【祝・世界遺産、逆転一括登録!】沖ノ島ってどんな島?一般人立入禁止の「神宿る」島の“今”を紹介!<前編>

7月9日、日本にまた新たな世界遺産が誕生した。福岡県宗像市の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」である。構成要素は、沖ノ島の宗像大社沖津宮と小屋島、御門柱、天狗岩の3つの岩礁、大島の宗像大社中津宮、沖津宮遙拝所、宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群の計8資産だが、今年5月、ユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)は沖ノ島と3つの岩礁以外の構成資産を除外して登録するよう勧告。厳しい状況だったが、15年前から8資産すべての世界遺産登録を目指していた宗像大社、宗像市、福岡県、文化庁らによる決定ギリギリまでの必死の説得・PR活動によって、逆転一括登録が実現したのだ。今回登録となったのは世界文化遺産で、日本では17件目、自然遺産も合わせると21件目の世界遺産登録となった。中でも沖ノ島は島全体が御神体の「神宿る島」と呼ばれている神聖な島で、数千年も前から人々はこの島を敬い、畏れ、祈りを捧げてきた。

通常は人の立ち入りが厳しく制限されているため、沖ノ島とはどのような島なのか、知る者は少ない。世界遺産登録後はさらに渡島は厳しくなるだろう。そこで、世界遺産登録を前に特別に上陸の許可を得たリクナビNEXTジャーナルが、1人でも多くの読者の方にこの島を正しく理解していただくため、写真を中心に、「神宿る島」の今の姿をお伝えすることにした。

「神宿る島」沖ノ島とは

f:id:k_kushida:20170710085930j:plain▲玄界灘の真ん中に浮かぶ神宿る島・沖ノ島

沖ノ島は福岡県宗像市の沖合い約60キロ、玄界灘の真ん中に浮かぶ島で、神湊港からは海上タクシー(船)で1時間半~2時間ほど。周囲約4キロの、港以外は断崖絶壁に囲まれたまさに絶海の孤島である。

島全体が天照大神の娘「宗像三女神」の長女神・田心姫神(たごりひめのかみ)を御神体とする神域で、山の中腹の原生林の中に社殿である沖津宮が鎮座している。この沖ノ島・沖津宮と次女神・湍津姫神(たぎつひめのかみ)祀っている大島の中津宮、末女神・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀っている九州本土の辺津宮を合わせた三宮の総称が「宗像大社」なのである。「古事記」と「日本書紀」によれば、三女神は天照大神と素盞嗚命(すさのおのみこと)の間に誕生し、「歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」との 神勅(天照大神の言葉)により、大陸との交通の要所にあたる宗像の地に降臨。以降、1500年以上の長きに渡り国家の守護神として崇敬されている。

f:id:k_kushida:20170707132140j:plain▲沖ノ島と同時に世界文化遺産に登録された三つの岩礁(写真右から小屋島、御門柱、天狗岩)。この岩礁は鳥居の代わりなので、船は島に入る際も出る際も必ずこの岩礁の間を通らなければならないf:id:k_kushida:20170707132344j:plain▲港を除き、周囲は断崖絶壁となっている沖ノ島

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“厳格な掟”によって守られてきた「神の島」

沖ノ島は古くから「不言様(おいわずさま)」として、外部の人間にその存在を知られないために、現在に至るまで人の立ち入りが厳しく制限されてきた。また、島そのものが御神体であるため、以下のような厳格な禁忌があり、今日まで厳格に守られている。

・島で見聞きしたことは一切口外してはならない(「不言様(おいわずさま)」)
・婦女子の渡島を禁ず
・全裸になり海中で穢れを払う「禊」をしなければ上陸してはならない
・一木一草一石たりとも島外へ持ち出してはならない
・島内で四足の動物を食べてはいけない

f:id:k_kushida:20170710090058j:plain▲島の入口、社務所の横に立てられた看板にも「掟」が書かれている

島に常駐しているのはただ1人の神職。原則として年に2回、10日間交代で島で勤務している。神職は朝起きるとまず海に入り肩まで浸かって禊を行い、身を清める。その後白衣袴に着替え、原生林の中、約400段の急勾配の石段を登って沖津宮へ赴き、神様に米、酒、水、塩をお供えする。この朝のお勤めは神職として最も重要な、欠かすべからざる仕事であるため、真夏でも真冬でも、雨が降っても風が吹いても、毎日必ず行う

原則として部外者は上陸禁止だが、一般人でも年に1度だけ上陸のチャンスがある。毎年5月27日の日露戦争・日本海海戦での戦死者の慰霊のために開催される現地大祭の時だけは抽選で選ばれた約250人の男性が上陸、沖津宮を参拝することができる。その際も当然、上記の掟を厳守しなければならない。

f:id:k_kushida:20170707132751j:plain▲参拝前に全裸になり海水に肩まで浸かり、禊を行うf:id:k_kushida:20170707132958j:plain▲まずは左の社でお参りして鳥居をくぐって沖津宮を目指すf:id:k_kushida:20170707133059j:plain▲5~10分ほど登った場所からは港が見渡せるf:id:k_kushida:20170707133151j:plain▲原生林の入り口にも鳥居が。この奥深い森の奥に沖津宮があるf:id:k_kushida:20170707133310j:plain▲原生林の中の急な石段をひたすら登る。沖津宮までは400段f:id:k_kushida:20170707133430j:plain▲400段を登りきった標高80メートル、山の中腹のうっそうと茂る原生林の中に建つ沖津宮。何とも言えない荘厳な佇まいである。到着後、正式参拝を行うf:id:k_kushida:20170707133519j:plain▲社殿は巨岩に食い込むように建てられているf:id:k_kushida:20170707134427j:plain▲祝詞を上げる神職。神職は日々皇室・国家の安泰を祈っている

