最高視聴率42パーセントの
時代劇『三匹の侍』など、
テレビドラマに出演する一方、
舞台俳優としても活躍。
60年以上、第一線で
俳優を続けられた理由とは
学芸会に出たこともない内気な少年が、映画監督になりたくて俳優座に
僕は内気な子どもだったんです。生まれてすぐに父親がなくなり、母一人子一人で育ったものですから、集団の中にいても目立たないようにふるまう大人しい子どもで。小学校の学芸会にも出たことはありませんでした。
初めて芝居をしたのは、高校生の時。たまたま演劇部から声をかけられたんです。僕が通っていた高校は広島の田舎にありましたから、男性が芝居をするなんて雰囲気は全くなかった。そのため、演劇部は女性ばかりで男性がいないので舞台に出てくれないかと言われて。僕は広島市内から疎開してきたため、雰囲気が違って見えたんでしょうね。「ひょろひょろしたのがいる」と、声をかけられたんだと思います(笑)。
舞台に立って、人前で何かをするということに、少しは快感を味わったような気はします。でも、舞台俳優になりたいとまでは思いませんでした。田舎ですから芝居を見たこともなかったですし。
ただ、映画だけはよく観ていましたので、映画監督のような仕事ができたらいいなと考えていました。でも当時、映画監督といったら、大学に行って映画会社や撮影所に入り助監督になる…というのが一般的なコース。でも、僕は数学、化学といった理系が大の苦手で、大学受験は難しいんじゃないかと。
そんなとき、たまたま演劇部に置いてあった『悲劇喜劇』という雑誌に、俳優座養成所の募集記事が載っていて。3年間の座学のなかには演出家の授業もあると書いてあったので、行ってみるかと。試験を受けて一度は落ちたんですが、二度目の挑戦で入ることができました。俳優座は新劇ですから、入ってくる俳優は社会的意義に目覚めて志したという人が多かったんですが、僕は違った。実に不純な動機だったんですよ。
10年かかって、やっと自分のやりたい芝居に出会った
そんな調子ですから、養成所でも気楽に過ごしていたんです。背が高かったから養成所が修了した後も俳優座の座員にもなれました。そしたら運のいいことに入座1年目に、NHK芸術作品の主役に抜擢されたんです。その後もテレビドラマ『三匹の侍』がブレイクしたので、映像関係の仕事がどんどん入ってくるようになって。
芝居に本気で取り組むようになったのは、俳優座に入って10年くらいしてからです。劇団四季の浅利慶太さんから声がかかったんです。「日本の芝居には、すべてを言葉で表現する朗唱術というものが確立されていないので、新劇の中堅クラスを集めて実験的にやってみたい」と。それで、僕、渡辺美佐子さん、市原悦子さん、日下武史さんで「アンドロマック」という作品をやりました。フランスの劇作家・ラシーヌ作の恋や復讐といった情念を描く芝居。アクションがあるわけでなく、言葉だけで男女のすれ違う愛情を表現するというものです。そのとき、僕は初めて自分のやりたい芝居に出会いました。僕がやりたかったのは、人間の情念を言葉で表す芝居だったんだと。
浅利さんは次に「ハムレット」をやらないかと言ってくれました。やりたいとは思ったのですが、そこには難しい問題があった。その公演は、劇団四季の15周年記念公演だったので、他劇団の役者が演じるのはどうかと。そこで浅利さんから「劇団を辞めてくれないか」と言われたんです。「アンドロマック」でつかんだ手応えがなかったら、“寄らば大樹の陰”で辞める決断はしなかったと思います。でも、僕の中で「アンドロマック」で体験した熱い思いが大きく作用して、結局、俳優座を辞めることにしました。ただ、僕はもともと集団の中では生きられない性格なので、「劇団に入らない形で参加したい」と浅利さんには言いました。そうしたら、浅利さんは「団友」という制度をつくってくれましてね。それで参加させてもらえたんです。
その後7年間、日生劇場で主役をやらせていただくことができました。舞台俳優として進む道がみつかったわけですから、あのとき劇団を辞める決断をしてよかったと思っています。
浅利慶太氏と蜷川幸雄氏。
日本を代表する、全く対照的な
2人の演出家と長く組んで、
得たものとは何だったのだろうか
基礎を積んで初めて、自由にやれる面白さを得られた
浅利さんとの芝居は相当に大変でした。言葉を深く洗いなおす作業ですからね。「愛している」といっても実は憎んでいるとか、言葉にはいろいろ裏表があるわけです。しかも、当時は劇場でマイクは使いませんから、劇場の奥まではっきり届くようにきちんと発声しなくてはなりません。それができた上での表現ですからね。とても難しく大変でしたが、すごく鍛えられました。7年間の間で培った「言葉をちゃんと伝える」という技術が、次の蜷川幸雄さんとの舞台に生きていったんです。
その後、浅利さんはミュージカルの路線になって、僕も一度はミュージカルに出たんですが、毎日胃が痛くなる思いをして。基礎がないミュージカル俳優は後から来た人にすぐに追い越されるに違いないと。そんなとき、偶然、蜷川さんと出会うんです。
