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超こだわりの“一筋メーカー”探訪記 この分野なら任せなさい!

傘一筋188年!
ホワイトローズの“ビニール傘”革命

誰の家にも1本や2本はあるビニール傘。そのビニール傘を世界で初めて開発したのは、東京は浅草にほど近い田原町の中小企業。江戸時代から続く「傘屋」で、創業者は武田勝頼の子孫とか。選挙になると政治家がこぞって買うビニール傘も開発しました。

(取材・文・撮影 総研スタッフ/高橋マサシ 写真提供/ホワイトローズ) 作成日:12.05.16

現社長は十代目の武田長五郎、シベリア帰りの父がビニールに着目

武田勝頼の子孫が創業? 江戸時代から続く傘づくり


今年発売された「新カテール」

「過去帳や伝承によると、弊社の創業は江戸時代の享保6年(1721年)。甲斐(山梨県)にいた武田源勝政が江戸の駒形に出て、刻みタバコの商売を始めたのがきっかけです。源勝政は(初代)武田長五郎を名乗るのですが、四代長五郎のとき、文政8年(1825年)ごろに雨具商に転身します。刻みタバコがしけらないように、箱の内部に油紙を敷いていたのですが、その油紙を使って畳める雨具をつくったのです。いわば携帯用のレインコートですね。これが売れて、五代目には幕府御用達になり、参勤交代などで使われるようになりました」
こう語るのは十代目武田長五郎となる須藤宰氏。傘問屋「武田長五郎商店」改めホワイトローズの代表取締役社長だ。

武田長五郎は武田勝頼の子孫と伝わる。織田信長により勝頼の一族郎党は天目山で自害したとされるが、実は子孫は甲斐の山奥に匿われていたというのだ。その庇護者とは何と真田信之。武田信玄に仕えた真田昌幸の長男で、関ヶ原の戦い以降は家康に与した知将だ。
「ご同業に『真田商事』という傘屋さんがあるのですが、この社長さんが真田の子孫だそうです。友人なんですよ(笑)」

四代目以降、長五郎は番傘や人力車の帆張りなどへと雨具の種類を広げ、明治に入ると和傘も手掛け、各地に販路を広げるようになった。しかし、第二次世界大戦がその歴史を変える。須藤宰氏の父である先代社長の三男氏はシベリアに抑留され、帰国したのが昭和24年。戦後わずか4年でも、モノがあれば飛ぶように売れた時代だ。他の傘メーカーは復興を遂げ、同社が入り込むシェアはなかったという。
「そこで父が目をつけたのが、進駐軍が持ってきた、ビニールのテーブルクロスでした」

綿傘にかぶせる「傘カバー」からビニール傘の開発へ


ホワイトローズ株式会社
代表取締役社長
須藤 宰氏

終戦間もない当時は綿の傘が主流。雨が漏れたり、色落ちして衣服を汚すことが珍しくなかった。そこで開発したのが傘にかぶせるビニール製の「傘カバー」。防水性を高めた傘カバーはヒット商品となり、店頭には朝から長い列ができるほどだったという。

しかし、ナイロンやポリエステルが普及し、傘にも用いられるようなると綿の傘は減り、傘カバーのニーズも下降する。そこで三男氏は、ビニールで傘そのものをつくろうと思い立つが、加工は苦労の連続だった。
「繊維には縦糸と横糸がありますが、ビニールはのし板状の組成。骨とつなげるために小さな穴をいくつも開けると、そこからビニールが切れてしまうのです。そこで高周波ウェルダー加工で生地を接着する技術を用いました」
この加工法は既にあったが、複雑な構造を持つ傘に使う例はなかったという。

