沈没寸前の日本の医療業界を変えたい!――脳外科医からベンチャー経営者に転身した「代表取締役医師」の決断とは?

 医師たちが作るオンライン医療事典「MEDLEY」や医療機関の遠隔診療を実現するオンライン診療アプリ「CLINICS」、医療介護分野に特化した求人サイト「ジョブメドレー」、介護施設の口コミサイト「介護のほんね」などを運営するベンチャー企業、メドレー。「医療ヘルスケア分野の課題を解決する」を企業理念に、さまざまな医療関連サービスを展開している。

 同社に2015年にジョインした「代表取締役医師」の豊田剛一郎さんは、東大医学部を経て脳神経外科医として勤務、その後米国留学を経てマッキンゼーに勤めた経験を持つ。なぜ彼は医師からベンチャー経営者へと転身したのか。その理由を詳しく聞いた。

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株式会社メドレー 代表取締役医師

豊田剛一郎さん

1984年生まれ、東京大学医学部卒業。初期臨床研修後、NTT東日本関東病院脳神経外科に勤務。2012年に米国留学し、米国医師資格を取得。その頃、日本の医療の将来に対する危機感を抱き、医療を変革するために現場を離れることを決意。2013年に帰国し、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。2年間ヘルスケア企業へのコンサルティングなどに携わった後、2015年2月に株式会社メドレーに共同代表として参画。

寝る暇もないほど忙しい現場で、医療の課題を目の当たりにする

 高校時代に脳に関する書籍を読み、「脳という臓器をもっと知りたい」と思ったことから、脳神経外科医を目指して医学部に入学した豊田さん。研修医時代は、徒歩1分の寮に帰る暇もないほど忙しく、週2回は当直、36時間連続勤務は当たり前という過酷な日々を送っていた。

「忙しいけれど成長できるタイプの病院を研修先に選んだので、激務は覚悟の上でした。確かに身体的には辛かったですが、患者さんと直接触れ合うことができ、ありがとうの言葉ももらうことができるので、とてもやりがいがありましたね。自分の仕事には意味があると、日々感じることができました」

 ただ、現場で働く中でさまざまな問題が見えてきたという。

 日本の医療業界が直面している課題は深刻だ。現在の医療費は、実に40兆円超。厚生労働省によると、2025年には50兆円を超える見込みにある。超高齢化社会の進行により、2060年には2.5人に1人が65歳以上、4人に1人が75歳以上になる見通しであり、このまま何も手を打たなければ、早晩医療制度が破たんするのは確実だ。

 一方で、医療業界は慢性的な人手不足にある。人口1000人当たりの医師の数は、OECD(経済協力開発機構)加盟30カ国のうち、日本は27位と最下層レベル。日本の人口ピラミッドを考えると、今後大幅に医師の数が増えることは見込めない。

「実際、現場は常に人手が足りず、目が回るような忙しさでした。これは私の勤務先や脳神経外科に限ったことではなく、あらゆる病院、あらゆる科において同じ。その中、『医師や医療従事者の良心や善意』に頼って現場を回している状態なのです。でもこんな仕組みの持続可能性は極めて低い。このままではダメだと現場で働く医師はみんな気づいているのに、何もできず見て見ぬふりをしているのが現状。医師に現状を変える余裕などなく、目の前の患者さんが最優先になってしまうので仕方のないことだとは思いますが、このままでは『日本の医療』という大きな船と共にみんな沈んでしまうのではないか…という強い危機感を抱きました」

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患者側の「医療リテラシーの低さ」にも危機感

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 患者側の「医療リテラシー」の低さにも課題感を覚えた。例えば、以前から問題視されている「コンビニ受診」。休日や夜間などの救急外来に、緊急ではない軽症の患者が訪れることを指すが、「患者さんが悪いわけではなく、知らないだけ」と豊田さんは言う。

