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常駐先の企業に魅力を感じたら、どうする?
大手ソフトウェアメーカーに入社したY・Mさん(33歳)
顧客の大手ソフトウェアメーカーに常駐し、充実した毎日を送っていたY・Mさん。しかし自社に戻されると、業務のバックアップ体制や社内風土の違いに愕然とし……。
(取材・文/長谷川恵子 総研スタッフ/木下ミカエル) 作成日:03.03.26
THANKS! ソフトウェア業界にいるエンジニアにとって、切っても切れないのが顧客(常駐先)との関係。「常駐先での経験が自社での環境を見つめるきっかけになり、転職に結びついた」という声も多いようです。そんな声に応えたケースをご紹介します。
PROFILE
ソフトウェアメーカー プロジェクトリーダー
Y・Mさん(33歳)
1990年、ソフトウェアメーカーに就職。プログラマとして汎用機の金融系システム開発を担当する。その後、スキルアップのために転職を重ね、UNIX、Windowsと幅広く技術を習得。
98年からは大手ソフトウェアメーカーA社のパートナー企業に所属してWebシステムの開発に携わる。顧客先での開発という形で、非営利団体をはじめさまざまな業種のシステムを担当するが、会社の体質に疑問を感じて転職を決意。
2001年2月、取引先だったA社に入社し、プロジェクトリーダーとして活躍中。
SCHEDULE 転職決意から入社まで95日
2000.11 転職決意
もっと開発環境のよい職場に!
2000.11 活動スタート
常駐先A社のマネジャーに打診
2001.1 A社応募
応募書類を郵送
2001.1 1次面接
人事担当者と1対1で面接、条件確認
2001.2 2次面接
人事部長と面接
2001.2 3次面接
配属先の上司と面接
2001.2 A社内定
人事から採用通知書を渡される
2001.2 A社入社
内定から1週間ほどで入社
||  キッカケ編  ||  「うちへ来たら?」の言葉にグラリ
||  お悩み編  ||  常駐先のマネジャーに直訴! そして……?
||  活動編  ||  突っ込まれて気づいた「自己PRのコツ」
キッカケ編 「うちへ来たら?」の言葉にグラリ
2000年5月12日 突然の誘い
 プロジェクトが忙しい時期に入った。この間は3日間連続で徹夜だ。でも、うちの会社は年俸制なので、どんなに労働時間が長くても給与は変わらない。
 
 常駐先のA社のオフィスで残業中、自社の評価基準のあいまいさや、社内体制の不備について愚痴ってしまった。
 すると「大変だな。それならうちへ来るか?」と常駐先のマネジャーの言葉。本気なのだろうか? 確かに先方には仕事ぶりを評価してもらっていると思う。でもだからといって「ハイ」と即答するわけにもいかないが。

2000年6月23日 復帰後のとまどい
 A社との契約が完了し、6月から自社に戻っている。A社からはまだいてほしいと言われたが、会社からの命令なので仕方ない。
 入社した日からずっとA社で仕事をしていたので、社内は知らない人ばかり。一からコミュニケーションを取り直すのが大変だ。
 
 A社では8〜10人でこなすプロジェクトが多かったが、戻ってきてからは3人ほどでやっている。だが、受注したシステム規模が3分の1になったわけではない。メンバーへの負荷はA社時代よりかなり増えていて、プロジェクトを完遂できるか不安を感じる。でも、残念ながら今の会社では、A社と違いこの状態をバックアップする体制がない。

2000年11月1日 精神的にギリギリ
 6月から半年間の予定でやってきたプロジェクトが納品を目前に控えてギリギリの状況。受注額が低く、人を投入できないのでパワーで回すしかなく、残業、残業の毎日だ。
 昼ごろ、営業担当から「今日、時間あいてる?」と聞かれた。夕方客先に同行すると、いきなり次のプロジェクトの要件定義まで話が進む。
 
 一方で、現在も以前の常駐先A社のメンバーとは時々メールで連絡を取り合っている。以前やっていた仕事に関する問い合わせもあれば、飲みの誘いもある。A社での充実していた職場環境をふと思い出し、やりきれなくなった。

2000年11月10日 我慢の限界
 商談に何回か同席するうち、新しいプロジェクトの実態が見えてきた。
 受注額は低く、アサインできる人員数は数人。明らかに人手は足りない。現在携わっているものと同様、キツイ状況に陥りそうだ。
 
 体力的な限界が続く中、すでに現場にいるメンバーのモチベーションはかなり落ちてしまっている。この状況への改善策を何度も上司に提案するが、彼は一切聞く耳を持とうとしない。
 
 評価の面でも以前から不満がある。顧客企業に常駐し、自社を離れていたので、上司は僕の仕事中の姿を知らない。しかし僕は自分を必要以上に大きくアピールしないタイプのせいか、自社ではあまり納得のいく評価がもらえなかった。
 半年以上前にA社で言われた「来ないか」という言葉が、あらためて胸に響き、転職を決意する。
お悩み編 常駐先のマネジャーに直訴! そして……?
2000年11月14日 1通のメール
 以前の常駐先A社のマネジャーT氏にメールを出す。
 
