2011年、『下町ロケット』で
第145回直木賞を受賞した池井戸潤氏。
同書は36万部のベストセラーとなった。
どうやって人気作家となり得たのか。
自分の強みを見極めなければ、生き残れなかった
作家になるのは、小さいころからの夢でした。特に江戸川乱歩が好きで、学生時代にミステリを書いたこともあります。でも、それはあくまで趣味の小説。自分の作品を客観的に見て、商業出版としては成立しないと思っていました。当時は、どういうものを書けば売り物になるのか、まではわかりませんでしたけど。それがわかったのはずいぶん後、実際に作家になっていろんなことを試行錯誤するようになってからのことです。
銀行に就職したのは、なんとなく、です。バブルの時代でしたから、就職活動の2日目には決まって、そのまま。でも、やっぱり合わなくてね。銀行では中小企業に資金を融資する仕事に就いていたのですが、その仕事自体はすごく面白かったものの、会社員である以上、その会社のやり方というものに、ある程度、従っていかなくてはならないでしょう? それが会社員のいいところでもあるんだろうけど、僕にはそれが、なんだかマニュアルが用意されているように感じられて、とても窮屈でした。結局、7年間勤めて退職し、自分で顧客データベースをつくる会社を起業しました。ところがこれが、全然思うようにいかなくて(笑)。一人で始めた会社だったので、看板も資本力もないわけです。この2つは、競合他社に対して優位に立つために欠かせないもの。このままでは生き残れないのは明らかでした。
そこで、真剣に考えたんです。自分が持っている強みは何なのか。まず、銀行での経験から、中小企業の資金調達については誰よりも詳しいと思っていました。それから書くことも、まあ得意だと。この2つの強みをあわせて、中小企業の社長向けにお金の借り方のノウハウを書き、出版社に持ち込みました。そうしたら、この原稿が『銀行取扱説明書』というビジネス書になったんです。
それから3年で10冊ぐらいビジネス書を書いたかな。雑誌にも署名記事を書かせてもらい、いわゆるライターの仕事をするようになりました。そのうちに「ちょっと経営を見てくれないか」と声をかけてくれる会社が出てきました。こういう仕事の広がり方は、会社員時代には経験できなかったことでした。自分の強みを活かして仕事を始めると、思わぬところからボールが飛んでくるようになる。それが面白くて、どんどんいろんなことに挑戦するようになっていきました。
小説家になったのも、自分の得意なことを探した結果なんです。というのは、ビジネス書を書いているうちに、やはり息苦しさを感じるようになってきて。ビジネス書は企画が先行します。極端に言うと、企画さえ面白ければ書き手は誰でもいい。僕にはそんな風に感じられて、嫌だったんです。もっと自分のオリジナリティが出せるものを書いてみたい。だったら、ライターよりも作家のほうがいいじゃないか、作家になるのが夢だったじゃないかと。そんなわけで江戸川乱歩賞に応募したら、1作目は最終選考で落選。その後、銀行員時代の経験を活かして書いた2作目の『果てる底なき』で受賞することができました。
僕がよく思うのは、チャンスは目の前の仕事の中にしかないということです。うまくいかない、好きになれないと、不満を言うだけなら、誰でもできる。でも、会社のせい、世の中のせいと、置かれた環境のせいにして腐っていたら、一生そのままです。そこで立ち止まらず、どんな小さなことでもいいから目標を持ち、自分の手で実行に移してみる。日常を変えてみる。キャリアを開いて自分の理想の仕事にたどり着くには、これが何より大切なんです。
取材が必要なうちは、本当の作家とはいえない
自分のことを考えてみても、銀行やその後のコンサルタントの仕事が今の仕事に役に立ったことはたくさんあります。それもやっぱりその場その場で一生懸命やっていたからなんですよ。よく、小説のネタはどこから仕入れてくるのですか、と聞かれますが、小説のネタなら無尽蔵にあります。会社のことなら銀行員時代に何百社と見ていますし、人間関係を書くにしても、普段の生活を大切に過ごしていれば、特に取材は必要ないんです。
直木賞を受賞した『下町ロケット』も、取材したのは2、3人だけ。それで十分。思うに小説というのは、基本的に人間を書くもの、心情描写をするものなんですね。それは、普通の生活の延長線にあるものだと僕は考えています。だから特別な取材はいらない。その時自分と話している人や、電車のなかで見かけた居眠りしている人。そういうごく普通のこと全部が小説の素材です。よく感性なんていい方をしますが、作家になれる人とそうでない人の違いがあるとしたら、そこをスルーするかどうか、だけだと思う。だから設定は普通でいいんですよ。
小説を書こうとすると、多くの人は凝った設定にしようとするでしょ。そのために何年もかけて取材をしなくちゃ、と思ったりする。それではいつまでたっても先に進めないですよね。大切なのは、その時の自分が持っている武器で、まず書いてみること。これは、どんな仕事でもそうなのではないでしょうか。あれもこれも必要だと考えてばかりいては、身動きがとれなくなるばかりです。そうではなくて、今、できることのなかから、自分なりに始めてみることが大切なんです。現状を打開するヒントは、自分の中にあるものなんですよ。
