プロ論。

なぜ、あの人はいい仕事ができるのか。 第一線で活躍する人物の「こだわりの仕事術」を紹介します。

結果を出すためには手段を選ばない。それがプロなんです

宮嶋茂樹さん(報道カメラマン)
みやじま・しげき●1961年、兵庫県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、『フライデー』専属カメラマンを経て、フリーに。『週刊文春』誌上で「不肖・宮嶋」の愛称で作品を発表し、人気を博す。1996年、東京拘置所の麻原彰晃の撮影に成功、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を受賞する。ルーマニア、ボスニア、コソボ、アフガニスタン、イラクなど紛争地帯を数多く取材。42冊の著書を上梓している。おもな著作に『不肖・宮嶋 史上最低の作戦』『不肖・宮嶋 死んでもカメラを離しません』『不肖・宮嶋のビビリアン・ナイト』『不肖・宮嶋 ちょっと戦争ボケ』『不肖・宮嶋のネェちゃん撮らせんかい!』など。
2009年4月22日

「東京拘置所の麻原彰晃」など、
世間の度肝を抜いた
スクープ写真は数知れず。
報道カメラマン「不肖・宮嶋」に聞く。

天才と違う分野に行けば、勝てる

報道カメラマンは天職ですね。ごう慢に聞こえるかもしれませんが、間違いなく天職です。昔から、写真だけは自信があったんですよ。ほかは全然ないですけど。

7歳から写真を撮り始め、高校のときにはすでに「オレ、写真うまいんちゃうか」と、完全にのぼせ上がってました。それが大勘違いだったというのは、大学(日本大学芸術学部写真学科)に入ってすぐにわかりましたけど。大学には天才が何人かいましたから。でも、天才と違う分野にいけば勝てるわけですよ。当時、報道に行きたいなんて言うヤツはごく少数でしたし。

報道カメラマンには昔からなりたいと思っていましたが、強く影響を受けたのはロバート・キャパです。高校1年の時に『ちょっとピンぼけ』を読んだのがきっかけでした。キャパは、ユダヤ系のハンガリー人。それにもかかわらず、本にはナチスに対する恨みごとがほとんど書かれていない。戦争と博打と女のことだけ。しかも、ヨーロッパ大戦が終結するベルリン陥落の後、現地にいたキャパは、知り合いの記者からロンドンにいる恋人がほかの男と結婚するかもと聞くわけです。それで彼は、調印式の取材をすっぽかして帰ってしまうんです。散々危ない目にあって第二次世界大戦を撮り続けて、クライマックスともいえるその日に、恋人が他の男に寝とられてはたまらんと、何のためらいもなく帰ってしまう。そういうキャパの生き方に、強い憧れを抱いたんですよ。

仕事がない期間が丸2年続いた

大学を卒業した後は、写真週刊誌『フライデー』の専属カメラマンになりました。そして3年後、辞めてフリーになります。自分は3年間、これだけのスクープ写真を残してきた。だから辞めても何とかなるわいと。若さゆえのうぬぼれですね。

実際は全然、食えませんでした。仕事があったのは編集部にいたからだし、スクープが撮れたのも名刺に隠された組織の力が大きかったんです。それがなくても大丈夫だ、なんて自信と言うよりうぬぼれもいいところです。

結局、仕事がない時期は丸2年、続きました。依頼がなくとも仕事と称して写真は撮ってましたから、金はかかります。「フライデー」時代に貯めていた金なんて、すぐになくなりました。じゃあ、その間どうしていたかというと、元妻に食べさせてもらってたんです。「カメラマンの妻が夫のために金をさし出すのは当然だ、金よこせ」と。ときには元妻のハンドバッグから金を抜きました。そこまでやったら、もはや夫婦間でも犯罪です。でも、ヒモだったことは、なんら恥じてません。フリーのカメラマンに食えない時期があるのは必然ですから。

極貧だからといって、ほかの仕事に就くなんて一切考えませんでした。アルバイトも全くしなかった。こだわりというか、そもそも自分にはやれることがないですよ。僕はカメラより重いもの、持ったことないですから。

