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日本品質とスペック至上主義の呪縛を超えろ!
石井裕×及川卓也が語る「イノベーションの流儀」とは
「未来を創り出す」ために、いま何をすべきなのか。これからのイノベーションはどこからどのように生まれるのか。MIT石井裕教授と、Googleシニアエンジニアリングマネージャー及川卓也氏による白熱の対談!
(取材・文/広重隆樹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:12.08.22
思い込みやラベル付けから離れて、オープンにものごとを考える

──日本から今後もイノベーティブな研究やテクノロジーが生まれるかどうか、これが今回の対談の一つのテーマです。

石井 裕氏
マサチューセッツ工科大学
メディアラボ副所長
石井 裕氏
石井

まずは押さえておきたいのですが、そもそもイノベーションというのは突出した個人が引っ張っていくもの。そのときその人の国籍や民族というのは、ほとんど関係がないと私は思います。「日本は、日本は」と言いすぎるのもどうかと思うし、逆に「日本人はどうやってもダメだ」などと思い込むのは、あまりにも自虐的です。そうやって最初から自信を失ってしまっては、何も生まれません。

コンピュータの世界でもかつては、日本人にメモリは量産できても、オリジナルなマイクロプロセッサなんて設計できないと言っていた人がいました。しかし、ちゃんと「Cellプロセッサ」のような実績もありますしね。とはいえ、インターネットの世界ではアメリカ発の世界企業の優位性が厳然としてあります。Googleはアメリカから来たし、FacebookもAmazonもAppleもMicrosoftもそうです。及川さんはその一つの企業の社員でもあるわけですね。インサイダーとしてはどう見えていますか。

及川

Google社員でGoogleがアメリカの会社であると意識している人は少ないんじゃないかと思いますね。そもそもインターネット技術そのものがそうで、TCP/IPやWebは確かに欧米でできましたが、それはむしろ国を超えてつながり、より自由な世界を求めたいという人たちによって担われてきたものです。最初からボーダーレスなわけで、Googleもまたそれを体現している企業だと思います。

及川

日本人であるとかないとか、そうやってラベル付けしてしまった瞬間に頭の中の働きが止まってしまう。ネットの技術はもはや国境や言語にこだわってはいないのに、「これ、日本で通用するかね」と疑心暗鬼な人が結構います。かなりインターネットに詳しい人でもそうです。

もう一つ、私は「日本品質」という言葉に違和感をもつことが多いのです。「日本人だから品質にこだわる」って本当でしょうか。日本品質と言った途端に、品質確保のために余分なコストをかけても構わない、となってしまっているのではないか。「日本品質」という言葉が、何かコストが高くなることの言い訳のように使われているんですよね。

こうした思い込みやラベリングが、イノベーションを起こすための土壌をダメにしている。確かに日本の強みは結果として活かせるかもしれないけれど、そのマイナスも大きい。まずはそれをゼロとして考えるべきなんじゃないでしょうか。イノベーションを生み出すためには、単に技術だけでなく、社会や組織文化を含めての変革が必要です。そこでのキーワードは「徹底的にオープンであること」だと私は思います。

及川 卓也氏
グーグル株式会社
シニアエンジニアリングマネージャー
及川 卓也氏
「日本品質」とスペック至上主義の呪縛を超えて
石井

いまのお話の中にいくつも大事なことが含まれています。私もボーダー(境界)というのは一種のイリュージョン(幻想)だと思う。その幻想にとらわれてはならない。イノベーションを起こすためには、ボーダーを超えて突出した個が集まり、互いに切磋琢磨して、刺激し合う。そういうオープンな関係性が大切です。

ところがボーダーにとらわれる人はまだまだ多い。私自身、タンジブル・ビッツの研究で科学論文や特許の他に、デザインの賞をいただいたり、メディアアートの展覧会に招待されたりしましたが、「あなたはアーティストなんですか、デザイナーなんですが、それともサイエンティストなんですか」とよく聞かれる。名刺を渡すとその肩書を見てホッとされる。「ああ、MITの副所長で教授なんですね」って。

イノベーションを起こす人は、職種分類のどれかに属するかというのではなく、それらすべてを融合した存在であるべきじゃないのか。エンジニアと呼ばれる人だって、一つのプロダクトの価値を人々に広く訴求するとき、相手によってはアートやデザインの視点で語る必要がありますよね。もちろん、その背後には確かな技術、さらに言えば哲学やビジョンがなければ、人に訴えることはできませんが……。

