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“ヒーローエンジニア”を探せ! vol.21
半年でモバゲーオープン化を成功に導いたPerl技術者
入社翌月に「モバゲータウン」オープンプラットフォームプロジェクトにアサインされ、わずか5カ月でリリースに導いたDeNAのエンジニアを紹介する。Perl言語のコミュニティでも活動する技術者だ。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:10.04.07

株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA) ソーシャルメディア事業本部プラットフォーム統括部システムグループ 木村秀夫さん

1970年、東京都生まれ。アメリカの大学を中退、1996年にアルバイトをしていたインターQ(現GMOインターネット)に入社。社内情報システム、ホスティング事業などを担当。2000年、元同僚と独立。2008年、大手通信会社系のホスティング会社に入社。2009年、ディー・エヌ・エー入社。Perl言語のコミュニティでも活動。

ソーシャルエンターテインメントプラットフォーマー

1999年設立。インターネットオークション「ビッダーズ」を皮切りに、さまざまなインターネット事業を展開。2006年には、携帯電話専用ゲームサイト「モバゲータウン」をスタート、大きな人気を博す。最近では、「怪盗ロワイヤル」や「海賊トレジャー」などソーシャルゲームの人気コンテンツ、「モバゲータウン」のオープン化など、ソーシャルエンターテインメントプラットフォーマーとしての存在感をますます高めている。


モバゲータウンのオープンプラットフォーム化

2009年7月に入社。当時は、モバゲータウンのオープンプラットフォーム化の方針が決まったばかり。入社翌月にはオープン化のプロジェクトにアサインされる。わずか半年という期限つきで、プロジェクトはたった一人から始まった。その抜擢は、かねてからPerl言語のコミュニティで活動をしていたことが評価されてのことだった。仕様の決定から9月の体制づくりなど、怒濤の日々。競合他社が1年半かけたものを、最終的には5カ月で完遂することになる。

大学のアルバイトで「ウチの会社に入らないか」

 入社前はオープン化の担当をすることになるとは思っていなかったんです。だから、最初に聞かされたときは「えっ?」でしたよ。下半期の業績に大きく影響する極めて重要なプロジェクト。しかも、まずは一人。これには、「会社としてすげぇな」と思いました。これだけのプロジェクトを入社直後に一人で任せる。とんでもないことをする会社だな、と。

 僕の場合、技術はすべて独学です。コンピュータに興味を持ったのは小学校のとき。当時、実家が大学の裏でアパートを経営していました。そこに住んでいた学生さんが捨てていった雑誌を、大家である両親が処分していたんですが、漫画も混じったりしていたので、ときどきもらったりしていたんですね。それであるとき、コンピュータ雑誌が混じっていて、たまたま読んで興味を持っていたんです。

 でもコンピュータなんて高くて買ってもらえない。親に頼み込んで、やっとポケコンという電卓に毛が生えたようなものを買ってもらって。それで遊んでいるうちにゲームを作れるようになりました。原稿用紙に書いた仕様書がコンピュータ雑誌に投稿して掲載されたこともあります。でも、高校に入るとバンドに目覚めてしまって。

 再びコンピュータに触れるようになったのは、たまたま大学のコンピュータ室がアルバイトを募集していたから。室長が、まだ黎明期だったインターネットを教えてくれたんですよね。でも、時給が安い。そんなときに、出合ったアルバイトが、インターQ、後のGMOインターネットだったんです。まだ上場するはるか前の立ち上げ期でした。

 アクセスポイントにモデムを設置するのがアルバイトの仕事だったんですが、僕はすぐに飽きてしまった。それで生意気にも、「つまらない。プログラムが書きたい。そうでないなら辞める」と言ったんです。経験もない学生が何を言っているんだ、と思われたようなんですが、言ってみるもので、やらせてもらえたんですよ。管理に使われていた会社データをデータベースにすべて統合して経営分析システムの原型のようなものを作ったら、社長が意思決定に役立つとものすごく喜んでくれて。それで、ウチに入らないか、と誘ってもらったんです。こうなると、大学にいる意味はあまりなくなってしまって。

バカみたいに本を買っていた20代

 まずは社内システムの担当になりました。データベースをまとめてインターフェースを作ったり、さらに別のシステムを作ったり。アクセスログなど、データ量がどんどん増えていきましたから量対応が必要でスケールアウトする仕組みを作ったり。それから、社内システムだけでなく、ホスティング事業やドメイン事業にも携わって。

