プロ論。

なぜ、あの人はいい仕事ができるのか。 第一線で活躍する人物の「こだわりの仕事術」を紹介します。 1メートル先で待っている人に手を伸ばしたい。だから、厳しい訓練を積むんです 山田俊亜さん(東京消防庁 ハイパーレスキュー隊員)
やまだ・としあ●東京消防庁 第八消防方面本部 消防救助機動部隊 消防士長。1972年生まれ。東京都出身。94年に東京消防庁に入庁。永田町特別救助隊、八王子特別救助隊、青梅特別救助隊を経て、2009年に第八本部消防救助機動部隊に配属。消防救助機動部隊は通称「ハイパーレスキュー隊」、大規模災害時に出動する東京消防庁の精鋭部隊として知られる。
2011年4月20日

東日本大震災により冷却機能を失った
福島第一原発への放水作業を行ったのは、
東京消防庁の精鋭「ハイパーレスキュー隊」。
そのうちの1人が山田俊亜さんだ。

震災後、すぐに自宅からバイクで参集

2011年3月11日、私は東京の自宅にいました。仕事明けで寝ていたのですが、大きな揺れで目が覚めた。東京があれだけ揺れたのですから、普通の地震でないことはわかりました。つまり、私たちが出場する場面だということです。しっかりテーブルの下に隠れていた息子に「偉いな」と声をかけてから、テレビで状況を確認。すぐにバイクで出動しました。この日は、町田市にあるスーパー「コストコ」多摩境店のスロープ崩落現場での活動になりました。

家を出る前、「当分帰ってこれなくなる」と家族に伝えると、娘は「はーい」と簡単な返事で送り出してくれました。妻は笑って「いってらっしゃい」と送り出してくれました。ハイパーレスキュー隊員は、都内に限らず日本のどこかで災害が起きれば要請により出場します。ですから、ご近所にも言ってあるんです。自分は災害で大変なときに家にいられない、何かあったら家族のことを頼みますと。

普通の人なら立ちすくんでしまうような緊急時であればあるほど、素早く行動する。それは私たちの身体に染みついた習性のようなものです。11日は都内の交通機関が麻痺し、街が大混乱していていましたが、決して動じません。どの隊員も死にものぐるいで参集してきました。渋谷から立川の消防署まで歩いてきた者もいたぐらいです。

ハイパーレスキュー隊員は普段から鍛えていますから、それくらいのことは平気なんです。私にしても、入庁以来ひたすら鍛えっぱなしです。消防士として経験を積みながら、レスキュー隊員を目指していたころは、永田町出張所のレスキュー隊の先輩について体力練成に混ぜてもらっていたんです。体力錬成を終えたら、また走りこむという毎日ですから、ずいぶん体力がつきました。

でもハイパーレスキュー隊員のなかにはもっとすごい伝説を持っている人がたくさんいます。鍛え方が普通ではないんです(笑)。

福島では、不安と意気込みの混ざった、異様な興奮状態の中にいた

福島第一原発行きを命じられたのは、3月17日の夜のこと。自宅で娘と話しているときに携帯電話が鳴りました。「今から来れるか」と。放射線は見えないものだし、専門家のような知識もない。そのことで不安がなかったといえばうそになるでしょうね。それでも、やるんだという覚悟を決めました。

東京を出発する直前、消防総監が激励にやってきて隊員1人ひとりと握手をしてくれました。そんなことはめったにないことです。言いようのない緊張が走ったのを覚えています。

3月18日の朝、福島に到着。現場で放水活動にあたったのは隊長クラスを集めた選抜チームです。私は、彼らをバックアップする側について、放射線の防護服を着る手伝いをしたり、現場で放水用のホースを手早く伸ばせるよう準備をしていました。もし彼らの活動が長引くようなら交代要員として現場に入る予定でした。

私たちが待機していたのは、原発から20キロほど離れた小高い丘のようなところでした。町の人たちは皆避難していて、ものすごく静かなんです。先に現地で活動していた自衛隊の車が通り過ぎていく。目には見えない放射性物質に辺りが覆われている。無線がつながらず、現場の様子はラジオから聞こえてくる情報でしか知ることができません。でも、何か大変なことが起きていることだけは気配でわかりました。

不気味な雰囲気でした。私を含め、そこにいた隊員たちは「無事に帰れるのか」という不安と、「絶対成功させてやる」という意気込みが混ざり合った、妙な興奮状態のなかにいました。

でも、その興奮を表に出す隊員はいませんでした。「放水成功」の報がラジオから聞こえてきたときもそう。よくやってくれた、無事でよかったと安堵する一方、次の事態に備えないといけないので、持ち場を離れず静かに待機していました。ようやく一息つけたのは、放水にあたっていたチームが戻ってきて24時間以上休まず活動し続けた後です。いわき市の体育館に移動して、ほんの少しですが仮眠を取ることができました。興奮しすぎて眠れないということは私たちにはありませんでした。眠れるときには眠り、次の活動のための体力を蓄えるのも仕事のうちですから。といっても、余震のせいで何度も目が覚めてしまいましたが。