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別名「海の正倉院」。8万点にも及ぶ貴重な奉献品が出土

朝鮮と日本の間で海を越えた交流が頻繁に行われた4世紀後半から9世紀末にかけて、沖ノ島では航海の安全と交流の成功を願って大規模な国家的祭祀が行われた。その祭祀遺跡は沖津宮の背後に広がる巨石群を中心に23ヵ所確認されており、8万点にも及ぶ貴重な奉献品が出土している。そのすべては国宝に指定されており、ゆえに沖ノ島は「海の正倉院」とも呼ばれている。その一部、といってもかなりの数の宝物が辺津宮のある九州本土の宗像大社の神宝館に展示されている。

f:id:k_kushida:20170707140023j:plain▲沖津宮近くの巨岩の下には8~9世紀のものと推定される土器があったf:id:k_kushida:20170707140118j:plain▲社殿の奥に普段は神職でも滅多に立ち入らない遺跡群があるf:id:k_kushida:20170707140359j:plain▲5号遺跡。巨岩直下の地表面だけではなく、岩陰前方の露天部分からも奉献品が出土した古代人はこのような巨岩を神聖な場所として崇め、宝物を収めたと考えられている確かに人の何倍もの大きさの巨大な岩の前に立つと厳かな気持ちになる。f:id:k_kushida:20170707140227j:plain▲5号遺跡から出土した「金銅製龍頭」(6世紀)。祭礼時に旗や傘を下げる竿先部分に用いられた、豪華な飾り金具f:id:k_kushida:20170707140527j:plain▲5号遺跡から少し上がったところにある7号遺跡。巨岩直下の陰となる地表面からは金銅製の馬具類を中心に、純金製の指輪など豪華絢爛な宝物が出土しているf:id:k_kushida:20170707140648j:plain▲7号遺跡から出土した、内径1.8センチの純金製の「金製指輪」(5世紀)。1500年前のものとは思えない輝きを放つf:id:k_kushida:20170707141030j:plain▲4号・7号遺跡から出土した鉄剣、鉄刀など(6世紀)f:id:k_kushida:20170707141122j:plain▲7号・8号遺跡から出土した「金銅製歩揺付雲珠」(こんどうせいほようつきうず)(6~7世紀頃)。辻金具の一種で、馬を飾った装飾品f:id:k_kushida:20170707141225j:plain▲遺跡からは71面という膨大な数の銅鏡が出土しているf:id:k_kushida:20170707141331j:plain▲正式参拝と遺跡群見学を終え、登ってきた道を下る。特に雨が降った後は道がぬかるみ、とても滑りやすくなる。お勤めとしてこの道を毎日登り降りする神職の大変さが少しだけわかったf:id:k_kushida:20170707141424j:plain▲立っているだけで汗が吹き出す原生林を抜けると空気が一変したのがわかった。まるで神様のお腹の中から出てきたとでも言おうか…。海から吹く風に身も心も清められた気がした

神職としての原点に立ち帰れる場所

f:id:k_kushida:20170707141758j:plain▲神職の生活の場である社務所

沖ノ島でたった1人で10日間勤務する神職。その生活の場である社務所は禊を行う海の目の前、沖津宮へ至る参道の登り口にある。

ソーラー発電機が設置されているので電気を使用できるが、アンペアが低いのでエアコンはない。食事は自炊。食材は島に渡る前に10日分を購入し、運ぶ。ただ、島では四つ足の動物は食べてはいけないという決まりがあるので豚肉や牛肉は食べることができない。時折、漁師が神様へのお供え物として獲れたての魚をもってくることもあるので、まず朝のお勤め時に沖津宮まで持って上がってお供えした後、山を降りて食べることもあるという。

神職はどのような思いで勤務しているのだろうか。上陸を許された際に沖ノ島で勤務していた神職の吉武誠礼(ともひろ)氏は以下のように語った。

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【プロフィール】
吉武誠礼(よしたけ・ともひろ) 1983年生まれ。生まれも育ちも宗像市玄海町。太宰府天満宮で6年間神職を務めた後、宗像大社の神職に。沖ノ島勤務は今回で7回目。

「日本に神社はたくさんありますが神様と神主が1対1で向き合うことができるのはおそらくこの沖ノ島だけでしょう。ですので勤務期間中は誰にも見られていませんが怠け心など一切起きず、とても厳かな気持ちなります。また、朝起きてまず全裸になり海に入って禊をしてからお神様の元にうかがうというのもこの沖ノ島だけだと思います。しかし昔は、身を清めてから勤務に就くことはすべての神社で行われていました。ゆえに、沖ノ島は神主としての原点に立ち帰れる場所なのです

また、多くの一般的な神社は社務所から社殿までは平坦な道か、階段があったとしても数段しかないのですが、沖ノ島は沖津宮まで400段の石段があり、どんな状況でも毎朝行かなければなりません。このような点も非常に特徴的だと思います。

島で1人で10日お勤めしていると神秘さを感じることも多々あります。例えば雲が降りてきて半分ほど島が隠れる時や毎日の夕日も神秘的です。ありのままのすべての自然を感じられる場所ですね

沖ノ島は島全体が神様そのものであり、多くの先人たちの努力によって守られてきました。その歴史をしっかり継承して、未来につなげることが私たち宗像大社の神職の最も重要な仕事であり使命です。それは世界文化遺産に登録された後も変わりはありません」

後編へ続く
後編では宗像大社を構成する2つの神社の紹介、そして今回の世界遺産登録について神職に語っていただきます。

取材・文・撮影/山下久猛 取材協力:宗像大社、宗像市

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