 すべて独学でした。思えば20代は、とにかく猛烈に勉強してましたね。バカみたいに本を買っていました。しかも読むだけではわからないので、同時に自分で手を動かして書いてみる。片っ端から試して、動いて、結果を出して、の繰り返し。何しろ、会社の意思決定に携わる仕事ですから、いい加減なことは許されない。でも、その立場が楽しかった。特に、経営のためのシステムを作る仕事は、やっぱり面白かった。でも一方で、だからこそ、自分で経営をしてみたいという興味もわいて。それが独立につながるんです。

 退職は、会社が上場して大きくなったのと、マネジメントを任されそうになったことで(笑)。当時は若かったこともあって、マネジメントは苦手でした。人に指示するなら、自分でやればいいと思ってた。気遣いをするような心の余裕もなくて。それなら自分の技術を磨いていたいと考えたんですよね。

 ちょうど一緒に独立しようという人が社内にいて、受託の事業を始めるんです。金融システムからEC、社内システムまで、いろんなシステムに携わりました。大変さもありましたが、学べることも多かった。大企業の社内システムの実情もわかりました。一方で中小企業では、システムの概要から設計させてもらう機会もあって。やってみたいことを提案して受け入れてもらったり、新しい技術を入れてみたり。経営に大きな影響を及ぼすだけに醍醐味も大きかったですね。

 でも、一緒に始めた会社の方向性が変わって、ECサイトが始まるんです。受託ならいろんな刺激の場がありますが、この時のECサイトは基本的に保守運用。面白くないな、と思い始めて。ちょうどこの頃、Perlのコミュニティを楽しみ始めた頃だったんですね。GMO時代はPerlはちょっとしたツールにしか使っていなくてメインはMicrosoftの製品やJavaだったのですが、そのころ出始めたPerlのWeb Application Framework の Catalystに触れて面白いな、、Perlも変わったんだと知って。かつてはオブジェクト指向もなかったですから。それがモジュールのライブラリー集が充実して、これならいろんなことができるじゃないかと思って。しかもコミュニティがみんな誠実で熱いんですよ。技術力も高くて、こんな人になりたい、こんな人を仕事してみたい、という人がたくさんいて。

自分が考えてきた「すごいエンジニア像」

 独立したのに再び就職したのは、組織で何かをやることをもう一回やってみたいと思ったからです。就職への不安はありませんでした。なければまた、自分でやればいいと思っていましたし。いい加減なんですよ、基本的に(笑)。

 ちょうどクラウドコンピューティングが出始めた頃で、インフラまわりでPerlをキーワードにすると、大手通信会社系のホスティング会社と出会えたんですね。言語でPerlが使えるから最初は楽しかったんですが、気がつくといつの間にかマネジメントをやらされていまして(笑)。コードは書けないし、設計といっても新しいことはできない。また面白くないなぁ、と思い始めて。

 そんなときに、Perlコミュニティで一足先にDeNAに入っていた人からお誘いを受けたんです。もともと僕の中に「すごいエンジニア像」というのがあって、それはインフラからハードから、サービスづくりからお金まわりまで考えられる人なんです。誘いを受けたのは、その考え方に共鳴してもらっていたことと、僕自身がコードを書くのが好きだったからだと思っています。

 実際、コードを書くときは、仕事でも仕事だと思ってやってないですから(笑)。完全に趣味の世界ですね。楽しくてしょうがない。美しく書くのも楽しいし、書いて動くのも楽しい。ないものから、何かが出来上がっていくのが好きなんですよ。これは小学校の頃から変わってない。そう考えると、実は組織を作るのも好きなんです。組織を回すのも嫌いではない。決まり切ったマネジメントをするのが、嫌なだけなんです。それも見抜いてもらったのかもしれない。

 ただ、誘われてもすぐには応じませんでした。僕自身が携帯に興味がなかったから。どちらかというとインフラ寄りに興味があった。というのも、自分が携帯をあまり使っていなかったからです。ところがよくよくまわりを眺めてみると、友人も僕の母親ですら携帯のほうが便利だと言う。これは今後、空気が変わるな、と思って。

三者に価値を提供できるプロジェクトだった

 プラットフォームのオープン化は、実は当初、どれくらい難しいものなのか、よくわからなかったんです。最初は軽い感じでゲーム開発者向け、ユーザー向け、と段階的にリリースすればいいんだ、くらいに思ってた。ところが、いろいろ調べていくうちに、それではビジネスとして成り立たないことに気がついたんです。最初からフルスペックでやらないといけない、と。でも、時間はない。

