プロ論。

なぜ、あの人はいい仕事ができるのか。 第一線で活躍する人物の「こだわりの仕事術」を紹介します。 人生はウェイティング・ゲーム。今を一所懸命に生きていれば、いいメッセージがやってきます 高野登さん(リッツ・カールトン前日本支社長)
たかの・のぼる●1953年、長野県生まれ。 プリンスホテルスクール(現日本ホテルスクール)第一期卒業。 74年に渡米し、ザ・キタノ・ニューヨーク、ニューヨーク・スタットラー・ヒルトン、ニューヨーク・ザ・プラザホテル、サンフランシスコ・フェアモントホテルなどを経て、90年にザ・リッツ・カールトン・サンフランシスコの開業に参画。94年、日本支社へ転勤、日本支社長となり、97年にはザ・リッツ・カールトン大阪を開業に携わる。2007年にはザ・リッツ・カールトン東京を開業。2009年にリッツ・カールトンを退職後は、著述業・講演を中心に活躍。人とホスピタリティ研究所代表。 著書に 『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』など。
2012年3月14日

74年に渡米。
以来、35年に渡ってホテル業界で働き、
94年にはリッツ・カールトンの
日本支社長となった。
「実は、ひどい人見知り」だと語る高野氏が、
ホテル業界を選んだのは、
なぜだったのだろうか。

苦手な世界へ飛び込んで、思い込みの殻を破ることができた

私は、昔からものすごい人見知りなんです。商業高校に進んだのも、帳簿をつける仕事ならば人と接しなくてすむ、と考えたからです。非常に単細胞ですけどね(笑)。でも、すぐにそれが思い違いだとわかりまして、今度は理工系の大学に進んで、技術者か研究者になろうと考えました。それならば、人と会わずに研究に没頭していられると思ったからです。

しかし、人生とは不思議なもので、高校3年生の夏の日、ある衝撃的な出会いが、私に訪れました。勉強の合間に受験雑誌をパラパラとめくっていたら、そのなかに1枚のハガキが入っていたのです。よく見ると、ホテルスクールの資料請求のハガキで、そこには「日本初の国際ホテルマン養成学校誕生」と書いてありました。その言葉がまるで雷が落ちたように心に響きましてね。どうにも気になって、そのハガキを机の上に置いておいたら、その存在が私の中でどんどん大きくなっていった。最後は、ハガキがポスターくらいの大きさに見えたんです。これは何かあるなと。それで進路を変えたわけです。

人と会わないように、会わないようにという選択をしていた自分が、ハガキ1枚で人とたくさん接する仕事を選ぶのだから、人生というのはつくづく分からないものだと思います。

ただ、世の中には、2通りの人がいるのではないかと思っています。「幼いころから天命と思えるものに出会って、自分の得意分野で勝負する人」と、「自分は何ができるんだろうと悶々としながら考えた結果、苦手と感じているもので勝負する人」です。私は完全に後者だったというわけです。

高校を卒業して、東京の赤坂にあったそのホテルスクールに第一期生として入学したんですが、周りは今まで出会ったことのない人だらけでした。この前までマグロ漁船に乗っていた、なんていう人もいましたよ。個性的な人に囲まれて最初は怖かったのですが、そういうゴツゴツした人たちのなかにいると、自然と磨かれていくんです。しばらくすると、自分の中にあった「人見知り」とか、「人と接する仕事は向いていない」という思い込みの殻が取れていくのがわかりました。

人生を変えるようなメッセージは、たくさんころがっている

ホテルスクールを卒業して、ニューヨークのホテルで働くことになったのですが、アメリカに渡ることを決意したのも、事故のような出来事がきっかけでした。ホテルスクールの修学旅行で、アメリカの西海岸に行ったんです。走るバスのなかから外をのぞくと、大きなセスナが広大な畑に白い粉を巻いているのが見えました。私の家は農家だったので、すぐにそれが農薬であることがわかりました。地元の村では、噴霧器を背負って手動で農薬をまいていた。それに比べて、アメリカはセスナで一気にまくわけです。スケールが全く違う。「このすごい文化を肌で感じてみたい」その広大な風景を見ていたら、自分の中で何かがはじける音がしたんです。今思えば、何かのメッセージだったんでしょうね。

とはいえ、ずっとアメリカにいようと思っていたわけではありません。最初に勤務したザ・キタノ・ニューヨークというホテルは、2年間の契約でしたから、その後は帰国して海外事業部で働こうかと考えていたのです。

でも、またメッセージが舞い込んできた。アメリカに渡って2年が過ぎようとしたときに、ニューヨークのプラザホテルの宴会場で見た景色が、私を虜にしたんです。ホテルのスタッフが、すばらしい働きをしている。「今のレベルで終わらせていいのか」。プラザホテルの景色は、私にそういうメッセージを与えてくれた。「いつかはプラザホテルで働いてみたい」。そう考えてアメリカに残ることにしたんです。

私の人生はずっとこんな感じで、衝撃的な出会いがあって、その都度、進路を決めていきました。でも、こういうことが起きるのは、何も私に限ったことではないと思います。人生を変えるようなメッセージは、周りにいっぱいあるんです。みんなに公平に降りてくる。そのメッセージを聞くことができるかどうか、それが人生を分けるのだと思います。

