とやかく言われるのは自分の中に迷いがあるから
君が幸せそうに生きている姿を見たら、誰も何も言えないはずです。周囲からとやかく言われるのは、君の心の中に迷いがあり、君自身の中に違う仕事との比較があるからじゃあないでしょうか。大事なことは自分が笑顔で充実して一日を過ごせるかどうかでしょう。それができていないから悩むのであって、そんなに国立大卒であることが気になるのなら、それに合うと思われる仕事に就けばいい。厳しいようだけど、僕はそう思います。
子供に教えることが大好きだったから、僕は教師になりました。大学卒業時には、それこそ就職してエリートの道もあった。学生ながら塾で教えて1000万円以上の年収があったし、「なぜ教師に?」って不思議がられたほど。でも、僕はみんなが幸せに生きる社会をつくりたいと学生運動に参加して挫折し、世の中は外側からじゃなく、人の内側から変えていかないとならないんだって気づいたんです。そのためには、子供たちに正しいことを見る目、人の優しさや哀しみを受け止める純粋さを教え、一緒に学びたいと思った。だから、教師以外の道は考えませんでした。
でも、高校の社会科の教壇で「子供たちに人生語るんだ!」って夢見ていたのに、最初の赴任先は養護学校。授業を教えるどころか、重い障害を持つ子の生活訓練ばかりで、正直「何でこんなことを」って思ったんです。養護学校にいることに負い目を感じてた。君と同じような心境じゃあないかな。そして3カ月目、男子生徒のおむつ替えをして、温度も確認せずに冷たいシャワーをうっかりかけてしまった。普段声を出さないその子がびっくりして声を上げたのを見て、先輩教員が僕のことを殴ったんです。「この子に何の罪があるんだ。この子がお前に何をした。そんなにこの仕事が嫌なら辞めてしまえ! 居るだけで迷惑だ」って。すごく恥ずかしかった。その頃は子供たちの優しさや良さに気づいてた時期で、すごく考えさせられた。「ここで自分ができることはたくさんあるし、少なくとも目の前のこの子だって僕の助けを待ってるじゃないか」と。殴られてから僕は変わりました。
辞める気がないのなら笑顔で仕事を貫いてみる
君も周りに怪訝な顔をされようと、何と言われようとも、「でも、幸せなんだよ」って言えるのならいいと思う。それが言えないんだったら、もう一度、人生を考え直せばいい。その後に赴任した進学校の卒業生たちが教師になって、「先生がいつも幸せそうにしていたから、教師は楽しい仕事だと思ってなったのに騙されました」って言われる(笑)。「でも、それは考え方ひとつじゃないのかな」って僕は答えてます。
つまり、自分で幸せと思えば幸せ、不幸と思えば不幸なんです。僕はよく子供たちに「過去を捨てなさい」と言う。過去にこだわって引きずると、今日を過去で生きてしまうから。そして悩むことはやめなさい。悩むのは答えが出ないから悩むのであって、答えが出ることは悩む前に出ている。わざわざ悩んで自分を不幸にすることはないんです。
僕が君に「辞めたら?」と聞く。でも「辞める気はない」と言うなら、笑顔で今の仕事を徹底して貫いてごらん。辞めることも仕事を貫くこともできないのなら、生きるためと割り切って、糧を得るために働くというやり方だってある。そして、それ以外の時間を趣味なり、次につながるキャリアを積んでみるんです。一度違う仕事をしてみて、また前の仕事が良かったと思ったら戻るという方法だってある。後は君の考え方ひとつです。