テレビのニュースを見ていて面白いと判断したら、カメラを持って出かけていく。できた写真をいろんな編集部に持ち込む。そんな日々でした。掲載してくれる媒体は全くありませんでしたけど。

何で写真を使ってもらえなかったのか。独りよがりの写真だったんです。自分が感じたことは、読者も同じように感じてくれるだろうと信じていた。自分の怒りをそのまま出せば、読者も強い怒りを覚えるだろうと。

今は姑息に計算していますよ。読者のことはもちろん、編集デスクやデザイナーの好み、ページ構成、レイアウトまで。予算のことも常に頭に入れて撮っています。採算が取れなきゃ、仕事する意味がないですから。何も考えずとも偶然いい写真が撮れる、そんなことは極めて稀です。多くは周到に計画を立てて、狙って撮っています。


紛争中のコソボ、アフガニスタン、イラク…。
数々の修羅場で、撮影を敢行。
あまりの苛酷さに、「引退」を
決意することもあるという。

日本に帰ったら、こんな仕事、即辞めよう

現地にいる間は、いつも「帰りたい、帰りたい」ですよ。だけど、そう思ったときにはもう帰る手段がないんです。

出発前はそれこそ、行きたくてしょうがないんですけど。でも、現地についた瞬間に「ああ、来るんじゃなかった」と。途中、何度も引退を決意します。「日本に帰ったら、こんな仕事、即辞めよう」って思うわけです。それなのに、また現場に向かってしまう。この繰り返しですね。

帰国すると現地での苦労を忘れてしまう、なんてことはもちろんありません。まあ、思い出したくはないですけど。それより好奇心のほうが上回るんでしょう。僕が仕事をするのは、自分の好奇心を満たすためですから。

不謹慎だと言われようと、手ぶらでは帰らない

もちろん不安はあります。いい写真が撮れなかったらどうしようっていう不安は、当然つきまといます。現場に着いてからイメージ通りじゃなかった、なんてことはしょっちゅうですから。そのときは発想の転換で、全く違うアプローチで写真にするんです。事前に作戦を立てていきますが、ダメだと思ったらすぐに切り替える。誰も思いつかないような方法で撮れないものか策を練る。現場では常に頭をフル回転させて、他人を出し抜く手を考えています。

よく現地でほかのカメラマンから、「宮嶋さん、ここでも女の子撮るんですか」と揶揄されますが、地味な写真しか撮れそうになかったら、紛争地帯でも女を撮りますよ。実際、湾岸戦争のときにはそうしましたから(注:「湾岸原色美女図鑑」として『週刊文春』誌上に掲載)。不謹慎だと言われようと、手ぶらじゃ帰りません。

プロは、結果を出すためなら何をしたっていいんです。犯罪以外は。プロ野球だってそうでしょう。よくデッドボールの判定でもめますよね。そのときバッターは、本当は球が当たってなかったとしても有利な判定だったら黙っているでしょう。サッカー選手だってそうです。ちょこっと足がひっかかっただけで、わざとらしく大げさに転びますよね。そこにスポーツマンシップなんて、ありゃしません。でも、プロとはそういうものなんです。

僕は、利用できるものはすべて利用しますよ。現地に行って大手新聞社の宿舎に泊めてもらうこともよくありますから。そういうときはとことん卑屈になります。カップラーメンを手みやげに、頭下げるんです。こんな頭でよかったら、なんぼでも下げます。タダですから。

同業のカメラマンの動きも常にチェックして、使えると思った手法は盗んで自分のものにします。愛だ、平和だ、友情だ、みんな仲良く頑張りましょう、なんて、そんな甘ちゃんで生き残っていけるわけないでしょう。勝つためには手段を選ばない。これがプロなんですよ。

写真を撮るのは、金と名誉のため

何のために写真を撮るのか。それは迷わず、金と名誉のためです。世のため、人のため、平和のために仕事をしてます、という聖人君子のようなカメラマンもなかにはいらっしゃいますが、僕はそういう人間ではありません。

写真で金を稼ぐのがカメラマンです。写真の対価としてもらう金がカメラマンの評価軸にもなります。僕の場合はそのことを隠さずさらけ出してきたから、ここまで生き残ってこられたんでしょう。ただ、こういうことを正直に言ってしまうから、外道扱いされて大きな賞がなかなかもらえないというのもあります。激動のアフガニスタンに行ってもらった賞は、民放の中吊り大賞だけでしたから。