「日本品質」についてのご指摘も深い問題を含んでいますね。日本には技術的に完全であることについてのドグマ(教条主義)がある。技術も変わるし、ニーズも変わる。そのためにはアジャイルなつくり方が必要なのに、そこがなかなか理解されない。「ガラパゴス化」と呼ばれる技術の閉鎖性を生んだのも、その背景には日本品質へのこだわりすぎがあったのではないでしょうか。

イノベーションを起こす人は、職種分類のどれかに属するのではなく、すべてを融合した存在であるべき
及川

品質にはたぶん2つの意味があるのだと思います。日本の金型職人はコンマ何ミクロンというものすごく薄い板をつくれる。それは品質そのものが差別化要因になる例で、それを極めれば世界で闘える武器になるでしょう。Googleにしても、いかにレイテンシーをミリセカンド・レベルで高めるかに命を削っています。しかし、もう一方では、たとえ品質が悪くても、それをたった1秒で直せるものだったら、問題ではないという考え方があります。このレベルで話される品質とは、極端にいえば、ユーザーから指摘があったら直せばいいものです。

日本ではその両方を一つにしてしまって、あらかじめ完璧なものをつくろうとする。実際、品質というものは、ユーザーが期待するものの少し上をいっていれば十分なのです。99.99%確実なものをすべての面でつくろうとするから無理が生じてしまいます。

品質主義とスペック主義は表裏一体のものですね。ユーザーはカタログの機能一覧で全部にチェックに入ったものを買いがちなので、開発者もそれがユーザー・ニーズだと思い込んでいる。しかし、スペックがよいものだけが売れるわけでもありません。例えば、フィーチャーフォンからスマートフォンへの移行時に感じたことですが、現在のスマホがこれまでの携帯電話の機能をすべて満たしているわけではないですね。スマホでできなくなった機能もたくさんあります。ただ、それでもスマホが流行るのは、単に機能だけでなく、使いやすさや、ユーザーインターフェイス(UI)の良さ、それを持つ喜びがあったりするからでしょう。

ちなみに日本の携帯電話は多機能だったとはいうものの、それぞれの開発部署が違っていて、ボタン一つとってもUIが統一されていないということはよくありました。スペックシートにこだわるよりも、まずは開発者がその製品をしっかり使い込むこと、「これならうちのおばあちゃんにも勧められる」というところまで使い込むこと、そのほうが優先されるべきだと思いますね。

スペックがよいものだけが売れるわけではない。まずは開発者がその製品をしっかり使い込むべき。
思い込みやラベル付けから離れて、オープンにものごとを考える
石井

ユーザーエクスペリアンス(UX)がますます重要になる世界では、UXの品質ということについても考えを改める必要がありそうですね。私たちは、例えば電子書籍を購読する時、AmazonもGoogleもAppleもすべてのマシンの上で使いたい。しかしそれぞれUIが違う。だったら、それらを組み合わせてマッシュアップしてしまえばいいんです。完璧に統一された UI、UXなんてあるわけがないんですから。

及川

UXという概念は、Webアプリを書いているような人にはおなじみですが、社会全体には浸透しているとは言えないですね。ただ、実はこの考え方は日本にも昔からあって、それは「おもてなし」という言葉で言い表されてきました。いかにお客さんに気持ちよく使っていただくか。これまではいかに機能が豊富かどうかが重要でしたが、これからはいかに気持ちよく使ってもらうかがカギになる。だんだん価値観が変わってきています。

石井

おもてなしというのは、つまりユーザーの期待や次の行動を予測するということですね。「暑いね」と言われたら、すぐに「冷たいお茶をお持ちしましょうか」「窓を開けましょうか」と応対する。適切な応対は人生経験を積まないとなかなかできないものです。人間にはそれができるけれど、機械にはやはり難しい。おもてなしの世界をコンピュータやネットで技術的に再構築することが、果たして可能なのか。どう思います?