当時、蜷川さんは松本幸四郎さんと「ロミオとジュリエット」「オイディプス王」などをやっていて、注目の演出家でした。一方で蜷川さんは俳優でもありましたから、僕が刑事役で出ていたテレビドラマに、蜷川さんが犯人役で出演したんです。その撮影の待ち時間に、立ち話で「あなたがやっている芝居に僕も出してくれませんか」と僕から話をしたんです。
僕は自分からアピローチすることはほとんどありません。僕にしては珍しいことでした。でも、次の道を探していたところでしたし、蜷川さんに何か感じるものがあったんでしょうね。まずは、三島由紀夫さんの追悼公演を一緒にやることになりました。
浅利さんは「まっすぐ立って前を見据えてセリフを言え」という人でしたから、少し窮屈だなと感じていたんです。対して蜷川さんは「寝っ転がってもいい。なんでもやれ」という“怒鳴る演出家”。なんでもありの蜷川さんと出会って、非常に面白かったですね。自由にやれる面白さに出会ったというのかな。それから蜷川さんとは、途中、10年の空白の時間はあったものの、40年近く一緒にやりました。
僕は今年82歳になって、60年以上役者を続けてきたわけですが、それだけ長く続けてこられたのは、いいタイミングで人と出会えたということがありますね。俳優座で基礎の技術を磨かせてもらって、本当にやりたいと思う路線を浅利さんの「アンドロマック」で見つけて。自由にやれる面白さを蜷川さんからもらった。
自由にできたのは、基礎があったからです。「自由にやれ」と言われたからといって、何でもかんでもむちゃくちゃにやればいいわけではなくて、言葉を大事にするという基礎を積んできたから、自由に演じることができたんだと思います。
観客は移り気。だから、評価を背負わず、潔く生きる
9月から「クレシダ」という舞台が始まります。劇団の子どもたちを俳優に育てる演技指導者の役です。またそれがとんでもない教育者で(笑)。在籍していない俳優の分までお金を請求し、老後のために貯めこんだりするような男です。でもそんな男でも、演技を教えているうちに、ついついのめりこんで夢中で教えてしまうんです。かつての役者魂がよみがえってくるんですね。
確かに、役者にはそんな魅力があります。僕がここまで続けられたのは、運にも人にも恵まれたからだけれど、同時に努力もたくさんしてきました。いい結果を生むためには、人には見えないところで努力をし、技術的なことも感覚的なことも磨き上げていかなきゃならない。その努力が評価されて、観客がブラボーと言ってくれることで報われる喜びがある。だから苦しくとも続けていけるんじゃないでしょうか。
俳優は、いつか消えるという危険も多分に秘めています。観客というものは移り気ですからね。そういう経験は僕も何度もしています。
だから、評価に執着しないこと。潔く生きたほうがいい。次にもっといいものを作りたいという気持ちだけ持って、過去にしがみつかない。昔はこんなにすごいものができたのだから、という思いが残っていては先に進めません。次々と新しい人が出てきて、自分を追い越していくかもしれない。老いてきて力強かった自分を再現できないというつらさがあっても、それもまたよしとする。
蜷川さんとの仕事は、はじめは全く評価されませんでした。今でこそ高い評価を受けている「王女メディア」も、最初は、変なことやる連中だと好奇の目でしか見られなかった。でも、海外で高く評価されてからは、国内の評価もついてきました。それは嬉しいことですが、背負わないほうがいい。その場で終わりにして、潔く、次に進む。過去の評価は背負わない。潔く捨てていく。それが大事なんじゃないかと思うんですよ。
『CRESSIDA(クレシダ)』
1630年代のロンドン、グローブ座。当時、劇団は男性で構成され、女役は若い少年俳優が演じていた。かつての名優シャンクは、晩年、この劇場の演技指導者になっていた。そこへ養成所からある少年が入所を希望する。彼の話し方は非常に幼く、シャンクは入所を断るのだが、いつしかシャンクは指導にのめりこむようになるが・・・。
作/ニコラス・ライト、演出/森新太郎、出演/平幹二朗、浅利陽介、碓井将大、藤木修、橋本淳、花王おさむ、髙橋洋、企画・製作/シーエイティプロデュース
東京公演:2016年9月4日(日)〜9月25日(日)、シアタートラム
水戸公演:2016年10月1日(土)〜10月2日(日)水戸芸術館 ACM劇場
大阪公演:2016年10月8日(土)〜10月9日(日)サンケイホールブリーゼ
問い合わせ:【チケットスペース】電話03-3234-9999
http://www.cressida-stage.com/
- EDIT/WRITING
- 高嶋ちほ子
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 栗原克己
- Hair&Make
- 西岡達也(Vitamins)
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