【“NO MUSIC, NO LIFE.”生みの親 1】タワレコ宣伝担当者が語る「人生にひっかかるコピー」の生みだし方

日本の音楽シーンにおいて、数々の革命を起こしてきたタワーレコード。そのあまりにも有名なキャッチコピー、“NO MUSIC, NO LIFE.”の生みの親が、実は日本人であることをご存知でしたか。今回は、同キャンペーンの仕掛け人で、音楽業界でも知る人ぞ知る、タワーレコード宣伝/マーケティング部部長の坂本幸隆氏にお話を聞いてきました。

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■“NO MUSIC, NO LIFE.”誕生秘話を教えてください。

タワーレコードの広告は、それまで広告業界の第一線で活躍している方たちにお願いしていたんです。このプロジェクトに関しては予算がなかったので、こういうブランディングでやりたいというオリエンテーションシートを自分で書いて、博報堂の営業の人に渡していました。

巨匠のデザインに対して「ここ、もう少し大きくして」とは言いづらい。だから、「パートナーとして一緒に作ってくれる人はいませんか」と先方に打診していました。そのシートを、営業の人が机の上に置いておいたらしく、アートディレクターの箭内道彦さんとコピーライターの木村透さんがたまたま見つけた。通常、営業局に制作の人は行かないんですが、今となってはトップクリエイターの二人も、当時はあまり忙しくない状態で、“営業パトロール”と称して、時々プラプラしていたそうです。

■お二人の第一印象は?

プレゼンに来た時、営業の人がとにかく申し訳なさそうでした(笑い)。「今回はちょっと特別な編成になっておりまして…」と、声が小さい。「何のことですか?」と聞くと、「違うチームの二人が…」とバツが悪そうに言う。通常、代理店に仕事をお願いすると、いくつかある制作チームの中のひとつにプロジェクトを落として、その同じ制作チーム内のアートディレクターとコピーライターが動くんですけど、箭内さんと木村さんは違う制作チームに所属していたんです。しかも、アイデアが1個しかない。決め打ちというか、選びようがないというか、断りようがないし、断るものもない(笑い)。それが“NO MUSIC, NO LIFE.”でした。

■普通は複数案を持ってきますよね?

まあ、そうですよね。とはいえ、こちらもそんなにお金があるわけではないから、「もっと考えてきて」というのも気が引ける。当初は長期のキャンペーンになる予定もなかったので、「とりあえず、それでやってみましょうか」と承諾しました。要するに、ただ何となく始まったんです。「これだ!」といった、カッコいいものでは全然ありませんでした。

■ポスターも、ラフすら書かないと聞いて驚いたのですが?

撮影日にとりあえず集合場所と時間だけ決まっていて、みんな、なんだかよく分からないまま集まるんですね。それに付き合ってくださるアーティストさんに感謝ですね。

たとえば女性のミュージシャンなら、事前にどこでどういうふうに撮るといった情報はやっぱり欲しいですよね。ところが、このプロジェクトはまったくそれをやらないので、最初の頃は女性アーティストからしてみれば受けにくかったんだと思います。それで歴代のポスターを並べると、すごく男くさいシリーズになっているんです。

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■その場の空気を楽しもうというコンセプトは当初から?

カメラは平間至さんに1回目からお願いしているのですが、平間さんの写真のスタイルが、すごく時間をかけて、何百枚も撮って、という感じではないんです。平間さんが世に出るきっかけとなった写真集『Motor Drive』もそうなんですが、バーッと動きながら撮る。自分が動いて、アーティストさんにも動いてもらって、そういう動きのある写真なんです。タワーレコードのボスターも、現場で構図を決めて撮る。天候や時間や気分に左右されることも含めて、偶然にできるモノならではの付加価値というのでしょうか。音楽やライブにも類似していますよね。

あとは、単純にお金がなくて、スタジオが借りられなかった。「スダジオを借りずに、撮れるところで撮りましょう」というノリです。

■予算がなかったのも勝因ですか?

今となって考えてみると、そうかもしれないですね。工夫ってことですよね。

■にしても、世界展開されるって、すごいことです。

それも本当にたまたまです。もともと、ワールドワイドの宣伝担当が日本びいきで、ポスターをとても気に入ってくれていました。新しいポスターができるたびに「こっちのオフィスにも貼りたいから、送ってくれ」と言われて、その通りにしていたら、いつの間にかアメリカの店頭にも貼られていたという。

■外国の方からの反応はいかがでした?

当時の社長、キースさん(キース・カフーン氏)は、“NO MUSIC, NO LIFE.”とNOが2回続くので、「ちょっとネガティブだね」と言っていました。でも、ちょうど大統領選挙の年(1996年)で、「スローガンバッチみたいなコピーは、確かに面白いかも」って、軽い調子で決まったんです。

■今、振り返って、改めて思うことはありますか?

“NO MUSIC,NO LIFE.”は、渋谷店ができる前の年に生まれたんですが、当時、渋谷にHMVさんが、新宿にVirgin Recordsさんができて、世間から“外資系の大型CDショップ”と、一括りにされる風潮がありました。でも、私たちとしては、タワーレコードは昔からあって、日本の音楽シーンに対していろんなことを以前からやってきたのに、同業他社と一緒くたにされるのは嫌だなという意地があったんですよ。

そこで、「タワーレコードは昔からパイオニアとして日本の音楽シーンや文化に関わっているんだぞ」と主張するために、あまり販促めいたことじゃなくて、もっと音楽文化の根本に関わるような、大きな視点で発信する何かが必要だと思いました。それくらいの心構えで何かをやったほうがいいという気持ちがありました。

例えば、Appleの“Think different”は、企業スローガンにも関わらず見た人の人生を左右するような奥深さがある。「そんな「接触した人の、人生にひっかかるコピーが欲しい」というプレゼンを博報堂の営業マンにしていたんです。それを机の上に放っておかれていたんですが(笑い)。今思うと、営業の方には「CDショップがなんのこっちゃ?」って思われたのかもしれませんね。

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取材・文:山葵夕子 写真提供:タワーレコード

※リクルートキャリア運営「リクナビNEXTプラスワンカフェ」 2014年3月16日記事より転載

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