及川

Web上の行動履歴を活用し、過去のデータから未来の行動を予測し、ふさわしいサービスを提案する──これもWeb時代のおもてなしではないかと思うことがあります。私が開発を担当しているGoogle Chromeも、プライバシーに配慮した上で、検索や閲覧履歴、ブックマークのデータを分析して、ユーザーが数文字タイプするだけで検索したいワードを予測して提示することができるようになっています。

ユーザーの行動を予測する技術は、スマホでも威力を発揮するでしょう。これからは、渋滞情報や予定表のスケジュールを見て、「そろそろお出かけの時間ですよ。いま出ないと間に合いませんよ」と促してくれるような機能が登場する時代になります。もちろん、プライバシーを守るための配慮も必要ですので、ユーザーデータの活用は慎重に行わなければなりませんけれども……。

石井

いま私たちは、自分が望むと望まないとにかかわらず、自分に関するとんでもない量の情報をネット上に記録されてしまっているわけですね。それらを総動員すれば、次の行動を予測することは容易かもしれません。ただ、AIのようなコンピュータ技術は、explicit(明示的)なデータに基づいたアドバイスはできるけど、implicit(暗黙の)な感情はなかなか拾えない。例えば一流の日本旅館に泊まって、きめ細かい心遣いのできる女将から最高のおもてなしを受けた経験、それに匹敵するようなサービスを再現してくれるわけではないですね、現状では。私はむしろそこに、技術が目指すべき永遠のロマンのようなものを感じるのですけれども。

及川

いや、これからのコンピュータは、implicitな情報も採り入れることができるようになりますよ。いまのスマホだって、自分の位置や画像や音声はもちろん、センサーをつければ手のひらの温度や外気温だって、ユーザーが無意識のうちに測れるようになります。まさに人間の五感の延長。「いまうれしくてしようがない」という状態をコンピュータが感じ取ることで、ここに行けばまた同じようなことが体験できるよと、アドバイスすることができます。

石井

及川さんは、結構「テクノ・オプティミスト(技術的楽観主義者)」ですね(笑)。私はMITにいるので、周りにオプティミストはたくさんいて、そういう人たちとの議論は楽しいんだけれど……。確かに人の五感を把握できる技術はあります。いまその人が幸せな状態なのか、悲しい気持ちなのかを高い確率で推測する技術もあります。それを活かせば、不機嫌で自閉的な状態を解決できるかもしれない。

けれども、「なぜその人はハッピーな状態なのか」「なぜ悲しんでいるのか」というところまでは、マシンには理解できない。実は世の中、科学的によくわからないことだらけなんですよ。地球温暖化の問題一つとってもそうです。いまこの部屋の照明を一つ消したら、地球温暖化がもたらすカタストロフィー(破滅)をコンマ何秒遅らせることができるのか。誰も明確な答えをもつ人はいない。何が原因で何が結果か。因果連鎖のモデルがないと、いくら膨大なデータがあっても、正しい分析や予測にまで行き着きません。

福島原発の事故の問題もそうです。国会事故調などによる解明作業が進んできて、事故の原因には日本の技術者集団や日本社会にひそむ体質の問題があるのではないかという指摘もされています。そういうところまで踏み込まないと、真の解決、真のイノベーションにはつながらないだろうと私は思っています。

最近はビッグデータというのがもてはやされていますが、データさえあればなんでも解決可能だというのは誇大宣伝だと思いますね。データ解析を通して課題を解決するためには、その前に、人間の心理や社会構造まで踏まえたしっかりとしたプランづくりやモデリングの作業が必要なのです。

モノづくりの原点を確認した「Hack For Japan」プロジェクト

──いま震災の話が出たところで、及川さんたちの「Hack For Japan(H4J)」の話にも触れたいのですが……。この経験は及川さんたちに何をもたらしましたか。

及川

震災直後は、自分たちのスキルを活かして何かできないかという、突き上げられるような思いだけ。それこそ異様なテンションだけで突っ走っていました。それが半年、一年と経つにつれて、自分たちにも被災者の役に立つモノがつくれるんだという確信に変わってきたと思います。H4Jに参加しているエンジニアの多くが大企業やベンチャーで開発に携わっている人。自分たちが開発したモノが、実際にユーザーにどう使われているか、あるいはいないのか、ということについて、実は直接的に知る機会が少ないんですね。そこにもどかしさを感じていた人も多かったと思います。

ところが、H4Jのプロジェクトでは、被災地の現場に人が入って、ニーズをダイレクトに聞いている。つくったものが喜んでもらえたのか、そうでもなかったのかということもすぐわかります。誰かのために役立つものをつくりだす──モノづくりの原点を感じることができたプロジェクトでした。

