プロ論。

なぜ、あの人はいい仕事ができるのか。 第一線で活躍する人物の「こだわりの仕事術」を紹介します。

自分を客観視できるか。これが、残れる人の条件なんです

村田修一さん(横浜ベイスターズ・内野手)
むらた・しゅういち●1980年、福岡県生まれ。東福岡高校時代には投手として甲子園に春夏連続出場。卒業後は日本大学に進学、東都リーグベストナイン三塁手4回、世界大学野球選手権大会日本代表に選ばれるなど、野手として頭角を現す。2003年にドラフト自由獲得枠で横浜ベイスターズに入団。以降、新人月間最多本塁打10本(2003年)、月間MVP(2003年9月、2008年7月)、通算150本塁打(2008年)、本塁打王2回(2007年、2008年)と長距離打者として活躍。2008年の成績は本塁打46本、打率3割2分3厘。守備は三塁手。右投げ右打ち、背番号25。
2008年11月26日

2008年の本塁打(ホームラン)王である。
巨人のラミレス選手と最後まで競ったが、
シーズン最終戦で46号を放ち、
単独本塁打王になった。
「男・村田」の強さに迫る。

自分は自分、普段どおりに打てばいい

最終戦は平常心で臨めました。前日、1本差で僕を追っていた巨人のラミレス選手がホームランを打ったんです。

僕はその試合をテレビで見ていたんですが、よく打ったなと思いましたね。正直、ビックリしました。本当にすごい選手だなと。

そのホームランで僕とラミレス選手はいずれも45本と本数が並んだのですが、まあ、抜かれたわけではありませんからね。彼はその試合が最終戦だったので、僕の本塁打王のタイトルは確定した。単独で本塁打王になるには、自分が最終戦で打てばいいだけ。そういう意味ではリラックスして試合に臨めましたね。ラミレス選手は確かにすごい選手だけど、自分は自分。普段どおりにやろうと。

46号は打った瞬間に「ホームランだ」とわかる当たりでした。打った本人が一番驚いたというか、「打っちゃったよ…」と、心に響く感動がありましたね。

やはり4番の責任もありますから、チームが勝つために1本でも多くホームランを打ちたかった。その結果がホームラン王だったんです。

明日は取り返してやる。そう思って酒を飲む

僕は、シーズンの初めに目標を立てるんです。遠い目標と近い目標、2つの目標を設定します。今年だったら「3割、40本塁打で、打点王や本塁打王などタイトルにも絡んでいこう」と。これが遠い目標です。そして「そのために今日は何をしなければならないか」。これが近い目標になります。

今シーズンの出だしは、打率があまりよくなかった。それだけにどんな試合であっても、丁寧に打つこと。一打席でも無駄にしないよう、常に集中力を欠かさないことを心がけていました。この積み重ねでいい成績を残すことができた。これもやはり、遠い目標をしっかり定めていたからできたのだと思います。

途中、夏に北京オリンピックがあって日本代表として出場していたのですが、思うように結果が出せなかった。ひどく悔しい思いをしましてね。申し訳ないとも思いましたし。

そこから抜け出すには、野球に悔しさをぶつけるしかなかった。ですから帰国後レギュラーシーズンに戻ったときは、抱えた思いを一気にぶつけて打ちました。結果として、北京オリンピックのときだけ調子が悪いようになってしまいましたが、どちらかというと、北京オリンピックでの辛い経験をバネに後半調子を上げていったという感じでしょうか。

僕は、マイナス思考は絶対しないんです。シーズン中、1、2回は打てなかったり、エラーしたりして落ち込むときもありますよ。そんなときには酒を飲むんです。でも、「今日はダメだったなあ」と思って飲むことはしません。「明日は取り返してやる」。そう思って飲むんです。落ち込んで飲むのと、明日は頑張ろうと思って飲むのとでは、次の日の結果が全然違ってくるんですよ。


打者としてトップの地位を築いた村田選手。
意外にも高校までは投手だった。
甲子園に春夏連続出場を果たすほど、
投手として優れていたにもかかわらず、
なぜ野手へと転向したのか。

投手で一番になれないんだったら、野手でいこう

大学進学を機に投手から野手へと変わりました。一番大きな理由としては、同世代にいい投手がたくさんいたからです。

小学校から野球を始めて、中学校、高校とエースで3番か4番を打って、しかもキャプテン。これが当たり前。ずっとお山の大将をやっていました。

それが高3の春の選抜で横浜高校・松坂選手とあたった。高校生のなかにプロが一人交ざっているという感じでした。ストレートが音を立てるピッチャーは結構いたんです。でも彼の場合、変化球が音を立てるんです。「あ、危ない」と思ってよけたら、しゅっと曲がる。そんな選手はほかにいませんでした。

投げ合ってもこの投手には勝てないなと。ならば打者として対戦したいと思ったわけです。とにかく一番になりたかったんですよ。投手で一番になれないのなら、野手でいこうと。