 仕様は、GoogleのOpenSocialに則ればいいと思っていました。なぜなら、先にオープン化した「mixi」もそうだったから。ところが、上司からは「本当でそれでいいのか。独自APIのほうがいいんじゃないか」という声が飛んできて。否定されるわけです。よく考えれば、SNSのオープン化という流れ自体、僕は詳しくなかった。自分で使ってみて自分で結論を出すという基本を忘れてた。結果的に、どうしてOpenSocialでなければいけないか、ロジックが自分の中にできて、これが後々まで大いに役立つことになるんです。後で思えば、だからこそ上司はあんなふうに言ったんだ、と思いましたね。

 あとは優秀なエンジニアをアサインして、一気に作り込みに入りました。スケジュールは大変でしたが、自分自身でもコードを書いて手応えをつかんでいって。だから、ブレなかったんですよ。まぁ、それでもよくあの短期間でやれたな、とは思っています。

 プロジェクトを終えて面白いと感じたのは、三者に価値を提供できる仕事だったことです。ユーザーには新しいコンテンツの楽しみを、ゲーム開発者には新規のビジネスの場を、そしてOpenSocialを使ったことで、技術者にも声を発信できるようになったこと。これほどのスケールでOpenSocialを使っているところは、国内で2社しかないわけです。3方向にアピールできたプロジェクトというのは、まれに見るプロジェクトでした。こんなチャンスを与えてもらったことに感謝していますね。

OpenSocialのアーキテクチャーを変えたい

 数年後になるかもしれませんが、個人的に考えているのは、今のアーキテクチャーを変えてみたいということです。正直なところ、携帯電話におけるOpenSocialのアーキテクチャーは、一足先にオープン化していた「mixi」に合わせたところがあるんです。これはいろんな理由があります。何より、合わせないとゲーム開発者が大きく混乱する可能性があった。

 でも、個人的には、このアーキテクチャーが極めてイケている仕様だとは思っていません。OpenSocialの仕様変更を促して、もっとパートナーに負担をかけない仕組みもできると思うんですね。これからはもっと多くのパートナーに参加してもらって、サイトが盛り上がっていかないといけない。

 また、スマートフォン向けの開発も今後は必要になってきます。そのタイミングも見計らって、今後の新しい動きにつなげていきたいと思っています。それまでは今のオープン化のサービスを担当していたい。OpenSocialのコミュニティでも、いろんな議論をしてみたいと思っています。

 その後のことは考えていません。私のキャリア形成を見ていただくとわかりますが、極めて行き当たりばったりですので(笑)。そのときそのときに面白いことが見つかればやりたいですね。しかも新しいことです。

 ただ、やっぱりずっとコードは書き続けていたいです。頭で考えてもわからない人間なので、自分で手を動かせていたい。手を動かすことで結果を作っていきたい。「プログラムを書かないマネージャーはいない」というのが持論です。常に技術に触れていないと上司としての説得力も伴いませんから。自分に技術があってこそ、まわりの人を巻き込むことができるし、ビジネスとして発想することもできると思っているんです。

デキるエンジニアが、社内にゴロゴロしていた

 DeNAに入ってすぐの印象を今も覚えているという。大きな会社だ、という一方で、エンジニアが想像以上に少なかった。よくこれだけで人数で回せているな、というのが正直な思いだったのだという。木村さんは、これまでいろんな会社でシステム開発を見てきた。マネージャーを中心に大人数が携わり、驚くほど細かな工数管理が行われていた会社もあった。だが、だからこそ大人数でもシステムが動くのだと感心した部分もあった。

 ところが、DeNAでは、大きなスケールの開発が必要になるにもかかわらず、そうした仕組みはまったくなかった。細かな小さい単位で仕事が回り、それが重なって全体として大きくなっているイメージ、と木村さんは語った。こんなやり方もあるんだ、と逆に感心したのだという。

 そしてもうひとつ驚いたのが、木村さんが定義している優れたエンジニア「インフラ、サービスからマネタイズまで考えられるエンジニア」が、社内にゴロゴロしていたことだ。それは、社内で少し話してみるだけでもわかった。いるところにはいるもんだ、と改めて思ったという。そして自らがそうであり、そのスキルをさらに磨こうとしていた木村さんにとって、大いに刺激的な場になったことは言うまでもない。

 過去には仮想化クラウドなど、極めて難しい技術にも携わってきた。その意味では、携帯技術そのものに驚くほどの難易度の高さがあるわけではない。ただ、法人向けビジネスとはスケール感がまったく違う。そして、それだけのスケールの中で障害の危険性を認知しながらも、新しいことに積極的に挑む姿勢が強いことにも驚いたという。

 しかも、仕事スピードが速い。木村さんは言っていた。「えっ?このスケジュール?ということはよくありますね(笑)。それこそ刺激過ぎる環境ですよ」。驚くほどのスピードでのサービス開発も実現していくのは、こうやってエンジニアが腕を上げていく環境があるから、なのである。


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