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ベータ、ピピンアットマーク、FM-TOWNS etc.
時代を先取りしすぎ?今だから評価したい入魂の名製品
はるか昔に発売された製品を見て、「このアイデア、現代でも十分に通用するのではないか?」などと思った経験は、誰もが持っていることだろう。エンジニア300人アンケートから、支持の高かったプロダクト をフォーカスしてみた。
(取材・文/井元康一郎 総研スタッフ/宮みゆき)作成日:06.10.04
往年の名品、珍品。そこにはエンジニアの熱いソウルが!
ハイスペックテクノロジーを妥協なく追求したり、時代を先取りするアイデアを盛り込んだプロダクトが、必ず成功するとは限らない。名品と呼ばれるモノがある一方、時代尚早で姿を消していった名品も数多くある。しかしそれらに共通して存在しているのは、自分の夢や理想を追求してやろうというエンジニアの熱いソウルだ。だからそういう 製品は、いつ見てもおもしろい。
ソニー:ビデオデッキ“ベータマックス” SL-6300/標準規格とはならなかったが、性能では他メーカーを圧倒
ビデオデッキ"ベータマックス" SL-6300
 ソニーが考案したビデオ規格。現在ではVHS系がビデオテープの代名詞となっているが、かつてVHSとベータが主導権を激しく争った時代があった。ベータは画質、音質など、クオリティの面でVHSを陵駕し、コアなファンも存在していた。
  しかし、カセット、デッキ双方とも精度の高さを要求し続けたことからコスト面で劣勢に立たされ、ビデオの標準規格とはならず、2002年に最後のモデルが製造中止となった。
 ソニーは現在、同様に性能重視のBlue-Rayをリリース。コスト高をはねのけて次世代光ディスクの標準争奪戦では優位に立っている。リベンジなるか!?
画質もきれいだったし、VHSとの競争に負けなければ今でも普及していたと思う。(研究/41歳)
画像が当時では他製品と比べてもダントツにすばらしかった。ソニー以外で対応できるメーカーがなかったのでが残念。(機械設計/39歳)
ソニー:MSXホームパーソナルコンピュータ“HIT BIT”HB-55/先進の3.5インチFDDを装備したMSXコンピュータ
MSXホームパーソナルコンピュータ"HIT BIT"HB-55
「人々のHiTBiT〜」という松田聖子のTVCFとともに83年に発売された。パソコンの統一規格MSX2に準拠するマシンで、そのデザインに萌えたファンも少なくなかった。
 上位機種はソニーが生み出した3.5インチFDDを装備。当時FDDはまだ珍しく、価格も高かったが、何と2スロット標準装備というものまであった。また256kbRAM、漢字ROMなどを備え、利便性はMSXのなかでもきわめて高かった。
 オプションのパレットボードを使えば4096色表示が可能といったマルチメディア志向、デザイン性の高い外観などのDNAは、後にVAIOに受け継がれ、花開いた。
当時、5万円位で買うことができ、ゲームをしたり、自分でプログラムを作ったりしていました。現在は、TVチューナー付のパソコンが主流ですが、逆の発想でTVをモニターにしてしまうところに感心しました。
(品質管理/44歳)
パイオニア:レーザーディスク/画期的な高画質、高音質を誇った光ディスクの草分け
レーザーディスク
 ビデオ全盛期の80年、オランダのフィリップスが作った光ディスク規格、レーザーディスク再生機をパイオニアが世界で初めて市販した。
 レーザーディスクのメディアは直径30cmと、LPレコードと同じ大きさで、さらに表裏もあった。例えば、120分の映画をかける場合、1時間ほど経ったところでひっくり返さなければならなかった 。だが、磁気テープであるビデオとは段違いの高画質、高音質で人気を博した。
  しかし、ソフトのタイトルがなかなか増えなかったため、その後次第にメジャー路線からは姿を消す。
 音質、画質の良さ、ソフトが劣化しにくいといった特性から、現在も同技術を使った「レーザーカラオケ」などが、健在である。
現在主流となったDVDの先駆けとなった技術だと思う。(生産技術/31歳)
DVDが出る以前に発売されたが、画質はVHSとは比べ物にならないほどよかった。いまだに私は愛用している。今であればコスト的な問題もクリアできたのではないか?(研究/32歳)
NEC:PCエンジンLT/どこでも高品位画面でプレイできるラップトップ型家庭用ゲーム機
PCエンジンLT
 かつて日本電気ホームエレクトロニクスがリリースしていたゲーム機。PCエンジンにはさまざまなバリエーションがあった。カートリッジやCD-ROMを差し込んでデータをローディングする方式が基本で、プレイ画面にはテレビを使用していた。このPCエンジンに液晶モニターを実装し、どこでも高品位画面でプレイできるようにしようとしたのが、このPCエンジンLT。
  しかし価格は9万円台と、スーパーファミコンやプレイステーションといったライバルの数倍。液晶がまだ高価だった時代の産物で、その価格では普及は困難だったと思われる。
 現在の高画質のポータブルゲームが当たり前に普及している時代と比較すると、同製品はやはり、早すぎた逸品と言える。
本格的携帯用ゲーム機としては、おそらく初の折り畳み式で、驚異的な拡張性を秘めていた。当時、今から考えても価格的にはぶっ飛んでいたが、それを市販化したことは、今冷静に考えるとすごいと思う。
(生産技術/26歳)
シャープ:MZ-80B/OSを外部記憶装置から起動させるクリーンコンピュータの開祖
MZ-80B
 80年代初頭は、コンピュータと言えば大型のオフコンかボード型のマイコンという時代だった。81年、シャープはZ-80(8bit、4MHz)をCPUに使ったビジネスPC、MZ-80Bを発売する。