まあ、もともと打つほうが好きだったというのもありますけどね。打たれたら打ち返してやれ、という性格でしたから(笑)。

実は、高校生のときにもプロからスカウトの話をいただいていたんです。それも「打撃を活かして野手で」という話が多かった。プロの人からは野手の適性があるように見えていたのかもしれませんね。

とはいえ、野手はやったことがない。そこでいったん大学に進み、打撃と守備を磨き、野手として成功したらプロに挑戦しようと考えました。

大学では、来る日も来る日も練習です。最初はなかなか結果が出なくて。1、2年のときは本当に苦労しましたね。高校野球では金属バットですが、大学では木製バット。その違いに慣れない。球のスピードにもついていけなかったし、変化球も打てなかった。打率も2割あるかないかで、守備もエラーが多かった。

それでも辞めようとは思わなかったですね。高校までやってきた自信がありましたから、絶対にあきらめないぞと。野手で成功しないと後がないと思って、踏ん張っていましたね。

努力のかいあって、大学3年からはいい結果を残せるようになり、再びプロから声をかけてもらえるようになった。それで、大学卒業とともに横浜ベイスターズに入団するんです。

自分がいいと思っているだけではダメ

プロに入って1年目はスタメンだったんですが、2年目の途中から調子が出なくてスタメンから外されます。人生で初めてベンチの選手になりました。

でも、ベンチにいるといろんなものが見えてくるんですよ。相手チームはこういう攻撃をしているのに、うちのチームはこうだなとか。とにかく発見が多かった。そこで、「この時期は、神様が勉強しろと言っているに違いない」と思って、ふてくされずにベンチで分析を始めたんです。強いチームはどこが違うのか。4番はどうやって打つのか。離れたところで野球を見てみると、気づくことがたくさんあるんですね。

それからです。打率も打点も上がってきたのは。やっぱり、長くやっていると自分でこうだと決めつけてしまっているところがあったのでしょう。

結局、自分がいいと思っているだけではダメということ。監督や首脳陣が見て使いたいと思ってもらえないと、試合には出られないわけです。「オレが、オレが」ではなく、ほかの人が自分をどう見ているのか、これに気づくことが大切なんですね。客観的に自分を見ることができるかどうか。これが、プロで残れる人と残れない人の差なんですよ。

4番になる前に、一度スタメンから外された

4年目からは4番に起用してもらうんですが、実は4番になる1週間前に一度スタメンから外されているんです。ヤフードームでの交流戦の試合でした。福岡出身なんで両親も応援にきてくれていた。そんな試合に外されて。

その1週間後に「明日からお前、4番行くからな、頑張れ」ですからね。「いいのかな」って思いましたよ(笑)。

なんでスタメンを外されたのかは、監督に聞いてないので正確にはわからないのですが、思い当たることはあります。実は3年目に調子が上がらず打順が9番になってしまったことがあった。そのとき、牛島監督(当時)が「村田、9番の次は何だ」と言うので、打順だと思って「1番です」と答えたら、「バカ野郎、ベンチだ」と。その言葉で奮起しましてね。その試合では、決勝ツーランホームランを放てた。もう、ベンチには絶対下がらない。そういう思いがホームランを打たせたんでしょうね。

4番になる前に一度スタメンを外されたのは、このことがあったからかもしれません。奮起させるための監督の戦略だったのかなと、今では思います。

チャンスって、突然訪れるんですよ。そのための準備を常にしておくことはもちろん大切なんですけど、実は、チャンスをつかむためにするべきことが、もうひとつある。それは、「目標を口に出して言うこと」です。

4番に抜擢されたときも、年初めからずっと「今年中に4番になる」と周りに言ってましたよ。いい意味で自分にプレッシャーをかけるんです。口に出したらやらないわけにはいかないでしょう。周りもそういう目で自分を見るようになる。意思が伝わって「やらせてみようかな」と思ってもらえる。何も言わないでチャンスを待っていてもしょうがないですよ。

壁の向こうには、必ず幸せが待っている

ここまで、苦しい経験を何度も乗り越えてきたんですが、その裏には同級生には負けたくないという気持ちがやはりありました。対戦チームには必ず同期のピッチャーがいましたから。

松坂選手もその一人なんですが、彼には今は感謝しています。彼がいたから「野手・村田修一」が生まれたわけです。

まあ、そんなふうに思えるようになったのは、プロに入ってからですけどね(笑)。大学のときは、向こうはプロで活躍していて、こっちは地味に寮の掃除なんかをしていたわけです。「くそお、いつか追いついてやる」って思っていましたよ。それだけに交流戦で彼と対戦して、ホームランを打てたときは嬉しかったですね。

僕は、「壁の向こうには幸せがある」といつも思っているんです。プロに入って1、2年目の苦しい時期があったからこそ、今の自分があるわけです。それこそ、同世代のピッチャーが活躍していてくれたからこそ、自分も高い目標を持てた。壁は大きければ大きいほど、それだけ大きな幸せが待っているんです。壁がないと、人生面白くないですよ。

EDIT/WRITING
高嶋千帆子
DESIGN
マグスター
PHOTO
栗原克己

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