「前に来いって言ってもらいましたが、まだ大丈夫ですかね?」
気軽な文体で書きながらも、送信するときはドキドキしてしまう。
 
 その日のうちに返事がきた。
「まだ大丈夫だよ。きみの席も残ってる」
本当に自分でいいのかな?と思いつつ、話を進めてもらうようにお願いする。

2000年11月15日 意志表示は、今だ!
 退職の意思を会社に伝えるには、プロジェクトの切れ目にさしかかった今しかない。
 直属の上司であるマネジャーに辞めると話し、A社に行くつもりだと言うと、驚いていた。
早速、近所の喫茶店に連れていかれる。普段は会わない部長、社長も同席し、引き留めにあうが、断り続ける。
 
 それにしても、「給与を上げようか」という彼らの言葉には耳を疑った。今までは何だったんだ?と、会社の姿勢にますます疑問を感じてしまう。

2000年12月21日 応募書類を作成
 A社のマネジャーT氏からメールが入る。
「これから人事から連絡が入る。手続きの都合上、正式なプロセスを踏まなければならないので、履歴書とスキルシートと自己PRシートを提出してもらうことになる。面接も3回受けてもらう」とのこと。
 
 夜、家に帰ってから応募書類を書き始めるが、自己PRシートがうまく書けず、四苦八苦する。思ったより時間がかかりそうだ。

2000年12月25日 「これじゃ受からないよ」
 結局数日かけて書類を完成させる。自己PRシートを一度見せてみろとA社のマネジャーT氏に言われて送ったところ、「これじゃ絶対受からないよ」という返事。
 
 まいった。謙虚すぎる表現がまずかったらしい。できることは、「できます」と自信を持って書くべきだと指摘を受けた。自分としては、レベルの高い技術者がたくさんいるA社で、もしついていけなかったら……という思いがあった。だから実際こなせる業務についてもハッキリ「できる」とは書きづらかったのだ。
 
 とはいえ、アドバイスをもらえるのはありがたいことだと気を取り直し、書き直した。

2000年12月28日 なんとか退職
 会社を退職。3回ぐらい引き留められたが、心は動かなかった。顧客にも状況を報告し、サブリーダーへの引き継ぎもすんだ。少しホッとする。

2001年1月6日 応募書類を提出
 T氏にだめだと言われてから、何日もかけて自己PRシートを書き直した。
 
 一度書いては次の日に読み直して、また直す、その繰り返し。どう書くべきか、大いに悩む。そうして書き直したものを再びT氏に送ったら、「前よりはいいね」と言ってくれた。
新しく書いたもののポイントは、技術的なこと以外に、「高校時代、ファストフード店でアルバイトをして人のまとめ方を学んだ」という話を入れたこと。
 
 システム開発のプロジェクトも、顧客あっての商売。人をまとめて動かすことが仕事なので、共通点があると思ったのだ。応募書類を見慣れている人事担当者にとっては、技術の話だけを書いても目立たないだろうという理由もある。
 
 T氏からOKが出たので、退社後、履歴書、スキルシート、自己PRシートをA社に郵送した。
活動編 突っ込まれて気づいた「自己PRのコツ」
2001年1月17日 ドキドキの一次面接
 実はT氏のはからいで、1月15日からA社で仕事のお手伝いをしている。ここでの経験は万が一、別な企業で働くことになっても役に立つだろうと思ったのだ。
 
 そんな中での一次面接。
 夕方6時に人事担当者と1対1だ。担当者は、たまたま配属予定先の部署の出身だったのでいろいろな話ができた。給与などの入社条件も提示されたが今とほぼ変わらない。面接対策の本を読んだり企業研究もしたりして準備したのに、あとはほとんど雑談ばかりで終わった。

2001年2月1日 アセッた二次面接
 人事部長との二次面接。
 自己PRをするように言われて「何でもできる」と答えたら、「君はスーパーマンか? 本当にやるんだな?」とキビシイ突っ込みを受けてしまう。
 
 そこで「Webの知識なら人に負けないものを持っているし、まだ足りないマネジメント能力は、これから伸ばしたい」と話した。もともとA社はマネジメント力の育成に力を入れている会社で、それがいちばんの志望動機だったのだ。
 
 受かったか落ちたか、正直わからない。だが、思っていること、言いたいことを伝えてスッキリしたせいか、不思議と不安はない。

2001年2月2日 二次合格
 Tマネジャーから「二次を通ったらしいぞ」と言われる。その後、人事部からメールがきて三次面接を受けるように指示される。

2001年2月5日 あっけない三次面接
 配属先の部長と面接。
 いつも同じオフィスで仕事をしているので、「じゃあ話をするか」と言われ、ざっくばらんに少し雑談して終わってしまった。

2001年2月7日 そして内定
 定時後、人事から携帯に電話。出向くと「合格です。15日から来てください」と採用通知書を渡された。
 
 ずっとここで仕事をしているし、メンバーも知っている人ばかり。正直なところ、現時点で、社員になった!という実感はあまりない。きっと、じわじわとあとでうれしさが込み上げてくるのだろう。
今だから言える・・・反省の小部屋
前顧客へのフォローには「時間」がいる。
 プロジェクトリーダーが辞める場合、いかに顧客に生じるリスクを軽減するかが課題だと思う。僕の場合、新しい連絡先も伝えておいたが、前社時代の業務の問い合わせに対応する状態が、転職後も3カ月くらいは続いた。前職時代の顧客のフォロー体制については、顧客も交え、会社側と相談すべきと身にしみて感じた。
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