石井

それは技術者としてたまらないですよね。放射線量を可視化するスマートフォン用アプリ「風@福島原発」をつくった石野正剛さんが言っていましたが、「このソフトがないと外で子どもを遊ばせることができない」というお母さんの声が心に浸みたと。給料やインセンティブには代えられない、ユーザーの声ですね。

及川

私も被災地を歩いて実感したことですが、東北は日本の一部ではなく、いまの日本社会の縮図なんですね。例えば石巻市の商店街は、いわゆるシャッター街です。震災がそれを加速化させたということはあるけれども、実は、震災前から人口流出は続いていて、中心市街地の空洞化現象はあった。これは、石巻に限らず、日本の多くの地方都市が経験していることなんです。

もしも私たちの被災地支援のための活動が、なんらかの形で街の活性化につながることができれば、それは、石巻だけではなくて、日本全体の地方都市活性化に役立つかもしれないと思いました。

石井

ITスキルをもつ個人が集まって、役に立つアプリケーションを開発する。これは素晴らしいことです。しかし、その一方で、国家百年の計じゃないけれど、インフラや基盤づくりのためには、しっかりとしたプランニングが必要なものもあります。

例えば、震災では通信網や道路が途絶しました。ロジスティックやサプライチェーンも大きな打撃を受けました。地震や津波はまたやってくるでしょう。そのとき持ちこたえられるインフラ──インターネットの世界で言えば、TCP/IPのような強固なプロトコルをどうやったら生み出せるのか。

例えば、日本列島の太平洋岸は津波の危険性が大だから、これからは日本海側に大動脈(高速道路)をつくり、そこから柔軟に太平洋側に物資を送り込める体制を構築すべきだと、ある日本の大学の先生が話すのをテレビで観ましたが、なるほどと思いましたね。いかにレジリアント(弾力性のある、回復が早い)な社会を再構築していくか。これには国家、いや世界レベルでのプランニングが必要です。情報網の再構築ということでも、いま求められているのは、こうした視点をもつ情報アーキテクトですね。

複数のサービスの有機的でアジャイルな連携からこそ価値が生まれる
及川

レジリアントなということで言えば、いまGoogleもそこを考えながら、データセンターの拡大を図っています。データセンターもまたコンピュータの集合ですから、いつか壊れるのは当たり前。たとえあるセンターが壊れても、どうやってリルートすればいいかとか、世界的な気候変動をみたときに、どこの地域にセンターを集中配置すればいいかとか、この辺りはグローバルに考えています。そこでふと思い出すのは、コンピュータの通信機能を階層構造に分割したOSI参照モデルですね。

石井

おっと、これは懐かしい用語が出てきましたね。

及川

私もDEC時代は、よく勉強させられました(笑)。物理層からアプリケーション層までのいわゆる7階層モデル。通信キャリアはここまでを担当、アプリ開発者はここから上を担当みたいな分業化も促しましたが、いまとなってはこの考え方では不十分なんです。やはりネットワークというものは、エンド・ツー・エンドで使われないと意味がない。しかも、アプリケーション層の先にはさらにユーザーがいることを見逃してはいけない。それがだんだんわかってきて、先ほどもお話したUXの重要性も言われるようになりました。

私たちのソフトウェア開発が、OSIモデルでは不十分だということがあからさまに見えるようになったのは、やはりWebアプリ、中でもHTML5の登場からだろうと思います。例えば「Webは便利だけれど、地下鉄の中に入ったら使えないじゃないか」と以前よく言われましたが、HTML5ではオフラインでもデータを持てるようになっている。そのオフライン機能とクラウド・アプリを上手に組み合わせて使うことが、これからのコンピューティングのスタイルだと思います。

手前みその話で恐縮ですが、「Google Chromeって何ですか」と聞かれたとき、私たちは「ただのブラウザでもない、インターネット閲覧ソフトでもない」と答えるようにしています。そうではなくて、Chromeは、Gmail、Googleマップ、YouTubeなど無数のクラウド・アプリを使う上での重要なフロントエンドという位置付けなんです。クラウドとブラウザがインターネットの世界をうまく分担しながら、ユーザーにサービスを提供する。いや、必ずしもネットの世界に閉じる必要はない。ネットが途絶したときには、最終的なアウトプットは紙でもいいかもしれない。そこまで、エンド・ツー・エンドということを考えながら、サービスを継続することが重要です。