一方、素材のビニールも課題。ビニールは温度変化に敏感なので、これを「鈍感にさせる配合」を共同開発した。相手企業は三菱化成と米モンサントの合弁子会社である三菱モンサント化成。同社は当時、テーブルクロス用のビニールなどを生産していたが、「ちゃぶ台の時代」に需要はあまりなかったようだ。そこで「傘用」を依頼したのだ。
開発期間は5年ほど。ようやく「ビニール傘第1号」が完成したのは1958年。しかし……売れなかった。当時の主流は布傘でビニール傘はその「敵」だ。そのため店舗や問屋は布傘に付ける傘カバーは歓迎しても、ビニール傘の取り扱いは拒否したのだ。市場に出せないのだから売り上げが伸び悩むのも当然だった。

輸入傘に対抗、「傘屋の技術」で高級ビニール傘を開発

アメリカ輸出が成功するも、台湾製の価格攻勢で再び窮地に


傘の上に取り付けたビニール製の「傘カバー」


新カテール

そんな窮地を救ったのが、東京オリンピックで来日していたアメリカ人の傘バイヤーだった。ビニール傘のアメリカ輸出を持ち掛けてきたのだ。特に雨が多いニューヨークを想定して、肩まで覆われるようなカゴ型で、見通しのよい透明なビニールを使った傘を開発した。
「これは売れました。5年くらい続いたのですが、しだいに注文が減り始めました。台湾での生産が始まったからです。当時は中国はまだ世界の工場ではなく、台湾生産のコストが安かったんです。価格競争では勝てないと国内販売に切り替え、アパレルやDCブランドショップなどに、色や柄を付けたビニール傘を置いてもらうようにしました。傘屋さんなどからは、相変わらず『総スカン』をくらっていましたから(笑)」

テレビ番組でも紹介され、「ファッショングッズ」としてのビニール傘が定着する。しかしその後、日本にも台湾製のビニール傘が大量に輸入されてきた。「全盛期は50社ほどあった」というビニール傘メーカーは廃業や撤退に追い込まれていく。須藤氏は当時をこう振り返る。
「私は布傘とビニール傘を同じ商品だと思っていましたが、違うものでした。ビニール傘は雨が降ったときに手軽に買えればよい。性別や年齢を問わないファッショングッズ、ではなかったのです」
ビニール傘を置く店側の意識も違うという。多種類の傘をそろえる必要はなく、同じビニール傘を何本かを置いておけばいい。今日売れなくても「次の雨」で売れるし、年間での販売実績もある程度は予測できるから、在庫過剰の心配もない。リスクの低い商売なのだ。すると、「いかに売るか」ではなく「いかに安く仕入れるか」が重視される。

実際にその後も値下がりは続き、1990年代に入って中国が「世界の生産拠点」となると拍車がかかった。その結果は……あなたが何本も買っているビニール傘だ。
「私もビニール傘をやめようと何度も思いました。しかし、国内のビニール傘メーカーは今では弊社だけですから、私たちがやめると『国内生産ゼロ』になってしまう。ですので、クッキングシート、シャワーカーテン、OEMなど新ジャンルに挑戦し、高級ビニール傘の開発にも取り組みました」

カバーと骨の力関係を調整するのが「傘屋の技術」


持ちやすさ、滑りにくさを考慮した新カテールのグリップ部分


若者に人気という「新カテール(16本骨)」

高級品の火付け役となったのが、選挙のたびに立候補者が買い求めるという「カテール」だ。ある議員のオーダーメイドから始まった製品。その議員いわく、雨の日に黒や茶の傘で演説をすると聴衆に圧迫感を与えるが、ビニール傘だと庶民性を感じさせるし、透明なので自分の表情も伝えられるとのこと。ただ、ビニール傘は壊れやすいので、丈夫で大きなサイズにしてほしいと注文した。

このオーダーに応えて開発されたのが「カテール」(現在は生産中止)だ。その強度の工夫を、今年発売した新製品の「新カテール」で見てみたい。傘は「カバー」「骨」「手元」の3要素で構成される。
「溶かして骨に付けるビニールは完全な防水になりますから、雨傘には『究極の素材』でしょう。ただ、ビニール自体に強度があるので、それに負けない骨をつくります。ヨットの帆と同じで、風でカバーが膨らむと骨に圧力がかかり折れやすくなりますが、骨が強すぎてもカバーに影響します。両者の力関係を調整するのが『傘屋の技術』なのです」