「研修医時代、このような患者に遭遇すると、『単なる風邪なのに、何でこんな夜間に救急で来るんだろう。明日の外来に来るべきなのに』と思っていました。でも、患者さんの立場から見れば、『軽症の場合は、救急外来は避けたほうがいい』なんて誰からも教えてもらっていないし、自身の症状が救急の範囲内なのか範囲外なのか、判断できないというケースもあります。患者さんだって、医師を困らせようと思って夜中に来ているわけではありません。救急外来は何のためにあるのかを広く知らしめる工夫や、症状について相談できるしくみを作らないと、いくらコンビニ受診を問題視したからと言って状況が変わることはありません。患者さん側に知識を持っていただくことで、医療に対する意識も変えていかないと、いつまで経っても現状は変わらないと確信しました」

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視野を広げアイディアをつかむため、マッキンゼーへの転身を決意

 以前から、アメリカで脳神経外科の勉強に打ち込みたいという思いを持っており、医師になって4年目に留学することが決まっていたが、ちょうどその頃尊敬する上司に医療に対する課題感を訴えたところ、「マッキンゼーとか受けてみたら?僕が今30歳だったら、マッキンゼーに行くな」と言われたという。「この時初めて、医療現場を離れるという選択肢に気づいた」と豊田さんは振り返る。

 結果、予定通りアメリカに留学し、猛勉強して米国医師資格を取得するとともに小児脳の研究に従事。そして1年後に帰国し、マッキンゼーの門を叩いた。「マッキンゼーにいけば、日本の医療の未来につながる何かができるのではないか」と考えたからだ。

 マッキンゼーに入社するということは、医師を辞めるということ。ずっと目指してきた道を離れることに、躊躇はなかったのだろうか。

「医師を辞めることでキャリアがリセットされるとか、せっかく歩んだ道を後戻りしているなどとは一切考えませんでした。医師という目標に向かって真っすぐ突き進んできましたが、視点を変えて、樹形図のように広がっている可能性のうちの一つに、道を切り変えただけだと思っています。医師を続けながら改革をするという道もあったかとは思いますが、中から変えるのは時間がかかるし、現状を何とか変えたいという熱い志を持った医師はすでにたくさんいらっしゃる。だから私は外に出て、『医療を救う医者になる』ことを決意しました

医療を変えるために「自分の名前」で勝負する

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 マッキンゼーでは、主に医療やヘルスケアに関する企業のコンサルティングを担当。初めは、KPIという言葉すらわからず、医師とコンサルタントの仕事の進め方の違いにも大いに驚いたというが、クライアントと連携を取りながらメンバーを巻き込み、課題解決に向かってプロジェクトを進めていく楽しさや、日々得られる成長実感に興奮し、仕事にどんどんのめり込んだ。

「しかし1年が経ったころ、『自分のやりたかったのはこれだっけ?』と、はたと気づいたんです。仕事を通じて視野が広がり、医療現場では見えなかった課題解決の糸口が見えるようになったり、何か機会に出会えるのではないかと期待していましたが、1年経って、難しいかもしれないと思うようになりました」

 医療を救うという本来の目的を達成するためには、自分自身で動かなければならなさそうだ。起業か、それともNPOか…と考えていた時、声をかけてくれたのが、メドレーの創業者であり代表取締役社長の瀧口浩平さんだった。

 当時メドレーは、医療介護分野に特化した求人サイト「ジョブメドレー」を手掛けていた。以前、身内のがん治療を体験した瀧口さんは、「もっとさまざまな治療方法を理解してから選べばよかった」と深く後悔。「もっと患者がしっかりと知識をつけて医療に関わらなければならないのではないか」という課題感をもとに、医療分野の課題を解決する目的でメドレーを立ち上げたものの、専門家でない立場で医療に深く踏み込むことは難しいと、人材分野のみの事業展開に留まっていた。

「瀧口との出会いは、小学校のころに通っていた学習塾。かれこれ知り合ってから20年以上経ちますが、頻繁にコミュニケーションを取るようになったのはFacebookで再開した2011年ごろから。何度か飲みに行って、日本の医療に対する課題を共有していました。そんな瀧口から『患者さんにダイレクトに届くようなサービスを展開していくためには、医師の力が必要。その中でもぜひ豊田に来てほしい』と言われました。マッキンゼーにはもう少しいようと思っていたので悩みましたが、『豊田が持っている医療に対する危機感と熱い想いを、立ち上がってしっかりと世のなかに伝えるべきだ』『豊田には自分の名前で勝負してほしい』といわれ、心が揺さぶられたのです」

