく、干渉を避けながら重心位置や後のメンテナンス性をも考慮してバランスよく組み込む必要があり、そのことで家に帰っても絶えず考えていることもしばしばです。それこそ、ネジ位置ひとつ取ってみても、「この場所でしか絶対に成立しない」というところまで考え抜かれているほどの精密さが、ラジコン開発には要求されます。
それらのパーツは主に射出成形品やプレス品、金属の切削品でできていますが、なるべくコストのかからない構造・形状・材質も常に考慮した上でさらに、ラジコンにとって最も重要な「趣味性」を演出しなければなりません。
つまり、ただ単に機械としての性能が高くなるような設計をすればいいというわけではなく、ユーザーに、いじって楽しく、「自分なりのカスタマイズテクニック」を生かせる余地を残す配慮が必要になってくるわけで、これは一般の自動車開発とは決定的に異なる点です。

ただ実際に、そうした数々のハードルの高い制約をすべてクリアした理想の配置がビシッと決まったときは、とても大きな充実感を得られるんですよ。

・有村さんならではのラジコン開発のこだわりはずばり、「タイヤ」

ラジコン開発に対するこだわりは多々あるんですけど、その中でも特に重視しているパーツのひとつに、車で最も重要な部品の一つである「タイヤ」が挙げられます。
昔のラジコン用のタイヤには、一般的にスポンジ製のものが使用されていたんです。
確かにスポンジ製は軽くてグリップ力が高いので、特に小さな車体で高速走行するラジコン用には最適な素材ではあるんですが、スポンジであるが故、路面との摩擦による消耗が激しく、また、濡れた路面の走行には適さないというデメリットがありました。

それで、発泡していないソリッドなゴム製のタイヤに着目したんですが、やはりスポンジ製に比べるとグリップ力に難があるんです。
そこで私は、「スーパースリックタイヤ」というグリップ力の高いタイヤを新しく開発しました。使用されているのは、消耗の少なさと摩擦係数の高さを両立した特殊な素材で、磨耗粉を嫌うコピー機の紙送りローラーに使用されていたものをアレンジしたんです。

それによってゴム製タイヤとは思えないほど性能は上がったんですけど、さらに一歩進んで先述したパーツの配置を工夫した結果、TA03Fという車では重いモーターを車体の一番前に配置して重心位置を最適化し、前後輪とも同じ幅・同じ材質のタイヤをはいても安定して走れるようになりました。これって今では当たり前のことですけど、前後タイヤの組み合わせで悩むことがなくなるため、当時はかなり画期的なことだったんですよ(笑)。

・今後の目標・夢・メッセージ

今後はよりユーザーにとって、今より低コストで簡単に、ラジコンの走行はもとよりカスタマイズやメンテナンスができるように設計に工夫を凝らしていきたいと思っています。なぜなら現代はラジコン以外にも魅力ある趣味はたくさんありますし、経費や整備の手間の関係で、ラジコンが敬遠されるようなことがあってはほしくないと願うからです。

最近の子供は「モノづくり」に携わる経験が圧倒的に不足していると思うんですが、そういう意味において「ラジコン」は、自分の場合もそうであったように、メカニック的な技術を養う最高の教材なんです。
だからこそラジコンを通して、一人でも多くいいエンジニアに育ってほしいと思うし、できたらその中から私と同じように、ラジコン開発の醍醐味を共有できたらと願ってます。
有村恭志さん
有村恭志さん
株式会社タミヤ 企画開発部所属:1988年に新卒入社して以来、RC開発に携わってきた生粋の、RCメカニックエンジニア。
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「ガンプラ」とエンジニアの関係に迫る
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山田モーキン(総研スタッフ)からのメッセージ  
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私の地元は静岡で、年一度5月に開催される「静岡ホビーショー」には子供のころ、毎年行っていました。特に男性の方にとってラジコンは、メカニック的な興味を引き付けられた格好の材料だったと思いますが、皆さんにとってラジコンは、どんな存在ですか?

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