プロ論。

なぜ、あの人はいい仕事ができるのか。 第一線で活躍する人物の「こだわりの仕事術」を紹介します。

外国人をスカウトするために、六本木の街頭に立ち続けました

稲川素子さん(稲川素子事務所代表)
いながわ・もとこ●1934年、福岡県生まれ。慶応義塾大学文学部を中退(65歳で復学し卒業)後に結婚。50歳のとき、外国人タレント専門のプロダクション「稲川素子事務所」を設立。以後25年間、映画、テレビ、雑誌等、メディアを中心に外国人タレントを派遣。現在142の国と地域、約5200人の外国人が登録するプロダクションとなった。東京大学大学院総合文化学科修士課程修了。現在同大学博士課程在学中。専攻は国際社会科学。日本アカデミー賞協会会員、日本外国特派員協会会員。2008年10月7日よりBS日テレで「一意専心 〜稲川素子の素顔でトーク〜」放映開始。
2008年10月27日

約5200人の外国人タレントが所属する
「稲川素子事務所」。
設立は今から25年前。
稲川氏が50歳のときだった。

専業主婦から一転、事務所社長へ

自分から芸能事務所を立ち上げようと思ったわけではないんです。私はずっと専業主婦で、熱中していたことといえば娘のスパルタ教育くらい(笑)。娘をピアニストにするために、片時もそばを離れず厳しくレッスンさせていたんです。

転機は50歳のとき。ピアニストになった娘に、たまたまテレビ局からドラマへの出演依頼がきて。私は付き添いで収録に立ち会ったんです。そしたら監督が、次の映画に出てくれるフランス人を探していたんです。ずいぶん困っていらっしゃるようだったから、「フランス人なら知り合いがいますけど…」って、つい言ってしまった。そしたらすごく喜ばれて。でも、帰宅後、そのフランス人に電話をしてみたら、彼はすでに帰国していたんです。

このとき「見つかりませんでした。申し訳ございません」と監督に言っていたとしたら、今の私はなかったと思います。私は一度引き受けたものは何があっても放り出せない性格。どうしたらいいか悩んでいたところ、娘から「だったら探せばいいじゃない」と言われて。それで方々に電話をかけて、フランス語の学校でやっと適任者を見つけました。その方はフランスの文化庁から派遣されていた元俳優。それはそれは素晴らしい演技をされ、監督さんも大喜び。それ以来、「稲川さんに言えば、いい人を紹介してもらえる」と、次々と依頼がくるようになったんです。

外国に遊学していた父の影響もあり、語学は得意でした。でも、特に外国人の知り合いが多いわけではなかったんです。それでも頼まれると断れないから、皆さんのご期待にそえるようになんとか探して。

2年間はお金をとらず、ボランティアで外国人を紹介していたのですが、ある日テレビ局のプロデューサーの方から「会社組織にして本格的にやってもらえないか」と言われたんです。それまで主人には内緒でやっていたでしょ。家に帰って突然「会社を設立したい」って言ったら、「会社は"ごっこ"じゃないんだ」って、全然相手にしてもらえなかった。だけど、義母が「語学を勉強してきたあなたに向いている仕事じゃないかしら」と、応援してくれたんです。それから、85歳の義母と娘と3人で六本木の自宅をオフィスにしてプロダクションを始めました。

ディスコのお立ち台からスカウト

出演依頼は多いものの、登録者はゼロ。知名度もありませんから、こちらから探さないとなりません。外国人をスカウトするために、六本木の街頭に毎晩立ち続けました。

ディスコにも行きましたよ。お立ち台の上に立って、役にぴったりの外国人を探すんです。見つけたら腕をつかまえて外にひっぱっていった。だって中じゃ、うるさくて話なんかできないでしょ(笑)。

それで、「どうかどうか、明日必ずスタジオに来てください。あなたが来てくれないと本当に困るんです」と何度も頭を下げて頼み込むんです。不思議と来ない人はいませんでしたね。それだけ必死の形相だったのだと思います(笑)。

私はどんな端役であっても、自分で会って納得した人じゃないと紹介しませんでした。一度「すごくきれいな人よ」と知人から言われて、会わずに現場に来てもらったら、大失敗だったことがあったんです。それ以来、必ず自分の目で確かめることが信条となりました。

それで気に入らなければ、何時間かかっても探し続けた。どうしてそこまでやったのか。凝り性だというのもあるけど、何より、適材を紹介するのが私の使命だと思っていたからでしょうね。

街頭で人探しをしてるとね、うっかり「本物」を捕まえてしまうことも結構あるんです。あなたの風格は社長役にピッタリだと、ある有名なコンピュータ会社の社長さんに声をかけてしまったり、教授役をしてみませんかと、イギリスの著名な大学教授をスカウトしてしまったり…。

顔は履歴書なんですね。肩書を名乗らなくとも、内面からにじみ出てくるものがある。そういうものは、なかなか身につかないものだけど、皆さんに共通しているのは、一途だってこと。信じていることを疑わず、ひたすらそれに向かって頑張る。途中でダメかなと思うことがあっても、あきらめないし、決して辞めない。

継続は力なりっていうけど、本当にその通りなんですよね。マラソンでもそうでしょ。偉いのは、最初にトップを走っている人ではない。最後まで走り続けた人ですもの。


夢は「暗いうちに寝ること」だという。
多忙な生活の中、75歳で東京大学大学院
修士課程を修了し、博士課程に進んだ。
専攻は国際関係論。
さまざまな外国人と関わってきた稲川氏には
うってつけの学問だ。

3回目にやっと受かった東大受験

後期高齢者なのに、学割も使えるのよ(笑)。実は私、19歳のとき大学を中退しています。原因は盲腸の手術を受けた際の医療ミス。右半身が不随になりました。65歳になって、やり残したことはないかと考えたとき、中退していた大学に復学することを思いついたんです。学生時分に取得していた66単位のうち、認められたのは22単位だけ。結局4年半かかって、70歳で卒業しました。

鉄は熱いうちに打て、じゃないですけど、それからすぐに東京大学の大学院を受けたんです。でも、難しくて見事に落ちました。それで、東大の研究生となって必死に勉強を続けて、3度目でやっと受かりました。その後も仕事を続けながら論文を書いて。この仕事を始めてから、睡眠時間は平均2時間なんだけど、このときばかりは、疲労で目が見えなくなった。寝たら直りましたけど(笑)。

なんでその年になって、勉強するのかと聞かれますが、私にとって、勉強は心の栄養剤なんですね。この仕事をしていると、自己主張の強い外国人と、あいまいな日本人とのあつれきに、ほとほと疲れて果ててしまうんです。外国人は言うことなんか聞きやしません。義理なんかも通じません。親切にしてあげても勝手なことをする。最初はこれが辛くてね。

人って、何かしてもらったことを覚えておくことはできるんです。でも、相手にしてあげたことを水に流すのは難しい。これは自分で自分を律して、心の訓練をしないとなかなか身につかない。そのためにも、勉強することって大切なんです。とはいえ、しょっちゅう無心してくる人にはさすがに辟易しますけど(笑)。

EDIT/WRITING
高嶋千帆子
DESIGN
マグスター
PHOTO
友野正

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