【東京で林業?】街のオフィスに、東京の「森」を届けたい

東京の3分の1以上は森である。そこには2000メートル級の山もある。都民ですらその事実を知る人は少ないだろう。「だからこそ東京で林業をやることに意味があるんです」。そう語るのは竹本吉輝さん。株式会社トビムシ代表、地域再生を目指して当地の林業を支援、資金調達や木材の加工・流通などを行う起業家だ。岡山県西粟倉村を再生に導いた実績で注目を集めている。その彼が2013年、東京西部の山深い奥多摩の地に新たな会社「東京・森と市庭」を設立。奥多摩から切り出した木材で都内オフィスの内装や住宅のリノベーションを手がける目論見だ。しかしなぜ、わざわざ東京で林業を? その真意を尋ねた。

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竹本吉輝さん

横浜国立大学国際経済法学研究科修了。外資系会計事務所、環境コンサルティング会社の設立経営などを経て、2009年、株式会社トビムシ設立。10年、ワリバシカンパニー株式会社の設立に参画。13年、株式会社東京・森と市庭を設立、代表取締役就任。専門は環境法。国内環境政策立案に多数関与。同時に、財務会計・金融の知見を加味した環境ビジネスの実際的、多面的展開にも実績多数。

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■ボランティア精神では森を再生できない

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今、日本の森はどこも暗く寂しいんです。豊かな森というより、荒涼とした森。なぜかというと、人間による手入れがされていないから。背景にあるのは林業の行き詰まりです。30年ぐらい前まで日本の林業は、ただ木を切って売ればある程度、商売になりました。戦後復興の勢いの中、どんどん家が建てられるなどして、木材需要が極めて高かったからです。でも、その需要を国産材だけでは満たせなかったことから、木材輸入が自由化されました。結果、安価な輸入材で需要と供給のバランスがとれたのですが、その後、住宅需要は減っていき、木材価格は下る一方に。日本の森は手入れされないまま放置されるようになりました。

今、日本の林業に必要なのは、適切な経営であり、マーケティングです。われわれ「森と市庭」の役割もそこにある。森を育て、木を切り、加工し、マーケティングを行い、ユーザーのもとに届けるまでの一連の流れを担います。原料の木材は山を、東京で1、2を争う大山主の方に現物出資してもらい、そこから調達します。これを、共同出資者として名を連ねているオフィス設計デザインの会社、環境共生型住宅のコンサル会社、リノベーションやDIYの会社などを通じて、ユーザーのもとに届ける。生産、加工、マーケティング、そして販売。この一連の流れを仕組みとして構築することにより、豊かな森を維持できる「林業」を営んでいるのです。

具体的なビジネスとしては、奥多摩から切り出した木材を都内のオフィスの内装や住宅のリノベーションに用いるというのが主です。すでにアスクル社の本社オフィスなどにも納入しています。東京にどれだけオフィスビルがあるかと数えると、そのマーケットはほぼ無限といっていいでしょう。仮に、六本木ヒルズのワンフロアに木を敷き詰めたら、西粟倉村から出る床材が1年分行き届きます。1年にワンフロアずつ木を入れていったら、1つの村が数十年食っていける(笑)。東京に限らず全国の都市が本気で「毎年床を0.1%ずつ木にしていく」と決めたら、まったく補助金なしで日本の林業は再生できますよ。

都会にいる人たちにも「暮らしが快適」になるというメリットがあります。オフィスビルのツルツルテカテカの無機質な空間というのは、調温性も調湿性もなく、花粉やウイルスが吸着されずに舞ってしまうんですね。その点、木材は花粉やウイルスを吸着付着しやすくする。地域が疲弊していて可哀想だから、森のためになるから、といったボランティア精神はサステナブル(持続可能)じゃありません。ユーザーの「こっちのほうがいいよね」があるから、ビジネスになるし、林業の中長期的な再生に繋がるんです。

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■「森」が持続可能な地域をつくる資源になる

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ただ僕の問題意識は、林業そのものではないんです。僕の関心はもともと、持続可能な地域社会にある。学生時代は行政法を専門にしていて、なかでも「地域が地域のためにつくる」条例や要綱など、地域の独自ルールに興味を持ちました。特に公害対策の条例はその側面が強いんです。僕の生まれは横浜の鶴見。工業地帯ということもあって、公害問題は昔から身近なものでしたし、市民運動も盛ん。そんな経緯で、その地域特有の事情をふまえて、特有のルールを地域自らが決めていくプロセスを研究したんです。環境問題にも関わるようになったのも、その延長です。外資系会計事務所で働いていたこともありましたが、あれは大学院にいくお金が途中でなくなって仕方がなくお世話になったというだけで(笑)。「地域」という関心は昔から一貫しているんです。

環境コンサルティング会社に在籍していた時代には、環境政策立案をいくつもしています。ただ、法政策をするうちに「違うフェーズに入ったな」と思ったタイミングがありました。例えば「里山を守れ」と言われる。森があり田畑があり川があり、人が住む集落がある。そういう、自然と人の暮らしが調和した、日本ならではの美しい風景です。それが今、失われているのはわかります。でも、今や里山の営みそのものがなくなっているんですから、法律で守ろうにも守れないですよね。