当時、豊田さんは30歳。それまで自分が表に出て何かを率いたことはなく、名前で勝負した経験もなかった。でも、瀧口さんの言葉を機に、「誰が医療を変えるのか。その“誰が”に自分がなろう。そのためには、恐れず自分の名前で勝負をしよう」と決意したという。

オンライン診療が普及拡大するための「いいうねり」を生み出す

 2015年2月に「代表取締役医師」として入社して、丸3年。その間、豊田さんは精力的にビジネス拡大に取り組んだ。

 入社が決まってすぐ取り組んだのは、オンライン医療事典「MEDLEY」。医師としての自らの知識をもとに、一人でコンテンツを作り上げ、カットオーバー後に有志を募って項目を増やしていった。現在は月間で数百万PVのサービスに成長した。

 「先生が言っていたことがわからなかったけれど、『MEDLEY』を見て理解できるようになったとか、自分が受ける手術の内容を理解することができたなど、多数の声をいただいています。これだけ多くの方にご活用いただき、身が引き締まる思い。このサービスで医療を知り、医療と向き合う力を得ていただければ嬉しいですね」

 2016年2月にスタートしたオンライン診療アプリ「CLINICS」は、スマートフォンやPCから、医師の診療を受けられるサービス。Webを通じて予約からビデオチャットでの診察、決済や薬・処方箋の配送までが可能となる。2018年度の診療報酬改定で遠隔診療の評価を新たに設けることを示すなど、政府も普及に向けて動き出しており、本格的な 広がりが見込まれている。

「オンライン診療は厚生労働省が2015年に“全国で広く実施して良い”という解釈を明示したことから普及が始まりました。でも、どの医療機関も使いやすいシステムをベンチャーが広めたことで、普及スピードは加速しました。そして全国でさまざまな診療事例が生まれた結果、診療報酬のルールも変わる動きにまで発展した。今回の動きは、遠隔診療の初期から当社や遠隔診療に共鳴してくれた医療機関が頑張って来なかったら起こらなかった“うねり”だと自負しています。波が立ちづらかった医療分野に、これからもいいうねりを起こしていきたいと気持ちを新たにしています」

 医療を変えるという壮大な目標のもと、次は何を実現したいと考えているのか?

「やるべきことはたくさんありますが、まずは目の前の課題を一つずつ解決していくことに注力したい。医療と患者さんが交わる場所に、インターネットサービスを加えることで、今よりもっと“患者主体の医療”が実現できるし、医療従事者の負担も減るはず。このような世界をこの手で実現したいと考えています」

面白い仕事を得たければ、目の前の仕事に一生懸命取り組み、成果を上げること

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 自身の居場所を大きく変える決断を繰り返し、目標に向かって突き進んできた豊田さん。その時々の、目の前の仕事に一生懸命に取り組んできたからこそ、次の道が見えるようになり、チャンスにも乗ることができた…と話す。

「今の環境が不満だと嘆いたり、もっとほかに向いているものがあるのではと悩んだりする人がいるようですが、自ら成長しないことには、新しいチャンスなんて絶対に巡って来ないと私は思います。いいポジションに就きたい、面白い仕事に関わりたいと思うならば、たとえ『向いていない、つまらない』と思っていても、まずは目の前の仕事に一心不乱に取り組んでみること。 そして恐れずに、一歩踏み出してみる。努力して結果を残せば、その後の選択肢はぐんと増えるはずですし、『選択する権利』を得ることもできます。悩む暇があったら、動くこと。これに尽きます」

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▲1月に発売された豊田さんの著書『脳外科医からベンチャー経営者へ ぼくらの未来をつくる仕事』(かんき出版)

EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:刑部友康

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