「小説のネタには困らない」という池井戸氏。
しかし、執筆活動をする上で、
危機感を忘れたことはないという。
チャレンジすることを止めたら、すぐに右肩下がり
作家になってみてわかりました。商業出版に要求されるのは、何よりも「新しさ」なんです。テーマでも文体でも何でもいいから、「こんな小説読んだことない」と言われるものがないと、商品にはなりません。だから作家は、いつも新しいものを探さないといけない。一度売れっ子になった作家でも、そこにあぐらをかいていたら、あっと言う間に読者は離れていきます。だって、小説なんて読まなくても生きていけるでしょう。それが一冊1700円もする。下手したらランチ3回分です。それを買ってもらうというのは、よほどのことです。
僕もずっと危機感があります。いつも「ほんとに大丈夫か、おれ?」と思っていますよ。 『下町ロケット』は36万部売れました。だけど、まだまだ全然足りないと思っています。日本国民1億2000万人が買ってくれるのがベストですけど、少なくとも1000万人に読んでもらって「これすげえな」と言わせる小説を考えていかなくちゃ。
新しいことにチャレンジするのを止めたら、すぐに右肩下がりになります。これは、作家に限らず、どんな職業にも言えることだと思います。会社のなかにいると「ここまではやって欲しい」という仕事が決まっていますが、それだけやっていたのでは、必要とされる人にはなれない。ほんの少しでいいから、求められた以上のもの、つまり“付加価値”をつけるのがプロフェッショナルのあり方だと思うんです。
僕も銀行では、自分にしかできないことを、意識してやっていました。例えば、とある融資先の社長が「池井戸くん、1億円頼むよ」といってきたら、2億円の稟議書を書いていたことがあります。というのも、この会社は「すまん、あと5000万」とちょくちょく言ってきていたので。いざそうなったら、「ちゃんと用意してありますよ」といって1億5000万を差し出す。そうやっていれば、自然と周囲からできるヤツ、と思われるし、何より仕事が楽しくなりますよ。
自分にしかできないというと大変なことのように感じるかもしれません。でも、それは些細なことでもいいんです。上司に「書類作っておいて」と頼まれたら、言われなくてもホチキスで止めておくとかね。そうやって付加価値をつける習慣をつけておくと、「あいつは使える」となって、面白い仕事がどんどん回ってくるんじゃないかなあ。ほんとにちょっとしたことだけど、これを何十年と続けたら、できる人とできない人の差は天と地ぐらい開いてしまいます。
たった一度の失敗じゃ、人生の勝ち負けは決まらない
ただし、チャレンジを続けるには、心の余裕がないとダメ。人間って、不安に駆られると創意工夫できないものなんです。「何でうまくいかないんだろう」とか「失敗したらどうしよう」とか悩んでいると、頭がロックされて、面白いことをしてやろうという気持ちにならない。どんどんどんどん狭い道へ入り込んで、身動きがとれなくなってしまう。そこは、気持ちを切り替えるスキルが必要ですね。
人生は、一発で勝負が決まるトーナメント戦じゃない。総当たり戦なんですよ。今は負けが込んでいてもこれから勝ち続けるかもしれないし、その逆もあり得る。就職や転職も、これから延々と続く勝負のうちたった1つに過ぎません。
負けても、また次を頑張ればいいんです。本当の勝負が決まるのは、死ぬ前、ベッドのなかで身動きがとれなくなったときぐらいじゃないですか。いくつになっても、人生は逆転可能なんです。そうやってロングスパンで人生を眺めてみると、一度ぐらいチャレンジに失敗してもいいかな、という心の余裕ができます。
それに、一生懸命努力している人は、何度か負けることはあっても、全敗はまずあり得ません。もちろん気を抜くと負けが込みますから、常に努力することを忘れてはいけない。そのためにはものすごい精神力が必要ですが、その精神力を磨くためにも、目標に向かってチャレンジし続けなくちゃ。それができる人は、全勝はムリでも、少なくとも6勝4敗まではいきます。一生懸命やっていれば、勝ち越せる。その信念は、いつも持っていないとね。
池井戸潤著
『週刊ダイヤモンド』上で連載されていたエンタテインメント企業小説が単行本化。ロスジェネ=ロストジェネレーションとは、1994年から2004年にかけての就職氷河期に世に出た若者を指す言葉。M&A案件の主導権を握ろうと親銀行と証券子会社が衝突。バブル入社組の銀行員である主人公は、出向先の証券で団塊世代とロスジェネ世代との世代間闘争を繰り広げる。『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』の続編にあたる。ダイヤモンド社から6月28日発売。
- WRITING
- 東雄介
- EDIT
- 高嶋ちほ子
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 栗原克己
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