石井

いま求められているのは、単一のmonolithic(一枚岩的な)なサービスじゃないんですよね。複数のサービスの有機的でアジャイルな連携からこそ価値が生まれる。Googleが震災時に行った、Person Finder(消息情報)などはその典型だと思います。サービスやプロダクト間の連携がどこまでもつながりあう、一つのエコシステムという考え方が重要です。

モノは必ず壊れる。安全なんて幻想だ。完璧な品質というのも蜃気楼だ。UIやUXは一つではない──そうやって一つひとつわれわれをしばっているイリュージョンから解放されることで、私たちはようやくグローバルでエコロジカル、かつレジリアントな世界を考えることができるようになるのだと思います。

ソーシャルメディアが促す知的コラボをイノベーションの基盤に

──ソーシャルメディアとイノベーションの関係についてもご意見を伺いたいのですが。

石井

ソーシャルメディアは表現と共有の普遍的イネーブラー(Enabler)であり、影響伝搬の強力なメディアでもあります。ソーシャルメディアというのは卓球に似ていますよ。相手が打ち返した球が、予想外のスピンで予想外のコースに飛んでくる。それを前陣速攻で打ち返す。その応酬の中で、新しい気づきと学びが生まれ、これまで正しいと思っていた自分たちの仮説を再吟味させられることが多々あります。真にイノベーティブな人を発見し、単にご意見を拝聴するだけでなく、議論して、知的な刺激を受け合う。そういうことが、Twitterのようなソーシャルメディアで容易にできるようになりました。出会いの連鎖、知的な共鳴を通して、集合知が増幅されるメディアだと思いますね。

及川

FacebookやGoogle+だけではありません。すべてネット上のものはソーシャルです。これまでエンジニアが自分で書いたプログラムを成果物として発表することはありましたが、コーディングの過程やソースコードを公開することは、オープンソースのプロジェクト以外ではまれなことでした。ところが、いまはGitHubがあります。いまシリコンバレーのリクルーターはみんなGitHubを見ていて、面白いコードを書く人がいたら、すぐにスカウトの手を差し伸べるそうです。そういう意味では、エンジニアリング自体がソーシャルになり、人材採用活動もソーシャルになりつつある。

私の知人の例でこんな話もあります。あるプログラムを日本語で紹介したときは、日本のユーザーから「ここをこうしてくれ」というリクエストが舞い込んだ。それに気をよくして、今度は英語で公開したら、「オレ、パッチを書いたから使ってくれ」というオファーが舞い込んだというんです。残念ながらやはり英語である必要はあるんですが、より広くオープンにすることで、そのプロダクトはもとより、そのエンジニアの可能性がぐっと広がるという例です。マインドも、プロセスも、そして成果物もオープンにする。それがイノベーションを生み出すための最も大切な流儀だと思いますね。

石井

とはいえ、すべてをオープンにすることは不可能でしょう。大きなプロジェクトであればあるほど、どこかはクローズドにしてコントロールしないとプロジェクトそのものが瓦解することもありますね。及川さんの仕事では、オープンとコントロールのバランスはどうやってとっていますか。

及川

私が担当するプロジェクト──Chromeブラウザ、Chrome OS、日本語入力モジュールは、サードパーティから提供されているモジュールなどの一部を除けばすべてオープンソースです。そこではプロジェクト自体が、「Think Big, Start Small, Scale Fast」(大きく考え、小さく始め、拡張は迅速に)をモットーに進んでいます。それと「rough consensus and running code」(必要なものは、ラフなコンセンサスと実際に動くコード(プログラム)である)というInternet Engineering Task Force(IETF)流の考え方も重要ですね。

先生が心配されるプロジェクトのコントロールという点では、最初にテーマをしっかりと共有することが重要だと思います。自分たちは何をやりたいのか。このプロダクトに絶対欠かせない要件は何なのか。それをシンプルなキーワードとして明示しておくことが必要ですね。Chromeでは、「スピード、セキュリティ、シンプリシティ」の3S──最近はこれに「スタビリティとスタイリッシュ」が加わって5Sになりましたが、これらが開発の最重要な条件になる。これさえしっかりしていれば、プロジェクトのコントロールはそう難しいことではないし、方針がブレることも少なくなると考えています。