 OSを記憶装置から読み込み、メモリを任意に開放できるというクリーン設計はハードの制約が高い時代、画期的であった。だが、毎回OSをテープドライブから読み込むのはなかなか手間がかかる ため、FDDもオプションで用意されたが、これが約30万円と本体以上に高価であった。
  だが、HDDなどを使って起動する発想は、現在のパソコンを先取りしていた。
ホビーパソコンの先駆といってよいと思う。雑誌などを見ながらゲームプログラムを夢中になって書いていたのが懐かしい。(機械設計/36歳)
富士通:FM-TOWNS/TownsOSで独自のGUIを実現も、MS化の波に呑まれ……
FM-TOWNS
 89年、富士通がNECのPC-9801シリーズに対抗して発売した32bitPC。当時新鮮だったのは、MS-DOSをベースとした独自のOSであるTownsOS。マウスによるポインティングだけでPCを操作できるGUIを実現し、X68000と並んでMacintoshやMS-Windowsに真っ向勝負のやる気を感じさせた。また、CD-ROMを搭載する世界初のPCとなるなどマルチメディア性が強かったため、工業高校や高専では“業界標準”となった時期もあった。
 世界を舞台としたPCの標準化の流れに抗うことはできず、最後はPC/AT、Windows化の波に呑まれ、消滅した。 だが、パソコン市場における富士通のブランドイメージの確立には大いに貢献、現在もFMVというブランドに名残をとどめている。
CD-ROM標準搭載の先駆け。今だったら当たり前だけど当事はDOSの時代で先進的でした。
(品質管理/44歳)
CD-ROMが付いていたし、独自のOSでリンクなどもはることができた。おもしろいPCだった。
(セールスエンジニア/36歳)
バンダイ:ピピンアットマーク/登場が早すぎたアメリカ主体のハイエンドゲーム機
ピピンアットマーク
 ゲーム機のハイスペック戦争が勃発するはるか前の96年、CPU=モトローラPowerPC、拡張可能なRAM、VGA出力など、まるでPCのようなスペックの高性能ゲーム機、ピピンアットマークをバンダイ(現、バンダイナムコ)が発売した。
 アメリカ市場を主眼としていたためか、インターネット接続機能を早ばやと実装するなど、先進性では群を抜いていた。 
  しかしパソコンベースであるためスターティングプライスが6万円と高価だったことなどが災いし、販売は低迷。 だが、高価な部品を使ってでも性能を出すという姿勢は、今のハイエンドゲーム機の先がけと言える。
手ごろにインターネットができるというのはすばらしかったと思うが、いかんせん当時のインフラが貧弱すぎた。現在のようにブロードバンドが隆盛を極めている時代に搭乗していたらパソコンの敷居が高いと感じるユーザー向けに随分な台数を売り込むことができたと思う。(品質管理/25歳)
インターネットが出来るゲーム端末。ダイヤルアップ、従量課金の時代でネットゲーということだったが結局撤退。明らかに早すぎた製品。(半導体設計/38歳)
今ほど高速回線も普及していない中、手軽にネット接続出来る商品だったから。
(機械・機構設計、金型設/36歳)
ソニー:電子スチルカメラ“マビカ”MVC-C1/81年登場のデジタルカメラのルーツ。DPEの壁は高かった!?
電子スチルカメラ"マビカ" MVC-C1
 デジカメという言葉など影も形もなかった81年、ソニーは世界初の電子スチールビデオカメラ、マビカの試作品を発表。CCD撮像素子はじめ、技術のブレイクスルーへの果敢な挑戦だった。88年にはCMOSを使ったモデルを市販した。
  しかし、写真を撮ってもテレビなどで鑑賞するだけで、印刷する術がないことがネックとなり、広く普及することはなかった。また画像も粗く、カメラユーザーの評価を得ることはできなかった。
  だが、技術的方向性は間違っておらず、デジタル化、撮像素子や画像エンジンの性能向上、PCの普及にともない、デジカメ時代の到来を迎えるに至った。
今のデジカメの走りだったが、当時はまだパソコンの能力も低く、当時はフィルムカメラに対する優位性が評価されてなかった。だが、フロッピーディスクに画像を記録するという発想は斬新だった。
(研究/32歳)
勝ち組、負け組では分けられない、チャレンジ精神がモノを輝かせる
 世の中のプロダクトを見ると、大ヒットとなるもの、高い評価を受けながらも売れないもの、あまり理解されないもの、そして突拍子のなさが話題の対象になるようなものなど、悲喜こもごもである。が、本当に売れたもの、評価されたものばかりが良いものなのかというと、それは断じて違う。良いものとは、会社にとっては売れるもの、ユーザーにとっては理解できるものだろう。

 では、技術者にとって良いものとは?……自分の理想とするエンジニアリングに向けて、果敢にチャレンジしたものなのではなかろうか。チャレンジすることがなかなか難しい今の世の中、夢をや理想を盛り込みながら 今は消えていった昔のプロダクトが輝いて見えるのは、まさにエンジニアや会社のチャレンジ精神がそこにかいま見えるからであろう。エンジニアよ、夢追い人たれ!

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  官みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ  
宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ
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実はこのレポートでは紹介しきれないほど、アンケートでは懐かしの名製品がずらり挙げられました。これら名製品の技術、発想が現在の製品開発にどう生かされて、引き継がれているのか、当時の開発者のみなさんにお話を聞いてみたいところでしたが、それはまた次の機会に。皆さんの懐かしの名製品は何ですか? ぜひお聞かせください。
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