毎年、有名な賞の選考委員会から「今年活躍したカメラマンの名前と作品名を挙げてください」と推薦用紙が届くんですが、私は、どこの賞にも必ず自分の名前と自分の作品名を書くようにしています。何度書いても賞をくれないから、今年は新人賞にも自分の名前を書きました。まだ新人賞もらってなかったので。

この世で唯一、信用できるもの、それは自分

25年以上、報道カメラマンをやってきて悟ったことは、「未来永劫そして万国に通じる真理はない」ってことです。人のものを盗んじゃいけない、人を殺してはダメ、小さいころから当然のように言われていることです。でも、時代によって、地域によって、その当たり前の道徳がひっくり返ってしまうことが、往々にしてある。

だから「永遠の愛を誓います」なんていうやつは、信用できないんです。そういうのに限って、すぐ離婚するでしょ。自分もそうでしたが。同じ理由で、平等、自由、友情なんていうのも信用できません。

じゃあ、この世に信用できるものがないかと言うと、そんなことはありません。いくらなんでも、自分は信用できるでしょう。この世で唯一、信用できるのは自分。だから自分を信じて、突き進むしかない。そうしないから後悔するんでしょう。どれもこれも信用できないんだから、自分くらいは信用してあげてもいいんじゃないですか。

information
『儂(わし)は舞い降りた』
宮嶋茂樹著

インタビューを読んで「不肖・宮嶋」の現地での活躍を知りたくなった方にオススメ。本書は、「取材中、何度も引退を決意させた」地獄のアフガン従軍記である。ほとんど報道されることのない北部同盟の実態、生き馬の目を抜く外国人ジャーナリストたち、過酷な状況でたくましく生きるアフガンの人々など衝撃のエピソードが満載。最後にはアフガンの平和を願ってやまない宮嶋氏のやさしさも伝わってくる感動の上下巻。(下巻タイトルは『儂(わし)は舞い上がった』)。祥伝社黄金文庫。

『サマワのいちばん暑い日』
宮嶋茂樹著著

イラクの自衛隊派遣に同行した宮嶋カメラマン。愛国心あふれる「不肖・宮嶋」が、サマワ宿営地での自衛隊の活躍、現地での暮らしぶりを徹底取材。さらに、オランダ兵の爆殺により、一気に戦闘態勢に入ったサマワの街を命がけで撮影。その決死の姿に報道カメラマンの意地と執念を見る。イラクで命を落とされたジャーナリストの橋田信介氏、小川巧太郎氏との最後の写真も収録されている。祥伝社黄金文庫。

EDIT/WRITING
高嶋千帆子
DESIGN
マグスター
PHOTO
栗原克己

自分の「こだわり」を活かせる企業に出会うために、
リクナビNEXTスカウトを活用しよう

リクナビNEXTスカウトのレジュメに、仕事へのこだわりやそのこだわりを貫いた仕事の実績を記載しておくことで、これまで意識して探さなかった思いがけない企業や転職エージェントからオファーが届くこともある。スカウトを活用することであなたの想いに共感してくれる企業に出会える可能性も高まるはずだ。まだ始めていないという人はぜひ登録しておこう。

スカウトに登録する

会員登録がまだの方

会員登録(無料)

会員登録がお済みの方

「今すぐ転職」にも「いつかは転職」にも即・お役立ち!リクナビNEXTの会員限定サービスに今すぐ登録しておこう!

1転職に役立つノウハウ、年収・給与相場、有望業界などの市場動向レポートがメールで届きます

2転職活動をスムーズにする会員限定の便利な機能

・新着求人をメールでお届け

・希望の検索条件を保存

・企業とのやりとりを一元管理など

3匿名レジュメを登録しておくとあなたのスキル・経験を評価した企業からスカウトオファーが届きます

会員登録し、限定サービスを利用する

※このページへのリンクは、原則として自由です。(営利・勧誘目的やフレームつきなどの場合はリンクをお断りすることがあります)