「異端」や「例外」が、閉ざされた日本を変えていく

──イノベーションが創出される場として、お二人がこれから面白いと注目されている技術はありますか。

石井

以前、Tech総研で元ソニーCEOの出井伸之さんと対談したときに、彼が「都市OS」という刺激的な言葉を使われた。スティール・デザインと呼ばれる物理的な都市設計と、ICTの要素が組み合わさって新しい都市が生まれる。その基本となる概念がこれからは重要だということだと思います。最近言われるスマート・シティ構想などもその一つでしょうね。

及川

私は仕事柄、Webのテクノロジーとリアルなものとの融合に関心がありますね。HTML5で周辺技術との連携がよりやりやすくなったので、それを活かして、人間の五感とより深く対応した新しいインターフェイスの冒険をしてみたいですね。Googleはいまロンドンのサイエンス・ミュージアムとコラボして、「Chrome Web Lab(http://www.chromeweblab.com/)」というプロジェクトを実施しています。ミュージアムには子供でも触れるさまざまな実験器具がありますが、これまでは現地に行かないとその実験を体験できなかった。それを、Chromeを介してオンラインでも参加できるようにします。例えば6つの楽器があるとします。3台はリアルにそれを演奏できる。残りの3つはオンラインで参加するユーザーが演奏します。Webとリアルがこうしてコラボレーションする様子って想像するだけでワクワクしませんか。

石井

話の内容もそうだけれど、それを楽しそうに語る及川さんを見ていると、そっちのほうがワクワクしますね(笑)。テクノロジーやメディアは、人間の身体の拡張であると主張したのは、マーシャル・マクルーハンでした。彼が言っていたことが実現される時代がいよいよやってきたという感じがしますね。そういう時代の最先端を、最高のスピードで突っ走る、及川さんの風切り音が聞こえるようです。

その一方で、日本の企業はまだまだ、先ほどのOSIの7階層モデルにとらわれていて、オープン化を果たしていないという感もあります。ボーダーの内側で、防火壁に囲まれて、外の世界を知らずに仕事をしているエンジニアもたくさんいる。私はGoogleのような“黒船”が、日本の社会文化を変えるきっかけになればいいと思っているんですよ。

及川

Googleは日本社会にとってまだまだ異端ですよね。でも、それでいいと思っています。エンジニアが私たちの仕事を見て、こっちのほうが面白そうだとGoogleに入ってくれればそれもいいし、自分の会社をGoogleのように変えたり、あるいはそれを超えるような会社を始めるのも面白い。Googleが一つの刺激剤になって、日本でも、エンジニアがエンジニアとして全能を発揮できる、そんな企業風土をもつ会社がたくさん出てきてくればいいと思っています。

石井

私もまったく同じ結論に17年前に行き当たり、それで日本を離れました。誰もやらないのだったら、自分が“例外”になるしかない。それを見て刺激を受ける人がいたら、それが日本への貢献になるはずだと考えてね。だから、いまでもどうやったら日本を元気づけられるかということはよく考えます。特に日本の場合は、社会的インフラを担うような大企業にもっと革新的な動きが生まれて欲しいですね。

日本はどうやったらイノベーションを生み続けることができるのか。その決定的な解はまだ見つからないけれど、その萌芽は少しずつ生まれているし、今日の及川さんとのお話の中にもたくさんのヒントがあったような気がします。

マサチューセッツ工科大学 メディアラボ副所長 石井 裕氏

1956年生まれ。北海道大学大学院修士課程修了。電電公社(現NTT)入社。88年よりNTTヒューマンインターフェース研究所で、CSCWグループウェアの研究に従事。95年マサチューセッツ工科大学準教授。メディアラボ日本人初のファカルティ・メンバーとなる。2006年、国際学会のCHI(コンピュータ・ヒューマン・インターフェース)より、長年にわたる功績と研究の世界的な影響力が評価されCHIアカデミーを受賞。現在、Jerome B. Wiesner Professor of Media Arts and Sciences, およびMITメディアラボ副所長。

グーグル株式会社 シニアエンジニアリングマネージャー 及川 卓也氏

早稲田大学理工学部卒業後、日本DECを経て、マイクロソフトにてWindowsの開発を担当。Windows Vistaの日本語版および韓国語版の開発を統括した後、Googleに転職。ウェブ検索やGoogleニュースをプロダクトマネージャとして担当後、2009年10月よりエンジニアリングに異動。現在、Google ChromeやGoogle日本語入力などのクライアント製品の開発を担当。東日本大震災後に有志とともに震災復興のための開発者コミュニティ「Hack For Japan」を立ち上げる。

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