台風や強風で壊れたビニール傘を見かけるが、ほとんどは骨が折れている。カバーが破損するのは折れた骨が刺さるなどの場合で、風力だけで破れることはまずない。須藤氏はこうした傘を「うちの30〜40年前のコピー」と語るが、やはり骨のほうが弱いのだ。
「そこで、骨はたわみやすいけれど折れにくいFRP製にしました。カバーに強い雨や風が当たっても外圧をしなやかに受け流します。一方、内圧対策には各骨の上に一箇所ずつ『逆止弁(ぎゃくしべん)』を付けました。

傘に工夫の数々、歴代長五郎の共通点は「思いもよらぬ製品化」

内側からの風を通す逆止弁、カバーはオレフィンの三層構造


傘の内側からボールペンを通した「逆止弁」


店舗内の様子。正面に新カテールを置いた

逆止弁とは何か。傘に骨が8本あれば、骨の間に8枚の三角形のビニールを張り、ビニール同士を重ねて縫い合わせる。このときに縫い代の部分が数ミリできるのだが、見た目がよくないと従来は傘の内側に収めていた。それを外側に出し、かつ一部をあえて縫い合わせずに、突起部を付けた。
すると、突起した2枚のビニールは自然と重なるため、加工しなくても閉口した状態になり、外から雨は入らない。しかし、逆に内側に強風が入れば、これらの穴から風が抜けていく。骨が8本あれば8つの穴から風が通るので、突風にも体が飛ばされなくなるのだ。

また、カバーには塩化ビニールではなく、オレフィンの三層構造フィルムを使った。塩化ビニールのよさは透明度が高いこと、表面に傷がつきにくく、小さな傷なら復帰してくれることなどだそうだが、濡れると固まり、カバーをはがしにくいという点もあるという。
ポリエチレンやポリプロピレンなどのオレフィンは、透明度は比較的落ちるが、濡れてもベタベタせずに使い勝手がよいとのこと。ここには選挙で使う立候補者のためというよりも、最近増加している「一般顧客」への配慮があった。

「実は新カテールはお年寄り、子供を抱いた女性、妊婦さん、身障者の方などが買っています。丈夫で扱いが楽なだけでなく、自分の姿が傘の外から見える点が喜ばれているようです。色の付いた傘ですと、高齢なことや子供を抱いていることが伝わりません。特に雨の日はうつむいて歩く人が多いですから」

傘が泣く……簡単に捨てず、修理して大切に使いたい


女性向けの「縁結(えんゆう)」


縁結は彩りがやさしい

当然かもしれないが須藤氏の傘に対する思いは強い。例えばエコ。傘は不燃物なので廃棄の際には大量の傘が埋め立て処理され、資源の無駄遣いという意見もある。須藤氏の意見は「長く使う」だ。

「可燃物だけで傘をつくることの実現性よりも、大切に使うことをお勧めしたいですね。例えば、傘が壊れるとほとんど修理ができません。傘屋さんに頼んでも新商品を出されたり、『直せない』と言われたりする。規格が統一していないせいもありますが、弊社なら故障を直しますし、部品もあるので取り替えられます。道端に捨てられている傘を見るといたたまれなくなりますね。私たちは『傘が泣く』と言うのですが、拾って畳みたくなります」

武田長五郎は二代目からは女系の家系だったそうだ。男子が生まれても娘が婿を取って後を継いできた。須藤氏の父の先代社長も婿入りで、須藤氏は十代目にして初の直系男子の後継ぎとなった。
「歴代の共通点は開発された素材を、開発者が思いもよらぬ方法で製品化してきたことですかね。油紙でレインコートをつくったり、ビニールで傘をつくったり。まあ、同族だからやめられない、っていうのもありますが(笑)」

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