プロ論。

なぜ、あの人はいい仕事ができるのか。 第一線で活躍する人物の「こだわりの仕事術」を紹介します。

チャンスは後から気づくもの。だから、まずはやってみるしかない

吉岡順子さん(ウエディングドレス・デザイナー)
よしおか・じゅんこ●1969年、愛知県生まれ。名古屋モード学園卒業後、大手アパレル会社・イトキン東京に勤務。24歳で単身イタリアに赴き、名門デザイン専門学校マランゴーニに留学。卒業後はミラノで「アンテプリマ」等の服飾デザイナーとして活躍する。日本に一時帰国し東京モード学園で教鞭をとった後、アメリカ・ニューヨークに渡り、2002年にウエディングドレスのブランド「Bonaparte-NY(ボナパルト・ニューヨーク)」を立ち上げる。アメリカのウエディング業界に新風を吹き込んだ「シンプル&セクシー」をテーマにしたデザインは、ハリウッド女優など著名人にもファンが多く、「Wedding of the Year 2007 」にも選ばれた。
http://www.junkoyoshioka.com/
2009年12月16日

ニューヨークで活躍する
ウエディングドレス・デザイナーである。
彼女のドレスは、ハリウッド女優からも
高い評価を受けている。単身乗り込んだ
アメリカで、どうやって成功を手にしたのか。

昔から人と違うことをするのが好きだった

私の場合は、高校時代から手に職を持ちたいと思っていました。母も仕事を持っていて、女性が自分の力で生活することは当たり前という家庭環境の中で育ったので、そういった考えを持つことは普通のことだったんです。

とはいえ、普通の大学に進学し普通の会社に入るという姿はどうしても思い描けませんでした。昔から人と同じことをするのがどうも苦手だったから(笑)。

それなら、どんな仕事がいいだろうかと考えたところ、浮かんだのがデザイナー。小さいころから物を作ることやスケッチが好きだったんです。アーティストだと食べていけませんからね。そういうところはすごく冷静でした。

東京モード学園でデザインを学んだ後、アパレル会社のレディスウエア部門に就職します。そこでイタリアンブランドを担当していたら、イタリアに留学したくなって。当時、ファッション留学といえばパリが主流だったんですが、ほら、人と違うことをするのが好きだから(笑)。

そこからは、昼間は会社でデザイナー、夜はイタリア語の語学学校、もしくは、留学資金ねん出のためイタリアンレストランで接客のアルバイトという生活が3年間続きました。イタリアには旅行でも行ったことはありませんでしたが、昔から、未知なものにひかれるところがあって。どうなるかわからないけど、行ってしまえと。冒険心、好奇心は人一倍強かったと思います。

毎日、「今日の自分」を採点していた

フィレンツェの語学学校に6カ月間通った後、ミラノのファッション専門学校に入学。その後は「マックス・マーラ」などを扱うデザイン事務所に所属しました。

最初はアシスタントでしたから、仕事の不満を口にしたこともありました。でも、文句を言いながらも、どんな些細な仕事でも左から右に流すようなことだけはしまいと思っていました。コピーを取るにしても、資料の内容を見ながら作業をしたり、余った生地を持って帰って、ファイリングしたり。そんな風に自分なりに工夫してモチベーションを上げていたと思います。

そのころはまだ、「自分のブランドを持ちたい」とは、考えていませんでした。「満足できるデザインをしたい」「自分で自分をほめられるような人になりたい」というのが目標で、毎日「今日の自分」を採点していました。

私がイタリアで携わっていたのは、デザイナーの仕事だけではありません。デザイナーの仕事が見つからなかった時期は、プロダクションで資材の調達や企画・生産管理の仕事に就いていたこともあります。一見デザイナーの仕事とは関係ないように思えますが、実はこのことが、後に独立した際に大いに役に立ったんですよ。

日本に一時帰国した際に、1年間母校で講師をしていたことがあります。このこともやっていてよかったと思うことの一つです。スタッフの指導をするのに、人を教えた経験がすごく生きましたから。

デザイナーはアーティストではありません。クリエイティブな要素にプラスして、資金や資材の調達、管理ができないと、単なる趣味で終わってしまうんです。若いころは特に、自分の夢と直接関係ない仕事はおろそかにしがちですが、そんなのもったいないですよ。一見、遠回りと思えることでも、与えられた仕事には誠心誠意尽くす。これが大切なんじゃないかと思うんです。


その後、吉岡氏はアメリカに進出。
ニューヨークでウエディングドレスの
ブランドを立ち上げた。スタジオはSOHO、
ファッションの中心地にある。

否定されることをバネにして生きてきた

アメリカに渡ったのは、全く違う世界に行きたくなったから。知らないものに接すると、刺激とエネルギーをもらえます。私はそれが発想の原点だと思っています。

それにクリエイティブな事柄に関しては、ヨーロッパで学びましたから、今度はアメリカでマーケティングを学んでみたいという思いもありました。マーケティングは、自分のブランドを持つにあたって身につけておかねばならないことでしたから。

ウエディングドレスを選んだのは、一生残るものだからです。普段着る洋服は忘れてしまうこともあるけれど、ウエディングドレスは一生忘れませんよね。人生の一部なんです。どうせなら意味あるものを作っていきたいですから。

アメリカのウエディングドレスはレンタルではなく買い取り。100着くらい試着される方もいらっしゃいます。その中で選んでもらうのは、やはり大変なことです。

心がけているのは、毎シーズン妥協をしないこと。高級デパートのバイヤーは3シーズンかけてブランドの方向性を見極めて購入を決めますから、1シーズンも気が抜けないんです。

あとはコンセプトをクリアにすること。なるべくいろんなものをそぎ落としてシンプルにしなくてはならないんですけど、油断してるといろいろと詰め込みたくなってしまいます。それをぐっとこらえる。

それを可能にするのは自信なんですね。これはもう、経験を地道に積み重ねるしかないような気がします。自信から生まれる強さがあって初めて、いろんな誘惑から逃れられる。詰め込みたくなる気持ちを抑えられる。自信がなくては、自分のブランドなんて立ち上げることはできません。否定されることが多い仕事ですから。

私はこれまで、否定されることをバネにして生きてきたように思います。小さいころ足に障害があって、それがコンプレックスでした。私はそれを打ち破りたかったんです。いつも「自分はこれで終わるような人間ではない」と言い聞かせて。その思いが、挑戦のエネルギーへと変わっていったのではないでしょうか。

失敗することもありますよ。そんな時はやっぱり落ち込みます。でも、しばらくしたら「まあ、しょうがないか」と思えてくる。そしたら、また立ち上がればいい。

よくチャンスがこないという人がいますが、せっかくチャンスが来ても気づかず見過ごしてしまっている人が多いような気がします。チャンスは誰にでも訪れます。だけど、それがチャンスかどうかは、後でわかるものなんです。チャンスだと思ってやってみたら、全然チャンスじゃなかったってこともあるし、全く気付かなかったけど、実はあれがチャンスだったんだと思うことも多い。

だから、まずはやってみること。特に自分には無理だな、できないなと思うことに挑戦してみること。できないかもしれないけど、たまにできることもある。できたらこれほど嬉しいことはないですよ。そして、その積み重ねがいつしか自信につながっていくんです。頭でっかちになって難しく考えすぎないほうがいい。とにかくやってみる。単純ですけど、それでいいんだと思いますよ。

EDIT/WRITING
高嶋千帆子
DESIGN
マグスター
PHOTO
吉田みのり

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