現在はハイパーレスキュー隊として
活躍する山田さんだが、
最初は役者を目指していたという。
彼を導いたのは何だったのか。

冷静な人間は負傷者を安心させることもできる

消防士を目指した動機は不純です(笑)。本当は役者志望だったんです。特に映画が好きで、高校を卒業したらハリウッドに行くと言いはっていた。でも、お金を貯めるために会社員として働いていたある日、あの映画を見たんですね。消防士の活躍を描いた映画『バックドラフト』です。

当時、私がしていたのは工場のラインに入っての仕事でした。その仕事に誇りをもって働いている人がいることは理解していました。でも若かった私はもっとほかの選択肢が欲しかったんですね。そんな折りに映画を見て消防士という仕事を意識するようになったんです。火と戦うヒーロー。いずれ結婚して子どもを持つなら、こんなふうに自分が誇りを持てる仕事がしたい。そう思って消防署に願書を取りに行きました。そうしたら執務服を着た職員が、私に願書を手渡しながら「頑張れよ!」って言ってくれた。私、当時はチャラチャラした服を着ていて、今の私が見たら追い返しそうな人間だったのに(笑)。自分を認めてもらえたようで嬉しくて、心が決まりました。やっぱり消防士になる、と。

消防庁に入庁したのは21歳のときです。それからはもう毎日必死です。訓練はきつい、覚えることは多い、便所掃除もお茶くみも私たちの仕事。体育系の組織ですから先輩たちも厳しい。それでも私、こうと決めたらそれしか見えなくなるタイプなので、辛くはなかったんです。いや、やっぱり辛かったかな。「若いときの苦労は買ってでもしろ」って言うじゃないですか。当時は「買いたい人がいるなら売ってあげるよ」と、よく冗談を言っていたのを覚えています。

火災現場に出動しても、これはどうするんですか、あれはどうしましょうと騒ぐばかりで。とても今のように冷静に行動することはできませんでした。やる気はあったのですが、あれもこれもやってしまって、空回りしていたように思います。

転機は27歳のとき。永田町救助にいたころに起きた火災現場でのことでした。「ガラスを割って入りましょう!」と近くにいた先輩に叫んだら、「待てよ」とやさしくたしなめられたことが強い印象として残っています。「割らなくても大丈夫みたいだぞ」って。その口ぶりが、火災現場にいる人間とは思えないほど冷静だったんです。それを聞いた瞬間、我に返った。慌てている自分を客観視したのです。

とたんに私も「自分はなんでこんなに慌ててるんだろ」と冷静になれたんです。その先輩は、救助隊員としては最高の反面、聞くも涙語るも涙の、大変厳しい指導をする先輩だったんです。その先輩の普段の姿と、「待てよ」というやさしい口ぶりにギャップがあって、余計に印象的でした。そして、すごく格好よかった。

その時から私も、「クールにいこう」と自分に言い聞かせるようになりました。みんなが慌てるような場面であるほど、自分は逆に冷静でいる。すると、自分の周りの状況もいろんな角度からよく見えるんです。次にするべきことが先読みできて、現場でスムーズに動くことができる。人命救助で最も大事なこと、それはいかに冷静に判断できるかということです。事故にあい負傷して興奮している方に対峙する時も、こちらが冷静であれば、安心してくださるように思うんです。

自分にできることから、一歩一歩進むしかない

私がハイパーレスキューに選抜されたのは2年前です。ハイパーレスキューとは、阪神・淡路大震災を教訓とし、大規模災害に対応するために発足した精鋭部隊で、通常のレスキュー隊に比べて車両も機材も多く、取り扱う重機もさまざま。だから隊員たちは日々勉強を求められますし、それらを動かすための資格も取得しなければいけません。私も以前、JPTEC(病院前外傷教育プログラム)という資格を取り、負傷者の観察の仕方を学びました。

特に向上心があるから勉強するわけじゃない。ただ私たちの仕事に必要だからなんです。知識が多ければ1つの物事をいろんな角度から見ることができる。救助の可能性が広がっていきます。現場にいると、できなかったことで悔やまれることが多いから、次の現場で役立つことを一つでも多く持っておきたい。それが日々勉強を重ねる理由でしょうか。

私は「助ける」という言葉はあまり使いたくありません。現場で一番頑張っているのは災害に遭われた方。私は彼らの「手伝い」をするだけだと思っています。そのために自分はどうあるべきか考えると、もちろん体力も必要です。どうして毎日、苦しい体力錬成ばかりするのかも、やはり救助に必要だからです。身体を鍛えておけば極端に言うと、酸素の消費量も少なくて済みますし、過酷な火災現場でも活動を続けられる。鍛えていなければ、あとほんの1メートル先で救助を待っている方に手が届かないかもしれない。だからこそ、とことん鍛えるんです。

得意とはいえない勉強をして、資格をとるのも同じことです。瓦礫をどかして人命救助するには重機を動かす必要がある。それには資格がいる。だから勉強する。それだけのことです。そうやって私たちは自分ができることを少しずつ増やしていくしかない。

消防士から始まって、ハイパーレスキューという仕事にたどり着いたのも、その結果だと思います。最初から高度な技術でたくさんの人の手助けができればいいですよね。でも、いきなりは難しい。便所掃除でもなんでも自分にできることから始めて、一歩一歩、日々を積み重ねていくことしかない。その場その場で、思いっきりやることでしか、未来は作れないのだと思います。

EDIT
高嶋ちほ子
WRITING
東雄介
DESIGN
マグスター
PHOTO
栗原克己

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