私は、「人生はウェイティング・ゲーム」だと思っています。よく、「運がよかった」って、言うでしょう。運というのは、「運ばれる力」のことだと思います。だから、先のことをあれこれ考えずに、メッセージがくるのを待っていればいい。それまで、今を一所懸命に生きていればいいのです。そのうち、これだ、と思うようなメッセージが向こうからやってきます。そうしたら、それにふっと乗っかればいいのです。


後に日本支社長になるリッツ・カールトンに
入社したのは、37歳のとき。
その出会いも、また偶然のものだった。

アメリカで長く働くためには、グリーンカード(永住権)がなくてはなりません。私はグリ―ンカードを取得するために、2年間ニューヨークで働いた後、ペンシルバニアに移住しました。なぜペンシルバニアだったのかというと、ベトナム戦争の後、難民となったボート・ピープルに対し、ペンシルバニアは他の州よりグリーンカードの枠をたくさん設けていると聞いたから。そんな土地だったら、どうにかなるのではないかと考えたのです。

でも、勤務していたホテルは、給料がとても安くて。そのため、朝昼晩とほとんど休みなく働いていましたね。部屋に帰ると疲れて眠るだけの毎日です。いつかアメリカの一流ホテルで働きたいとか、そんなことを考える余裕はありません。考えていたのは、食べていくにはどうしたらいいか。そればっかりを考えて、無我夢中で働いていました。

ただ、ニューヨークに戻りたいという希望はあって、そのことを周りの人に話していたら、たまたま勤務先のオーナーがニューヨーク・スタットラー・ヒルトンの総支配人を知っていて、紹介状を書いてくれたんです。私はそれを頼りにニューヨークに戻りました。

無謀といえば無謀ですね。でも、私の人生はいつも軽いノリなんです(笑)。目の前のことには一生懸命に取り組むけれど、先のことは考えない。私はずっとそれできたんですが、なんとかなるものなんですよ。

どんな人にも同じように思いや使命を伝えることがホスピタリティの原則

リッツ・カールトンに入ることになったのも、偶然の出会いからです。当時、サンフランシスコ・フェアモントホテルに勤務していた私は、その代表として、ドイツで行われたコンベンションに出向いていました。その会場で、リッツ・カールトンの創業者シュルツィと出会いました。

その時はまだ、リッツ・カールトンはアメリカでもあまり知られていない無名のホテル。彼は私に、「私はいつか、リッツ・カールトンをフェアモントより大きなホテルにしてみせるよ。世界中に広げようと思っているんだ。日本にも進出するかもしれないよ」と、目をギラギラさせながら話しました。その彼の姿を見て、「いつか彼と一緒に働く日がくるかもしれない」と感じたのを覚えています。彼の魅力にときめいたと言ってもいいかもしれません。

それから1年経って、フェアモントの契約が切れたのを機に、リッツ・カールトンに転職しました。リッツ・カールトンでは、私の人生の軸ともいえる「ホスピタリティ」を学ぶのですが、今思えば、このシュルツィとの劇的な出会いが、ホスピタリティを目の当たりにした最初の出来事だったのです。

シュルツィと出会ったとき、私は、一介のホテルの従業員に過ぎませんでした。しかし、彼はそんな私にも情熱を持って自分の夢を語ってくれた。私はそんな彼の夢に巻き込まれたいと思って転職を決意したわけです。多くの人はすごい肩書きを持っている人を大切にし、そういう人にだけ饒舌にいろんなことを話そうとします。でも、それは本当のホスピタリティではありません。どんな人にも同じように、自分の思いや使命を伝えていくこと、それがホスピタリティの原則なのです。

ホスピタリティは、日本語では「思いやり」や「おもてなしの心」と訳されることが多いのですが、私はホスピタリティとは、「社会のために何を生み出せるのかを考え、それを相手に伝えること」だと考えています。自分の夢を見ず知らずの、しかも名もない相手に熱心に話して、思いを伝えようとしたシュルツィの心のそのものが、ホスピタリティです。

シェルツィは、多くの人を自分の夢に巻き込んでリッツ・カールトンを世界屈指のホテルにしました。彼のために集まった多くの人たちが、彼のホスピタリティに引き寄せられたのだと思います。彼のように、損得なしの行動が、最終的には自分のためになることって、意外と多いものです。

相手のためになるかどうかを考えて、今、自分ができること、しなければならないことをしていく。そうした行動は、いい循環を生みます。結局、自分のもとに、とてもいい形で返ってくるものなのですよ。

information
『リッツ・カールトンとBARで学んだ 高野式イングリッシュ』
高野登著

創業者のシェルツィをはじめ、リッツ・カールトンを立ち上げたホテリエたちは、多くがヨーロッパからの移民だったという。いわゆる「完璧な英語」を話さない彼らの英語を聞き分けられたのは、ニューヨークのBARで生きた英語を身に付けたからではないかと高野氏は語る。英語は人間関係を育む道具。文法がめちゃくちゃでも、ブロークンでもOK。高野式英語習得法は、英語を母国語としない私たちにも、外国人と話す勇気を与えてくれる。また、海外に行かなくとも日本で英語を習得するためにやるべきことが具体的に書かれているので、非常にためになる実践的な本だ。
ダイヤモンド社刊。

EDIT&WRITING
高嶋ちほ子
DESIGN
マグスター
PHOTO
栗原克己

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