そこで思ったのは、今後、持続可能な地域社会を実現するには、「守る」ための法律ではなく「育てる」ための事業や仕組みがいるということ。そんなわけで私は、地域が持つ「森」という資源に注目して、2009年に「トビムシ」という会社を立ち上げました。

「トビムシ」の事業内容は、林業を起点とし、地域が主体となって持続可能な地域再生を実現すること。その第一号案件の舞台となったのが、人口1500人の小さな村、岡山県西粟倉村です。地域商社「西粟倉・森の学校」を西粟倉村とトビムシが共同で設立して、森から生み出される資源を家具や木工品などの製品にし、街の消費者に届ける仕組みを作りました。おかげさまで「森の学校」は多くのメディアに取り上げられて、他の地域の皆さんからも「力を貸してほしい」と相談をいただくようになった。今回、奥多摩で立ち上げた「東京・森と市庭」は、「西粟倉・森の学校」に続く二号案件です。

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■街がイケてないのは、森がイケてないから

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「なぜ東京で林業なのか」。奥多摩の山主の方からお話をいただいたから、というのが理由の1つですが、他にも考えるところがありました。西粟倉村の「森の学校」は確かにうまくいきはじめましたが、「それは人口1500人の小さい村だからだろう」という声が今もあります。つまり業界的には「特殊事例ではないか」という扱い。でも僕らとしては、他の地域でもその地域なりのやり方でできると思っているんです。これを証明するには、社会的にも林業的にも、注目される地域でやるのがいい。

だから、東京で林業をやることに意味があるんです。東京の3分の1以上が森だと知っている都民なんてほとんどいない。2000メートル級の山があることも知られていない。東京には森も都市もあるんです。もっというと江戸時代、都市部をつくり支えてきたのは、奥多摩の森や、そこから流れる川、そこで作られた農産物です。都市部の屎尿は山へと送り返されて、畑の肥やしに使われた。江戸は循環型のサステナブルな社会だったと言われますけど、都心部だけでは循環できません。都市と森が総体として循環していて、だからサステナブルだったんです。

森と都市は、僕らの言葉でいうと「同期」しています。都心部が無機質でツルツルテカテカのまったくイケてない空間になっていることと、奥多摩の森が手入れされず、暗く荒涼としているのは、同期している。イケてない都市空間は、イケてない森林空間の表れそのものなんです。逆に、都市が森の恵みによって豊かになれば、森も豊かに変わるはず。「東京・森と市庭」は、この都市と森の同期を東京でわかりやすく見せたいわけですね。街の知名度は言わずもがなですし、街と森の距離が近くて、楽に行き来できる。「あの森から切り出された木材をいま自分が使っている」「森と都市が繋がっている」と、説教がましくなく伝えられる。そうすると、他の地域を見る目も変わってくるはずです。

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■地域と都市を行き来するのが、人間として自然なあり方

また別の側面から話をすると、僕らは、地域が自立するにはグローバル資本主義から離れる必要があると思っていて。とにかくお金、とにかくスピード、といった生き方に乗っかるのは、地域では不可能です。お金も情報も人も物も都市部に集中しますから。でも、それらと一定の距離をおいて自立することはできる。都市の「食っていける」は「お金が稼げる」という意味ですが、それは裏返すと「お金が稼げないと食べられない」ということです。これは都市のしんどさですよね。反面、地方の「食っていける」は文字通り、田畑があっていつも食べ物があるとか、冬を越すためのエネルギーがあるとか、そういうことです。林業である程度の経済力も確保できる。その上で、好きなときに都市にアクセスすればいい。

都市の人間も、好きなときに地域にアクセスできるのが、生き方の多様性というものだと思います。地域がよくて都市がダメということでは全くない。都市のように全てが集中していて便利な環境を求めるのは、人間の性だと思います。僕自身、都市にしかない機能美があると感じている。でも一方で、ずっと都市で暮らしていると、気持ちが殺伐としてくるのも事実です。地域もあって、都市もある、2つを無理なく行き来できるのが、人間として自然だと思うし、サステナビリティの点からも、そうあるべきだと思う。その仮説を検証するには、やはり東京がいい。そう考えて、「東京・森と市庭」は、林業だけじゃなく、街の人たちに森にきてもらう仕掛けもしてるんです。10年前に廃校になった小河内小学校をお借りして、これを奥多摩の林業の再生拠点にしつつ、企業の研修会場や、各種イベントの会場として運営しています。

だから僕らは、アンチ都市で、地域がイケてる、田舎が最高、という発想は本当にない。都心から離れたところで起業しましたけど、「都市生活に疲れたから田舎で働く」「ゆっくり暮らしたいんです」というのとは違うんです。そもそもベンチャーは、都市で起業するよりもローカルで起業するほうが大変です。まったくゆっくりできない(笑)

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取材・文 東雄介

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